Op.26「愚者と約束の木」
今回は『愚者と約束の木』の物語になります。
かなりボリュームがありますが、重要な内容なのでじっくりお楽しみください。
【愚者と約束の木】
●第一章『衝突』
勇者パーティ『ブレーメン』の最期の言葉より200年。
まだ見ぬ宝を求め、惑星迷宮に挑む者たちが台頭した冒険者全盛の時代。
その最中、ネプチューン大陸中央では二つの国が争いを繰り広げていました。
――アルタイル王国とベガ帝国。
巨大な川を挟んで隣り合う国同士が衝突し、長きに渡る戦いが続いていました。
その最前線。
もっとも苛烈な攻防が繰り広げられる河川の畔に立つ、二人の影。
「そろそろ降伏したらどうかな? 腹黒の王子様」
大きな川を挟んで右手の岸に立つのは、眩い金髪に茜色の瞳を持つ少女。
アルタイル王国第二王女にして、光の剣『ユエ・アルタイル』
「君こそ剣ばかり振っていると嫁の貰い手がいなくなるぜ。暴れん坊のお姫様」
対岸で不敵に佇むのは、夜を思わせる黒髪に空色の瞳を宿す青年。
ベガ帝国第二皇子にして、闇の剣『ノクティス・ベガ』
両国の最高戦力である二人は、何度もぶつかり死闘を繰り広げていました。
来る日も来る日も戦い、罵り合い、互いの剣を交えました。
しかし、両者の実力は拮抗し決着が付くことはありません。
いつしか彼らは『剣』よりも『言葉』を交わすようになっていきました。
「この戦争だってベガ帝国が仕掛けてきたものじゃない!」
「元を正せば、バカな王国側が起こした事件が発端だろ!」
最初のうちは荒々しい言葉で殴り合い。
どちらが『正義』でどちらが『悪』なのかの押し付け合い。
「私は、戦いのない平和な世の中を目指したいの」
「それは俺も同じだ。こんな無益な争いやってられねぇよ」
それでもいつからか互いに相手の言葉に耳を傾けるようになっていきました。
「魔獣の侵攻も激化しているのに人同士で戦ってる場合じゃないと思うのよ」
「俺たちが守るべきは、国を成す民のはずだよな」
気づけば、ユエとノクティスは、意気投合し多くを語り合うようになりました。
『両国の歴史』『戦う理由』『平和とは?』『目指すべき未来』など赤裸々に。
相手を理解し、自身を理解してもらうことで互いの認識の差を埋め合わせていきました。
こうして二人の関係は、いつしか『敵』から『友』へと変わっていったのです。
それからも彼らは戦場で密談する日々を過ごし、言葉を交わし続けました。
やがて二人は互いに惹かれ合い、『恋』に落ちていったのです。
しかし、敵国同士の許されざる関係。
それでもユエとノクティスが諦めることはありませんでした。
●第二章『愛の証明』
アルタイル王国とベガ帝国の戦いが激化の一途を辿っていくその裏側。
無益な戦いを終わらせることを決意した二人は、密かに動き出したのです。
『腹黒王子』と名高いノクティスは、持ち前の悪知恵を働かせ暗躍。
一方のユエは、生来の明るさと誠実さで、暗い乱世に彷徨う民を照らす光『月魄の姫』として民衆の支持を広げていきました。
こうして二人は仲間を増やし、国内での地位を確立し、発言権を強固なものへと変えていきます。
長きに渡る戦いに終止符を打つために――
憎しみの連鎖を断ち切り、これ以上傷つく人を増やさないために――
自分たちの関係を皆に認めてもらうために――
そして、開戦から30年が経過した夏の終わり。
二人の尽力も実り、ついに両国間で戦争終結に向けて話し合いの場が設けられました。
そこで決まったのは――
『ユエ王女とノクティス皇子の婚姻を持って終戦とする』という和平案。
しかし、ユエの父であるアルタイル王三世だけは、頑なに二人の婚姻に反対。
両国は停戦とした上で、ノクティスへ三つの条件を提示したのです。
➀30年以上停滞している第八迷宮『海王星迷宮』80階層の単独攻略。
②惑星迷宮の秘宝『神秘のオルゴール』の献上。
③魔獣の巣窟と化したヴィオラ山脈の奪還。
これら三つの偉業を、すべて一人で成し遂げること。
それがユエの父から言い渡された二人の婚姻を認める条件だったのです。
しかし、常人の一生では到底成し得ぬ無理難題。
ある者たちは嘲笑を浮かべ、二人を慕う者たちは顔を歪めました。
そんな中、大胆不敵に笑みを浮かべる黒髪の青年が一人。
出鱈目な条件を突き付けられた彼は、声高らかにこう宣言したのです。
「未来の我が父上よ。その偉業、私が果たしてみせましょう!」
こうして彼の孤独な戦いが幕を開けました。
黒髪の青年は、神の遣いたる鯨に導かれ、第八迷宮『海王星迷宮』へ。
満を持して挑むは、『深界』と呼ばれる80階層の世界。
そこは広大な空間に数千、数万におよぶ魔獣が跋扈するまさに魔境。
約30年に渡り大陸全土の冒険者や勇者が挑み、敗走を繰り返した難攻不落の地。
単身でこの領域へ足を踏み入れたノクティスもまた、茨の道を歩むこととなりました。
グォオオオオオオオオ――!!
