Op.21「奇襲」
「なんで……魔力反応はまだ1キロ先だったのに……」
列車を覆う二重防壁。
その外層の分厚く弾力のある白雲がちぎれ飛ぶ。
『白亜の翼』の三人が展開した第三位階の防御魔術『砦雲』。
その雲壁が爆ぜ、木々の隙間から、青緑の鱗で全身を鎧った竜が顔を覗かせた。
長く力強い二本の後脚。
太く鋭い歯が整列した頑丈な顎。
体長は15メートルに迫り、深紅の獰猛な瞳が列車を獲物として見定める。
この魔獣こそ、脅威度C1に分類される凶悪な竜種『青緑鱗の恐竜獣』。
そして、その竜は腹の底を振るわせる低音の咆哮を轟かせた。
グォオオオオオオオオオオオオオ――
砦雲を取り払ったが、その下を覆う魔力障壁に行く手を阻まれた怒りの喚声。
目の前の獲物を威嚇し、怯ませるような野獣の雄叫び。
遠隔でのオペレーター支援が常のシアは、これほどの至近距離で魔獣と対峙することはない。
だからこそ、約15メートル先に迫る青緑鱗の恐竜獣の存在に恐怖と動揺で硬直してしまっていた。
「シア! 応答しなさい!」
「シア!? そっちどうなってんの? すごい音したんだけど!」
通信機越しに同時に飛び込むフィオネとルナの声。
絡んだ思考が解け、シアは大きく息を吸い込む。
「ごめん! 魔力を抑えて接近してた魔獣がいたみたいで驚いただけ! 私は大丈夫だからルナは自分の方に集中して!」
まずは、ルナが戦闘に集中できるように自分の無事を伝える。
そして、すぐさまフィオネへの状況報告に移った。
「フィオネさん、すみません。聞こえてたと思うんですけど、潜伏状態で接近していた個体がいたみたいです」
報告を続けながら、シアは自分の体の震えを抑え込むように力強く拳を握る。
それが意味するのは、悔しさの抑制と恐怖心への対抗。
まず、魔力探知機は魔力の反応を観測するため、魔力を抑えた個体の動きを観測することはできない。
だからこそ、シアはアクアサウルスの接近に気づくことができなかった。
他の人が聞けば、それは仕方ないと判断するだろう。
しかし、脅威度が上位の魔獣であればその可能性がある――ということは学んでいたのに、完全に頭から抜け落ちていた。どうしてもルナの戦闘状況の方へ注意が傾き、並行してフィオネへの報告も急がなければ、という気持ちの焦りから、目に見えない動きを失念してしまった。
もっと注意を払えていたら。もっと早く気付けていれば。
事前に車内アナウンスで乗客に衝撃に備えるよう伝えられたはずだ――と、シアは自分のミスとして強く悔やむ。
同時に、さらに恐怖心を煽り、目を背けたくなる事実に気づく。
それは、魔力探知機の探知範囲内にCランク帯の魔獣が最低でも2体は存在しているということだ。
理由は単純。現在確認できる魔力反応数は32個。
ここからルナの反応を差し引いて31個。
初期段階の観測では反応数は30個であり、同時に脅威度Cランク相当の魔力の放出力音量を観測していた。ところが、突如として目の前に現れたアクアサウルスは、魔力を抑えて潜伏した状態で接近しており、今ようやくその存在が探知された。
すなわち、初期の30体の中にもCランク相当の別個体が含まれているということ。そして、その個体がルナ側で確認されてない以上、列車に向けて進行を続ける10体に含まれる。一体あたりの推定死傷者数が2000人規模とされるCランク帯の魔獣が1体、その他詳細不明の魔獣が9体。
計11体の進攻を、残り4分も凌ぐのは奇跡でも起きない限り難しい。
それがシアの正直な見立てだった。
そしてシアはこの事をフィオネのみに伝えることにした。
情報共有が大切なのは重々承知だが、ルナが知れば『自分がどうにかしないと』と考えてしまう。
それが逼迫した戦闘の中で命取りになるかもしれないと判断して。
「……かなり厳しいわね。潜伏していた魔獣の詳細は分かるかしら?」
「脅威度C1の青緑鱗の恐竜獣です。データ、出します!」
【生体情報】
名称:青緑鱗の恐竜獣
分類:海妖系大型魔獣
脅威度:C1(第三級討伐対象)
体長:15~18m
体重:7~8トン
魔力量:50万EP
