Op.17「囮」
「魔力探知機に複数の魔力反応を確認! 前方4キロ地点! その数……10、20、30!? こちらに向かってきます!」
緊張と驚愕、畏怖と絶望が入り混じった声で告げられた突然の凶報。
報せを発したのは、操縦席で魔力探知機を確認していた車掌の男だった。
「なっ!?」
「……冗談でしょ」
「そんな……」
『白亜の翼』の三人が絶望の声を上げ、ルナとシアも大きく目を見開いた。
その信じ難い報せに、この場の全員の視線が自然と一点に吸い寄せられる。
運転室に据え付けられた円盤状の魔力探知機。
そこに赤い光点が次々と浮かび上がり、最初は数個だった魔力反応が、瞬く間に数十へと膨れ上がっていった。
「これは……」
七人の視線を集める魔力探知機とは、この魔導列車に搭載されているアーティファクトの一つ。機能としてはシンプルで、探知範囲内に存在する魔力の反応と、その規模を示す魔力の放出力音量を観測する。
この列車に配備されている魔力探知機は大型で、半径4キロの探知範囲を持つ。
そして今、その探知範囲内に赤い光点がポツポツと増殖し、気がつけばモニターを埋め尽くす勢いでその数は三十へと膨れ上がった。
しかも、それらの不気味な赤い光点は、獲物を狙うように一直線に魔導列車へ迫っていた。
「魔力の放出力音量は!?」
「下は1200dbから上は6500dbを観測しています! 推定脅威度F1~C3です!」
続きざまに、車掌の男から告げられた数値は、この場にいる全員の背筋を冷たくさせるのに十分だった。
――魔力の放出力音量。
それは、体内に魔力を持つ生物が放つ、耳では聞こえない特殊な音を指す。
厳密には、魔力を生成・貯蔵する器官『核石』に圧力がかかった際に生じる音であり、その強さが観測値となる。
この数値が大きいほど魔力量が多く、そのままエネルギー量(EP)の指標となる。
魔獣の脅威度についても、この値を大きく考慮して推定される。
魔力の放出力音量『1db~500db』:脅威度G1~G3ランク。
魔力の放出力音量『1000db~2000db』:脅威度F1~F3ランク。
魔力の放出力音量『2500db~3500db』:脅威度E1~E3ランク。
魔力の放出力音量『4000db~5000db』:脅威度D1~D3ランク。
魔力の放出力音量『5500db~6500db』:脅威度C1~C3ランク。
魔力の放出力音量『7000db~8000db』:脅威度B1~B3ランク。
魔力の放出力音量『8500db~9500db』:脅威度A1~A3ランク。
魔力の放出力音量『10000db~11000db』:脅威度Sランク。
魔力の放出力音量『11000db~12000db』:脅威度SSランク。
魔力の放出力音量『12000db~13000db』:脅威度SSSランク。
もちろん、これはあくまで魔力量による推定値であり、実際の危険度や脅威がそれを上回る場合も少なくない。
たとえばルナは魔力量の指標だけならGランク帯に過ぎないが、剣技を駆使することでD2ランクまで上り詰めている。
これは魔獣も同様であり、所持するスキルや特性、さらには過去の被害状況によって脅威度を大きく変動させる。
また、基本的に冒険者ランクと魔獣の脅威度が同格なら討伐可能とされる。
つまり、脅威度D2の魔獣と冒険者ランクD2のルナが相対すれば、勝算はある。
一方、この列車の警備を担う『白亜の翼』は冒険者パーティのランクがD1。
すなわち、三人がかりでもD2クラスの魔獣は分が悪いということだ。
そして――現在探知された魔獣は30体。
内訳としては、最も弱い個体で脅威度F1、最も強い個体で脅威度C3。
しかし、魔力探知機は探知範囲内の最低値と最高値しか拾えないため、個々の脅威度は不明。すべての個体が脅威度C3という最悪の可能性もあれば、大半が脅威度FやEという楽観的な可能性もある。
なお、魔獣一体における脅威度ごとの推定死傷者数は以下の通りだ。
・脅威度Fランク:推定死傷者数50~100人。
・脅威度Eランク:推定死傷者数200~800人。
・脅威度Dランク:推定死傷者数1000~1800人。
・脅威度Cランク:推定死傷者数2000~4000人。
