Op.28「お目覚めの王子様」
第二章開幕です。
ようやく出会った主人公とヒロインの掛け合いをお楽しみください。
耳に届くのは、川のせせらぎと小さな鼻歌。
優しくもリズミカルな旋律が、どこか心地よく鼓膜を震わせる。
(俺は……何をしてたんだっけ……)
どうやら眠っていたらしい。
意識はまだ霞がかかったようにぼんやりとしている。
生い茂る木々の隙間から差し込む木漏れ日が温かくも眩しい。
爽やかな風に乗って漂う草木の匂いが胸の奥を浄化していく。
まるで、初夏の森で日向ぼっこでもしているかのような……
(ん? なんだこの既視感は……)
後頭部には、人肌のように柔らかく温かい感触。
ずっとこのままこの場所で眠っていたいと思えるほどに心地良い。
だが、その穏やかな空気をぶち壊すように雷鳴じみた重低音が耳元に轟いた。
グゥゥウウ~ゴロゴロゴロ~
(なんだこの音……雷? いや、違う……)
直後、その野太い轟音は気の抜けるような空腹音へと変わる。
クゥゥウウ~キュルルルル~
(腹の音? 俺じゃない。だとしたら……)
目を開けると、豊かな胸の起伏の向こうから俺の顔を覗き込む茜色の瞳。
その少女の頬は何故か真っ赤に染まり、まるで山の向こうから顔を出した夕焼けのようだ。
彼女の肩口まで流れる淡い金髪が木漏れ日に煌き、少し眩しい。
紛れもなく、美少女。
どうやら俺は、この金髪少女に膝枕されたまま眠っていたらしい。
素晴らしい目覚め。
もうひと眠りさせてもらいたいくらいだ。
しかし、次の瞬間、俺の身体は反射的に彼女の膝から飛び退いていた。
「うわっ!」
寝ぼけた意識は一瞬で覚醒し、悲惨な記憶が洪水のように脳裏を逆流する。
謎の爆破からの生き埋め、謎の集団に拘束されて拷問からの氷漬け。
気付けば、異世界の森に放置プレイ。
そこから空を泳ぐ巨大鮫とリアル鬼ごっこ。
挙句に、空から降って来た女の子を助けたら何故か殴られて一発KO。
完全にノックアウトされて気絶したのだった。
そして今、その激ヤバ少女が腹を空かせ、獣のような空腹音を掻き鳴らし、獲物を見定めるようにこちらを見つめている。
俺は知っている。
この世界において人の血肉を喰らうことを好む生物の存在を。
(魔獣!? 巨大鮫の次は、金髪少女の皮を被った子熊かよ)
冷や汗が背筋をツーっと伝う。
俺はじりじりと後ずさり、無意識に距離を取っていた。
足元の落ち葉がかさりと音を立てるたび、心臓が早鐘を打つ。
手元にブレードはない。
武器は当然、取り上げられている。
なら、対抗手段はひとつしかない。
(もう一回、さっきの魔法で何とかするしか……)
息を詰め、再び魔力を巡らせようとしたその瞬間。
目の前の金髪少女が両手をぱっと上げ、慌てた口調で捲し立てた。
「ちょっ! そんな警戒しなくてもいいじゃん。そりゃ、殴っちゃったのは私が悪かったんだけどさ、あれはコッチにも事情があったというか……」
喋る。しかも普通に会話が成り立つらしい。
本当に人間なのか疑いたくなるが、会話が続くなら交渉の余地はある。
「俺は食べても美味しくないと思う!」
「なっ!? 誰が食べるか! 私のことなんだと思ってんの!?」
「えっと、魔獣? 女の子の皮を被った熊……とか?」
「やっぱもう一発殴っていい?」
肩口までの金髪を揺らしながら、少女は胸の前で拳をきゅっと構えた。
その仕草は俺よりも少し小柄な体格に似合わず妙に迫力がある。
