第152話 虫に脅える女性
ヴィナリス姫を助けた謝礼として国王から金貨20枚を受け取った翌日、俺は街の宿屋で目を醒ました。
王国一物知りだという、宮廷魔術師のイシュナムさんが休暇から戻ってくるまで残り6日。 その間に街を回ることにした。
王都に到着した時には馬車で通り過ぎるだけだったので、此れから行くところが楽しみでもあり、国王から聞いていた、街の中にあるという図書館も目当てだったりする。
さて宿屋の敷地内にある井戸から冷たい水を汲み上げて顔を洗うと、その足で朝食を済まし、宿の店員さんに聞いた広場に向かう事にする。
宿屋を出発して歩くこと凡そ5分、其処は大いに盛り上がっていた。
広場のほぼ中心部には水を盛大に噴き上げる噴水があり、そのまわりには色鮮やかな野菜や果物、果ては何の肉かは分からないが50cmはあるであろう、長い串に肉の帯を巻きつけ、刷毛のような物で調味料を塗りつけけながら、サーカスで使うような火の環で焼いていく姿があった。
俺はたったいま、朝飯を食ったばかりだと言うのに、美味そうな匂いで其の場を動けずにいた。
とうとう、いても立っても居られずに道具袋の中にある銀貨(宿代の釣り)を手に、肉を焼く屋台に近づこうとしたところで不意に誰かにぶつかった。
「きゃっ!?」
俺はぶつかった女性が地面に倒れ伏す前に瞬時に背中側に回りこむと、そっと身体を抱きかかえ、近くのベンチへと腰を下ろさせた。
その際に手に持っていた銀貨1枚が何処かに転がっていってしまったが・・・・・・。
「えっ!? どうして?」
女性にしてみれば、自分の目の前でぶつかった男が何時の間にか後方で自分を抱きかかえている事に違和感を感じていることだろう。
「大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」
「いえ・・・・・・大丈夫です。余所見をしていたもので、申し訳ありませんでした」
「いや、俺の方こそ済まなかった」
女性は再度俺に対して深深と頭を下げると、木で出来た杖を支えにしてゆっくりと立ち上がった。
そして右足を引き摺るようにして、危なっかしい足取りで歩き出そうとしている。
「何処か御身体が悪いんですか?」
若い女性が杖を持って歩いているのだから身体が悪いという事は分かっていたが、敢えて聞く事にした。
「え、ええ、数日前に魔物に襲われて膝を壊してしまいまして、此れから街で診療所を営われている魔術師様のところへ治療しに行くところだったんです」
「それでは先程のお詫びも兼ねて診療所までお送りいたしますよ」
「そんな・・・・・・悪いですから」
「こういう言い方は変ですが、ぶつかったのが俺で良かった。もし仮に変な輩だった場合、可也の揉め事になるのが目に見えて明らかですからね。自分としても多少、縁がある貴女がいざこざに巻き込まれるのは後味が悪いですから」
一瞬、自分の魔法で膝の怪我を治してやろうかとも考えたが、自分が魔術師だという事をこの女性が知って恐れられるのも気分が悪いしと思い、せめて診療所までだけでも一緒について行きたいと考え手を差し伸べたのだった。
更に女性は、ほんの一瞬ながら俺が『変な輩』と言う言葉を口にした瞬間、顔をしかめていた。
何か過去に似たような経験があるのだろうか?
「其処まで言われるのでしたら、お願いしても宜しいでしょうか? 誠に身勝手かもしれませんが」
「分かりました。診療所はどちらでしょうか?」
「あっ、すいません。この広場を東側に通り抜けて、暫く進んだところにある白い壁の建物がそうです」
女性は右手で杖を持ちながら左手で広場の奥を指差して場所を示している。
「では行きましょうか。えっと・・・・・・」
「あっ、私はリミリアと申します」
「俺はミコトといいます。診療所までの短い縁ですがよろしく」
こうして俺は直ぐ横を杖を持ちながらヒョコヒョコ歩くリミリアが、バランスを崩して倒れそうになる度に支えながら広場を抜けて細い路地を歩いていった。
広場から路地に入る時に『図書館・資料館⇒』と書かれた看板が眼に入ったので『リミリアを診療所に送った後で戻ってくればいいか』と思いながら、リミリアと共にゴツゴツした石畳の道を進んでいく。
路地を歩いている途中で、道に寝そべっているガラの悪い男から睨むような視線を感じた為、リミリアに見えないようにして手に小さめのファイアーボールを作り出すと『ひっ!?』という声と共に一目散に逃げていった。
「ミコトさん? どうかしたんですか?」
「いや、なんでもないよ。近寄ってきた悪い虫を追い払っただけだから」
「え!? いやぁぁぁぁーーー! 私、虫なんて・・・・・・虫なんて大っ嫌いなんですぅぅぅぅ」
リミリアは其れまでの物静かな表情から一転して、悲鳴を上げながら俺の右半身に抱きついてくる。
「い、いや、心配しなくても、もう追い払ったから。もういないから落ち着いて」
悪漢のことを『悪い虫』と比喩したのが不味かったか。
彼女は俺が幾ら宥めようとも一心不乱の大混乱に陥り、周りの眼など物ともせずに悲鳴を上げ続けた。
それから数分後、俺の横には顔を茹蛸のように真っ赤に染め上げ、俯きながら無言で路地を歩くリミリアの姿があった。
「あ、此処が診療所です。有難うございました」
「此処がそうか。少し混乱はあったけど、無事にたどり着けて良かった」
俺の目の前にはリミリアが示したとおり、壁一面が真っ白な平屋建ての建物があった。
「出来ればその事は忘れてくれると有難いのですが・・・・・・。 それはそうと此処まで有難うございました」
「帰りは大丈夫かい?」
「はい、診察が終了して帰る頃には、お城で働いている妹が迎えに来てくれる事になっていますから」
「それでも女性2人で、というのは如何なのかな?」
「大丈夫ですよ。妹は強いですから、あんまり言うと嫌がるんですけどね。それに私はこう見えても強いんですよ」
診療所の入口に手を掛けたリミリアから感謝されながら別れると、途中で通り過ぎた図書館に向けて足を進めはじめた。