Op.3「悲劇」
「原譜解放……夢の曲技-第一番-夢限牢獄」
脳裏に浮かんだ短いフレーズを声にはならない声で発した次の瞬間。
突如として、気分よく高笑いを続けていた仮面男に異変が起こる。
「ハーッハハハ! 成功だ! ついに! ついに完成したのだ! これは世界の進歩! これを『神』に献上し、あのタイトルと英雄の遺産を手にすればっ……ぐっ……なんだ……こ、これ……は……!?」
癇に障る仮面男のにやけ面が苦悶の表情へと変わっていった。
かと思えば、呻き声を上げ、胸元を押さえて勢いよくその場に倒れ込む。
そして、もがき苦しみ発狂するように無様にその場でのたうち回る。
「ぐあぁあああああああああああああ」
「ファントム様! ファントム様!」
「おい! なにが起こっている!?」
「回復魔術だ! 早くしろ!」
「外傷は確認できません! これは……」
『ファントム』と呼ばれていた仮面男の周りに数人が駆け寄っていく。
この事象を引き起こしている俺も完全に事態を把握しているわけじゃない。
なんとなく理解しているのは、俺自身が受けたような苦痛を目の前の男に味合わせているということ。
「ぐぁぁああああああああああああああああ」
さきほどまでの傲慢な姿は見る影もなくなった。
仮面の男は一瞬にして、憔悴したような姿と成り果てた。
そして大きく息を荒げ、倒れ伏しながら俺のことを睨みつけている。
「ハァ、ハァ……そいつだ! そいつが私に魔法を行使したのだ!」
「そんなバカな! この短時間で術式を創作するなど……」
「危険だ! 今すぐ拘束を強化するぞ!」
「各員! 再度配置へ! 拘束魔術の四十八番を展開します!」
ファントムことヘンテコ仮面は、お仲間に抱えられて後方へと下がっていく。
その間も絶えず俺を睨みつけているあたり、相当お怒りなのだろう。
頭に来てるのはコチラも同じ。
自業自得という言葉をプレゼントしてあげたい。
仮面男の悶絶する様を見て少し溜飲が下がる中、俺の脳裏にはいくつかの言葉が引っかかっていた。
(魔法? 魔法の行使? 俺が魔法を使ったってことか?)
思い返すと先ほどから聞き慣れない単語が飛び交っていた。
『魔力』『魔法の行使』『術式の創作』『魔術』などの聞き慣れない言葉。
自分の脳裏に浮かび、口に出した技名のようなフレーズとそれに伴った事象。
本来なら魔法など存在するはずがないと断言できる。
しかし、こうも常識を覆される事態が続くと嫌でも信じざるを得ない。
(いや、信じたいのかもしれないな……)
この窮地を脱する手段があるとすれば魔法しかないのだから。
「詠唱を始めるぞ!四十八番だ!」
「「はっ!」」
再び俺の四方を取り囲んだ集団は、胸元で祈るようなポーズを組んで呪文のようなものを唱え始めた。
「「氷冠の王よ。断罪の詠い手よ。今ここに裁きの刻は来た。今ここに裁きの咎人が来た。汝に代わり審判を下す。汝に代わってその罪を詠う。罪人よ。口を閉ざし、平伏し、己の罪を知れ!」」
数人の歌い手が声を重ね合わせ歌うように不気味な詩が紡がれていく。
確実に何かが起こる前兆。それも良くないことが起こる前触れ。
どうにか妨害、阻止しなければいけないと直感が訴えかけてくる。
といっても俺に取れる手段は一つしかないので、先ほどと同じようにそれを口に出す。
「原譜解放……夢の曲技-第一番-夢限牢獄……ん?」
何も起こらない。誰も倒れることもなく俺の周囲で呪文が紡がれていく。
「「天牢の雪獄、閉ざされる光、届かぬ懺悔、篠突く涙。憐れな咎人よ。凍てつき眠り、その罪を悔い改めよ!」」
(マジかよ……さっきと同じようにやっただろ)
先ほどと全く同じようにフレーズを口に出したが何も起こらなかった。
ということは、先ほどと今回で明確な違いがあり発動条件を満たせていない。
何が違うのか頭を回転させて思い返すも答えには辿り着けない。
確実に分かるのは、この場に一本しかない頼みの綱が切れてしまったということだ。
そして俺の悪あがきも虚しく、タイムリミットを迎える。
「「世界譜収録魔術集-拘束譜術-第四十八番-華麗なる氷円の棺」」
周囲から呪文が聞こえなくなった瞬間だった。
一瞬の静寂を挟み、足元からヒヤリとした冷気を感じた直後に氷が発生。
その氷が勢いよく体を侵食していき、既に奪われている体の自由を完全に奪っていく。
(くそっ、最後は氷漬けかよ)
瞬く間に胸元まで氷が到達し、勢いそのままに首を包み込んでいく。
それでも氷の勢いは止まるどころか加速していく。