ある日は階層の守護者に追われ、命からがらの敗走。
別の日は空を泳ぐ海妖系魔獣の群れに囲まれ、満身創痍のまま生還。
またある日は階層主へ挑んで為す術なく敗北。
「クソ……また勝てなかったか。明日だ。明日こそは……」
来る日も来る日も負け続け、死の瀬戸際を忙しく行ったり来たりの繰り返し。
何度も倒れ、何度も立ち上がり、寝ても覚めても戦いの連続。
悲願を達成するまで帰ることも許されず、誰の助けもなく迷宮の中で孤軍奮闘。
それでも、彼は諦めず挑み続けたのです。
「こんなところでくたばってたまるかよ。俺は……」
理由は、ただ一つ。
愛する者との未来を掴むため。
漆黒の青年ノクティス・ベガは、その歩みを止めることはありませんでした。
こうして始めは『命知らずの愚か者』と揶揄されていた男は、いつしか『強者』や『猛者』と噂されるようになり、やがて彼は『人類最強の男』と呼ばれるほどに強くなっていきました。
そして、茨の道を歩み続けて3年目の夏。
ついに彼は、たった一人で第八迷宮『海王星迷宮』の80階層を攻略。
悲願であった惑星迷宮の秘宝を手にしたのです。
●第三章『鮫の王』
ノクティスが天上の試練へと旅立った後、ユエの人生もまた波乱万丈なものでした。
王位継承問題、王国騎士団団長就任、治安維持や王族の公務。
目まぐるしい日々に追われながらも、彼女は光の姫として王国を支え続けていました。
そんな折、アルタイル王国とベガ帝国の戦いが一時の静寂を迎えたのも束の間。
両国が隣接し、魔獣の巣窟となっていたヴィオラ山脈に異変が起こったのです。
グォオオオオオオオオ――!!
天が裂けんばかりの獣の咆哮が、山脈全土を揺らしました。
それは災厄の誕生を示す『産声』だったのです。
深紅の月が浮かぶ夜。
ヴィオラ山脈の麓にある小さな村が一瞬で壊滅し、生き残ったわずかな村人たちは震えながらこう言いました。
「あ、あれは……鮫の魔王だ!」
村人たちが目撃した鮫の魔王。
その正体は、海妖系魔獣である魔海の巨大鮫が進化を果たした姿でした。
青白い鮫肌に覆われた巨体。
獰猛な深紅の瞳。
一振りで山をも切り裂く鋭利な両腕のヒレ。
万物を噛み砕く顎に乱立する凶悪な歯列。
天空を泳ぎ、威圧感を放ちながら地上を闊歩する姿はまさに災厄そのもの。
これがヴィオラ山脈に誕生した新たな魔|王だったのです。
「シャーッハハハ! 人間どもを一匹残らず喰い殺すのだ!」
巨大鮫の魔王と名付けられたこの悪夢の如き存在は、配下の魔獣を従え、アルタイル王国とベガ帝国に襲い掛かったのです。
「ああああああああ!」
「やめてくれぇえええ! 俺たちの故郷が……」
「くそ、なんでこんなことに……」
瞬く間に、いくつもの村や町が壊滅。
魔王が率いる魔獣の軍勢の侵攻は、あらゆるものを蹂躙していったのです。
もはや日常そのものが崩れ落ちていく異常事態に、人々は震えるしかありませんでした。
この非常事態に、アルタイル王国とベガ帝国は同盟を締結。
巨大鮫の魔王の討伐隊を結成し、総力を挙げて魔王とその配下を打ち倒すために動き出しました。当然、アルタイル王国第二王女にして、王国騎士団団長であるユエも討伐隊の一員として戦地へ。
こうして、二つの国の命運を懸けた大戦が幕を開けました。
「風の曲技-第四番-『疾風の回旋斬』」
「世界譜収録魔術集-攻撃譜術-第78番『蒼炎の巨大星』」
「防御連隊は前へ! この戦線を必ず死守せよ!」
魔法と魔術が飛び交い、人の声と魔獣の雄叫びが旋律を奏でる戦場。
騎士の振るう剣が魔獣を切り裂き、獣の爪や牙が兵士へ襲い掛かる攻撃の応酬。
魔王が率いる魔獣の軍勢と二か国連合の討伐軍の熾烈な争いは、激化の一途を辿っていきました。
この戦いの舞台となったヴィオラ山脈の麓は、血に染まりまさに惨劇。
さらに、絶え間なく湧いて出る魔獣の猛攻に討伐軍は苦戦を強いられました。
それでも、戦場の全ての人間が死力を尽くして抗い続けたのです。
何度倒れても立ち上がり、魔術の詠唱を紡ぎ、剣を振り続けました。
なぜなら、彼らの後ろには『国』があったから。
家族、友人、恋人、仲間、大切な人たちが暮らす場所を守るため戦う者たちは奮起しました。
最前線で魔王と対峙するユエもまた背後の国と民を思い、天上で試練に挑む恋人を想い、力の限り戦い続けたのです。
「この国の人たちを……彼が帰る場所を、必ず守ってみせる!」
ユエは持ち前の光の魔法と剣術を駆使し、数多の魔獣を倒していきました。
しかし、魔王という人智を超えた化物だけは難攻不落。
二つの国の総力を集結しても打ち倒せないほどの怪物だったのです。
両者の戦いは拮抗し、一進一退の長きに渡る攻防を繰り返すこと三年。
ついに均衡が崩れる時がやってきました。
「我が配下たちよ! 人間どもを滅ぼせぇええ!」
