第155話 セフィアとリミリア
翌朝、目が醒めてから宮廷魔術師のイシュナムさんが街に戻ってくるまで残り5日もあると思いながら朝食を済ませ、『今日は何をして暇を潰そうか』と考えながら、通りを散歩していると、前方から顔中を汗だくにして走っているリミリアが姿を現した。
服装はといえば、昨日見ていた何処かのお嬢様という格好ではなく、身体のラインがハッキリ分かる薄手のシャツに紺色のスパッツのようなパンツ姿で荒い息を吐いている。
俺が呆然としていると、彼女も俺が居る事に気がついたのか肩で息をしながらゆっくりとした足取りで近づいてきた。
「ハァハァ・・・・・・ミコトさん、おはようございます」
「リミリアさん、如何したんですか!? 怪我が治ったとはいえ、無理は禁物ですよ」
昨日の治療で膝に醜く刻まれていた傷は跡形もなく治療したのだが、傷の大きさから言っても可也の出血を伴っていただろう。
治療魔法は傷を治せても、失った血液までは増やせないのだから。
「怪我の所為とはいえ、長い間職務を怠ってしまいました。シュミアから聞くところによれば戦争が近いとの事なので一刻も早く前線に復帰しなければならないので体力づくりを」
「だからといって・・・「リミリア隊長!?」・・・・・・ん?」
明らかに無理をしているリミリアを止めようとした時、俺の後ろから何処かで聞いた声が聞えてきた。
「あれっ、セフィア? どうかしたの?」
俺は振り向いて相手の顔を確認すると紛れもなく、ヴィナリス姫の護衛を務めていたセフィアが私服でリミリアを見据えていた。
その姿はといえば女らしさとは程遠く、例えて言うなら女性が男装をしているかのような。
リミリアとセフィアの間には俺が居るのだが、余程驚いているのか俺のことに気づかないようだった。
「『如何したの?』は此方の台詞です! リミリア隊長こそ此処で何をしているのですか!?」
「何って、体力づくりのための運動をしているところだけど?」
「怪我をしているのではなかったのですか? 職務に戻りたいと言う気持ちは痛いほど分かりますが、無理をなさっては傷の治りが遅くなりますよ」
「怪我なら、もうすっかり良くなったから心配しなくても大丈夫よ」
「あれほどの怪我が、そう簡単に治るはずがないではありませんか! さ、家に戻りますよ」
セフィアはリミリアが何を言っても耳を貸さずに腕を掴んで何処かに連れて行こうとする。
「いや、だからね。怪我はミコトさんに治してもらったから大丈夫なんだって」
「えっ? ミコトさん?」
此処に来て漸く、俺が此処に居る事に気がついたセフィアはリミリアの腕を掴んだまま、俺の方を凝視して固まってしまっている。
「もぅセフィア、いい加減離しなさい!」
「はっ!? 私は何を・・・・・・ミコト殿、どうして此方に?」
それから数分後、漸く落ち着きを取り戻したセフィアと共に広場のベンチに腰を下ろすと、俺が怪我を治したことを話した。
順番としては噴水を背にして左から俺、リミリア、セフィアの順だ。
「そうでしたか。隊長もそれならそうと、言ってくれれば良いものを」
「散々説明したわよ。興奮すると人の話を聞かないのは、セフィアの悪い癖よ?」
セフィアがリミリアに平謝りをしているのを見ながら、気になったことを聞いてみることにした。
「それで? セフィアはどうして此処に居るんだ?」
「それがその・・・・・・たまたま非番だったので『隊長は如何しているのかな?』と思って家に行って見たところ、蛻の空だった事と、街の診療所が開く時間にも達していなかった事から『また何処かで無理をしているんじゃないか』と心配して街の中を虱潰しに探していたんです」
「それで息を切らせている私の姿を見て興奮したと?」
「申し訳ありませんでした。それにしても、ミコト殿と隊長がお知り合いだったとは驚きです」
「知り合いと言うほどの物じゃないんだけど。強いて言うなれば、街でぶつかった縁かな?」
確かに可笑しな縁だけど、セフィアとリミリアが知り合いで、俺が2人の傷を治療した事は偶然なのか?
俺がこの事について考えていると何処からともなく、蜻蛉のような虫(俺が知っているサイズの一回り大きい)がそっとリミリアの左肩に止まった。
俺の居る反対方向である、右を見てセフィアと話をしているリミリアも肩に何らかの感触を感じたのか自分の肩に目をやった瞬間、時が止まったかのように固まってしまった。
「あっ! いけない」
セフィアもリミリアの虫嫌いを知っているのか、リミリアが虫を凝視しているのを見て両手で自分の耳を押さえていた。
俺も少し前に路地で『悪い虫』発言した事を思い出し、耳を押さえようとするが時既に遅く。
「キャアァァァァァーーー!?? 虫ィィィィィ、来ないでーーー」
リミリアは俺の至近距離で超音波とも言える叫び声を挙げて恐ろしいほどのスピードで走り去っていってしまった。
「み、耳が・・・・・・」
「隊長も虫嫌いは相変わらずですね。戦場でどれだけの死体を目の前にしても平然としているのに虫を見た途端、人が変わったかのようになるんですから。 ミコト殿? 大丈夫ですか?」
セフィアは耳を押さえて蹲っている俺に目線を合わすようにして跪くと心配そうに声を掛けてきた。
「あぁ、まだ耳がキーンとするよ。それにしても本当に彼女がセフィアの上司なのかい? とてもそういう風には見えないんだけど」
「それは私が隊長と比べて、女性としての慎ましさに欠けると言いたいのですか?」
セフィアは腰に手を当てて怒ったような表情をして問いかけてくる。
「いや、そういうつもりじゃ」
「冗談ですよ。私も身内から嫌になるほど言われ続けているので、もう慣れましたから」
セフィアは徐に立ち上がって姿勢を正すと、此方に手を差し伸べてきた。
俺はその手を取り立ち上がると、セフィアと目が合い盛大に笑い合った。
「そういえば、馬車の中で俺と護衛騎士を馬鹿にしていた男はどうなった? 元気にしてる?」
俺の発言にセフィアは何の事かと少し考えた後、思い出したかのように口を開いた。
「彼なら何とか、訓練について来てますよ。最初の頃と比べて少しはマトモになってきてますし」
「皆で苛めてるんじゃないの? 護衛騎士を馬鹿にしたような発言があったからさ」
「私も最初は簡単に音を上げるものと思って、あまり期待していなかったんですが、見る見るうちに上達してきて目を見張るものがありましたからね。 潰さないように鍛えて行こうと思っているんです」
その後も色々と世間話を繰り返しているうちに辺りはすっかり暗くなり、良い暇つぶしとなっていた。
そして俺はセフィアと別れた後、屋台で買い食いをしながら宿へと戻った。
余談ながら・・・・・・その後のリミリアはといえば、肩にとまった虫が風速で飛んでいった後も、何処で付着したのかシャツについている黒い染みを虫と勘違いして、体力が完全に尽きるまで街の中を爆走していた。
帰りが遅い姉を心配して、街中を探し回っていたシュミアの手によって彼女は回収されたという・・・・・・。