Op.11「道」
一章前編の最終話になります。
上空から迫り来る4体の巨大鮫に対し、魔法で抗う覚悟を決める。
そして思い返す。
悪夢の魔法を創作し、行使できた過程と行使できなかった過程を。
冷たい記憶を辿り、より鮮明に、より詳細に見つめ直す。
(考えろ。あの時、俺は何を思ってた? 何を感じてた? 体調はどうだった? どんな違いがあった?)
生き埋めになって死んだかと思えば、拘束されて始まった悪夢の時間。
仮面の男に何度も踏みつけられ、拷問のような苦痛を受けた怒りと憎悪。
燃え上がるような全身の痛み。
そこで頭の中に湧いた魔法のイメージと術式口上。
(クロの説明と照らし合わせれば、ここまでは術式創作の過程に分類されるはずだ)
そして今は、視界の端で地面に転がるクロが語った神秘のオルゴールの説明についても思い返す。
まず、神秘のオルゴールは二つの種類に分けられる。
➀箱の外装が白いものは、天使系に分類される神秘のオルゴール。
②箱の外装が黒いものは、悪魔系に分類される神秘のオルゴール。
そして神秘のオルゴールという小さな箱の中には、一枚の譜面。
通称『原譜』と呼ばれるその譜面は、三つの系統に分けられる。
➀解釈譜…タイトルの解釈から術式を創作し、魔法を発現させる。
②色想譜…タイトルからの連想によって術式を創作し、魔法を発現させる。
③幻命譜…タイトルに宿る命と対話・共感・共鳴により術式を創作し、魔法を発現させる。
(恐らく、俺は天使系-解釈譜-タイトル『夢』の譜面を使って術式を創作し、悪夢の魔法を発現させたはず……)
すると、自ずと答えは見えてくる。
俺が『夢』を、よりネガティブなものとして解釈していた。
未来の目標や希望ではなく、とても嫌な夢――『悪夢』を想像したのだ。
その解釈が術式を創り、悪夢の魔法を発現させた。
この仮説が最も筋が通っているし、自分の中で腑に落ちる。
(それにしても夢の解釈が、悪夢になっちゃうあたりが何とも俺らしい)
自分の『夢』が悲観的だったことに、納得と寂しさを同時に覚える。
だが、ここまでが術式創作の過程なら、最も重要なのはこれから先だ。
創作された術式をどのようにして発動させたのか?
それが分かれば、この状況を打破できるかもしれない。
悪夢の魔法があの巨大鮫たちに通用するかは不明だが、試す価値はある。
「もうちょい手がかりがあれば、何とかできそうな気がするんだけどな……」
今も上空から様子を窺いながら、ゆっくりと距離を詰めてくるメガロドン。
その動きを視線で牽制しつつ、俺は必死に思考を巡らせる。
(最初に魔法を使った時は……体の奥底から煮えたぎる熱が全身を駆け巡り、体内から溢れ出すような感覚だった……)
例えるなら、体の奥底からマグマが噴き上がるようなイメージだ。
あの時は全身の激痛と同時に、異様なほど力が漲る感覚もあった。
(……そういや、仮面男たちが『素晴らしい魔力だ!』と騒いでいたな……)
この世界に来て、既に何度も耳にした『魔力』という単語。
謎の集団との遭遇に始まり、クロとの会話の中でも頻繁に出てきた、聞き慣れない言葉。
だが、今は直感している。
この魔力こそが、今この窮地を打破するための最後のピースであると。
(たしか……『最果ての英雄』の作中で、惑星迷宮の誕生後に体内に魔力を宿した新人類が誕生したって記述があったはず……)
(あとは……魔海の巨大鮫は、対象の生物が持つ魔力を感知してるって言ってたよな)
小さな手がかりをつなぎ合わせ、頭の中で必死に可能性を組み立てていく。
(あの時、俺の体の奥底から湧き出た熱と力の奔流が魔力だとしたら?)
(もし魔法や魔術の行使に必要なエネルギーがあるとすれば?)
(その魔力をエネルギー源として発動するのが魔法だとすれば?)
(一度目は魔力を使った状態、二度目が魔力を使っていない状態だった可能性は?)