疲弊した討伐軍の包囲が破られ、魔王軍がアルタイル王国の王都へ侵攻。
総力を挙げて応戦するも、多くの兵士や騎士が倒れ、窮地に陥っていきました。
さらに国の中心にあたる王城に攻め込まれ、アルタイル王国は陥落寸前。
最後の希望は、魔王と一対一で渡り合う『光の剣士』の称号を持つユエ王女だけでした。
「シャーッハハハ! 今日よりこの国は我が物となる! 怯え、平伏し、絶望せよ、人間ども!」
「そんなことはさせない……! ここで必ず倒す!!」
王城の大広間で繰り広げられる一騎打ち。
ユエが振るう金光の刃と巨大鮫の魔王の硬質化したヒレが衝突し、甲高い音の連続と共に火花が散り、目にも止まらぬ攻防が繰り広げられていきました。
金色の髪を大きく揺らし、ユエは絶え間なく攻撃を仕掛けますが魔王は倒れず。
一方で、魔王の繰り出す技を華麗に捌いてユエも一歩も引かず。
息をつく暇もない攻防。
敗北の許されないアルタイル王国の命運を懸けた戦い。
民衆は固唾を呑んで見守り、ユエ王女の勝利を心より願いました。
そして、ついに決着の時がやってきたのです。
両者が互いに距離を取り、戦いに終止符を打つ必殺の一撃を繰り出しました。
「全てを喰らい尽くせ! 破滅をもたらす鮫咆砲ッ!!」
魔王の一撃は、全て呑み込む破壊の光線。
「破邪の灯を此処に……! 聖なる金光の斬撃!!」
ユエの一撃は、悪を撃ち滅ぼす浄化の光。
同時に放たれた渾身の一撃の衝突。
周囲に大きな魔力の渦が巻き起こり、城が半壊するほどのぶつかり合い。
ユエは、一歩も引かず最後の攻防に全てを賭しました。
国を想い、民を想い、愛する者を想い、力の限りを尽くしました。
しかし、人という存在に比べて膨大な魔力を誇る魔獣。
その王たる魔王の攻撃は常軌を逸したものだったのです。
それを証明するかのように、最後に戦場となった広間に立っていたのは、魔王。
「シャーッハハハ! 今この瞬間に、この国は我が物となった! 絶望するがいい! 人間ども!」
ユエの体は王城の外壁を突き破り、吹き飛ばされるようにして宙を舞いました。
その敗北の光景に、民衆は唖然とし絶望を禁じ得ませんでした。
満身創痍で空中を彷徨うユエもまた唇を噛み締め、己の無力さに打ちひしがれました。
国の命運を懸けた戦いは、最悪の幕引き。
誰もが失意のどん底に沈み行く中、『奇跡』はやってきたのです。
そのことに最初に気づいたのはユエでした。
「……もう。待ちくたびれたわよ」
それは三年ぶりの懐かしくも愛おしい暗黒色。
ユエの潤んだ瞳に映る青空が突如として『漆黒』に包まれたのです。
同時に、宙を彷徨っていたユエの体も優しく抱きかかえられました。
「ただいま。君は相変わらずお転婆なお姫様だな」
少し低い声でどこか意地悪な口調。
雲一つない青空のような瞳に艶のある黒い髪。
以前より少し傷が増えて逞しくなった身体。
「おかえりなさい。貴方は、相変わらず意地悪な王子様ね」
命運が尽きかけたアルタイル王国に舞い戻った人類最強の男。
恋人の窮地に颯爽と現れた漆黒の王子様。
この日、ノクティス・ベガは奇跡の帰還を果たしたのです。
●第四章『破滅と繁栄』
アルタイル王国の中心に位置する王城。
その上空にて、三年ぶりに対面するノクティスとユエ。
姫の窮地に颯爽と現れた王子様のごとく幻想的な再会。
眩い金髪の少女を抱きかかえる漆黒の青年、その様はまるで月と夜。
誰もがこの物語の一幕のような光景に目を奪われました。
しかし、依然として魔王という脅威は健在。
「ノクティス。私は、この国を守りたい……だから力を貸して!」
「あぁ。お姫様の仰せのままに」
恋人の切なる願いにノクティスは優しく微笑みながら返答。
さらに、一瞬にしてユエの傷を癒してしまいました。
そして二人は、魔王に占拠された王城へ。
かつて敵同士だった二人が、王座に君臨する魔王の前に並び立ったのです。
「既に勝敗は決し、この地は我が物となったのだ。人間!」
「随分と俺の恋人を可愛がってくれたみたいだな。鮫の王様」
「私はもう一人じゃない。お前はここで必ず倒す!」
そこから巨大鮫の魔王との戦いが再び幕を開けました。
第二幕ともいえる決戦の主役は、もちろんノクティスとユエの二人。
三年の月日など感じさせない見事な連携で魔王を圧倒していったのです。
「小癪な人間風情が……喰らえ! 万物を噛み砕く王鮫牙」
先ほどまでと打って変わり、窮地に追い込まれた魔王による反撃。
巨大鮫を模した魔力の塊が牙を剥き、金髪の少女と黒髪の青年へ迫りました。
「次で決めるよ! 私に合わせてよね、王子様」
「まったく……ワガママなお姫様にも困ったものだな」
二人は動じることもなく、むしろ窮地を楽しむかのように視線を交わしました。
そして息を合わせ、手を重ね、心を通わせ、『光』を解き放ったのです。