思わず俺は身を固くし、両手を前に突き出してストップをかける。
「待て待て待て! 失礼なのは承知で確認するけど、人間、だよな?」
「むしろそれ以外何に見えるのか聞かせてもらおうか♪」
茜色の瞳が細められ、彼女はにっこりと微笑みながら拳を構え直す。
その仕草は、無邪気さと爆発寸前の危うさが入り混じっていて、俺の中にある疑念はまだ晴れない。
「油断させといてガブッと噛みついてきたりしないよな?」
俺の問いに、少女はむっと眉を寄せ、ぷくっと頬を膨らませる。
そして、やれやれと言いたげに拳を解くと、落ち葉を散らすように軽やかに腰を下ろし、膝に手を置いて俺を見上げた。
「するわけないでしょ。ほら、そこ座って」
あっけらかんとした口調に敵意はなく、仕草も同年代の少女らしい自然さだった。
まだ半信半疑のまま、俺は恐る恐る距離を詰め、向かい合うように腰を下ろす。
茜色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめ、数秒の沈黙が流れた。
やがて、一呼吸置いて俺が先に口を開く。
「一応さ、本当に人間かどうか確認していい?」
「確認って言われても……ふぎゅっ!?」
俺は目の前の少女の頬を両手で摘まんでみた。
縦横斜めに強く引っ張ってみても、美少女の皮は剥がれない。
というか、すげぇもっちもちだ。
指が沈み、やたら柔らかい。
「な、なにすんの!」
「すげぇ……ほんとにちゃんと人肌だ。モチモチしてる」
「そろそろマジで殴っちゃうけどいいよね?」
「勘弁してくれ」
この金髪少女は魔獣ではなく、人だった。
そう理解した瞬間、急に体から力が抜けた。
さっき巨大鮫に殺されかけたばかりだから、少し神経質になりすぎていたのかもしれない。
「それで君は? 私の名前は、ルナ・トワイライトね!」
突然に始まった自己紹介に、俺は思わず言葉を失った。
何故なら、自分の置かれている状況を思い出してしまったからだ。
「名前……、俺の名前は……」
口を開きかけて、すぐに閉じる。
何を言っていいのか、何を言ってはいけないのか、その境界線を頭の中で必死に探る。
(この世界の名前事情とか分かんないけど、普通に天道暁斗って名乗っていいのか? 俺はこの世界じゃ異端な存在らしいから名乗らない方がいいのか? そもそも俺は、天道暁斗として死んだはずで……別の世界にいる今の俺は何者なんだ? あの仮面のお姉さんからも『目立つな』って釘を刺されてたし……、どうすれば……あー、くそ、寝起きで思考が全然まとまらねぇ)
恩人からの忠告の手紙が脳裏をよぎる。
この世界で『天道暁斗』という名前が異質だった場合、間違いなく人目を引く。
一方で、目の前の少女はルナ・トワイライトと名乗り、俺には馴染みのない響きだった。
やはり俺の名前は、この世界にそぐわない可能性がある。
となると、偽名を名乗るべきか?
だが、この世界における名前の基準も分からないまま適当な偽名を口にしたところで、かえって怪しまれるかもしれない。
「自分の名前、分かんないの?」
黙り込む俺に、ルナは不思議そうに小首をかしげた。
茜色の瞳がきょとんと瞬き、まるで俺の心を覗き込もうとするかのように、真正面から見つめてくる。
「あー、俺の名前は……」
マズい。マズいぞ。
頭の中で警鐘が鳴り響く。
考えろ、さっさと考えろ。やっぱり偽名しかないのか?