スキル:『水弾砲撃』『魔力感知』『超嗅覚』『威嚇』『血肉吸収』
【能力値指標】
攻撃力:6/10
防御力:4/10
機動力:3/10
知能:3/10
魔力量:5/10
【特徴】
大きな頭部に太く鋭利な歯が並んだ頑丈な顎、長く力強い後ろ足と小さな前足が特徴。二足歩行の竜種で非常に攻撃性が高く、凶暴な性格も大きな特徴として挙げられる。体表は滑らかな青緑色の鱗で覆われており、大気中の魔素を吸収し再生可能。特に体内で水を生成し、圧縮水弾を撃ち出すスキルを保有しており、その威力は魔導戦艦をも撃沈する。
【調査報告】
魔導省および自由組合の魔獣災害調査によると、対象魔獣による被害は迷宮内で多発しており、ダンジョン探索用車両や探索中の冒険者が犠牲となっている事例が多い。ただし、地上に出現した際の被害も甚大であるため早期討伐が求められる。
【特記事項】
対象魔獣については、脅威度C1に分類されるため推定死傷者数は2000人規模。全身の青緑鱗は砲撃・斬撃を通しにくいが、腹部鱗は薄いため、戦闘時は腹部への攻撃が有効。
シアはデータを共有しつつ、先ほどの衝撃から放心状態だった運転士の男性に指示を下す。
「すみません、さっきみたいな衝撃がこれから続くと思います。乗客の皆さんに衝撃に備えるよう伝えてもらえますか?」
「了解しました!」
運転士の男性は慌ただしく車内アナウンスの準備に取り掛かる。
シアは自分のミスを悔やみつつ、最後の防壁が破られないことを祈る。
そして誰も犠牲とならず、一刻も早く増援が到着することを願うのだった。
♪―♪―♪
「魔導列車ギンガにご乗車されている全ての方へご案内いたします」
緊張と恐怖が渦巻き、静寂に包まれた一般車両内。
アクアサウルスによる強い衝撃や獣声が響き、乗客の絶望に拍車をかけていた。
本来であれば、パニックになって暴動が起きてもおかしくない状況。
だが、逃げる場所はなく、騒げば魔獣を刺激することは皆の共通認識であった。
だからこそ、皆一様に息を殺し、自分の存在を隠すように体を硬直させていた。
その異様な静けさを破るように、車内アナウンスが始まった。
「只今、この車両は緊急防衛体制へ移行いたしました。周囲に魔力障壁を展開し、外部からの攻撃・侵入を防ぎます。その際、強い衝撃が発生する可能性がございますので、必ず着席のうえで衝撃に備えてください。まもなく虫喰穴の防衛隊の救援が到着いたします。それまで落ち着いて、乗務員の指示に従って行動していただきますようお願いいたします」
ざわめきがいくつか上がり、すぐに収束し、再び耐え忍ぶ静寂へ。
その静けさの中で、乗客の感情は二つに分かれていた。
ひとつは、魔力障壁の展開が必要なほど切迫している現実に絶望を深める者。
もうひとつは、救援が近いという情報に希望を見いだす者。
そんな両者を嘲笑うかのように、獣の雄叫びが外から木霊する。
そして、次の瞬間――
ドンッ――再び強烈な衝撃が車体を揺さぶる。
乗客たちは漏れ出そうな悲鳴を押し殺し、身を縮めて一刻も早い救助を願う。
しかし無慈悲にも、アクアサウルスの攻撃は止まらない。
停車した魔導列車とは対照的に、恐怖と絶望だけが加速していく。
♪―♪―♪
魔導列車の警備依頼を引き受けている『白亜の翼』の冒険者パーティ三名は、車両中央の屋根部分に登って事態を見守っていた。
「マズいわね」
「クソがっ。あんなの、俺たちでどうこうできるわけねぇだろ」
「僕たちだけでも早く逃げようよ」
ミランダが爪を噛みながら苦々しく呟き、ローガンは吐き捨てるように、サムは心折れたように現状を嘆く。
三人が魔力を重ね合わせ、ようやく構築した防御魔術『砦雲』。
それがたった一撃で粉砕された事実に愕然とし、アクアサウルスの強烈な第二波を目の当たりにして、完全に戦意を喪失していた。
今は魔力障壁が突破されないことを願いつつ、もしもの場合に備えて撤退を視野に静観。
本来なら、今すぐ逃げてしまいたいというのが三人の総意。
しかし、逃げれば警備依頼は失敗扱いとなる。
被害規模によっては重いペナルティが課せられる可能性も高い。
既に何件も依頼を失敗し、依頼達成率は下降の一途。