常識に囚われないよう意識し、様々な角度から考えを巡らせる。
何度も自問自答するように、否定と肯定を繰り返す。
そして徐々に点と点が結びついていき、一つの仮説を描き出す。
『魔法を使うにはエネルギーが必要で、それが魔力。そして魔力は、俺の中にある』
例えるなら、俺は車だ。
エンジンも燃料も揃っているのに、肝心なエンジンのかけ方を知らない状態。
ならば、その方法を探るしかない。
魔法を行使したあの感覚を呼び覚ますために、俺は体の奥底に意識を集中させる。
(あの時は、特に胸のあたりが熱かったはず……)
当然ながら、魔力の使い方など知る由もない。
そもそも前提条件が間違っているかもしれない。
ここから先はほぼほぼ運ゲーのようなものだ。
それでも、自分の中にあるかもしれない金脈を掘り起こさなければ死ぬ。
(どうせなら、最後まで足掻いてやるよ)
そんな想いを胸に、実際に胸元へ手を当てる。
魔法を使ったあの時の状況を、一つひとつ辿り直す。
遠い記憶の残滓を掬い取ろう意識を集中させるが――
(違う。もっと……胸の奥から湧き上がってくる感じだった……)
右胸の奥に、確かに何か熱が燻っている感覚はある。
だが、どうしても掴みきれない。
魔海の巨大鮫は既に10メートル先まで迫り、緊張と焦り、興奮が入り混じって鼓動は異様なほどに速まっていた。
ドクン、ドクンと響く心臓の音がやかましく、俺の意識をかき乱す。
「ハァ……ふぅ……」
大きく息を吸い込み、吐き出す。
ほんの少し冷静さを取り戻し、我に返った。
いや、我に返り過ぎてしまったかもしれない。
こんな状況だというのに、元も子もないような疑問が脳裏に浮かんでしまう。
(あれ……? そもそも俺は、何でここまで必死に抗っているんだ?)
この世界に来る前、俺は自分自身の『死』と直面した。
その時、抗うこともなく、むしろ早く死なせてくれとさえ思っていた。
そんな諦めの良い俺が、何故ここまで必死に足掻いてるのだろう……
あの時のように、早々に諦めてしまえば楽になれるのに……
(サメに喰われるのが嫌だから?―合ってるけど、何か違う)
(死を恐れているから?―間違ってはいないけど、やっぱり違う)
(せっかく拾った命を無駄にしたくないから?―これもしっくりこない)
全てが的外れというわけではない。
だが、どれも自分の中でピンと来る答えではなかった。
もっとシンプルで、自分らしい理由があるはずだという感覚だけが歯がゆさを募らせる。
本来なら、こんな窮地で考えることではないのかもしれない。
それでも俺にとって『理由』は、今この瞬間にこそ必要不可欠なものに思えた。
そう思いながら、胸元に落としていた視線をゆっくりと上げたその時――
「あっ……」
迫り来るメガロドンたちの、遥か後方にそびえ立つ巨大樹が目に入った。
その瞬間、さっきまで胸を高鳴らせていた情景が脳裏を駆け巡る。
そして――『なぜ死に抗うのか』その理由を確信した。
「そうか。俺はまだ、何も見てないからか」
せっかく新しい世界に来たというのに、まだ何も見ていない。
『最果ての英雄』の物語を読んで、世界の輪郭をかすかに知っただけ。
天を貫くほどの巨大樹、それを囲む都市や空を飛ぶ車を遠目から覗いただけ。
資料として、このアルタイル共和国の情報に目を通しただけ。
神秘のオルゴールや惑星迷宮について無機質な説明を聞いただけ。
もっと近くで見たい。もっと詳しく知りたい。
もっと感じたい。もっと楽しみたい。
死にたくないからではない。生きたいんだ。
生きて、この新しい世界をもっと、もっと見てみたい。
それに……次の人生があったなら、ちゃんと夢を持って生きるって決めたんだ。
「ハハっ……こんなとこで死んでたまるかよ!」
だから、どんな手を使っても生き延びる。
邪魔をするなら排除する。
視界を遮るのなら消し飛ばす。
俺の楽しみを奪うなら消え失せろ。
入り混じる感情を抑え、一か八かで悪夢の魔法を発動しようとした時だった――
『ミタイ…… ワレモ…… ミタイ……』
突如として頭の中に響いた低い声。
同時に、何かと通じ合ったような不思議な感覚を覚えた。
その直後、頭の中に断片的な二つのイメージと術式口上が舞い降りていた。
「何だ? 今の感覚……いや、これはあの時の……」
右胸の奥が熱を帯び、それが全身に広がっていく。
これだ。これが何度も思い返し、探し求めていた感覚。
グオォォォォオオオオオ!
