Op.19「エンカウント」
今回はルナ視点のお話になります。
「ちゃんと笑えてたかな……」
森の中を全速力で駆け抜けるルナの口からこぼれた本音が風に流されていく。
誰にも心配をかけないよう強気に笑顔で魔導列車から飛び出した。
「手がちょっと震えてたのバレてなきゃいんだけど……」
18歳の誕生日を迎えた私は、30体に及ぶ魔獣の群れに正面から突き進む。
本当なら今頃、シアと一緒に劇場に到着して『最果ての英雄』か『愚者と約束の木』どっちかの演目を楽しんでいる予定だったんだけどな……
でも、仕方ないよね。
めっちゃ残念だけど、目の前の人たちを見捨てて自分だけ楽しめないし。
今朝みたいに寝覚めも悪くなっちゃうのも嫌だしさ。
それにこういう時のために魔導学院で勉強したり、日々鍛錬してるわけだしね。
助けられる命なら助けたい、自分にできることはちゃんとやりたい、そう自分を奮い立たせて囮役を買って出た。
「でもま、やっぱ怖いもんは怖いんだよなー」
偽りのない本音。
緊張と恐怖で指先が強張って、動きがぎこちない。
少し気温の高い中、森を走っているのに体の奥底が冷えているような嫌な感覚。
皆の前では明るく振る舞ったけど、最低限の装備で魔獣の群れに単騎で突撃するなど自殺行為。
これが通常依頼でそんな作戦を提案してくる奴がいたらブン殴ってる。
それほどまでに今やろうとしてる囮作戦は危険な行為。
でもさ、私と同じように演劇を楽しみにしてる人とか、他の乗客の和やかな顔を見て、賑やかな声を聞いて、素直に守りたいって思っちゃったから。
ここで動かなかったら明日の私が後悔しそうだなって感じちゃったから。
シアにはいっつも心配かけちゃって申し訳ないんだけどね。
「ルナ、聞こえてる?」
私がやるしかない。それに正面から魔獣の群れと戦うわけじゃない。
短時間だけ逃げ切れば勝ち。増援が来るまで引きつけるだけでいい。
怖くない。大丈夫。ビビるなんて私らしくない。私ならできるでしょ。
そう自分に言い聞かせていたら、シアからの通信に反応が遅れてしまった。
「……ばっちりっ! 問題ないよ!」
それからシアが現状報告と作戦を立案してくれた。
私は耳を傾けながらも足を止めずに木々の間を抜けて直進し、少しでも魔導列車から距離を取る。
「魔力反応が3キロ先まで迫ってるよ。かなりスピード感あるから空間遊泳スキル持ちの魔獣だと思う。この感じだと、あと3分弱で魔獣と会敵するから、距離900になったら魔獣誘引用の発煙筒を焚いてルナが西に離脱できるように案内するね」
首元のチョーカー型の通信用アーティファクトから届くシアの声。
いつもの柔らかく優しい声が硬くなっていて緊張してるのが伝わって来る。
そして、現状を加味した上で提案してくれた囮作戦。
私はその内容の一部に待ったをかけた。
「ちょい待ち。できるだけ引きつけた状態で魔獣誘引用の発煙筒使いたいから距離500で合図ちょうだい」
「それは近すぎるよ。危険すぎる」
「私なら500でも振り切れるって」
作戦内容に待ったをかけた理由は、すごくシンプル。
だって、シアは私を心配しすぎて魔獣との距離を多く取ろうとしてるから。
まぁ、今までいっぱい心配させるようなことをしてきた私が悪いんだけどね。
それでも今回は少しでも魔獣たちを列車から引き離しておきたい。
特に空間遊泳スキル持ちの魔獣は、地形や遮蔽物の影響を受けないから移動速度が速い。おまけに、このネプチューン大陸で発生確率の高い海妖系なら嗅覚特化の魔獣も珍しくない。
距離を詰められて、完全に乗客の臭いや魔力を捕捉すれば、私という囮も無視して列車に一直線だ。だからこそ、魔獣との距離をできるだけ詰めて列車からの距離は多く取っておきたい。
そう考えて魔獣誘引用の発煙筒を使うタイミングは、魔獣との距離が500メートルに詰まった時にしてってお願いだったんだけど…
どうやらシアも譲ってくれる気はないみたい。
「分かった。でも、私も譲れないから間を取って距離700。これ以上はダメだよ」
「おっけー。じゃあ、700でよろしく♪」
「うん、距離800切った時点で10秒カウント入れるから準備入ってね」
「はいはーい」
多分だけど、シアは私が『もっと距離を縮めて』って言いだす前提で最初に長めの距離を設定したんだと思う。確信はないけど、長年の付き合いだからなんとなく分かっちゃうよね。
あと、声のトーンだけでも、もう私が何言ってもこれ以上引き下がってくれないってのも分かった。だから、折衷案で納得した。いや、納得せざるを得なかったってところかな。
