Op.18「開戦の狼煙」
「魔導列車ギンガにご乗車されている全ての方へご案内いたします」
体感時間が引き伸ばされたように、一分一秒が異様に長く感じられる車両内。
緊急停車から続報を待ち続けていた乗客たちは一斉に顔を上げ、固唾を呑みながら耳を澄ませた。
「只今、次元層の虫喰穴の発生に伴い緊急停車しております。また、車両都合によりこれより防衛体制に移行し、現在地にて虫喰穴の防衛隊の到着を待つことを決定いたしました。既に乗車中の冒険者協力のもと対応にあたっておりますのでご安心ください。皆様には多大なるご心配とご迷惑をおかけいたしますが、落ち着いて乗務員の指示に従って行動していただきますようお願いいたします」
信じたくもない衝撃のアナウンスに、乗客の間からどよめきと悲鳴が混じった声が上がる。
「ホールドガードはいつ到着するんだ!?」
「対応してるのはどこのギルドの冒険者なんだ!」
「もう誰でもいいからどうにかしてよ」
「アンタ、どうなってるのか聞いて来なさいよ」
「クソっ!ふざけんな!こっちは急いでんだ!」
「最悪だ……死にたくねぇよ……」
幾人かが取り乱す中、大半の乗客は言葉もなく静かに震えていた。
ワームホールと魔獣の被害は、日常のニュースで嫌でも耳にする。
多くの人にとって、それは『どこかの誰かの不幸』であり、無意識に自分とは無縁だと思い込んできた災い。
しかし今、その厄災が自分の身に降りかかっている。
明日のニュースで尊い犠牲者として名が載るかもしれない。
それ以前に獰猛な魔獣に無惨に喰い殺されるかもしれない。
救助が間に合わないかもしれない。
そんな恐怖と不安を胸に抱え、体の震えを抑えながら無事を祈ることしかできなかった。
やがて声を荒らげていた者たちも黙り込み、一般車両は異様な緊張感に包まれた静寂へと沈んだ。
♪―♪―♪
静まり返る一般車両とは対照的に、運転室では慌ただしい声が飛び交っていた。
「魔力障壁の展開準備が完了しました!」
「よしっ、すぐに全面展開だ! 引き続き虫喰穴の防衛隊との通信確認も頼む!」
「了解!」
運転士の男性が部下に指示を飛ばし、魔導列車の防衛機能である魔力障壁が展開される。
これにより列車を中心に半径15メートルを半円状に覆う防壁が構築された。
次に動いたのは、車両警備を担う冒険者パーティ『白亜の翼』の三人だった。
彼らも先ほどのアナウンスの後、ようやく冷静さを取り戻し、今後の行動を話し合っていた。
「どうすんだよ、ミランダ」
「僕たちも戦うのか?」
「アイツに言われて動くのはムカつくけど……やんなきゃヤバいでしょ」
ローガンとサムの問いかけに、ミランダは爪を噛みながら苛立ち気味に返す。
嫌悪する相手の指示に従うなど本来ならあり得ない。
だが、自分たちだけ逃げ出せば冒険者としてのキャリアに傷がつく。
既にいくつかの依頼失敗で達成率は下がり、ランク降格もあり得る現状。
今回の件で犠牲者を出せば、所属する明星ギルドすらもクビとなり、魔導学院での立場も危ういものとなってしまう。
プライドと地位を重んじるミランダにとって、それだけは許容できない。
幸いなことに囮役は忌々しい相手が担っている。
ならば自分たちは防御を固め、ホールドガードの到着を待てばよい。
奇しくもルナの指示通りになってしまうことに、ミランダは若干の苛立ちを覚えながらも動き出す。
「行くわよ。砦を造って時間を稼ぐわ」
そう言い残し、ミランダは武器を手に外へ向かう。
ローガンは魔力刃の大斧を、サムは小人種が好む小型ブレードを二本、ミランダは魔弾の中型銃を抱えた。
三人は外へ降り立ち、森の乾いた風を浴びながら魔術の展開に入る。
「防御魔術の三十二番を展開するわよ。私に合わせなさい」
三人は互いに声が届く距離を保ち、車両を囲うように配置につく。