巨大鮫たちが、俺に対抗手段がないとようやく悟ったのだろう。
待っていたと言わんばかりに咆哮を上げ、一気に加速して襲いかかってくる。
もしこれが数秒前だったなら、悪夢が現実になっていただろう。
俺は成す術もなく喰われ、この世界のことを何も知らないまま死を迎えていたに違いない。
だが、その悲惨な未来はもう存在しない。
「残念だったな。お前らは、一手遅かったよ」
迫り来る魔海の巨大鮫へ向けて右腕を突き出した。
そして脳裏に浮かんだ二つのイメージと、術式口上のうち今この場において必要な方を口に出す。
「原譜解放……瞳の曲技-第二番-巨眼の涙撃砲」
直後、俺を起点に背後へと巨大な眼球が顕現した。
その眼前に、雨粒のような光の滴が無数に浮かび上がる。
一粒一粒に膨大なエネルギーが圧縮されているのが手に取るように分かる。
それらは収束し、混じり合い、一つの球体を形成していく。
やがて直径30センチほどの水玉となり、ゆっくりと俺の手元にこぼれ落ちる。
まるで巨大な瞳から滴り落ちた涙のように。
俺はただ手を添えるだけ。零れ落ちた涙の行き先を示すように――
ゴォォォオオオオオオオオオオオオオ!!
手元から放たれた光の水玉は、轟音と共に弾丸の如く一直線に迸った。
まず、襲い掛かってきた魔海の巨大鮫たちを跡形もなく消し飛ばす。
なおも勢いは止まらず、射線上の木々も大地も抉り取られ、跡形すら残さない。
そして遥か先で着弾したのだろう。
大爆発が巻き起こり、その強烈な余波が数秒遅れて押し寄せた。
爆風が荒れ狂い、土煙が空へと舞い上がる。
俺はただ棒立ちで唖然とし、目の前の光景に言葉を失っていた。
「ハハっ……マジかよ……」
気が付けば、森の中に見晴らしの良い一本道が出来上がっていた。
地面は深々と抉られ、木々が消し飛んだ道とは言えぬ道。
とても綺麗な道とは言えないが、まだ見ぬ世界、まだ見ぬ夢へと続く道。
その道の果てに聳え立つのは、巨大樹とそれを囲う都市。
ようやくだ。この一道を進めば、ようやくあの場所に辿り着ける。
「未知へと続く道ってところかな」
空虚な駄洒落がその場に霧散し、俺も力尽きたようにその場に座り込む。
先ほどの魔法の反動か。
それとも窮地を脱したことで気が抜けてしまったのだろうか。
一気に疲労感や脱力感が押し寄せ、それと拮抗するように満足感や達成感も同時に押し寄せる。
生きている。――改めてそう実感しながら、俺は空を仰ぎ、大の字を描くように地面に倒れ込んだ。
「はぁ~、疲れたー」
目の前には雲一つない青空が広がっている。
改めて、新しい世界の空だと思うだけで胸が高鳴る。
視界に入るモノの全てが目新しく輝いて見える。
この空の果てには何があるのだろう。
この空の下には、どんな世界が広がっているのだろう。
あの巨大樹を囲う街には、何が待っているのだろう。
そして――俺はこの世界でちゃんと『夢』を見つけることができるのだろうか?
そんな疑問を胸に空を仰いでいると、上空がふいに色鮮やかに煌き始めた。
「なんだ?」
一瞬、また危険なことかと身構えたが、幸いにもその予想は外れた。
上から舞い落ちてきたのは、色彩豊かな宝石の欠片のような鱗。
まるで白昼に降り注ぐカラフルな星屑。
そんな幻想的な光景が、世界の祝福のように頭上いっぱいに広がっていた。
「おぉ、綺麗だな……えっ?」
ただし、その神秘的な光景の中に、一際大きな影があった。
本来、空にあるはずのないそれは、勢いを増してこちらへ迫ってくる。
見間違いかと目を凝らせば凝らすほどに、それが人影である確信が強まっていった。
そして、何故か遥か上空より金髪で茜色の瞳の少女が降ってきた。
「……は?」
後に、この世界すら跨いだ二人の運命の衝突は、大きな波紋を引き起こす。
この出会いは、定められた運命か。奇跡の邂逅か。それとも運命の悪戯か。
ここより始まるのは、今はまだ誰も結末を知り得ぬ神秘を紐解く物語。
これで一章前編は終了となります。
後編からは、なぜか空から落ちてきたヒロイン視点になります。
ここまでの前編とこれからの後編は密接にリンクしていて、後編では前編の疑問も多く解消できると思うのでお楽しみに!
※ヒロイン視点については、引き続き毎週土曜12時頃に更新予定です。
面白いと思ってもらえたら感想、もしくは評価していただけると嬉しいです。
引き続きよろしくお願いいたします。