刹那、巨大な光の奔流が魔王を吞み込み、勢いそのままに天高く駆け登っていきました。
それはまさに希望の光。
暗く沈んでいた人々の心を照らし、国の未来さえも照らし出す灯火。
とても眩しく、太陽さえも霞む『終戦の狼煙』に誰もが歓喜の声を上げました。
この日、アルタイル王国の運命は『破滅』から『繁栄』へと塗り替えられたのです。
●第五章『平穏』
魔王の討伐後、ヴィオラ山脈にて残党の魔獣狩りが始まりました。
数十年間、魔獣に支配され魔王を生んだ地に降り立ったのは、たった一人の男。
恋人との婚姻を果たすための最後の条件『ヴィオラ山脈の奪還』。
この偉業を達成すべくノクティス・ベガは動き出したのです。
「さぁ、最後の一仕事といこうか」
一方、ユエは王女として国の復興に励みながら、彼の帰りを待ちました。
恋人の新たな戦場となった山々が立ち並ぶ方角をいつも見つめて。
過酷な試練に立ち向かい孤独に戦い続ける彼の無事を祈りながら。
今か今かとその時を待ち続けました。
そして、待ち侘びた瞬間は半月も経たずやってきたのです。
「ノクティス、元気にしているかしら……」
星がきらめく満月の夜、王城の寝室にある小窓から外を眺めていたユエ。
そんな彼女のもとへ、一人の来訪者がやってきたのです。
「君を攫いに来た」
夜の闇に紛れ、ノクティスは一瞬にしてユエを連れ去っていきました。
王城を抜け出した二人は、星空の下を駆け回り、自分たちだけの世界へ。
魔法で空を飛び、どこまでも高く、誰よりも自由に羽ばたいていきました。
そして夜が更ける頃となり、静まり返る王城へ戻ったノクティスとユエは最上階へと向かいました。
そこは国全土を見渡せるほどに高く『展望の広間』と呼ばれる絶景の場所。
周囲が暗闇に包まれる中、月光が丸く地面を照らす場所で二人は踊り始めたのです。
手を取り合い、視線を交わし、互いの体を支え合いながら――
時には言葉を交わし、時には沈黙で語り合いながら――
これまで会えなかった時間を埋め合わせるように――
情熱的に、感傷的に、深く愛を確かめるようにして――
最後に口づけを交わし、二人の幻想的な夜は過ぎ去っていきました。
その翌日、王城の広間にて国王と向かい合うノクティス。
用件は言うまでもなく、ユエとの婚姻について。
「こちらが神秘のオルゴールと80階層の踏破の証となります」
ノクティスが差し出したのは、80という数字が刻まれた丸い硬貨と小さな箱。
一つは、第八迷宮『海王星迷宮』80階層を攻略したことを示す踏破の証。
もう一つは、惑星迷宮の秘宝である神秘のオルゴール。
この二つこそ、彼が三年の月日と自身の命を懸けてようやく手に入れたものでした。
「うむ、たしかに受け取った。今この時を以って、ネルフェリス・アルタイル王の名において第二王女ユエ・アルタイルとノクティス・ベガの婚姻を認める」
若き青年の決意と試練の始まりから三年と半年が経過した夏の夜。
ノクティスは三つの条件を果たし、ついにユエとの婚姻を成し遂げたのです。
彼ら救国の英雄二人が結ばれたことはすぐに民衆に知らされ、大きく沸き立ちました。
また、第二王女であったユエは魔王討伐の功績を以って王位を継承。
ノクティスの故郷であるベガ帝国は魔王によって壊滅的な被害を受けたこともあり、アルタイル王国に合併される運びとなりました。
こうして二つの国が一つとなり、新たな国『アルタイル共和国』が誕生したのです。
「ノクティス! 早くこっち来て! 早く! 早く!」
「君は本当にいつも忙しないな」
数日後、戴冠式を終えた二人はその足でとある場所へ向かいました。
そこはかつてノクティスとユエが出逢い、戦いに明け暮れた国境にある川の畔。
敵として戦い、友として語り、恋人として愛を育んだ思い出の地。
「ユエはどんな王を目指すつもりなんだ?」
ノクティスは過去と未来に想いを馳せ、少し真剣な眼差しでユエに尋ねました。
彼の問い掛けに、彼女は少し上を見上げながらこう答えたのです。
「月みたいな王様。暗くて物騒な世の中でもみんなを平等に照らして、希望の光を与えられる王様かな」
どこか子供じみた答えに、ノクティスはやれやれと、首を振りながらも朗らかな表情を浮かべていました。
そして二人は、戦いの歴史と馴れ初めが同居する川の畔に一本の小さな『木』を植えました。
『不戦の誓い』と『繁栄の願い』を込めて――
「「この国の未来がずっと平和なものでありますように」」
●第六章『姿無き災い』
ユエが新たな王としてアルタイル共和国を治め始めて5年。
その船出は慌ただしくも、ゆっくりと着実に繁栄の道を歩んでいきました。
時には、火を吹くドラゴンの群れが国に襲いかかりノクティスとユエで撃退。
またある時には、二人の意見が衝突し喧嘩になることも少々。
それでもユエが王として表舞台で活躍し、ノクティスが影で暗躍。