これで作戦の詳細も決まったから、後はその時が来るまでにもっと距離を詰めるだけ。私は、体内の魔力を全身に巡らせて身体能力を向上させる魔力操術の基本『身体強化』の状態で颯爽と森の中を走り抜けていく。
「ハァ、ハァ……」
少しでも速く、少しでも遠くにと考えて地面を強く蹴り上げる。
この一歩がたくさんの人を守るために必要かもしれないから。
そしてちょうど魔獣との会敵までの距離が1000メートルを切った頃合いで、シアが心配そうな声で語りかけてきた。
「ルナ、絶対に無茶しちゃダメだよ。命大事にだからね」
「分かってるって。シアはホント心配性だなぁ。こんなのちゃちゃっと片付けるよ。なんたって、私のお誕生日パーティーもしてもらわないとだからさ♪」
「ふふっ、そうだね。あんまり帰るのが遅くなっちゃうとロア母に叱られちゃうもんね」
「あはは、それは勘弁だなぁ。魔獣30体全部相手にする方が全然マシかも」
いつまでもこんな風にお喋りできてたら最高なんだけどね。
次元層の虫喰穴という魔導災害は、いつどこで発生するのか分からない。
どの規模で発生するのか、どんな魔獣が出て来るのかもその時にならないと分からない。
一つ言えるのは、せっかくの誕生日にこんな災害に直面してる私の運がとびっきり悪いってことだけ。私は魔獣に囲まれるんじゃなくて、大好きな人たちに囲まれたお誕生日パーティーがしたいんだよ。
愚痴とかため息が口からこぼれそうになるのをグッと我慢する。
今やっちゃうとシアがまた心配しちゃいそうだから。
っと、そうこうしているうちに魔獣との会敵まで900メートルを切っていた。
そして瞬く間に800メートルに到達。
シアによる10秒のカウントダウンが始まった。
「カウント! 10、9、8……」
秒読みが始まった時点から、腰に携帯している魔獣誘引用の発煙筒を手に取り、いつでも発火できるように準備を整える。
この間も走力は緩めず、むしろ加速するように木々の隙間を駆け抜けていく。
「7、6、5、4、3、2、1……」
最後の3カウントに入ったタイミングで右手に握った少し長めの筒に魔力を注入。
すると、内部に刻まれた術式によって発火し、プシューという乾いた音を立て始めた。
そして次の瞬間には、先端からモクモクと真っ赤な煙が立ち昇る。
吐き気を催す乾いた血の臭いが、周囲に一気に拡散する。
当然、その臭いの元凶を握り締める私にも影響がないはずもなく……
「ゴホゴホっ! ちょっとコレ臭すぎでしょ! あっ、とりあえず問題なくスモーク焚いたから。あとは逃げるから案内おねがーい!」
咳き込みながらも、どうにかシアに作戦の第一段階が完了したことを報告。
でも、やっぱ臭い。とんでもなく臭い。臭すぎて咳は止まんないし、目も痛い。
それにこの悪臭、絶対にすぐ取れないやつじゃん!
夜の誕生日パーティーまでに帰ろうと思ってんのに本日の主役が、強烈に血生臭いとか最悪すぎるでしょ。
「うん、任せて!」
内心で愚痴ってたら、シアの何かを決意したような凛とした声で我に返る。
そうだよね、ここからが本番。私も気合を入れていかないといけないところ。
一度立ち止まって乱れた魔力と呼吸を整える。
そして、軽く屈伸して再び走り出す。
「さてさて、こっからは追いかけっこ勝負といきますか」
ここまでずっと直進してきたけど、この先は誘導メインで西へ進む。
西を目指すのは、現在地である星屑の森でも木々が特に密集してる場所だから。
遮蔽物が多くて時間稼ぎ&逃走に最適ってシアが判断したっぽい。
なら、私はその情報と判断を信じるだけ。
ただ、気になるのは何体の魔獣が私という囮に釣られているのかという点。
知性の高い魔獣とか、『超嗅覚』のスキル持ちの魔獣、『魔力感知』に特化した魔獣は小細工に騙されない可能性が高いから。
もし、そんな魔獣が10体以上も魔導列車に向かっちゃう展開になるとかなりマズい。列車の防衛機能と警備の『白亜の翼』だと三分も持たない気がするんだよね。
だから、せめて25体くらいは私の方に食いついてほしいんだけど……
「シア、何体釣れてる?」
「20体だね。残り10体はこっちに向かってきてるけど、ルナは自分の方に集中してね」
「20体かぁ、こーんな魅力的な私が囮なんだから全員食いつけっての!」
「ルナ、喋ってもいいけど足もちゃんと動かしてよ」
どうやら魔獣誘引用の発煙筒の血の臭いに釣られ、私を追う魔獣の数は20体。
残り10体は、残念なことに魔導列車の方へ向かってるみたい。