この魔術は多くの魔力を要し、ミランダ一人では到底発動できない。
ゆえに三人が同じ詠唱を紡ぎ、魔力を重ね合わせる必要があった。
また、魔術発動の基本条件として『祈りの掌印』を結ぶ必要があるため、三人は胸の前で両手を祈るように組み合わせる。
こうして準備が整ったところで、タイミングを合わせ詠唱を開始した。
「「「散り撒く氷晶、水陣の旗手、残火・残光・残水、築かれる白濁の伏篭、此処は汝を取巻き汝を囲う天上の守護地なり」」」
魔術における詠唱の長さは、発動する魔術の『位階』すなわち威力や効果、消費魔力の大きさに比例する。
今回、三人が行使するのは全十三段階中の第三位階にあたる魔術であり、詠唱に要する時間は比較的短い。
魔術は『世界譜』と呼ばれる理の譜面に干渉することで発動する。
その方法は、基本的に『詠唱』と『祈りの掌印』の二つ。
位階に応じて消費魔力が変動し、事象を引き起こす仕組みだ。
また、世界譜に収録される魔術は『攻撃譜術』『防御譜術』『回復譜術』『拘束譜術』『支援譜術』の五つの系統に分類されており、三人が選んだのは防御譜術であった。
「「「世界譜収録魔術集-防御譜術-第三十二番『砦雲』」」」
詠唱を締めくくり、最後に『系統』『収録番号』『魔術題名』を唱えた瞬間――
三人の頭上に白雲が生まれ、瞬く間に膨れ上がる。
やがて分厚く弾力を帯びた雲が魔力障壁を覆い尽くし、列車を二重の防壁で守る小さな砦が完成した。
内側の魔力障壁が硬度によって外敵を防ぎ、外側の『砦雲』が衝撃を緩和・吸収する。
二重の防壁を併用することで、迫り来る魔獣の群れを足止めし、救助が到着するまでの時間を稼ぐ。
これこそが、ミランダが導き出したこの場における最適解。
囮になって魔獣を引き付けるなんて無謀な手段は取らない。
彼女はそう考え、さらにその先の最悪も想定する。
「私たちは責任を果たしたわ。もしこの防壁が突破された時は……分かってるわね?」
「あぁ、もちろんだ」
「うん、分かってるよ」
ローガンとサムも神妙な面持ちで深く頷き、ミランダの真意を理解する。
言わずとも考えることは同じ。
もしくは、口に出すことを無意識に避けたのかもしれない。
こうして三人の意見が静かに一致し、あとは救援を待つばかりだった。
♪―♪―♪
『白亜の翼』の三人が去った運転室では、白狼種の少女シアが奮闘していた。
碧眼の瞳で魔力探知機とサポート用端末の画面を見比べ、情報を精査していく。
探知範囲内の魔力反応とその動き方、魔力の放出力音量の変化、一つでも正確な情報を拾い、小さな動きも見逃さぬよう目を凝らす。
また、現在地である『星屑の森』周辺の地図を展開し、誘導経路を設定。
周囲の地形や近隣の集落がないかも迅速に確認を終える。
すべては、家族同然のルナに正確な情報を届けるため――。
自ら囮役を引き受けた親友を支えるために――。
シアは魔導学院で学んだ知識を反復し、全力でサポートに徹していた。
「ルナ、問題なく聞こえてる?」
森を駆け抜ける彼女に、通信状況を確かめる。
「……ばっちりっ! 問題ないよ!」
一瞬の不自然な間に胸がざわついたが、明るい声を聞いて息を吐く。
シアは気持ちを引き締め直し、現在の情報とこれからの動きを共有した。
「魔力反応が3キロ先まで迫ってるよ。かなりスピード感あるから空間遊泳スキル持ちの魔獣だと思う。この感じだと、あと3分弱で魔獣と会敵するから、距離900になったら魔獣誘引用の発煙筒を焚いてルナが西に離脱できるように案内するね」
このシアの提案に対し、ルナから『待った』の声がかかる。
「ちょい待ち。できるだけ引きつけた状態で魔獣誘引用の発煙筒使いたいから距離500で合図ちょうだい」
「それは近すぎるよ。危険すぎる」
「私なら500でも振り切れるって」
二人の対立点は、どの地点で魔獣誘引用の発煙筒を使い、誘導を始めるか。