まるで民衆を希望の光で照らす『月』とその輝きを側で支える漆黒の『夜』。
この表裏一体の関係で、国を営み、厄災から民を守り、人々の生活をより豊かなものへと変えていきました。
一本の木に込めた『誓い』と『願い』を体現するようにして――
「だいぶ大きくなってきたわね」
「あぁ、ちゃんと育ってるみたいだ」
二人の間で『約束の木』と名付けられ、かつて国境だったミルキー運河の畔に植えられた小さな木。
最初は腰ほどの高さでしたが、たった5年の月日で二人の身長を超えるほどに育っていきました。ゆっくりと着実に、アルタイル共和国の成長を物語るように大きくなっていきました。
「いつかこの国を見渡せるくらい大きくなってくれるといいなぁ」
まだ小さな木陰しか作れない『約束の木』の側でユエが呟きました。
ノクティスは、その隣に腰を掛けながら言葉を返します。
「その頃には俺たちはもうこの世にいないだろうさ」
少し意地悪な返答もご愛敬。
ユエはノクティスに手を重ねながら微笑みながらこう言いました。
「いいのよ。私たちがいなくなった後もこの国を見守っていてほしいから」
緑葉の隙間から木漏れ日が差し込み、青い風が心地よい夏の終わり。
二人はまだ小さな木の下で手を繋ぎ、寄り添って尊いひと時を過ごしました。
いくつもの試練を乗り越え、ようやく手にした平和を実感しながら――
かつて戦いに明け暮れる中で夢に見た平穏な日々を噛み締めながら――
ずっとこんな穏やかな日常が続いてほしいと願って――
『カチッ』
しかし、二人の想いも虚しく、時計の針が進む音が世界中に響き渡りました。
それは惑星迷宮の誕生以来、数百年に一度起こる大きな厄災の予兆。
三英雄の時代から脈々と語り継がれる『破滅の象徴』にして『終焉の報せ』。
世代を超えて誰もが知るその厄災の名は『終末の前厄祭』。
「報告いたします! 東の空より暗雲が凄い勢いで広がり始め……」
王城の衛兵が血相を変え、女王であるユエの元に持ってきた伝令。
それがこの悲劇の始まりでした。
時計の針が進んだ音の後、世界中の空に暗雲が立ち込めていったのです。
とても大きく、蠢くように、禍々しい魔力を孕んだ黒い雲が天を塗り潰していきました。
二人の治めるアルタイル共和国も例に洩れず、その空を支配されていきました。
「ユエ、俺は偵察に出る。民衆への説明と避難は任せた」
「分かった。無茶しないでね」
「それはこっちのセリフさ」
ユエとノクティスは国を守るために即座に動き始めました。
そして世界に暗雲が広がり始めて13日が経過した時のことです。
突如として、黒い雲が一点に収束し巨大な爆発が起こりました。
「なによこれ……」
「まさかこれが伝承の……」
爆発の後、三英雄の時代から伝承が残る『災厄の雨』が解き放たれました。
それは一見すると美しく、天より光の雨粒が降り注ぐ神秘的な光景。
しかし、空を見上げる人々の表情に浮かぶのは『絶望』の二文字。
何故なら、その光の雨粒の正体は『魔獣を産み出す厄災の卵』だったのです。
グォオオオオオオオオオオオオオ
間もなくして世界各地で魔獣の産声が轟き始めました。
無数の雨が降り注いだアルタイル共和国でも次々に獣の声が上がり始めたのです。
それでも先人達から学び成長した世界は、ただただ蹂躙されることはありませんでした。
同時に、アルタイル共和国には『最強の二人』の存在がありました。
「ユエ、西の方は俺がやる」
「東は私の部隊で抑えるわ」
ノクティスは、国の西側から押し寄せる魔獣の軍勢を単騎で迎撃。
ユエは臣下と共に、東側より攻めてくる魔獣の群れを退けていきました。
彼らは、自分たちの国や民を守るため一歩も引くことなく奮闘。
数千数万におよぶ魔獣をあっという間に倒していきました。
「討伐完了だ」
「こっちも問題なく終わったわ」
全てが順調に進み、犠牲を出すことなく事態は収束を迎えつつありました。
しかし、たった一つの誤算。
それはラグナロックの際に13日間だけ地上に出現する厄災の魔獣『パンドラ』。
『終末の獣』『姿無き魔獣』『混沌の化身』と呼ばれる世界で最も恐ろしい魔獣。
各迷宮の最奥に潜み、決してその姿を現さず、地上に厄災を振りまく悪しき存在。
この魔獣の存在によって人類は、『過去』と戦う必要に迫られたのです。
「あの顔はまさか……」
「こっちもだ! 伝承にあった剣を持った奴がいるぞ!」
「気を付けろ! 向こうのローブの爺さんは紅蓮の魔術師だ!」
「増援を頼む! こちらには灰色の魔女が現れた!」
何故なら、パンドラの能力は呪った相手の魂を迷宮最奥にある宝箱に誘うもの。
そして、その魂を自分の眷属として再び地上に解き放ち、新たな魂を集めさせる。
故に、過去に呪われた者たちが時代を超えて地上に顕現し暴虐の限りを尽くす。
これこそが世界で最も恐れられる魔獣『パンドラ』の力でした。
