第179話 悪魔に魅入られし者
魔将軍シュバイアが壁の中へと消えてから数分後、漸く身体の震えが落ち着いたセフィリアはなんとか2本の足で地面に立つ事が出来た。
「セフィリア、大丈夫か?」
「貴方様の目の前で無様な姿を見せてしまい、申し訳ありませんでした。 …………それにしても下界で魔将軍に出くわすとは思いも因りませんでした」
「魔将軍とはどれほどの強さを持つ存在なんだ? セフィリアの状態を見る限りでは、相当な奴だということくらいは多少なりとも分かるが」
「私も悪魔討伐隊の先輩方から口伝に聞いた話なのですが、今から数千年前に起こった神魔大戦で約1万体の悪魔達を指揮する立場として魔将軍が1人、戦場に居たそうなのですが、ある時何を思ったのか自分が指揮する配下の悪魔ごと、天界軍を容赦なく滅ぼしたのだそうです」
自分の部下を犠牲にして暴れまわる狂戦士という奴か。
「この事を重く見た天界軍は戦いを指揮していた魔将軍を大地の奥底へと生きたまま封印し、今もなお魔界側に封印場所を悟られないように見張っているのだそうです」
「倒す事が出来なかったために封印したという訳か。その当時と同じ位を持つ者が、あの魔将軍と名乗ったシュバイアという訳か」
如何してこんな場所に居たのかは分からないが、これからも気をつけなければならないな。
「思ったよりも時間を消費してしまいました。急ぎましょう。肌に感じる醜気によれば、この城の最上階に3体の悪魔憑きの気配がします」
「3体? 2体ではないのか?」
前にこの世界に居た時の情報に因れば、非道な行いをしているのは王妃と王女の2人だけの筈。
だとすれば、もう1人は誰なんだ?
「はい、3体で間違いありません。一刻も早く封印しなければ、グール達のような悪霊や高位の悪魔を呼び寄せてしまう危険性があります」
「分かった。 急ごう!」
俺とセフィリアは全然、人の気配が感じられない城内の階段を最上階を目指すようにして只管上がっていく。
そしてその数分後には夥しい血が付着している、巨大な扉の前へと辿りついた。
「此処で間違いありません。内部から異常すぎるほどの醜気が感じられます」
「そうか…………行くぞ」
「はい!」
意を決した俺とエルフィアは巨大な扉を蹴破るようにして部屋へ侵入すると、其処は死体で溢れかえっていた街中とは比べ物にならないほどの凄惨な光景だった。
『鉄の処女』で身体中を鋭利な針で貫かれ死に絶えている者、異常すぎるほど巨大な棘を持つ、茨の鞭で身体ごと柱に拘束されている男、胴体と頭部が切断され、首のあった場所に巨大な斧が減り込んでいたりと…………そして全ての犠牲者に共通する事といえば、皆が皆、全く同じ鎧を身に纏っていることだろう。
そして全てを見晴らせる場所には血に塗れた玉座があり、其処には2人の女性が笑みを浮かべながら座っていた。
(マスター、左側の女性を見てください)
(ん? あれは、何時ぞやの夢の中に出てきた)
(夢の中でのことが現実と同じだとすれば、あれが王女で間違いないかと)
(では、隣に座っているのは王妃だという事か?)