加えてペナルティ歴も多い三人は、後ろ髪を引かれるようにしてこの場に残っていた。
「ミランダ、まさか戦うとか言わねぇよな?」
「当たり前でしょ。あんなの私たちだけでどうこうできるわけないわよ」
「そうだよ。僕たちのランクじゃ無理だって。逃げたって責められないさ」
『白亜の翼』のパーティランクはD1。
目の前に迫るアクアサウルスの脅威度はC1。
同じランク帯ですらないため、勝ち目は非常に薄い。
加えて、魔導列車に迫る魔獣は他にもいる。
戦うなど無謀。逃げる一択。
自分たちの命に比べれば、乗客の命も、依頼失敗の烙印も、自由組合からのペナルティ処分など軽い。
その一方で、『増援が来るまで魔力障壁の内側にいれば、評価も罰則も受けずに済む』という算段が、特に自己顕示欲の強いミランダの判断を鈍らせていた。
「ッチ、来るわよ!」
突如、魔力の流れが一点に集中し、膨れ上がるような感覚を覚えたミランダ。
その位置は、約15メートル先で頑丈な頭部を魔力障壁へ叩きつけていたアクアサウルス。
強靭な顎が大きく開き、口内に圧縮された魔力と水の塊が生まれる。
そして次の瞬間、高密度の魔力を内包する水弾砲撃が勢いよく撃ち放たれた。
ドンッ――三度目の強烈な衝撃が魔導列車を襲う。
「ぐっ……」
「クソッたれが!」
「おわっ!?」
三人は咄嗟に身を伏せ、屋根に張り付くようにして衝撃から身を護る。
どうにか第三波も防ぎ、ひとまず安堵の息を吐いたのも束の間。
ビキビキッ――分厚いガラスに亀裂が入るような音が周囲に響き渡る。
「そんな……魔力障壁が!」
小柄なサムが少し上を見上げ、恐怖の色を帯びた表情で悲痛な声を上げる。
その茶の瞳に映るのは、ひび割れていく最後の防壁。
列車の周囲を半球状に覆う障壁全体に、その亀裂が走っていく。
「大丈夫よ。今、水弾砲撃を撃ったんだから、次までインターバルがあるわ。その間に――」
これまでの第一波から第三波まで約40秒の間隔があった。
だから、これからの40秒で魔力障壁を再構築すればあと数発は耐えられる。
ミランダは、そんな希望的観測を口にしようとした。
だが、それを嘲笑うように、再び膨大な魔力が周囲に揺らめく。
「嘘でしょ……」
ミランダの予測は、決して間違ってはいなかった。
アクアサウルスは、大技のブレスを連発できない。
大量の魔力を消費するがゆえに次弾生成の間が生まれる。
だから、その間に魔力障壁を再構築できれば救援が来るまでどうにか持ち堪えられる。
少し楽観的ではあるものの、考え方自体は決して間違ってはいなかった。
攻撃を仕掛ける魔獣が、目の前のアクアサウルス一体だけなのであれば…
ドンッ――第三波から10秒も経たず、第四波が到来する。
それに伴い、ひび割れていた魔力障壁は完全に崩壊した。
「っ!? そんな、なんで……」
「おい! 呆けてる場合じゃねぇだろ! どうすんだよ!」
周囲を覆う防壁が砕け散り、その残滓が無惨に散る美しく非情な光景。
その中で、予想よりも早い攻撃と防壁の崩壊に言葉を失うミランダ。
ローガンは険しい顔つきで問い掛け、指示を乞う。
二人の隣では、サムが空から迫る異様な気配と魔力に足を竦ませる。
三者三様に動揺し、逃げ出すタイミングを完全に見失っていた。
そして満を持し、猛々しい咆哮と共に森の奥から獰猛な獣たちが姿を現す。
グォオオオオオオオオオオオオ――
木々をバキバキと薙ぎ倒し、地響きを立てて迫る複数の足音。
上空から静かに襲来し、周辺一帯を塗りつぶすほどの巨大な黒い影。
なぜ、こんなにも早く魔力障壁が崩れたのか。
その答えは、11体の魔獣が勢揃いした絶望の光景にて示された。
・脅威度F1ランク:宝石鱗の魔獣魚:6体。
・脅威度E3ランク:魚人型の魔獣戦士兵:3体。
・脅威度C1ランク:青緑鱗の恐竜獣:1体。
・脅威度C3ランク:二層鎧の岩盤鯨:1体。
森の奥より列車へ迫っていた後続の魔獣の一団が、最悪のタイミングで到着。
二層鎧の岩盤鯨の追撃が重なり、魔力障壁は完全に崩壊させられたのだった。
次回もお楽しみに!
毎週、土曜12時頃に更新中です。




