Op.24「今際の際で」
「そんな……こんなのどうしたら……」
静まり返った魔導列車の運転室に、シアの掠れた声が木霊した。
声を発したあとも彼女の表情は強張ったままで、胸のあたりを押さえた指先が小さく震える。
先ほどまで列車を守っていた魔力障壁は、跡形もなく砕け散っていた。
窓の外では、暗い森の深層から湧き出すように怪物たちが悠然と姿を現す。
木々を薙ぎ倒しながら近づいてくる魔獣、その数10体。
・脅威度F1ランク:宝石鱗の魔獣魚:6体。
・脅威度E3ランク:魚人型の魔獣戦士兵:3体。
・脅威度C1ランク:青緑鱗の恐竜獣:1体。
さらに、地上から侵攻してくる10体の魔獣に加え、上空から規格外の一撃で魔力障壁を破壊した最後の1体。
・脅威度C3ランク:二層鎧の岩盤鯨。
およそ50メートルに及ぶその巨躯は、暗黒色のゴツゴツとした岩肌に覆われ、まるで『山』が宙に浮かんでいるかのような圧倒的な存在感を放つ。
鈍く光る黒曜の外殻には、深い裂け目のような線が幾つも走り、その前頭部には魔導列車など軽く丸呑みできそうな巨大な口と、血走った深紅の巨眼。
その巨眼がギョロギョロと不規則に動き、完全に獲物として魔導列車を捉える。
ロックスホエールは、前方上空から影を伸ばしながら徐々に降りてくる。
気がつけば、地上は巨大な影に塗り潰されていた。
初夏の白昼を迎えたはずの森は、一瞬で光と熱を奪われ、真夜中のような闇と冷えた空気に支配されていく。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!!
周囲の魔獣でさえ一歩退くほどの、怒気に満ちた重低音の咆哮が森の空気を震わせた。
『ここは自分の狩場だ』と宣言するような強烈な威嚇。
大地がビリビリと震え、列車の窓ガラスにも亀裂が浮かび上がる。
そして咆哮が止んだ後に訪れたのは、完全な静寂だった。
風すら息を潜めたような、支配的な沈黙。
シアが乗車する魔導列車は、もはや希望の欠片もない最終局面を迎えていた。
「くそっ! ここまでなのか……」
「なんでこんなことに……」
運転士と車掌の二人が、互いの声に縋るように悲痛な呻きを漏らす。
顔色は死人のように青ざめ、握った拳は恐怖で震えていた。
その隣で、シアは同様に絶望を味わいながらも、必死に脳を回転させていた。
救援の魔導戦艦が到着するまで、残り約2分半。
しかし、正面から迫る二層鎧の岩盤鯨は、あと30秒もすれば列車を丸呑みにする。
(何か……何か私にできることは……)
魔力障壁の再構築を正面に限定すれば間に合う?
――無理だよ。どれだけ急いでも絶対に間に合わない。
『白亜の翼』の三人は?
――外を映すモニターに我先にと逃げていく背中が映っている。
私が外に飛び出して囮になる?
――悔しいけど、私じゃ見向きもされない……
乗客を降ろして分散して逃げれば全滅だけは避けられる?