(恐らくは。それにしても、女性が何故このような酷い事が出来るのでしょうか)
ルゥと念話をしていると、扉を蹴破って玉座の間に入室した俺とセフィリアに気がついたようで。
「そなた等は何者じゃ? この場所をレグリス城、玉座の間と知っての行いか!」
「はっ!? お母様、お待ち下さい。其方にいらっしゃるのは勇者様ですね? やっと、この国を救うためにいらしてくれたのですね?」
夢の中に現れた姿と瓜二つの顔をした王女は、自身のドレスが最初から赤いドレスだったんじゃないかと思われるほどに返り血で真っ赤に染め上げて、口元に笑みを浮かべている。
「如何なされたのですか、勇者様。さぁ一刻も早くレグリスに害を及ぼす、隣国マルベリアを滅ぼし国王の首を取って来てくださいませ」
王女はまるで舞台の上で芝居でも見せているように、俺へと言葉を投げかけてくる。
そして真横で呆然とするセフィリアが問いかけてきた。
「ジン殿、勇者様とは一体何の事なのですか?」
「この世界は、俺が最初に光の精霊王に召喚されて足を踏み入れた世界なんだが、目の前の王女は自分の召喚によって俺がこの世界に現れた救世主だと勘違いしているんだ」
「なるほど、それで『勇者様』なのですね。しかも自分達の行いを正義と決め付けて他国に害を及ぼそうとは、悪魔に魅入られるわけですね」
「何をゴチャゴチャと! 娘の召喚に応じし者よ、我が命に従いて今すぐにマルベリアを滅ぼしてまいれ!」
王女の隣に座っていた王妃は一向に動こうとしない俺に対して苛ついたのか、命令口調で言い放った。
「それは出来ませんね」
「な、なんじゃと!?」
「王女よ、俺は夢の中でこうも言ったよな。お前の望みどおり、国には行ってやるが其れは助けるためではない。 滅ぼすためだと!」
「おのれぇーーー! 貴様も我を謀ろうとする者か。この間に居る者と同様に血祭りに挙げてくれるわ」
「ジン殿、お気をつけ下さい。今の彼女等は悪魔の力によって、人の身では考えられぬほどの力を持っています」
「どうすれば悪魔の力を封じる事が出来るんだ?」
「この魔錠を手首か足首に装着できれば、身体の中に悪魔を封印する事が出来ます」
そう言ってセフィリアが懐から取り出したのは、表面にビッシリと梵字のような文字が書き記されている鎖の無い、手錠のような物だった。
そして、そのうちの2個を俺に手渡してくる。
「城の入口で感じた醜気によれば彼女等の他に、もう1体悪魔が居る筈です。お気をつけ下さい」
そう言って彼女は右手に剣、左手に魔錠を持ちながら王妃に突進してゆく。
王妃も負けじと茨の鞭を振るいながら、セフィリアを寄せ付けないようにしている。
「何処を見ているのですか? 我が意のままに操られないのなら、死んで頂くほかはありませんね」
セフィリアの戦っている姿を見ていると、何時の間にか俺の目の前まで移動してきた王女がレイピアを手に襲い掛かってきた。
その腕前はといえば悪魔が王女に力を貸しているのか、とても少女とは思えないほどの胆力で俺を斬り付けて来る。
「勇者様とはいえ、実力は大したことが無いのですね。これなら私が直接マルベリアを滅ぼした方が早かったですわ」
王女は此方に反撃の隙を与えないほどの速度でレイピアを振るいながら、余裕のある笑顔で話しかけてくる。
俺はこの部屋に入ってきた時からどうしても気になったことがあり、思い切って聞いてみる事にした。
「つかぬ事を聞くが、此処で倒れている男達は何者だ?」
「あ、ああ、この者達ですか? 彼等は私達に異を唱えてきた、愚かな反逆者たちですわ」
「反逆者?」
「そう。この国では私と母様が全てだというのに、居るだけで何の役にも立たない国民のために税を軽くしろだの、隣国と国交を持てだのと、つまらない事を口にした騎士を他の者に対する見せしめとして、更には暇つぶしとして遊んだ結果ですわ」
「では、この男達はレグリスの真の誇り高き騎士達という訳か。自分達の我が侭のために臣下を殺したと? ふざけるなよ貴様等!」
「なっ!? なんたる気質!」
俺は王女の其の一言で我を忘れ、相手が女だろうが悪魔だろうが関係なく、敢えて致命傷を与えずに身体の表面を連続して切り裂いた。
「こんなっ…………こんな事って。私が追い詰められだなんて、そんな馬鹿なこと有り得るはずが」
そして俺の渾身の一撃を受けた王女は、両腕を胸の前で交差するような防御姿勢をとったまま、10m以上も離れた石柱に盛大に背中を打ちつけた。
「ガハッ!?」
丁度其の隣ではセフィリアも王妃を倒し終わったらしく、吹き飛んでいった王女とともに王妃にも魔錠を装着した。
「此れで残るは未だ姿を見せない、もう1体の悪魔のみですね。幽かな醜気しか感じられないのは気になるところですが、玉座の後ろにある部屋から漂ってきているようです」
セフィリアの感じた醜気を追って玉座の後のカーテンを捲り、狭い一室に足を踏み入れると其処には驚くべき物が置いてあった。