あとは頭部を包み込み、全身氷漬けにされて終わるのかと悟った時だった――
「原譜解放……炎の曲技-第四番-火龍双演乱舞」
透き通るような女性の声が空間に響いた。
直後、俺の正面にある白い壁がド派手に粉砕された。
そこから顔を出したのは二体の巨大な炎の龍。
壮大かつ神秘的。悪夢を押し付けるような陰湿なモノでなく、俺がイメージしていた魔法をそのままに体現している。
そして勢いよく壁を突き破った炎の龍は、左右に分かれ俺の周囲で呪文を唱えていた奴らをその業火で飲み込んでいく。
「なんだ!?魔力障壁を展開せ……ぅううあああああ」
「この魔法は!? うぁああああああ」
「くそっ! こんな時に! 退避し……ぐぁあああ」
「うぁあああああああああ」
「貴様が何故ここに!? うぁあああああああ」
跳ねるように、転がるように、舞うように炎がうねり蹂躙を繰り広げる。
円形状の空間を支配するように左右から炎の龍が暴れ狂うように踊る。
(すげぇ……)
言葉を失い、自分自身の状態さえも忘れてしまうほどに圧巻な光景。
その迫力に圧倒され、胸を打たれているのに何故だろう……
強烈な怒りと悲しみが伝わって来る。
そして、正面の崩れた壁奥からゆっくりと女性の人影が近づいてくる。
長い黒髪に顔全体を隠す白い仮面。身長は160センチくらいの細身。
白いマントで身を包み、細い剣を握り締め、俺の方へと一直線に向かってくる。
敵か味方か、助けてくれるのか気になるところだがそれ以前の疑問が浮かんだ。
(なんで泣いてるんだ?)
表情は分からないが、仮面の目元から溢れ出る大粒の涙。
震えるほど力強く握り締めている剣の手元から滴る赤い血。
彼女の心情を表すかのように炎の龍もさらに鳴き喚き踊り狂う。
グォオオオオオオオオオ
破壊の限りを尽くし天井を突き破り、うねりながら天へと駆け昇っていく。
刹那、激情を解き放ち嘆くような龍の咆哮が轟いた。
そこから一転して静寂が訪れる。
静けさの中、小さな足音が俺の前で止まる。
大きく風穴の空いた天井から月光が差し込み、二人のいる場所を照らす。
まるで二人だけのステージ。舞台やドラマのワンシーンのような演出。
傍から見ればロマンチックなシーンに見えるかもしれない。
しかし、もしこれが物語の一幕ならこれは悲劇だろう。
そう思わされるほどに目の前の彼女は悲壮感に溢れ、今も何かを葛藤するようにこちらを見つめている。
(助けてくれる、ってことでいいのか?)
目の前で動かなくなった彼女に困惑する。次の行動の予想がつかない。
殺す気ならば先ほどの炎の龍でそのまま飲み込んでしまえばよかった。
器用に俺を巻き込まず周囲の奴らを焼き払ったことを考えると、少なくとも害意はないはず。だったのだが……
突如、彼女は握り締めている細剣を振り上げた。
(勘弁してくれよ……)
助かったという安心感が一転、首チョンパされる焦りへと変わる。
先ほど不発だった悪夢の魔法に頼ることも頭に過ったが既に手遅れ。
彼女の握る細い剣が容赦なく振り下ろされた。
(ん?……)
カランカランと金属片が地面に転がる音が響いた。
一瞬にして俺の身を覆っていた氷、両手両足の枷と鎖、首輪が斬り捨てられて地面に散らばっていた。
そして急に拘束を解かれ、上手くバランスが取れずふらつく俺の体を彼女は優しく受け止め、力強く抱き寄せた。
「おわっ……えっと……」
ようやく声が出た。どうやら声が出なかったのは拘束具に原因があったようだ。
さて、何から聞けばいいのやら。
疑問がありすぎてどこから突っ込んでいいのか迷う。
質問の前にまずはお礼だなと頭を切り替えたところで、彼女の方が先に一言呟いた。
「ごめんね」
何に対しての謝罪だったのか分からない。
しかし、彼女の怒りと悲しみは触れ合う肌からも直に伝わってくる。
今も力強く俺の体を抱き締める細い腕は少し震えている。
何を想い、何に怒り、何を悲しんでいるのだろうか。
肩に零れ落ちる彼女の涙はとても熱く、俺の中に沁み込んでいく。
そして彼女は何か意を決したように俺の耳元で優しく囁いた。
「さよなら……炎の曲技-第三番-白火の雫」
先ほどの激情の炎ではなく、優しく穏やかな炎が抱き合う二人を包み込む。
体の痛みも内側に渦巻いていた負の感情さえも溶かされていくような感覚。
その安心感のある温もりに包まれ、ゆっくりと意識も遠くなっていく。
願わくば、次の目覚めは平穏なものでありますように。
そう切実に願いながら白炎に身を任せ、俺は眠りについた。
毎週、土曜12時頃に更新予定です。