――今からじゃ、時間が足りないよ。
シアがいくら自問自答を繰り返しても、辿り着くのは回避不能な無慈悲な結末。
希望と呼べる選択肢は、一つとして存在しなかった。
「これはもうダメ、かな……」
その声は、吐息のように弱く揺れた。
万策尽きて、もはや自分にできることなど何もない。
そう理解した瞬間、シアは全身から力が抜けていくのをはっきりと自覚した。
「そうだ……フィオネさんに報告しておかないと……」
残された時間でできることは、目の前の魔獣の情報をフィオネに共有し、これ以上の被害を防ぐことくらい。ここで自分が何も残さないまま終わってしまえば、本当にただの『失敗』でしかなくなる。
(現場にいる人間として、最後まで役割を全うしないと……)
そう自分に言い聞かせ、シアは生気の抜けかけた体に命令を下す。
音形構成符号が刻まれたキーボードへ、震える指先を乗せる。
かすかに指が滑り、何度かキーを打ち損ねながらも、どうにかフィオネへ情報を届けた。
【生体情報】
名称:二層鎧の岩盤鯨
分類:海妖系大型魔獣
脅威度:C3(第三級討伐対象)
体長:40~50m
体重:600~800t
魔力量:60万EP
スキル:『岩石砲弾』『空間遊泳』『宝石鱗』『魔力感知』『自己再生』
【能力値指標】
攻撃力:7/10
防御力:8/10
機動力:5/10
知能:5/10
魔力量:6/10
【特徴】
最大50メートルに及ぶ巨体の表面は、硬度の高い黒曜石やダークニウム鉱石で覆われている。その内側も硬く色鮮やかな宝石鱗で守られており、外殻と内鱗の二層構造によって『二層の鎧』を形成しているのが最大の特徴。岩鯨の上位種であり、生息域である海底や迷宮内で鉱物を多く摂取したことにより肉体が変異し、現在の形態へ進化したとされる。主な攻撃手段は、体表の岩石を砲弾のように撃ち出す岩石砲弾、そして口内に魔力を収束させ放つ魔力砲撃。
【調査報告】
魔導省および自由組合の魔獣災害調査によると、対象魔獣の討伐所要日数は平均4日とされ、脅威度以上に討伐難易度が高い。その理由として、体表の高硬度鉱物と内側の宝石鱗による圧倒的な防御性能が挙げられる。また、高い再生能力を持ち合わせており、一度ダメージを与えても短時間で復元されるケースが多い。
【特記事項】
対象魔獣については脅威度C3に分類されるため、推定死傷者数は4000人規模とされる。また、次元層の虫喰穴の発生時に宝石鱗の魔獣魚が大量に目撃された際には、本魔獣の出現にも最大限の警戒が必要となる。戦闘においては、高出力の戦闘用アーティファクト、もしくは高位の魔術が使用可能パーティによる対処が推奨される。
「これでよしっと。あとは……」
シアはロックスホエールの情報を一つ一つ確認し、誤りがないか素早く見直してから送信操作を行った。
送信先は、いまも救援部隊との連絡で忙しく立ち回っているフィオネ。
耳元には『もっと急いで!』『あとどのくらいで到着予定なの!?』と、苛立ちと焦燥を孕んだ声が途切れ途切れに聞こえてくる。
本来であれば会話の最中に割って入るような真似はしない。
だが、最期のタイムリミットが目前に迫っていた。
「フィオネさん。……魔導列車の魔力障壁が破られました」
「そんな……」
「やっぱり二層鎧の岩盤鯨が出現してたみたいです」
両者ともに、この魔獣の出現に驚きはなかった。
なぜなら、宝石鱗の魔獣魚は二層鎧の岩盤鯨の背を住処とする習性がある。
だから、ワームホール発生時にジュエルフィッシュが大量に確認された場合、ロックスホエールの存在にも注意しなければならない。
これは皮肉にも、ルナとシアが座学講習でフィオネから教わった内容のひとつであった。
同じ長机で並んで学び、ルナが居眠りしてフィオネに怒られていた日々。
そんな慌ただしくも尊い日常が脳裏に蘇り、シアはわずかに頬を緩めた。
今の状況には似つかわしくないほど、柔らかく優しい笑みだった。
「フィオネさん……ルナのこと、よろしくお願いしますね」
「なに言ってるのよ! まだ諦めないで。あと少しよ、あと少しで助けが来るから!」
