Op.35「悪意の喝采」
「だっはぁ〜、まーじでバレるかと思ったぁ~」
シャーロットが場を離れた途端、ルナは胸元を押さえて大きく息を吐いた。
さっきまで全身を締め付けていた緊張が、どろりと溶け落ちるように抜けていく。
「まさか、よりによってあの二人に遭遇するなんてね……」
シアも同じく、へたり込みそうな勢いで力が抜け、獣耳がしゅんと項垂れた。
緊張からの緩和。
二人は大きく肩を落とし、同時に『はぁ……』と深い息をつく。
そのまま重たい沈黙が流れ始めたので、俺はその隙間を埋めるように口を開いた。
「さっきの銀髪の子、すげぇ美人だったな」
何気なく漏らした言葉に、ルナの表情が一瞬で険しくなる。
茜色の瞳がジトっと細まり、刺すような視線が飛んできた。
「うわっ、出たよ。ほんっと男はアイツのこと好きだよね……あんな性悪のどこがいいんだか」
「ん〜……顔?」
むしろ、あの子の性格なんて俺が知るわけがない。
さっきの会話から知的な雰囲気と少し攻撃的な態度は感じられたが、それが全てではない。
俺にとっては、容姿という情報だけが揺るぎないものなのだから仕方ないと思うのだが……
「……」
俺の回答に、ルナが言葉を失ったように固まっていた。
まるで、ゴミを見るような目。
いや、クズ男を見る目かもしれない。
(さすがに出会って数十分でクズ認定されるのはマズいな……)
これから色々教えてもらう約束もしてるし、印象がさらに悪化する前になんとか挽回せねば。
「でも、ルナもあの子に負けてないと思うけど……」
少し屈み、俺は彼女の顔を至近距離で覗き込んだ。
白く滑らかな肌。ぱっちりとした二重で燃えるような茜色の瞳。
整った目鼻立ち。長い睫毛。柔らかそうな唇。
日差しを受けてきらめく肩口までの金髪。
適当な言葉でルナのご機嫌を取ろうと考えていたが、お世辞抜きに銀髪少女と同じくらいに整った顔立ちだと思った。
どちらが美人かと問われれば、シャーロット。
だが、どちらが可愛いかと問われれば、ルナな気がする。
まぁこればっかりは好みの問題なんだろうけどね。
と、思いつつルナの顔を近くで観察していたのだが、彼女は少し照れくさそうに視線を逸らした。
「ちょっ! そんなジロジロ見られても困る、とゆーか……」
その反応が妙に愛嬌あって、俺はつい慌てる彼女の頬を軽くつまんでみた。
「ふぎゅっ!?」
もっちりと弾力のある頬の肉が横に伸びる。
その際、ルナから変な声が出たので、思わず笑ってしまう。
「……ははっ、やっぱめっちゃブスかも」
「ブン殴ってやる!」
引き伸ばされた頬のせいで情けない顔になったルナが怒鳴る。
その瞬間、先ほどまでの重たい空気は嘘のように軽くなった。
「二人とも、遊んでないでそろそろ行かないとだよ~」
シアが苦笑しながら俺とルナに声をかけた、その直後だった──
パチ……パチ……パチ……パチ……。
場の空気が、唐突に変わった。
救助活動で慌ただしく行き交っていた人たちの足音が、いつの間にかすっと消えている。
代わりに、乾いた拍手だけが森の静寂を鋭く切り裂いた。
拍手の主は、舞台の幕が上がるかのようにゆっくりと姿を現す。
「やぁやぁ、随分と大活躍だったようじゃないか。ルナ・トワイライト」
白い外套を揺らしながら歩いてきたのは、整えられた白髪に黄金の瞳を持つ青年。
宝石をあしらった指輪を何本もはめ、光沢のあるコートを羽織り、まるで英雄が凱旋でもしているかのような堂々とした足取り。
まだ一言しか喋っていないというのに、すでにこちらを見下す意思が透けて見える。
さらに、この男の印象を簡潔に語るなら、成金臭がエグい。
典型的な金持ちのドラ息子を煮詰めて作ったような嫌味なオーラだ。
初見だけど、『コイツとは仲良くなれない』と確信した。
だが、それ以上に不快で気味が悪かったのは、視線。
彼の背後にずらり並んだ30名ほどの取巻きが、揃ってこちらを向いていたことだ。
どの目にも、侮蔑、嘲笑、敵意、悪意が入り混じっている。
(なんだコイツら? ……すげぇ嫌な感じがする)
胸の奥で、ぞわりとした嫌悪感と警戒心が這い上がってくる。
そう思った瞬間、ルナがそっと俺の袖を引いた。
「ごめん。ちょっと嫌な思いさせちゃうかもだけど……君は何も気にしなくていいからね」
「? ……分かった」
ルナが無理やり作ったような笑みでそう言ったため、問い返す余裕もなく、俺はただ頷くしかなかった。
「今回の功労者である君が、こんなところで何をしているのかな?」