「ユエ。あれってかなり昔の剣士だよな?」
「えぇ、あっちのは本で見た千変の魔術師みたいね」
先人たちの言い伝え通り、『数百年前の剣豪』『伝説の魔術師』『歴戦の勇者』など、かつて名を馳せた者たちがノクティスとユエの前に立ちはだかりました。
数多の魔獣に加えて、過去の亡霊たちとの戦いはさらに過酷なものでした。
優勢だった戦況も押し返され、拮抗し、苦戦は免れませんでした。
それでも『次代の英雄』と評される最強の二人は、過去さえも打ち破っていったのです。
「眠れ。過去の英雄たちよ」
「いつか必ず貴方たちの魂を解放します」
ただ、二人がどれだけ強くとも真の意味でパンドラを倒すことは叶いません。
何故なら、その本体は各迷宮の最深部に隠れ潜み、手足となる眷属のみを地上に解き放っていたからです。
アルタイル共和国が位置するネプチューン大陸においては、第八迷宮である海王星迷宮の最深部へ到達して討伐する必要がありました。
しかし、当然ながらそんな猶予もなく、パンドラの眷属を倒すことで今回の厄災を乗り越えようと考えたノクティスとユエ。
そんな二人を嘲笑うようにパンドラはその猛威を振るい始めたのです。
「ユエ様!お逃げください!」
「フリード・バルマン」
ユエに仕える騎士の一人が、パンドラの眷属である剣士に腕を掴まれ名前を呼ばれました。その次の瞬間、彼の手の甲に四角い紋様が刻まれたのです。
眷属を通して相手に触れ、名前を呼ぶことで魂と肉体を切り離す呪いを刻む。
これこそパンドラが人を呪い、魂を集める手段だったのです。
「相手に触れられないように距離を取って戦いなさい!」
呪いの発動を防ぐため、ユエは皆に遠距離戦に移行するよう伝えました。
しかし、パンドラの眷属は決して強者や戦士だけではありません。
幼い子供から老人に至るまで、過去に呪われた人たちの姿は様々なものでした。
だからこそ、その悲劇は避けられなかったのです。
「助けて!」
ユエの視線の先で、逃げ遅れた少女が魔獣に襲われようとしていました。
当然、見捨てることなど出来るはずもなく彼女は救いの手を差し伸べます。
しかし、その手を取った小さな女の子は邪悪な笑みを浮かべて口を開きました。
「ユエ・アルタイル」
「っぐ!」
少女の正体は、パンドラの眷属。
腕を掴まれて名前を呼ばれたユエは呪いにかけられてしまったのです。
ただし、この呪いは即座に発動するわけではありませんでした。
13日をかけてゆっくりと眠くなっていき、最後に目覚めぬ眠りに堕ちる。
そしてその魂が肉体から切り離され、迷宮最奥へと誘われるというものでした。
「ユエ様!」
「陛下! ご無事ですか!」
「大丈夫。問題ないわ」
ユエは、自身が呪いを受けたことを隠して戦い続けました。
周りの士気を下げないよう女王として気丈に振る舞い続けました。
彼女は、最後の最後まで呪いの眠気に抗いながら皆の希望であり続けたのです。
「皆の尽力でこの未曾有の厄災は退けられた! 私たちの勝利よ!」
「「うぉおおおおおおおお!!」」
ラグナロックより12日が経過した夜明け。
ついに数多の厄災を退け、国中で大きな歓喜の声が上がりました。
そんな中、悲しみで身体を震わせ涙を流す男が一人。
愛する者の異変に彼が気づかないはずがありませんでした。
「ユエ……」
ノクティスは、悲痛な面持ちでユエを力強く抱き締めました。
満身創痍で今にも眠りに落ちてしまいそうな彼女は、優しい表情で一言だけ。
「ごめんなさい。私は……最後まで皆の希望でありたい」
次にユエが目を覚ました時、彼女に残された猶予は1日しかありませんでした。
王位の継承、民への演説など、自分がいなくなった後のための準備を足早に進めていきました。
そんな時間もあっという間に過ぎ去り、気づけば残る時間は半日ほど。
「ノクティス……一つお願いがあるの」
夕暮れを過ぎ、国中の家に灯りがつき始めた頃。
ユエのたっての希望で、ノクティスと共に魔法で夜空に飛び出していきました。
その理由は、自分が王として治めてきた国を見届けるため。
かつて恋人と目指した国の姿を目に焼き付けておきたかったから。
その言葉通り、ユエは残り少ない寿命を費やして静かに眺め続けました。
国を為す一つ一つの家の灯りに想いを馳せ――
これからのアルタイル共和国の未来を憂いながら――
時折、感謝と謝罪の言葉を口にして――
大粒の涙で温かい雨を降らせることもありながら――
彼女は、国中の灯りが消えるまでずっとずっとその姿を見守り続けました。
「この国の未来がずっと平和なものでありますように」
そして、国中が静まり返った夜更け。
月明かりに照らされたユエは、微笑みながらノクティスに問い掛けました。
「私が最後に行きたい場所、どこか分かる?」
「愚問だよ」