適当でもこの場を切り抜けられるそれっぽい名前を捻り出そうとするが、俺が答えを出すよりも先に、彼女の方がさらりと口を開いた。
「じゃあ、出身は?」
「えっ……、出身……?」
「そう、君はどこから来たの?」
この問いかけは、俺にとってまさにトドメの一撃だった。
最も答えに困る質問ランキング、堂々の第一位。
『別の世界からやって来ました、日本の東京出身です!』なんて言えるわけがない。
心臓が跳ね、背中に冷たい汗が流れる。
やべぇ、完全に詰んでる……。
苦い顔を浮かべるしかない俺の口から出たのは、怪しさ満点の回答だった。
「……分からない」
ルナの眉がピクリと動く。
「自分の名前も、出身も分からないの?」
「……あぁ……」
短く答えた瞬間、辺りを流れる川のせせらぎだけが妙に大きく響いた。
互いに言葉を失ったような、重たい沈黙が数秒間だけ森を支配する。
次に彼女の口から飛び出す言葉がどんなものか全く予想がつかない。
さらに質問を畳みかけてくるのか。
あるいは怪しい人物としてどこかに通報されるのか。
息を詰めて様子を窺う俺の前で、彼女は口をあんぐりと開けたまま目を瞬かせ、まるで金魚のようにパクパクと唇を動かしていた。
そして、彼女の口から飛び出した言葉は、俺の予想を斜めに超えてぶっ飛んだものだった。
「き、き、記憶喪失だぁぁあああああああ! えぇぇえ! うそ!? マジ!? 私が殴っちゃったせい? ど、どうしよ!?」
両手をわたわたと振り回し、慌てふためく彼女。
目を潤ませ、今にも泣き出しそうな顔で俺に身を乗り出してくる。
――だがその瞬間、俺は頭の中に雷が落ちたように閃いた。
(それだ! 記憶喪失ってことにしておけばいい!)
これなら自分のことを何も説明する必要はない。
というか、実際に俺はこの世界のことをほとんど知らない。
だからこそ、立ち振る舞いでボロを出す心配もないし、無理に取り繕う必要もない。
何故なら、今の俺はこの世界において、記憶喪失の状態と変わりないのだから。
「あれは記憶が吹き飛ぶほどの強烈なパンチだった……」
しんとした森の空気の中、わざと深刻そうに言い放ってみる。
途端、目の前の金髪少女の顔がみるみる青ざめていく。
「マ、マジか……」
彼女の茜色の瞳から血の気が引き、蒼褪めた表情が浮かぶ。
本当に表情と感情が豊かな女の子だな。
だが、悪ノリはこれくらいにしておこう。さすがに冗談が過ぎた。
俺は咳払いをひとつ挟み、表情を引き締める。
「冗談はさておき……」
そう切り出した瞬間、彼女は逆にぐっと顔を引き締め、拳をきゅっと握りしめた。
「よしっ、とりあえず一発殴るから歯食いしばときなよ」
低く鋭い声とともに、拳を胸元に構える。
その気迫に、背筋がぞわりとした。
「悪かったって。勘弁してくれ」
慌てて両手を前に出し、必死に制する。
そして俺はすぐに真面目な声音へと切り替え、真剣な面持ちで口を開いた。
「ちょっと茶化したけど、俺が自分のことも、ここがどこで、なんでここにいるのかも分からないのは本当だよ。正直、今も頭の中がぐちゃぐちゃで色々と混乱してる」
俺の言葉が届いたのか、彼女は一瞬だけ視線を泳がせた後、拳を静かに下ろした。
その表情は先ほどの苛立ちを収め、代わりに神妙な色へと変わっていく。
顎に手を添え、ふむ、と小さく唸りながら考え込む仕草を見せる。
やがて茜色の瞳をまっすぐこちらに向け、真剣な声色で口を開いた。
「……そっか。じゃあ、今分かることだけでも教えてよ」
そこから俺は現状の説明を始めた。
もちろん、別の世界で死んだことや魔法の話は伏せる。
気が付けば、森の中で眠っていたこと。
自分が何者か、この場所がどこなのか全く分かっていないこと。
上空に黒い穴が出現し、そこから巨大な鮫が現れて追いかけ回されたこと。