いずれにせよ、どれほど楽観的に見積もっても、この場の戦力では太刀打ちできない魔獣の群れが迫ってきていた。
「マジか……」
誰もが言葉を失う中、ルナが頬を引き攣らせながら漏らした声は虚空に溶けた。
その後に訪れたのは、とてつもなく長く感じられる一瞬の静寂。
運転室の時間だけが凍り付いたように、全員が唖然として動きを止めていた。
だが――絶望の味をしっかりと噛み締めた直後、場の均衡は崩れ去る。
最初に声を荒げて取り乱したのは、『白亜の翼』の三人だった。
「クソ、クソ、クソッ! なんで俺の時に限ってこんな目に……!」
「ちょっとうっさいわよ! あぁもう最悪! なんでよりによって今日なのよ!」
「こんなの僕たちじゃ……そ、そうだ! 今からでも逃げよう!」
ローガンは感情に任せて壁を殴りつけ、その音にミランダが苛立ちを募らせる。
一方のサムは頭を抱え、縮こまったまま逃げ口上を繰り返す。
三者三様に錯乱し、場をさらに混乱させていった。
「落ち着いてください! まだこの魔導列車の防衛機能があります!」
必死に宥める運転士の声も、錯乱した三人には届かない。
逆に苛立ちを募らせるだけで、場は収拾がつかなくなりつつあった。
運転士は思わずシアとルナに視線で助けを求めたが、二人は互いに顔を見合わせ、真剣な眼差しを交わしていた。
やがて、何かを覚悟したようにルナが口を開いた。
「よしっ、やるしかないね。魔獣誘引用の発煙筒ってどこにありますか?」
場違いなほど陽気な声色に、乗務員二人は一瞬言葉を失った。
気が動転していたせいもあり、彼女の意図をすぐに理解できなかったのだ。
「えっ……?」
「私が魔獣誘引用の発煙筒を使って魔獣を別の場所に誘導します。それで時間を稼ぎましょう」
その言葉でようやく彼らはルナの真意を察した。
運転士と車掌は顔を見合わせ、眉間に深い皺を刻んで葛藤を滲ませる。
二人は、目の前の少女に重責を背負わせることへのためらいを隠せなかった。
しかし、焦げ付くような緊張の中で代案もなく、彼女に託す以外の選択肢はなかった。
魔獣誘引用の発煙筒とは、約20センチの筒状の容器に、人の血を粉末状にしたものを大量に詰め込んだアイテム。魔力を注ぎ込むことで発火し、深紅の煙とともに強烈な血の臭いを撒き散らして魔獣を誘き寄せる。本来の用途は、市街地に魔獣が出現した際、無人の列車や飛行船に搭載して人々から遠ざけるために使用されるものだ。そのため、魔導列車や魔導戦艦といった公共交通機関には常備が義務付けられている。
そして今――ルナは魔獣誘引用の発煙筒を使用し、自ら囮となって魔獣を引きつけ、虫喰穴の防衛隊が到着するまでの時間を稼ぐ決断を下したのだった。
「備品室にあるのですぐに取ってきます!」
少女の決断を前に、車掌の男は勢いよく立ち上がり、備品室へ駆け出した。
運転士も魔導列車の防衛機能である魔力障壁の展開準備に取りかかる。
「ダメだよ……危険すぎる」
そんな中、シアは顔を伏せつつ、弱々しい声でルナの腕をギュッと掴んだ。
止められない、止めてはいけないと分かっていながらも、それでも言わずにはいられなかった。
「それはここにいても同じだよ。むしろ、この場所まで来られたら私じゃ守り切れない」
「でも、ルナが全部背負う必要なんて……」
「シア。ここまで来る時にさ、この列車に乗ってる人たちの服装とか持ち物見た?」
「えっ?」
シアは混乱しつつも、乗車時から運転室へ来るまでの光景を思い返す。
ルナはその横顔を見つめ、想いを重ねるように言葉を紡いだ。
「ここに来る時にさ、たくさんの人たちがこの列車に乗ってたでしょ? 旅行を楽しんでる人もいれば、デートしてる恋人たちがいて、友達同士で遊びに出掛けてる人たちもいた。これから家族の待つ家に帰る人もいたと思う。それでさ、私たちと同じように今日の演劇を観に行くんだなーって人もいっぱいいた。いつもよりちょっとオシャレしてグッズとかパンフレット持って、ワクワクした表情でさ。この列車の中は、そんな幸せな人たちの音で溢れてた。……私はそれを守りたい。今はみんな怯えて下を向いてるかもしれないけど、またちゃんと笑えるように。……それにさ、せっかく最高の一日になるはずだったのに、こんなことで最悪の一日になっちゃうのは勿体ないでしょ?」