彼は口で答えることはなく、魔法で生み出した黒い翼を羽ばたかせました。
とても大切そうにユエを抱きかかえ、そのまま彼女の望む場所へ。
かつて二人が敵として戦い、友として語り合い、恋に落ちた思い出の地へ。
いくつかの山を越え、大きな運河を越えて二人が降り立った場所。
それは、一本の木が佇む川の畔。
「私たちが初めて出会った日のこと覚えてる?」
「絶世の美女に殺されかけたことは忘れられないさ」
「お互いを知らなくて、いっぱい喧嘩したよね」
「あぁ、そのおかげで君を知ることができた」
水音が響く川の側を歩きながら、二人は馴れ初め話に花を咲かせました。
一歩一歩ゆっくりと、大切に踏みしめ、尊き思い出に浸りながら。
「あれから……いろんなことがあったね」
「ありすぎたよ。まったく」
「私は良い王様になれたかな?」
「もちろんだ。君はずっと皆の希望の光でありつづけた」
「ちゃんとみんなを照らせてたかな?」
「少し眩し過ぎるくらいだったよ」
月光に照らされた二人の影は、ゆっくりと重なり合い一本の木の元へ。
彼らは、互いに寄り添うようにして『約束の木』の下に腰を下ろしました。
「私は、ノクティスと出会えてすごく幸せだった」
「それは俺も同じさ」
「貴方と一緒に過ごした時間は、私の人生をより鮮やかに輝かせてくれた」
「君はお転婆なお姫様で、俺の退屈な人生を賑やかにしてくれたよ」
「いつまで経っても意地悪な王子様なところは変わらないのね」
軽口を叩き合う時間さえも愛おしく、かけがえのないものでした。
しかし、時を追うごとにノクティスの手を握るユエの指先が段々と強張っていきました。そこから伝わるのは、『不安』『後悔』『未練』『悲哀』が入り混じった感情。
「もっと……もっと一緒にいたかった……」
ここまでずっとユエが抑え込んでいた本音が涙と共にこぼれ落ちました。
その茜色の瞳から滴る雫が、ノクティスの手にポツリポツリと降り注いでいきました。火傷してしまいそうなほど熱く、紅涙で濡れゆく自身の手を、彼はじっと見つめて微笑んだのです。
「大丈夫。ほんの少しの間のお別れさ」
彼の言葉の意味をすぐさま理解できず、勢いよく顔を上げるユエ。
その真意は、とても優しい表情で語られました。
「君の魂がどこに行こうとも、俺はまた君に会いに行く」
ノクティスがユエの頬に手を添え、涙を拭い取りながら口にした答え。
それは第八迷宮『海王星迷宮』の攻略とパンドラの討伐。
世界の歴史上、伝説の勇者パーティにしか成し得なかった世紀の偉業。
彼は、また自身の全てを賭して試練を乗り越える意思を示したのです。
「ダメよ! 私は……あなたにそんな重荷を背負わせたくない!」
しかし、ユエはノクティスの手を払うようにして勢いよく立ち上がりました。
彼女の瞳に宿るのは、『困惑』と『怒り』。
また彼に重荷を背負わせ、彼を縛る鎖となってしまう自身への憤り。
到底、彼の言葉を受け入れることなどできませんでした。
「俺にとってもユエは『光』だ。君なしでこの先の人生を歩めそうにないんだ」
困ったような笑みを浮かべながら立ち上がったノクティス。
再びユエの頬に手を添えて、優しく諭すように言葉を紡いでいきました。
一方で、彼の甘い言葉を受け入れまいとユエは抗い、口論が続いていきました。
かつてこの地で言い争いをしていた頃の二人のように。
「そんなの……あなたなら一人でなんだってできるじゃない!」
「真っ暗な世界を灯りもなしで真っ直ぐに歩けるほど俺は器用じゃないさ」
「なんでよ! なんで私のために……」
「愛してるから。君のためなら俺は何だってできる」
「でも……私は……」
ユエは眩い金髪を揺らし、何度も首を横に振って拒み続けました。
同様に一歩も引き下がろうとしないノクティス。
やがてユエの顔は俯き、言葉数も少なくなっていきました。
そして口論の末、ノクティスはユエの片手を取りながら彼女の前に跪いたのです。
「いつか必ず君を迎えに行く。だから、その日まで待っていてほしい」
『約束の木』の前で大きく示された一人の男の決意。
少し冷たい夜風が吹く中で、揺るぎない『覚悟』を宿した空色の瞳。
そんな彼の姿を目の当たりにしたユエは、大きく目を見開き口元を押さえました。
もはや彼女にノクティスの誓いを拒むことは叶いませんでした。
「今回は……私の負けね」
「次もきっと俺が勝つさ」
「あんまり待たされると私もお婆ちゃんになっちゃうからね」
「それでも変わらず愛してみせるさ」
「ずっと、ずっと待ってるから……必ず生きて私を迎えに来てね」
「あぁ、約束だ」
再び立ち上がったノクティスは、ユエの頬に手を添えて唇を重ね合わせました。
月光に照らされる二人の影が一つとなり、再会を誓う口づけを。
『約束の木』に新たな約束を刻み込むようにゆっくりと時が流れていきました。
「ノクティス、愛してるわ」
