閑話⑧ アルフェクダに忍び寄るもの 【前編】
まだ天界に足を踏み入れる前のミコトが王女メルディンに召喚されて3日が経過したころ、アルフェクダ王の弟であるアルテミアが親指の爪を前歯で噛み締めながら苛立っていた。
「まだか! まだ見つからんのか!?」
「申し訳ありません。メルディン姫のお部屋を隅々まで探しているのですが、アルテミア様の仰られているような書物を発見するに至りません」
「無いはずはないのだ。何処かに必ずあるはず…………絶対に探し出せ!」
「は、はっ! 失礼致します」
アルテミアの部屋に報告へと訪れていた兵は、その異常ともいえる声から逃げるようにして部屋を後にする。
「メルディンがあの男を召喚するのに使用した書物があれば、我が国の兵士を減らすことなく無尽蔵に軍隊を精製することが出来る」
アルテミアの頭の中にあるのは、約1週間ほど前に妹メルディンが異世界より呼び出したミコトという男のことだった。
アルフェクダの王でもある、自身の兄のデュラミアと相談した結果、妹メルディンが何処かに隠しているであろう、古の書物を見つけ出し異世界人のみで形成された軍隊を作り出し、先ずは北の大陸にいる亜人を滅ぼし、その次に大陸の覇者になろうとしているのだった。
「もしやメルディンが肌身離さず持ち歩いているのか!? …………いや塔に幽閉する時に入念な検査をしたはずだ」
自身の考えに自問自答していると、自分以外誰も居ない筈の部屋の中から何者かの声が聞えてきた。
「お困りのようですね~~~」
「っ!? 何者だ!」
「どうやら先程からのお話を聞いていると、異世界人を召喚して軍隊を作りたい様子。それならば御力を貸せるかと思いましてね」
それだけの言葉が聞えると目の前の空間が突如ひび割れ、身体全体に黒いローブを身に纏った謎の者が姿を現した。
「き、貴様、一体何者だ!? 物の怪の類いか?」
私はそう叫びながら部屋の壁に掛けられている剣を手に取ると、謎の者に対して切りかかる。
だが、ローブから出した手が剣先に触れた瞬間、剣そのものが粉末状となって足元に降り積もった。
「此方は貴方と敵対するつもりは御座いません。それどころか、貴方の探している物をご用意することができます。勿論、その為の対価は頂きますが」
突きつけた剣が、なすすべもなく破壊されたことで戦意喪失した私は傍にあった椅子に倒れこむかのように腰を下ろした。
「おやおや? 私の事が信じられませんか?」
「…………非常識な現れ方をしたばかりか、顔も名前も知らぬ者をどう信用しろというのだ?」
「これは失礼を、そういえば自己紹介がまだでしたな。私の名は時空を司る、魔将オルセシスと申します。どうかお見知りおきを。…………っとその前に少し宜しいですかな? 何やら我らに害を為す存在がこの地に紛れ込んでいるようですので」
その者はローブで顔を隠したまま右手を高く掲げ、聞き取ることのできない言語で何やら呟き始める。
「さて、これで認識阻害は完了しました。此れで忌まわしき天の使いは此方の事を探ることが出来なくなります」
自らを魔将オルセシスと名乗ったその者は、頭部に被さっていたローブを取り外しながら丁寧に頭を下げてきた。
その者の髪は血の色を思わせるような鮮やかな朱色に染まり、肌は正反対に薄青に染まっている。
「小心者なので大変失礼かと思いますが、顔を隠させていただきますよ」
その顔を見せたのも束の間、直ぐにローブを被りなおし、素顔を隠してしまっていた。
「ふんっ、先の言葉で此方の欲している物を用意できるとの事だが相違ないか?」
「はい。異世界人ではありませんが、不死身とも言える軍隊を用意する術を御用意出来ています」
「対価は何だ? 金か? 女か?」
オルセシスと名乗った者はローブから両手を出して両腕で×を作った。
「そのような物には興味ありません。私が欲しているのは、100人ほどの人間の魂です」
「なっ!? そのような事出来る筈がなかろう」
