第188話 居るはずのない者
懐かしの『とある人物』が再登場です。
名も無き小さな村でメフィスと呼ばれていた女性悪魔を取り逃した俺とエルフィアは、次なる討伐目標が居る街に向けて全力疾走していた。
自分の中では『取り逃した』と思っているが、セフィリアにとっては『見逃してもらった』と思っているようだ。
「なあ、セフィリア。メフィスって呼ばれていた悪魔ってそんなに強い相手なのか? 従者のロイスって奴は不死身だから手ごわそうだが」
セフィリアは俺の問いに対して、元気がなさげに俯いていた顔を上げ、ゆっくりと話しだした。
「レグリスの街で出会った魔将軍ほどではありませんが、メフィスと名乗った者は上級悪魔です。人間の身体に取り憑いて精神を操るのは、主に力の無い低級悪魔なんです」
すると、レグリスの王女と王妃の人並み外れた怪力でさえ、低級悪魔の力でしかないということか。
「加えてジン殿が仰られていた、悪魔に魂を売り渡した異端者ロイスの存在も脅威となります。文字通り、自分の命は主であるメフィスが握っているので、不死身の身体を駆使して襲い掛かってくるでしょう」
確かにロイスの力は対峙した俺が一番良く分かっている。動作速度にはそれなりの自信があったはずなのに俺の眼にも止まらない速度で移動し、俺の不死身の肉体を容易く傷つける力。
何処か、おちゃらけた表情で終始行動していたが、あれが本気モードとなるとどうなるか。
「過去にも上級悪魔討伐の任を受けてAランク以上の討伐隊が30人向かいましたが、結局帰還したのはたった2人だけと言う結果でした」
「Aランク? 其れって何だ?」
「悪魔討伐隊の実力をランクで表した物です。一番上がS、次にA、B、C、Dと続き、一番下がFになります。討伐隊に入隊して直ぐの者は殆んどがEかFランクですね」
「セフィリアのランクは幾つなんだ?」
「情けない事に、未だBランクに留まっている状態です」
セフィリアの力を持ってしてもBランクか…………。
下手をすると俺なんかの実力じゃ、絶対にSランクに敵いっこないんじゃないか!?
「ジン殿? どうかなさいましたか?」
「俺も自分ではそれなりに強いと思っていたんだけど、今のセフィリアの言葉を聞いて如何に『井の蛙』だったかを思い知ったよ」
「下らぬ事を申し上げてしまい、申し訳ありませんでした」
その後は一気に暗くなった雰囲気を取り払うように凄まじい速度で荒野を走った結果、目の前に幽かにだが、巨大な門が見えてきた。
「見えました。あの場所に2体目の…………!? いえ、ちょっと待ってください!」
俺を先導するかのように前を走っていたセフィリアが突如足を止め、驚愕の表情を見せている。
「セフィリア? どうした。何かあったのか?」
「まだ距離が離れているのでハッキリとは申し上げられませんが、あの中で2人の悪魔憑依者が戦っているようです」
「さっきのメフィスとか言う奴が戻って来て、仲間割れでもしているのか?」
「いえ、上級悪魔の気配ではありません。ですが、その2人のうちの1人から何処と無く、懐かしい気配がするのは、一体どうして…………」
セフィリアは困惑したような表情を浮かべ、幽かに見える街の門を穴が空くほどに見つめている。
「此処でこうしていても始まらない。一刻も早く辿りつくぞ!」
「わ、分かりました」
俺の一言で我に返ったセフィリアは先程よりも速い速度で一気に門へと辿りついた。
「こ、これは!?」
俺達が門を潜って街の中へと入ると其処には国境で見た、真っ黒な鎧に身を包んだ騎士や冒険者が剣を抜いたまま、血を流して倒れていた。
今までの経験からしてグールとして起き上がり、此方に牙を向いてくるのでは?