そして大きな爆発のあと、上空から『物凄く臭い女』が降ってきて助けたのにブン殴られたこと。
「そっか。うん、まぁ最後の一言はめっちゃ余計だけど状況は分かった」
全てを語り終えた時、俺の頬は引きちぎられるほどにつねられていた。
「分かったなら、今すぐ俺の頬をつねるのをやめてくれ。結構痛いんだ」
「さっきのお返しだよ。あと、私の乙女心を踏みにじった罰かな」
「は? 乙女心? 何の話をしてって……いってぇえええ! マジで痛い!」
彼女は俺の抗議を全く意に介さず、楽しげに口角を上げる。
その姿は怒っているというより、まるで小悪魔が遊んでいるかのようだった。
やがて、十分に満足したのか、ようやく俺の頬から手を離す。
ルナは軽く息を整えると、今度はふっと表情を切り替え、視線を背後へと移した。
茜色の瞳が、木漏れ日の先にあるものを示す。
「じゃあ、あのバッグとサポート用アンドロイドも君の?」
彼女が指差したのは、背後の木陰に置かれた紺色のバッグだった。
その隣には、表面が焼き焦げて無残な姿になり果てた小さなロボが横たわっている。
さらに、その傍らには、先ほどまで俺が握っていたブレードの柄が半ば埋もれるように転がっていた。
どれもこれも俺が仮面のお姉さんから託されたであろうアイテムに違いなかった。
どうやら、このルナという少女が気絶した俺の代わりに回収してくれていたらしい。
もっとも、俺が気絶した原因そのものは彼女の拳なのだが……そこに言及するとまた強烈なパンチが飛んできそうなのでやめておこう。
「目が覚めた時に隣にあったから、多分俺のだと思う」
「おっけー。なら、身分が分かる物あるか確認したいんだけど、バッグの中とか見ても大丈夫?」
「あぁ」
俺はこの時、疲れていたのだろう。
加えて、窮地を乗り切って心の底から安堵していた。
いや、気が抜けていたといった方が正しいかもしれない。
だからこそ、ある物の存在を完全に失念していたのだ。
(仮面のお姉さんからの手紙は処分しておいたし、見られて困る物なんて……)
そう思った瞬間、脳裏に小さな黒い箱をバッグの奥へ押し込んだ記憶が蘇る。
同時に、蓋に刻まれていたあの文字も。
『悪魔系-幻命譜-タイトル「月華の英霊」』
「あっ! ちょっと待った! その中には――」
俺は慌てて彼女に声を掛けた。
何故なら、それは開いた者が魔法使いになれるという神秘のオルゴール。
しかし、原譜の能力者が開けば死に至るという危険な代物。
俺はそれを身を持って体験させられた。
もし、目の前のルナという少女が既に能力者だったら……
「えっ!?」
ちょうど俺が声を掛けたタイミングでルナはその黒い箱を手に取ったところだった。
彼女は驚き、その手元から小さな黒い箱がこぼれ落ちる。
その瞬間、森を満たしていた川のせせらぎと風の音が、まるで息を潜めるように、ふっと遠のいた。
そして――地面に触れた衝撃で『パカッ』と音を立ててその蓋が開いた。
「「あっ――」」
二人の間の抜けた声が重なった直後。
周囲に心地良いオルゴールの音色が響き始めた。
同時に、音符記号に似た無数の文字が宙に浮かび上がる。
その中心には、神秘的な光を放つ一枚の譜面。
やがて、その譜面は吸い込まれるようにルナの胸元へと溶け込んでいった。
俺はその光景に背筋を凍らせ、ただ唖然とするしかなかった。
「は? えっ………、これって……」
数秒の静寂。
ルナは目を丸くし、豆鉄砲を食らった鳩のようにきょとんと固まっている。
逆に俺は、その表情と何も起きなかったことに心底安堵した。
……と思った矢先。
「えぇええええええぇええええええ!?」
ルナの大絶叫が星屑の森に響き渡り、木々を震わせるほど木霊した。
次回もお楽しみに!
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