Op.22「包囲網」
今回はルナ視点のお話になります。
星屑の森西部――緊急停車中の魔導列車ギンガより2キロ地点の密林地帯。
20体におよぶ魔獣との会敵から約一分が経過し、ルナは窮地に陥っていた。
「やっば。ちょっとマズったな……」
周囲の青々とした木々が激しくなぎ倒され、戦闘の痕跡が生々しく残る森の中。
本来なら自然豊かで、澄んだ空気が心を癒してくれるはずの場所。
それが今となっては見る影もなく、舞い上がる土埃と白煙。
周囲に漂うのは、濃厚な血の臭い。
さらに海妖系魔獣特有の魚っぽい生臭さが入り混じり、鼻を刺すような強烈な悪臭と化している。
そして、視界の端から迫る影。
空、地上、後方。三方向から私を包囲する20体の魔獣。
左手後方には、脅威度F1ランク『宝石鱗の魔獣魚』が10体。
右手後方には、脅威度E3ランク『魚人型の魔獣戦士兵』が6体。
前方上空には、脅威度D2ランク『魔海の巨大鮫』が4体。
(こりゃ、かなりヤバいね……)
三種の魔獣による包囲網の完成を目前に、嫌な汗が背中を伝う。
たった一分。まだ会敵から60秒くらいしか経っていないのに何十分も戦い続けているような感覚だ。
息切れが激しく、魔力の消費や疲労の蓄積も尋常じゃない。
それでも生き残るためにブレードの柄を握り直し、脚に力を込める。
「ルナ、前方の魔力反応が二手に分かれて四方向から挟もうと動いてる。完全に囲まれる前に突破しやすいとこから離脱して!」
「りょーかいっ!」
シアからの指示に耳を傾けつつ、魔力感知を展開して周囲の状況を探る。
と言っても、魔力総量が少ない私がこれを維持し続けるのは結構きつい。
しかも動きながらだと、どうしても視覚情報に意識が引っ張られちゃう。
だから、こうやって俯瞰で情報を飛ばしてくれるシアのサポートはマジでありがたい。
私が前だけ見て突っ走っても大丈夫って思わせてくれるから。
実際、今も後ろから突進してくる宝石鱗の魔獣魚や魚人型の魔獣戦士兵の攻撃を紙一重で躱してる状況だし、そりゃあ前方の注意も散漫にもなるって話。
グォオオオオオオオオオオオ――
気づいた時には、威嚇の咆哮と共に前方の空間が揺れていた。
上空を裂く影。牙が煌めく、巨大な鮫のシルエット。
皮膚の上に、ざらついた殺気が刺さり、背筋が粟立つ。
(完全に先回りされてるじゃん!)
脅威度D2、空を泳ぐ悪夢――魔海の巨大鮫。
ただでさえ動きが速いくせに、上から魔力砲弾を撃ってくる始末。
(もうちょいマシな装備あったら良かったんだけど……)
当然、演劇を観に行く途中だった私がまともな武器なんて持っているはずもなく。
むしろダンジョンウェアにブレード一本だけでも、持ってた方が奇跡的。
それでもこの数の魔獣を相手にするには、心許ないというのが現実で本音だった。
っとま、グダグダと愚痴ってても仕方ないか。
「さてさて、どうしたもんかな」
まずは、包囲網が完成する前に、どこか一角をブチ抜いて逃走経路を確保。
そう考えて私は反転しつつ、周囲をクルっと見回し、迫る魔獣たちの配置と動きを一瞬で把握した。
(狙うなら――あそこしかない!)
地面を蹴り上げる。足裏に溜めた魔力が爆ぜ、土がはじける。
その勢いのまま白い槍を構えた二足歩行の魚人たちへ立ち向かう。
キシャァアア!!
喉奥から絞り出すような甲高い咆哮。
獰猛な魚眼が正面から私を射抜く。
「やっぱ相性的にアンタらだよね!」
狙いは決まっていた。
悩むまでもなく、対峙するなら魚人型の魔獣戦士兵一択だった。
まず、メガロドンは私の攻撃が届かない上空を泳いでるから論外。
(あとで叩き落として今日の晩御飯のおかずにしてやりたいけどね)
次に、宝石鱗の魔獣魚は脅威度こそ低いが、とにかく硬い。
宙を泳ぐスピードも大したことないし、動きも単調。
けど、あのカラフルで頑丈な宝石鱗が厄介すぎる。
斬っても打っても手応えが鈍い。
(さすがにこのブレードの刃じゃ通用しないからね)
その点、フィッシャーウォリアは違う。
対人戦闘に似た動き。槍さばき、間合い、突きと受けのリズム。
全身を覆う鱗も硬いけど、今のブレードなら十分通せる。
「悪いけど、そこ通してもらうよ!」
わずかに呼吸を整え、一瞬だけ重心を低く沈める。
瞬間的に魔力の出力を上昇させ、身体能力を限界まで引き上げる。
次の瞬間、私は地を蹴り、力強い踏み込みで一気に間合いを詰めた。
「鬼人舞踏流――『断刀凩』」
紅の刃が宙に閃光の軌跡を描く。
舞い踊るような足運びと共に、紅色の刀身がしなるように走る。
力強く、それでいて滑らかに魚人の鱗を切り裂く冷やかな風が吹き抜ける。
(もっと速く……もっと力強く!)