嫌な感じだ。ちょうどギリギリ持つか持たないかのボーダーライン。
これで30体全て誘導できてたら良かったのに、本当に今日は運がないのかも。
それに、走りっぱなしで息切れもひどくなってきた。
「ハァハァ……ハァハァ……」
身体強化の状態でもう2キロくらい全力で走ってるから結構キツイ。
魔力消費に加えて体力消費のダブルパンチはさすがに消耗が激しいんだよね。
「ルナ、後方300メートルまで詰められてる。体力きつかったら隠れるか、息整えて迎撃準備に移った方がいいかもしれない」
「もうちょい……ハァハァ……引き離してから迎え撃つから大丈夫」
身を隠して体力&魔力回復ってのもアリなんだけど、それで魔獣が列車の方に引き返しちゃうと囮役の意味がなくなっちゃうからね。
このまま行けるとこまで引きつけて、その後は引き気味に戦って時間稼ぎ。
できることなら、魔獣を討伐して列車の方もカバーできれば最高なんだけど。
こればっかりは魔獣と会敵して系統とか脅威度を見てみないと分かんない。
でも、さすがに20体を討伐するとなると今の最低限の装備じゃ厳しいかな。
「距離100メートル切ったよ。そろそろ魔力砲撃とかも飛んできてもおかしくない距離だから魔力感知でしっかり警戒してね」
「了解っと」
私はシアからの指示通り、魔力感知を展開する。
魔力感知は、自分の体から魔力を周囲に放ってその範囲内の魔力を感じ取る。
この魔力感知は、戦闘はもちろん迷宮探索においても必須の技術。
なんたってこれがないと近づいてくる敵を捕捉できないし、攻撃を察知するのも難しい。
ちなみに、シアが魔獣や私の居場所を捕捉できているのは、この魔力感知を機械的に行うアーティファクト『魔力探知機』によるもの。
二つの違いを簡単に説明するなら、魔力感知は生身で感じ取ってて、魔力探知機は機械的に魔力の反応を観測してるってところかな。
ただ、魔力探知機は便利なんだけど、今回みたいにたくさん魔獣がいたら個々の脅威度は測れないし、大まかな魔力反応の位置しか捕捉できない。
でも、魔力感知なら相手の魔力を直に感じ取るからより詳細な情報が分かる。
例えば、相手の魔力の大きさ、魔力の質、攻撃前兆の魔力の揺らぎとか、どれくらい強いのかも何となく分かる。
「ちょっ!? これは……」
そして、今まさに私の魔力感知の範囲内で大きく魔力が揺らぐ感覚があった。
同時に背筋がゾッとするような嫌な気配を感じ取り、すぐさま防御態勢を取る。
次の瞬間、右後方から魔力を圧縮した砲撃の雨が降り注いだ。
「っととと、あっぶないなぁ! いきなり随分なご挨拶すぎるでしょ」
私は、魔力感知や身体強化と同様に魔力操術の一つである『魔力障壁』を展開して砲撃を凌いだ。この魔力障壁は、体外へ放出した魔力を圧縮して簡易的な防壁を作るシンプルな防御の技。
「ようやく私に釣られたおバカさんたちの登場ってとこかな」
今の一連の攻撃で周囲の木々が吹き飛んで土煙が大きく舞い上がる。
私は、森の中にポッカリと穴が空いたような場所から上を見据える。
そして土埃が風に流され、ゆっくりと視界が晴れていく。
もう空と地上を隔てる緑葉の傘はない。
すなわち私と魔獣の間を隔てるものも何もない。
ようやくのご対面の時が訪れる。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ
強烈な咆哮と共に姿を現した20体の魔獣は大きく三種類。
➀脅威度F1ランク『宝石鱗の魔獣魚』:10体。
②脅威度E3ランク『魚人型の魔獣戦士兵』:6体。
③脅威度D2ランク『魔海の巨大鮫』:4体。
「マジか……」
この魔獣たちの顔ぶれを見て私の中で全て討伐するという幻想は砕け散った。
すぐさまシアへ情報を共有し、時間稼ぎと撤退戦へと移行する。
元々、追いつかれることは想定済み。
最初から足だけで逃げ切れるとは思ってない。
私は右手に持っていた臭い筒を投げ捨て、腰元のブレードの柄に手を掛ける。
その底部に触れて起動、一瞬にして紅色に輝く刀身が形成され構えを取る。
「こっからは追いかけっこじゃなくて、剣で相手してあげるよ」
魔獣たちは再び威嚇するように獰猛な咆哮を轟かせ上空から襲来する。
我先にと私を目指し、速度を上げて降下する。
これでこそ囮冥利に尽きるってもんだね、全く嬉しくないけど。
こうして20対1という多勢に無勢の戦いが幕を開けた。
次回もお楽しみに!
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