と思っていたが、何時まで待っていても起き上がる形跡は見受けられなかった。
すると血塗れで倒れている騎士の1人がかすかに呻き声をあげている。
俺は騎士の横にそっと腰を下ろすとかすかな声に耳を傾けた。
「おい如何した? 此処で一体何があったんだ!」
「突然現れた爺が人間とは思えないほどの力で尚且つ、眼にも止まらないほどの速度で俺達全員を打ちのめしたかと思うと口元に笑みを浮かべながら次々と、民に斬りかかって行ったんだ」
「お、おい、しっかりしろ!」
「な、なぁアンタ。俺達は夢でも見ていたのかな? あの爺は胸に槍が刺さっても、剣で斬られても何事も無かったかのように動じなかったんだぜ? ありゃ、絶対人間じゃねえよ…………」
倒れていた男は最後に其れだけを言い残すと、眠るかのように息を引き取った。
「槍で貫かれても剣で斬られても倒れない爺さんか。セフィリア、どう思う?」
「恐らくは取り憑いていた人間が亡くなった事により、悪魔が行動を開始したのでしょう」
「だが、セフィリアから聞いた話を思い返すと、悪魔同士で戦っているんだろ? そんな事って有り得るのか?」
「通常なら有り得ない事ですが、此方側の悪魔憑依者が意識を失ってないとすれば」
「謎の侵入者から街を護るために戦っているという事か」
「ええ、急ぎましょう。悪魔が2体になる前に一刻も早く、その身を封じなければ」
俺はセフィリアと頷き合うと、剣戟の音がする方へと急いだ。
そして悪魔憑依者であると思われる2人が戦っているところへ到着した俺達が見た人物は信じられない男だった。
「な、何故だ!? 何故アンタが此処に居るんだ、レイモンド!」
俺の腕の中で事切れた騎士が話した、槍に貫かれても、剣で斬られても死なない爺だというのは、俺がイスラントール武道大会の決勝で戦ったレイモンドの姿だった。
一瞬、何かの見間違いだと、他人の空似だと思ったが武道大会で俺が治療した腕の傷が無言の肯定を示していた。
「ジ、ジン殿。今、レイモンドと仰られましたか?」
「ああ、間違いない。あの爺さんは昔、俺が武道大会で戦ったイスラントール近衛騎士隊、名誉顧問のレイモンドだ」
「あ、あれが、レイ。私の弟レイ…………」
セフィリアの弟!? そういえば悪魔に取り憑かれた時に生き別れた血の繋がらない弟が居ると言っていたな。
それがあの、レイモンドだと言うのか。
はっ!? こんな事をしている場合じゃない!
「セフィリア、酷な事を言うようだが、何時までも落ち込んでいないでレイモンドか相手を力ずくで止めろ! 悪魔が2体に増えてしまえば、取り返しがつかないことになるぞ!」
武道大会の時のような剣の振り方ではなく、完全に防御を無視し相手を滅多打ちにしている。
悪魔憑依者であると思われる相手も、レイモンドの攻撃に何とか追いついてきてはいるものの、防戦一方で今にも崩れ落ちそうになっている。
と思っていた矢先に相手の男はレイモンドの剣を受け止め損ね、剣ごと左肩から右脇腹にかけて断ち切られた。
「…………此処までか。たった一人の侵入者に此処までやられるとは、俺もまだまだというところか……」
対戦相手が事切れるかと思われた瞬間に2人の間に飛び込んだセフィリアが魔錠を掛けた事により、憑依していた悪魔が表に出ることは無く、レイモンドと打ち合っていた男は地面に大の字となって倒れたまま、身動きする事はなかった。
「次は貴様が相手をしてくれるのか? 丁度いい、食い足りねえと思っていたところだったんだ」
外見はレイモンドに間違いないが、身体の中に巣食っている悪魔がそうさせているのだろう。
かつての紳士的な態度をとったレイモンドは何処にも存在せず、俺と自身の姉であるセフィリアを舌なめずりしながら睨みつけている。
「それじゃあ、どちらから食い散らかしてやろうか」
レイモンドはカッと眼を見開いたかと思うと、かつての弟の成れの果てに戸惑いを隠せないセフィリアの元へと剣を上段に構えて突っ込んでゆく。
咄嗟の事で流石のセフィリアも判断が遅れ、斬られると思ったところで奇跡が起きた。
「こ、これ以上、儂の身体で好き勝手する事は許さん!」
身体の至る所に致命傷とも取れる深い傷を負っている事から、既に事切れていると思われていたレイモンドがセフィリアを手に掛けようとしていた剣を持つ右腕を、左腕で押し止めていた。
「た、旅の者よ。誰かは知らぬが、今の内に儂を…………儂を殺せ! 殺してくれ。儂は意識が無かったとはいえ、数多くの罪無き者をこの手に掛けてしもうた」
「この爺! まだ生きてやがったのか!?」
レイモンドは一人芝居をしているかのように、口調を変えて喋っている。
そう話している間にもレイモンドの右腕は自分自身の左腕を斬ろうとし、左腕もまた右腕から剣を奪おうとしている。
そして漸く我に返ったセフィリアが、魔錠をレイモンドの腕に装着すると其れまで抵抗を続けていた右腕が力を無くしたかのようにダラリと下がり、レイモンドの肉体もまた地面に倒れ付した。
「こ、これで漸く、儂の役目は終った…………セフィ姉の……元へ……」
奇跡的に命を繋ぎとめていたレイモンドが、今度こそ死の世界に旅立つと言うところで、俺が駆け寄り手加減なしの回復魔法を掛け続ける。
「まだだ、まだアンタを死なせるわけにはいかない。今度は俺とセフィリアのために力を貸してくれ!」
俺は致命的な傷を負っているレイモンドに、2回目の奇跡が起こることを心より信じて回復魔法を掛け続けていた。