シアは、乗客の安全とルナの離脱可能性を優先して距離900を主張。
一方ルナは、魔獣を少しでも列車から引き離すため距離500を望んだ。
お互いのことや乗客の安全を考えてこその意見の対立。
しかし、長く議論している余裕はないのでシアは即座に判断を下した。
「分かった。でも、私も譲れないから間を取って距離700。これ以上はダメだよ」
「おっけー。じゃあ、700でよろしく♪」
「うん、距離800切った時点で10秒カウント入れるから準備入ってね」
「はいはーい」
折衷案で決着。
残り少ない時間で誘導経路の確認を済ませる一方、魔力探知機上では、両者の距離が1000メートルを切り、作戦開始まで数十秒に迫る。
「ルナ、絶対に無茶しちゃダメだよ。命大事にだからね」
「分かってるって。シアはホント心配性だなぁ。こんなのちゃちゃっと片付けるよ。なんたって、私のお誕生日パーティーもやってもらわないとだからさ♪」
「ふふっ、そうだね。あんまり帰るのが遅くなっちゃうとロア母に叱られちゃうもんね」
「あはは、それは勘弁だなぁ。魔獣30体全部相手にする方が全然マシかも」
こんな状況だからこそ、日常の会話はより尊く感じられた。
本来なら今日は演劇を楽しみ、夜は二人の家でもある幻想喫茶キラキラでルナの誕生日パーティーを開くはずだった。
最高に楽しい一日にしたかった。最高に幸せな一日になってほしかった。
しかし、ワームホールの発生という突発的な魔導災害に見舞われ、ルナは背負う必要のない危険な役目を担っている。
(私にも力があれば……ルナだけに負担を押し付けずに済むのに……)
自分には戦う力がない。安全圏から支えることしかできない。
ルナと戦場で共に戦えていたら……そう葛藤した回数は数えきれない。
ないものねだりだとわかっていても、歯痒さが溢れ出す。
それでも、今はそのもどかしさを心の奥に封じ込めた。
(ダメダメ……今はルナのサポートに集中しないと)
シアは深く息を吸って吐き、気持ちを切り替える。
視線を魔力探知機の円盤型モニターへ固定する。
そこに映るのは、活発に動く二つの大きな魔力反応。
一つは、この魔導列車へ一直線に向かってくる30体におよぶ魔獣の群れ。
もう一つは、その向かってくる魔獣の正面から突き進み、距離を詰めていくルナ。
秒単位で両者の距離が縮む。
シアは固唾を飲み、その時を待つ。
既に両者の距離は900メートルを切り、作戦開始まであとわずか。
瞬きをするのも忘れるほどに目を凝らす。
そして遂にルナと魔獣の距離が800メートルに到達。
シアは少し声を張って、10秒のカウントダウンを始めた。
「カウント! 10、9、8……」
緊張で鼓動が速まっても秒数が狂わぬよう、事前に用意したタイマーに合わせて読み上げる。
「7、6、5、4、3、2、1……」
カウントが終わると同時に、ルナは魔獣との距離700メートルの位置へ到達。
刹那、プシューという大きな噴射音が通信機越しにシアの耳元まで届いた。
続けて、咳と不満が入り混じった騒がしいルナの声が響く。
「ゴホゴホっ! ちょっとコレ臭すぎでしょ! あっ、とりあえず問題なくスモーク焚いたから。あとは逃げるから案内おねがーい!」
囮作戦の第一段階は成功。
しかし、シアの顔に安堵の色は微塵もない。
むしろここからが本番。
自分がルナの目となり頭脳としてサポートする必要がある。
うまく魔獣を誘導して乗客の安全を確保し、頃合いでルナも離脱させる。
サポーターとしての役目を果たす――シアは静かに誓った。
「うん、任せて!」
視線の先、ルナが噴射したデコイスモークによって赤い煙が立ち昇る。
運転室からも目視できるほど、大きく天へと伸びる真紅の柱。
それはまさに、戦いの始まりを示す開戦の狼煙であった。
次回もお楽しみに!
毎週、土曜12時頃に更新中です。