身体が風となり、木々の影が線に変わる。
さらに加速を加え、より鋭くブレードを振るう。
「……ッガ!?」
紅の残光が消える瞬間、緑青色の鱗と鮮血が花弁のように宙を舞う。
刹那、ドサリと鈍い音と共に4体の魚人の怪物たちが地面に崩れ落ちた。
完成しつつあった包囲網に、小さくも確かな風穴が開いた。
「よし、逃走経路の確保完了っと」
熱を帯びた息を吐き、額の汗をひと拭い。
そして再び走り出す。皆を守るために立ち止まってなんかいられない。
私は覚悟を胸にそのまま森の陰へと滑り込むように駆け抜けた。
――と、タイミングよく戦闘が一段落したところでシアから通信が飛んでくる。
「ルナ、問題なく抜け出せた? 怪我とかしてない?」
「ばっちり~♪ 問題ないよ!」
「よかった。じゃあ、そこから左方向に直進する形で進んでね」
「おっけー!」
私はシアの指示通りに進路を修正し、そのまま木々を掻い潜って突き進む。
もう魔獣と会敵してから二分が経過したはず。
出来るだけ体力と魔力を温存しながら戦っているけど、正直かなりキツい。
あとどれくらい持ちこたえればいいのか分からないから、ペース配分が難しい。
(この感じだと……あと五分が限界ってとこかな)
そんなことを考えていた時、通信越しにシアが誰かと話し込む気配がした。
胸がざわつく。悪い話じゃありませんように――と願ったその瞬間。
「ルナ、ちょっと良いお知らせ! こっちも外部との念波通信が回復してフィオネさんと連絡取れたよ。増援も手配済みであと五分で到着予定だって!」
「マジか! ……よかった……!」
ちょうど欲しかった情報が最高のタイミングでやってきた。
重く湿っていた胸の奥が、少しだけ軽くなる。
それに明確にゴールが決まったから、逃げ方も戦い方も今までより楽になる。
なにより、目の前の魔獣たちの対応に集中できるのはありがたいね。
「あと、フィオネさんから伝言。必ず生きて持ち堪えること。戦わず逃げに徹しなさいだって。あと、帰ってきたら色々と話したいこともあるってさ」
「うわっ、絶対怒られるやつじゃん。ん~、お任せあれ♪って伝えといて」
フィオネさんは、自由組合の職員で私の担当アドバイザー。
依頼の選び方から準備、迷宮の座学までいっぱいお世話になってるちょっぴり怖くて優しい、頼れるお姉さんみたいな人。
私は色々と無茶して怒られちゃうことも多いけど、今回みたいな時にフィオネさんが担当してくれるのは心強い。だって、面倒くさい担当の人に当たっちゃうと『贔屓のギルドが~』とか『担当の冒険者の派遣が~』とかで全く話が進まないとかも結構あるから。
前にもそれでカチンと来て指示無視してペナルティ貰ったこともあるし……
まぁ、今はそれは置いとこう。
集中切らさないようにしないとだしね。
「さて、あと五分――」
厳密には、もう4分30秒くらいかな?
その時間を耐え抜ければいい。シンプルで分かりやすくなっていいね。
「ルナ、左後方から6体。右後方から10体迫って来てるよ。特に左後方は動きが速いから気を付けて!」
ちょうど気持ちを切り替えたタイミングで、シアからのサポート指示が飛んで来た。
「了解!」
返答と同時に、私は魔力感知の範囲を半径40メートルほど一気に広げる。
神経を張り詰め、魔獣の動きを逃さないよう周囲を探る。
(この魔力の揺れ方は……)
刹那、背筋に冷たいもの走った。
シアの言葉通り、左後方の上空と右後方に大きな魔力の流れ。
特に左後方。魔力が大きく揺らぎ、一点に集まっていくような感覚。
同時に、森が大きくざわめくような気配を感じた。
「やっば……また魔力砲撃かよ!」
大技の気配を察知した次の瞬間――
圧縮された魔力の砲撃が、残虐な光の雨のように降り注ぐ。
「あー! もう! しつこすぎでしょ!」
私は魔力障壁を展開しつつ、地面を蹴って跳躍。
迫り来る光の砲弾を躱していく。
ドンッ、ドンッ――!
爆音が森を裂き、さっきまで私がいた場所が爆ぜ飛んだ。
木々が無造作にへし折れ、土煙が視界を塗り潰す。
周囲に焼き焦げる匂いが充満する。
(マズいね。また視界が潰されてる)
私は再び魔力感知を展開しつつ、シアにも魔獣の位置を魔力探知機で確認してもらおうと考えた時だった――
『きゃっ!?』
首元のチョーカー型通信用アーティファクトから、弾かれたような悲鳴と大きな衝撃音。
「シア!? そっちどうなってんの? 凄い音したんだけど!」
語気強めに問い掛けるがシアからの応答がない。
嫌な予感が頭の中を駆け巡る。
そして、これが一瞬にして致命的な油断だった。
ほんの一秒か二秒ほど魔力感知が疎かになってしまった私は、右後方から迫っていた宝石鱗の魔獣魚への反応が遅れてしまった。
シャァアア!!
全身を宝石のような鱗で覆ったジュエルフィッシュの群れが、弾丸じみた速度で迫る。
泳ぐ鉄球が十発、一直線に突っ込んでくるようなものだ。
当たれば致命傷になりかねない。
「クソっ……!」
咄嗟にブレードを振り、紅の刀身で軌道を逸らすように捌いていく。
1体、2体、3体、4体。視界が白煙に濁る中、紙一重で弾く。
ギィン、ギィン、ギィン――鋼と宝石が擦れ合う甲高い音が続けざまに八回。
だが次に響いたのは、乾いた金属音ではなかった。
ドスッ、ドスッ!!
「ぐふっ……!」
右脇腹に、鈍い衝撃が二発。
内臓を拳骨で殴り潰されたような激痛が奔り、肺から空気が抜ける。
私の身体はそのまま物凄い勢いで吹っ飛ばされ、地面を何度か転がった末に背後の木に叩きつけられた。
次回もお楽しみに!
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