「出来ませんか?」
「当たり前だ!」
目の前のローブの男は足音を立てずに私の前へと移動すると目線をあわして問いかけてくる。
「考えても見てください。貴方の国の自国民100人の命と引き換えに、不死の軍団を手に入れることが出来るのですよ? 其処に居るだけで何の価値もない人間と、貴方の意のままに操ることが出来る不死の軍団、どちらが得かは火を見るより明らかでしょ?」
この者の言う事にも一理あるが、そう簡単に決断するわけには…………。
「まどろっこしいですね~~~分かりました。ではこうしましょう、貴方の御身体を私に下さいませんか? それで取引は終了という事で」
「な、何を言ってるのだ?」
オルセシスが何を言っているのか分からなかった私は、発言を聞きなおそうと立ち上がるが、私の目に映ったのは座っていた椅子から立ち上がって首元から血を噴出している、自分自身の首のない身体だった。
「貴方1人の魂で強大な力が手に入るのですから、安い買い物でしょう?」
「………で、デュラ……ミア………にいさ…」
「無事に魂は身体から抜け出たようですね。さて、ティアヌスいますか?」
オルセシスは自分が出現した罅割れた空間に向かって誰かの名前を呼ぶと、暗闇で目だけが光る得体の知れない何者かが姿を現した。
「オルセシス様、お呼びでしょうか?」
「ええ、待っていましたよ。貴方は此れより、アルテミアとして生きなさい」
「はい。仰せのままに」
ティアヌスと呼ばれた者は短い返事をした後、アルテミアの遺体の中へと入り込んでゆく。
そして完全に身体の中へと入り込んだ次の瞬間、首のないアルテミアの身体は立ち上がり、床に落ちていた首を拾い上げると、徐に元あった場所へと戻した。
首に横一列に描かれた傷跡は瞬く間に消え去り、アルテミアであった者はオルセシスに跪いた。
「身体に不都合はないようですね」
「はい。この者の記憶も手に取るように感じられます」
「では、最初の命令です。この国に生贄の200人を集めなさい。手段は貴方にお任せしますが、そのうちの1割ほどは法術士にしなさい」
「分かりました。魔将軍オルセシス様の命、必ずや成し遂げてご覧に入れましょう」
「期待していますよ。では私はこれで」
オルセシスはそう言い残すと、出現した空間に吸い込まれるようにして姿を消した。
床に付着していたアルテミアの血も、まるで最初からなかったかのように消え失せていた。
そして罅割れた空間が跡形もなく消えてから10分後、メルディンの部屋に書物を探しに行った兵が息を切らせて戻ってきた。
「アルテミア様、ご報告があります。宜しいでしょうか?」
「構わん。入れ」
「はっ! 失礼致します。メルディン姫の部屋にある暖炉を調査した結果、灰に混じって古文書の切れ端が発見されました。急ぎ手に取りましたが、時既に遅…………申し訳ありませんでした」
「貴様、何故もっと早く気づかなかったのだ! 覚悟は出来ておろうな?」
私はアルテミアの記憶を頼りに壁に掛けられていた剣を手に取ると、目の前の兵士の首へと剣先を向ける。
「ど、どうか、命ばかりはお助けを!」
兵士は勢い良く土下座すると、額を床にこすりつけ泣きながら嘆願してくる。
「貴様に最後の機会を授けよう。此れに失敗すれば分かっておろうな?」
「は、はい。アルテミア様の御配慮に感謝いたします」
「では、1ヶ月後までに城下へと200人の法術士20人を含む傭兵を集めなさい。資金は幾ら掛かろうとも構いません」
「分かりました」
兵士は涙でグチャグチャになった顔を腕で拭いながら、駆け足で部屋を後にする。
「これで第一段階は終了と。そういえば少し、お腹が減りましたね。イキの良い魂でも頂くとしますか」
そしてその日の夜から城内の人間が1人、また1人と次々に原因不明の病で倒れ、その数時間後には何事もなかったかのように立ち上がって、何故か性格までもが変化しているという不思議な現象が巻き起こっていたのだった。