シアは、自分の最期が迫っていることを悟っていた。
だからこそ、自分がいなくなった後に心に深い傷を負ってしまうかもしれない家族であり、親友のことをフィオネへ託す。言葉数も少なく、押し付けるような形になってしまって申し訳なく思いつつも、残された時間はあとわずかしかない。
そのわずかな時間に、やっておくべきことがまだ残っている。
だが、突然の現実を前にして、ルナに何をどう伝えるべきなのか分からない。
迷っている間にも、時間は容赦なく削られていく。
湿っぽくなるのも嫌で、別れの言葉も口にしたくない。
かといって、気を抜くと『死にたくない』『助けて』と泣き喚いてしまいそうになる。
ルナの傷跡になりたくないという想いや死への恐怖が、思考と感情をぐちゃぐちゃにかき乱す。
話したいのに話したくない。
伝えたいことは山ほどあるのに言葉が見つからない。
でも、やっぱりちゃんと話がしたいという矛盾に満ちた気持ちの繰り返し。
そんな葛藤に終止符を打てず、項垂れ、大粒の涙を零して悩んだ末にようやく半歩進み出す。
シアは溢れ出す感情を抑え込み、心の準備も整わないままルナへ通信を繋いだ。
「ルナ、ごめん……こっちはもうダメみたい……」
平常心を装って絞り出したシアの第一声は、とても弱々しく儚いものだった。
自分では精一杯取り繕ったつもりでも、すべての感情の色は隠しきれない。
特に長年一緒にいた親友には、そんな薄い強がりなど通用するはずもなかった。
「今すぐそっちに戻る! 絶対助けるから! シアもそこから離れて!」
通信越しに聞こえたルナの声は、焦りと怒りが混じった鋭いもの。
森のざわめきと獣の咆哮の中で、彼女の叫びだけが鮮烈に響く。
「ダメだよ。それだとルナが挟み撃ちにされちゃう。それにもう……」
シアは言葉を続けようとするが、喉がきゅっと縮み、息が詰まる。
前方上空より迫り来るロックスホエールが放つ威圧感や魔力の波動が強くなり、もはや意識を保つことすら難しくなっていく。
「勝手に諦めんな! 私がどうにかする! 魔獣だって全部倒すから!!」
叫ぶルナの息は荒く、怒鳴り声の奥に泣きそうな震えが混ざっている。
彼女は先ほど響いたロックスホエールの咆哮で、列車側の異変を察していた。
さらに、通信機越しにでも伝わってくるシアの弱々しい気配。
今にも消えてしまいそうな声の揺らぎから、魔力障壁が破られたことを直感していた。
「くそっ……!」
ルナは既に満身創痍だった。
腕も脚も擦り傷だらけで、全身に激しい戦いの跡が生々しく残っている。
体力も魔力も既に限界を迎えている。
それでも迷う事なく踵を返し、追撃してくる4体のメガロドンを振り切りながら、先ほどまで駆け抜けてきた森の道を全速力で逆走し始めた。
そんなルナの首元に装着したチョーカー型の通信機から、柔らかい声が届く。
「ねぇ、ルナ。去年の誕生日のこと覚えてる?」
「今そんなこと話してる場合じゃないでしょ! さっさとそこから逃げて!」
「ビスタおじさんが用意してくれたケーキ、でっかくてびっくりしたよね。ロア母が作ってくれた料理はどれも美味しかったね。ルナが手掴みで食べようとしてフィオネさんに怒られてさ……途中で酔っぱらったガルおじさんとか、ウチの常連さんたちも乱入してきて、賑やかで……楽しかったなぁ」
まるで走馬灯のように語られる思い出。
ルナの脳裏に楽しかった記憶がよぎる一方で、同時に胸の奥を締め付けるような焦燥と、想像したくもない未来が迫ってくる。
「今年の誕生日も、きっと楽しいものになるはずだったのに……ごめんね」
シアの優しい謝罪が、ルナの胸に深く突き刺さる。
茜色の瞳がじわりと潤んでいく。
「謝んないでよ……まだ終わってない。何も終わってないんだから……!」
「あとね、本当は驚かせようと思って内緒にしてたんだけど、誕生日プレゼント、私の部屋に置いてあるから――」
「やめて……やめてよ……」
駆け戻るルナの目尻から零れた大粒の涙は、風にさらわれて遠くへ散っていく。
対照的に、魔導列車の運転室で力なく座り込むシアの涙は、床へ静かに落ちる。