白髪の青年とその取巻きたちが目の前まで歩み寄ると同時に、吐き出された第一声。
それはどこか甘く、しかし底に棘を潜ませたような声音だった。
言葉の節々から滲む嫌味と悪意に満ちた感情。
その矛先は、間違いなく俺やシアではなく、ルナだけに向けられていた。
一方で、ルナもさっきまでの和やかな雰囲気をすっかりと消し去り、代わりに冷たく鋭い光を瞳に宿して相手を見返していた。先ほど対峙したシャーロットへの対応とは違い、ルナが本気で嫌悪感を抱いているのがヒシヒシと伝わって来る。
「救助対象者を送り届けているだけですけど。分かったら、さっさとそこ退いてもらっていいですかね」
吐き捨てるように放たれた切れ味の鋭い言葉。
このルナの言葉を受け、成金青年はわざとらしく大げさに眉を上げた。
その視線が一瞬だけ俺に向けられたが、興味なさげにすぐさまルナの方へ戻る。
そして、彼は口元を歪め、芝居がかった溜め息をついた。
「今回の件、明星ギルドの管轄だったことを君は理解しているのかい?」
「私はその場に居合わせた冒険者として義務を果たしただけ。アンタの面子なんて知るか」
ルナの反論は、語気が荒く鋭い。
だが、その言葉が落ちきるより早く、成金青年の口元に不遜な笑みが浮かんだ。
「はぁあああ!! 君はなんて信念のある冒険者なんだろうかっ!!!」
大袈裟な身振りとともに響き渡る嘆息。
まるで安っぽい舞台役者のような芝居がかった声色。
直後、彼の部下だと思われる大勢の取巻きたちがクスクスと笑い声を漏らす。
嘲笑と侮蔑の混じった、不快なざわめき。
「仲間に見捨てられてなお、孤高に冒険者であろうとするその虚勢! たとえ誰からも必要とされずとも、ひとりで足掻き続けるその図太さ!」
悪意と嘲弄を混ぜながら、成金青年は周囲に聞かせるように声を張り上げる。
「分不相応な夢を抱き、憐れに無駄な努力を続けるその純真さ!」
皮肉なセリフに込められた悪感情が限界まで膨れ上がっていく。
同時に、嘲りの熱が周囲に広がっていくように場を満たしていく。
「僕は感服した! さぁみんな! はぐれ者の彼女に――万雷の拍手を!!」
パチパチパチパチパチパチパチパチ。
乾いた手のひらが打ち鳴らされるたび、空気がどす黒く濁っていく。
それは賞賛ではなく、嘲笑と侮蔑を押し固めて叩きつけるような悪意の喝采。
森に響く拍手は、まるで『嘲笑で締めくくられる悪趣味な芝居のラストシーン』そのものだった。
ここまでの急展開に唖然としていた俺は、ようやく理解した。
今、この場はルナを辱めるためだけに作られた舞台であるということに。
そして俺は、その横で突っ立っているだけの『セリフのない友人B』だということに。
(銀髪少女の忠告は、これのことだったのか? にしても気色悪い……なんだよ、この茶番)
一方、悪質な喜劇のヒロインに仕立て上げられたルナは、唇を強く噛みしめたままひと言も発さない。
視線はわずかに伏せられ、肩は小刻みに震えている。
強く握り込んだ拳は血が滲みそうなほど力が入っていて、見ているこっちが痛くなる。
(こんな奴こそ殴ってやればいいのに……)
そんなことを考えている俺の隣では、シアもまた全身をこわばらせていた。
怒りとも悲しみともつかない感情を必死に押し殺し、じっと耐え続けている。
その姿からは、『言いたいことはたくさんあるけど、口にしてはいけない』といった強い意志が感じられる。
この場面、漫画やアニメの正義感の強い主人公なら絶対に割って入るところ。
啖呵を切り、悪役に殴りかかり、見事に場を収めるのだろう。
だけど、俺にはそんな正義感もないし、何より目立つことは好まない。
というより、そもそも事情を知らない。
ルナがなぜここまで侮辱されているのか。
過去に何があって、どういう関係性なのか。
どちらが正義で、誰が悪なのか。
そのどれ一つとして、俺には判断できない。
だから俺は――
この茶番劇で与えられた名前のない役、『傍観者の友人B』を演じるしかなかった。
一方で、ここまで屈辱の舞台に立たされたまま沈黙を貫く悪役ヒロインのルナ。
未だ悪意の喝采が鳴り止まぬ中で、彼女がようやく動き出した。
「ふぅ……行こっか」
小さく息を整えると、ルナはそっと俺の手を取る。
その仕草は驚くほど軽やかで、つい先ほどまで嘲笑の矢面に立たされていた人物とは思えないほど凛としていた。
俺は手を引かれるまま歩き出し、シアも気丈に続く。
そして、目の前の成金役者とすれ違う瞬間――