ルナは揺るぎない瞳でシアを見つめ、優しく微笑む。
それでもまだ言葉が足りないと感じたのか、声を弾ませ、身振りを交えて自身の想いを語る。
「あと言っとくけど、私だって自分を犠牲にするつもりなんてこれーっぽっちもないからね! やりたいこと、行きたい場所とか、食べたい物、叶えたい夢だってある。この列車と同じで立ち止まってる暇なんてないんだ。だからさ、シアもそんな心配そうな顔しないでよ」
そう言ってルナはシアの頬を両手で包み、ムニュムニュとつまんだ。
先ほどやられたお返しとばかりに、縦横斜めへと軽く引っ張りながら。
(ルナだって……怖いはずなのに……私は……)
頬に触れるルナの指先から伝わる体温は、ほんのり冷たかった。
それは、彼女が恐怖を押し殺している証のようで、シアの胸を締めつける。
けれど、同時にその笑顔は暗闇を照らす月明りのように静かで温かく、確かに勇気と希望を与えてくれた。
自分よりもずっと怖いはずなのに、気丈に振る舞う親友の姿。
それを前に、シアも覚悟を決めるように力強く頷いた。
「うん……」
「それにシアにだって重要な役割があるんだからね」
「分かってるよ。ちゃんとサポートするから」
こうして二人の間で決着がついたところで、ルナの視線は壁際で項垂れる『白亜の翼』の三名へと向けられる。
「アンタら三人は、この列車の周りに結界張って。その後は、私の方に誘き寄せられなかった魔獣の足止めよろしく」
「は? なんで私がアンタの言うことなんか聞かなきゃいけないのよ!」
「私のことを嫌うのは勝手にすればいい。でも、引き受けた仕事はきっちり果たしなよ」
三人のうち、まだ冷静さを残していたミランダが反抗的な態度を示す。
しかし、ルナはそれを一蹴。
続いてローガンやサムも食ってかかろうとするが、その声は、息を切らしながら駆け戻ってきた車掌の声にかき消された。
「お待たせしました! 魔獣誘引用の発煙筒と……お役に立つか分かりませんが、備品室にあった通信用アーティファクトです! これなら、この森の中でも5キロ程度なら通信できるはずです!」
車掌の手には、発煙筒と共にチョーカー型の通信用アーティファクトが握られていた。
短く細い黒紐の中央に赤い宝石が飾られ、一見すればただのネックレス。
しかし、その実態は高性能の通信機だ。
これは一般的な通信機『テレパスフォン』と違い、画像やメッセージの送受信、スキャン機能などは一切備えていない。だがその代わり、特定の念波のみを送受信する仕組みを持ち、中継を必要とせず、周囲の念波障害にも強いという利点があった。
まさに、これからルナをサポートしなければいけないシアにとって、この通信機は願ってもない代物だった。
「ありがとうございます! 私もサポート用の通信機を探さないとと思ってたので助かりました」
シアは車掌の男性から通信機を受け取ると、自分のサポート用端末と念波の波長をリンクさせ、即座に通信体制を整えた。
一方でルナも、ネックレスのように首元へ装着。
装飾の赤い宝石がわずかに煌めき、彼女の覚悟を静かに示す。
そして、二人は互いに軽く握り締めた拳をコツンと合わせて準備完了。
「んじゃ、サポートよろしく!」
「うん! ルナも絶対無茶しちゃダメだよ!」
全ての準備が整ったことを確認し、運転士の男性が座席横の開閉ボタンを押下する。
「扉、開きます!」
運転席左手の分厚い装甲ドアがスライドし、風が勢いよく吹き込む。
初夏の日差しを浴びたルナの金髪が大きく揺らめき、眩い輝きを放つ。
目の前に広がるのは、木々が立ち並ぶ穏やかな緑の景色。
その中で、茜色の瞳だけがまだ見えぬ厄災をまっすぐに見据える。
少女は覚悟を胸に、深く息を吸い込み、大きく吐き出してざわめく心を鎮めた。
そして最後に振り返り、心配そうに見守る運転士と車掌へ言葉を投げかける。
「そんな心配そうな顔しないで大丈夫ですよ。私、こう見えて結構強いんで♪」
強気な笑みを残し、ルナは地を蹴って駆け出す。
その背中を敬意と祈りを込めて、二人の乗務員は右手を額へ掲げ、敬礼で送り出した。
「ご武運を――」
次回もお楽しみに!
毎週、土曜12時頃に更新中です。