「シアターシップの舞台、一緒に観に行けなくなって……ごめんね」
「また行けばいいでしょ! 明日でも、明後日でも! いくらでも一緒に行けばいいじゃん!」
「最後まで、ちゃんとサポーターの仕事できなくて、ごめんね……」
「そんなのいいって……近くにいてくれるだけでいいんだって!」
「お誕生日も、ちゃんとお祝いしてあげられなくてごめんね」
「やめてって言ってんじゃん! なんでそんなことばっか……!」
「ダメだね……言いたいことも、言いたくないことも……言わなきゃいけないことも、いっぱいあるのに……全然、時間が足りないよ。もっと……もっと一緒にいたかった……」
ここまで必死に押し殺していたシアの感情が、堰を切ったように溢れ出す。
突然に訪れた悲劇に心が追いつかず、受け入れることすら許されない苦しみは、二人とも同じだった。
もっと一緒にいたい。
もっと話したい。
もっと笑っていたかった。
そんな切なる願いだけが、残酷な時間の流れに置き去りにされていく。
この惨劇の舞台と化した星屑の森に夏季にそぐわぬ異質で冷たい風が吹く。
まるで物語の終幕を告げる合図のように。
永久の別れを静かに報せる鐘の音のように。
そして、二度目のロックスホエールの咆哮と共に運命の時がやってくる。
「……ごめんね。そろそろ時間みたい」
列車を丸呑みにしようと、真っ黒い鯨がその巨大な口を開いて正面から迫る。
シアの視界はすでに薄闇に染まり始めていたが、その暗さはさらに深まり、まるで漆黒の海へ沈んでいくかのように視界を侵食していった。
「待って! お願いだから――!」
息づかいの荒いルナの悲痛な叫びも、迫り来る暗闇にかき消されていく。
あと数秒で散りゆく命。
遺せる言葉など、ほんのひと欠片。
(せめて、最後くらいは……)
シアは途切れそうな意識の中、残る力を絞り、震える唇に笑みを宿す。
大切な親友に向ける、精一杯の最後の贈り物。
「ルナ……今までありが――えっ……?」
その瞬間。
無情にも、最後の一幕に水を差す甲高い警報音が『ビービー! ビービー!』と、運転室全体に鋭く鳴り響いた。
音の発生源は、運転室に設置された円盤状の魔力探知機。
魔力反応の数と規模を測定するそのアーティファクトは、突如として魔力の放出力音量1万超えという異常値を叩き出していた。
赤い危険信号が激しく点滅し、冷たい警告音が運転室を満たす。
(なに……これ……?)
その異様な数値が示すのは、脅威度Sランクに分類される特級クラスの出現。
すなわち、国家さえも揺るがしかねない怪物が、魔力探知機の探知範囲内に突如現れたということ。その証拠のように、ロックスホエールでさえも動きをぴたりと止め、巨大な眼球をわずかにそらし、何かを警戒するように硬直していた。
今際の際で感傷に浸っていたシアも、一瞬で現実に引き戻された。
そして、新たに出現した魔力反応の位置座標を確認し、再び言葉を失う。
(これは……いや、今は早くルナに知らせないと……!)
魔導列車へ一直線に駆け戻ってくるルナの魔力反応。
そのすぐ後方には、彼女を追う4体のメガロドンが迫る。
だが、シアが息を飲んだのは、そのさらに後ろで急接近してくる 5つの魔力反応の光点だった。
その動き方は歪で、5体の魔獣が群れを為して行動しているようには見えない。
まるでルナと同じように1人が4体の魔獣に追われ、先回りされて囲まれているような構図。
(何がこっちに向かって来てるの……? いや、そんなことより――)
いずれにせよシアのやるべきことは変わらなかった。
危険な何かが迫ってきている。
それを伝えようと、シアは喉を振り絞るように声を上げた。
「ルナ! 今すぐそこから離れっ――!」
しかし、無情にも彼女の言葉は再び轟音によって掻き消された。
それは――死の訪れか。
それとも――奇跡の到来か。
目の前が真っ暗になりつつあったシアの視界は、次の瞬間、神秘的な光に包まれた。
一章後編の完結まで残り三話!
次回もお楽しみに!
毎週、土曜12時頃に更新中です。