「君はいずれ、僕に刃向かったことを必ず後悔することになるさ」
こちらを見下すような視線とともに鋭い言葉が吐き捨てられた。
先ほどまでの芝居じみた声とはまるで違う、抑揚のない冷たい呟き。
それでもルナは振り返らない。
言い返しもせず、ただ俺の手を引いて進んでいく。
ただ、手を繋いでいる俺にだけは分かった。
彼女の指先が一瞬だけぎゅっと硬直し、心の内側で激情を抱いていることに。
(ほんと、どんな因縁があったらこんなことになるんだか……)
当然の疑問を抱きつつ、俺たちは未だに鳴り止まぬ悪意の喝采の中を進む。
突き刺さる視線はどれも濁り、どす黒い感情が混ざっている。
時折、『はぐれ者』『身の程を知れ』『穢れた血』といった陰湿な囁きが耳に届く。
それでもルナが立ち止まることはなかった。
ただ前だけを見据え、悪意の渦を踏み越えるように歩み続けた。
「ごめん、やっぱ嫌な思いさせちゃったよね……」
周囲の喧騒から離れ、ようやく足を止めたルナの弱々しい第一声。
眩い金髪を揺らして振り返った彼女の表情は、どこか作り物めいた笑顔。
恥辱や怒り、悲しみの感情を覆い隠すようなぎこちない笑みを浮かべていた。
(さて、何て声をかけるべきか……)
この流れで、あの成金野郎とどういう因縁があるのか尋ねるのも酷な気がする。
さらに、空気が重くなっていくのは避けたいところだ。
かといって、何もなかったように振る舞うのも不自然だろう。
「えっとね……」
次の言葉を迷っているのは、ルナも同じだった。
シアもどうにか割って入ろうとしているが、どう切り出せばいいのか手探り状態。
この場の雰囲気が再び重苦しくなりかける中、沈黙を破ったのは俺だった。
「無理に話さなくていいよ」
「えっ?」
少し視線を落としていたルナが、驚いたようにバッと顔を上げた。
茜色の瞳が大きく揺らぎ、ほんの一瞬だけ気配が軽くなる。
そんな彼女の様子を見ながら、俺は言葉を紡ぎ続けた。
「俺はさ、ルナがアイツとどんな因縁があるのか知らないし、全く見当もつかない。それが気にならないって言ったらウソになるけど、無理に話す必要はないよ。それに……」
伝えるべきことを言い終えると同時に、俺はそっとルナの頬へ両手を伸ばした。
そして、再び彼女のもっちりとした頬肉を軽くつまむ。
「ふへっ!?」
情けない声が飛び出し、ルナの頬がむにっと伸びる。
整った顔立ちもこうされると形無しで、酷い有り様だ。
「やっぱ、ルナにはこっちの顔の方がよく似合う」
「ふふっ、そうだよ。すっごく可愛くなってるよ」
シアも俺の言葉に便乗し、場の空気が一気に温度を取り戻していく。
ルナの強張っていた表情も綻びを見せ、これにて一件落着と安堵した次の瞬間だった。
彼女の視線が、鋭くジトっとしたものに切り替わった。
「……でもさ、さっき私にブスって言ったよね?」
一瞬にして背筋が凍りついた。
同時に、ギクッという擬音が口から飛び出しそうになる。
どうやら、ルナが先ほどのユーモア溢れるやり取りを思い出してしまったようだ。
一難去ってまた一難。
ここは全力で誤魔化すしかない。
「あはは……そんなことより! 今はアレだ!」
俺が大げさな身振りで指差したのは、前方に停泊する大きな戦艦。
今も忙しなく人が乗り降りし、これから乗り込むという話の空飛ぶ船。
その艦首には、円環の中に十字を刻んだ紋章を描く旗が掲げられ、白い布地が風を受けて力強くなびいている。
紆余曲折ありながら、ようやく目前まで辿り着いた俺たちの目的地だった。
「ずっと視界に入って気になってたし、早く乗ってみたいんだよな」
これは偽りのない本音。
あの船に乗れば、新たな世界に広がる街へと繰り出せる。
魔法や魔術、惑星迷宮といったファンタジー溢れる新天地。
興味がないわけがない。胸が躍らないはずがない。
俺の興奮ぶりに、ルナは一瞬だけぽかんとした表情を浮かべた。
だが、すぐに『やれやれ』という雰囲気で肩を落とし、やがて柔らかく笑った。
「ったく、こっちの気も知らないで……。よーしっ! ルナさんが案内してあげようじゃんか♪ ほら! さっさと行くよ!」
俺は再びルナに手を取られ、シアとともに駆け出した。
先ほどまでの鈍い空気が嘘のように消え、足取りは驚くほど軽い。
そして、ほどなくして目的の場所へと辿り着く。
目の前には、新たな冒険へと続く巨大な船が、まるで出迎えるように佇んでいた。
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