「あぁ、俺もユエを愛してる」
一時の別れを惜しむように愛を囁き、力強く互いを抱き締め合う二人。
永久にこの瞬間が続いて欲しいと願わずにはいられませんでした。
しかし、そんな幸せな時間の終わりを告げるようにノクティスを抱き締めるユエの力が段々と弱くなっていきました。
やがて彼女は動かなくなり、愛する彼の腕の中で目覚めぬ眠りにつきました。
そして朝を迎える頃、彼女の魂は空の果てへと旅立っていったのです。
夜明けと共に沈んでゆく『月』のように。
●第七章『愚者』
絶望の夜明けを迎えた一人の男は、とある逸話を頼りに歩き出しました。
それは東の大陸に起こったとされる『解魂の奇跡』。
かつて勇者パーティ『ブレーメン』によって第五迷宮『木星迷宮』が攻略され、その最深部にて討伐された魔獣パンドラ。
その後、肉体が残っていた者たちに魂が還り、復活を迎えたという伝説。
ノクティスは、このお伽噺のような言い伝えを信じて歩き出しました。
腕の中で安らかに眠る最愛の人を見据えて――
「必ず君に会いに行く」
そして彼は再び神の遣いたる鯨の背に乗って、天上の試練へ。
ユエとの約束を果たすために再び挑むは、第八迷宮『海王星迷宮』。
「俺は、またここに戻ってきたんだな……」
因縁のパンドラが潜む最深部を目指し、彼は新たな階層へ足を踏み入れました。
その第一歩となったのは、81階層にあたる深層領域『魔界の蛸壺』。
クラーケンやデスワームといった軟体系の海妖魔獣が多く生息する未知の魔境。
ここより彼の長く孤独な冒険が幕を開けました。
ギシャァアアアアア――!!
海と空が逆転したような空間が続く世界で、次々に襲い来る数々の魔獣。
それを絶え間なく打ち倒していく漆黒の剣士。
ノクティス以外に誰もいない空間の中で、助けもなく孤軍奮闘が続きました。
それでも彼は、たった一年で81階層を突破するという偉業を果たしたのです。
「ようやく一歩か」
しかし、ノクティスが目指すのは100階層の最終地点。
彼は地上に戻ることもなく黙々と次の階層へ進んでいきました。
その後も快進撃は止まることなく、82階層、83階層と破竹の勢いで踏破。
今まで80階層すら突破することができなかった人類の歴史をたった一人で塗り替え続けたのです。
この偉業の連続に人々は賑わい、新たな英雄の誕生に心を躍らせました。
「もう少しで魔獣に怯えずに暮らせる日が来るんだ!」
「魂を奪われた人たちが帰って来る日も近いぞ!」
「三英雄以来の新たな英雄の誕生だ!」
しかし、ある時をきっかけにノクティスへの評価は一変していきました。
それはユエの魂が彼の前から姿を消して5年目の冬のこと。
地上に新たな魔王が誕生し、いくつかの国が滅ぶという大きな厄災が発生。
他にも自然災害や魔獣の大量発生など不幸がいくつも重なった年。
人々は人類最強の男に救いを求めましたが、彼が地上に戻ることはありませんでした。
「なんで強いのに助けてくれないんだ!」
「なんのための力なんだよ!」
「何が人類最強だよ! この人でなし!」
「みんな救世主を求めていたのに! 薄情者!」
「あいつは人類の裏切者じゃないか!」
当然、地上で暮らす人々は怒り、悲しみ、嘆きました。
それでもノクティスは、一度も振り返ることなく進み続けました。
どれだけ非難されようとも彼は足を止めることなく、歩み続けました。
愛しき人の魂だけを追い求めて。
「ユエ、必ず君を……」
それから10年の月日が経ち、ノクティスの足取りは完全に途絶えました。
90階層に到達したという報せを最後に、彼は忽然と姿を消してしまったのです。
彼の訃報に世界中の人々は、大きく落胆し、非難の声が多く上がりました。
『人々に救いの手を差し伸べず、迷宮攻略さえも失敗した愚か者』
『自己中心的で身勝手な愚か者』
『力はあれど、思いやりの心がない愚か者』
『三英雄に最も近く、最も遠い愚か者』
こうしてノクティスは、『最強の愚者』という不名誉な称号を背負って歴史からその姿を消しました。
果たして、彼は本当に愚か者だったのでしょうか?
かつて人類のために戦った三英雄は、紛れもなく世界の英雄と言えるでしょう。
一方で、ノクティスは最強でありながら愛する者のためだけに戦った愚者。
それでもユエにとって彼は、世界でたった一人の英雄だったのかもしれません。
二人の死後、アルタイル共和国に残された『約束の木』。
約束の日から100年、200年、300年と成長を続けていきました。
700年が経過する頃には、国中を見渡せるほどの巨大樹へと育っていきました。
そしてこれからもアルタイル共和国の発展とともに成長を遂げていくでしょう。
未だ果たされぬ二人の約束と共に。
一章後編の完結まで残り1話!
次回が一章最終話になるのでお楽しみに!
毎週、土曜12時頃に更新中です。




