第三話「風の餞別」
「誰だ!その女は!」
「一体どこから来た!?」
「あの装いは何?!」
「余所者は出ていけ!」
母の眠る家へ向かうリベラとアリアに向け、村民たちは罵詈雑言を浴びせていた。
それは至って当然の対応だった。平凡に門番に挨拶を済ませ、要件を伝えてから入村していればこうはならなかっただろうが、リベラがそうする間もなくアリアが門番を弾き飛ばしてしまったので、村民たちは彼女を外敵だと判断する他無かった。
二人は村の大門から伸びる大きな道を凱旋のように通過している。
「女!止まれ!!」
屈強な農夫たちの集団が鍬を携えて二人の眼前に立ちはだかった。
「違うんだライカンさん!話を」
リベラが言い終わるのを待たずして、アリアは杖を構えた。
「悪い、急いでるんだ」
杖の先の宝石が輝き始める。
「『捕捉』『浮遊』『風遁』」
魔方陣が展開され風が巻き起こると、男たちは風の束に捕まれ群衆の奥へと連れ去られた。
一瞬の静寂。そして村は混沌に包まれた。
「はあ!?ちょ、やめろよ何してんだ!!」
焦るリベラを他所に、アリアは淡々と会話を続ける。
「今のも魔導術な。とはいえ私のはちょっと特殊でね…簡単に言うとあの魔術は今組んだ」
「え、ライカンさん達は大丈夫か?!死んでねえよな!?」
「普通は術式って呼ばれる定型に魔力を流しこんで使うんだけどな、私は天才だからその定型をこの場で作れる」
「訊いてもねえことをベラベラ喋るなよ!うるせえな!」
一方群衆は彼らを包囲するように詰め寄っていた。リベラは言い訳で必死になったが、アリアは平穏な表情で空を見上げた。
「お前は訊いてないかもだが私はちゃんと聴いてるぞ。男共は全員無事にそっちの畑に送ってやった。あと、今お前がくだらない心配をしてる間にもう一個魔導術を作っちまった。エンタメとしては風系の連続で申し訳ないが、文字通りお前の家までひとっ飛びだ」
今度は杖の先を足元へ向ける。
「『射出』『捕捉』『風遁』『渦巻』」
その刹那、地面に魔方陣が展開され、そこから二人を中心に、群衆を離す強い風が放たれる。
「この女、何をするつもりだ!!」
「危険だ!離れろーっ!!」
アリアはリベラを引き寄せ、しっかり捕まるよう言い聞かせる。そして、魔導術を発動した。
「『離陸滑空魔術』」
その瞬間杖から先よりも強力な風が一気に放たれ、二人はそれに乗って上空へ射出される。風は渦となって二人を中心に旋回し、揚力となって滑空を支えた。
村を囲む高い木々よりも、あの風車の屋根よりも高く高く飛ぶ。天気は快晴、視界は良好。
そこに広がるのは、無限に広がる美しい大地。太陽を反射し船を運ぶ海。雲を穿ち堂々と佇む大きな山脈。そして、遥か先にぼんやりと見える都市。
それはリベラが向かう先の地であり、多くの未知と魅力を孕んでいる。
「緑の屋根に瓜の畑。あそこだな」
やがて二人は高度を落としていき、ふわりふわりとリベラの家へと向かっていった。
リベラは返事も忘れ、その初見の景色に見蕩れていた。視線が森に阻まれると、そこは既に自宅の玄関前だった。
まさに茫然自失の体験だった。
雑草が戦ぐ音が聞こえる。リベラの心は外に在った。
静かに口を開く。
「お前さ、外を『魔』だって言ったな」
「言った」
「だけど」
「ああ」
「美しかった」「美しいだろう」
二人は顔を見合わせた。そしてリベラは扉に手をかけ、家に入る。
その瞬間、アリアは眉間に皺を寄せた。
「この気配───」
「覚えがあるのか?!」
リベラの問いを無視し、アリアは思考を巡らせる。
「(この魔力の感じは間違いなく…だが理由がない。なぜ奴がこんな田舎の女なんかを??) ああ、一番嫌な野郎にな…腹に文様があるんだったな?兎にも角にもそれを見んことには何もわからん」
アリアも屋内に入り、リベラを押し退け足早に寝室に向かい、容態を確認した。
「…こいつは魔方陣だ、つまり魔導術の延長。解析が必要だが…私にかかれば一分とかからない」
そしてアリアが母の魔方陣に手を添える。
「やっぱりな…魔術の構造が複雑だ…人語に翻訳する。おい、リベラ、メモを取れ。解析は頭使うから、一々覚えてらんねえ」
「わ、わかったっ」
アリアの額に汗が滲む。彼女の脳裏には、近頃耳にした嫌な噂がよぎっていた。
「……じ」
ペンを走らせる音が室内に響く。
「…ん」
「…る」
「い」
リベラは、常人には理解の及ばないような、えも言われぬ雰囲気を感知していた。自然と自身の息も詰まる。
「ま」
「…ぞ」
「く」
「……か」
リベラは全てを察した。悪寒が止まらない。
「ま」
「…じ」
「…ゆ」
「つ」
アリアは解析を中断した。
「こんなもんで大体解るだろう…っ私は何つった!?」
リベラは硬直しながら読み上げた。
「じんるい…まぞくか まじゅつ」
「『人類魔族化魔術』……!」
アリアの脳内で、全ての点が線で繋がった。
「…やはり…噂は本当だったか。リベラ、これは魔王と呼ばれる者の仕業に違いない」
「魔王…!?」
「ああ、奴の名は『ゼーン』。魔族を統べる者だ。奴は魔族を従え、人類を攻め、世界を我が物としようとしている。近頃こんな噂を聞いた…『魔王は人類を魔族に作り替える術を手に入れた』という噂だ。魔族は人類より知能が発達してねえから、単純な戦闘では時間さえかければ人類に軍配が上がった。だから最近勢力が落ちてたんだが…新しいアプローチだ。奴らは長命で、かつ魔導術の出力が人類とは段違いだ。一方で人類は精密性があり複雑なモノにも対応できる。ゼーンはこう考えたんだろう…『人類を魔族に変えれば、人類由来の精密さと魔族由来の力強さを持つ新たな魔族を創れる』と、そして人類の数が減り魔族が増えることで、現状を打破できると」
リベラは困惑した。その時、外から群衆の声が聞こえたきた。
「リベラに何しやがる気だ!!」
「間違いねえ!奴は家に入った!!引っ張りだせ!」
「リベラになんかあったら容赦しねえぞ!!」
リベラはハッとした。村民が自らのために怒っている。自分はなんて素晴らしい人達に巡り会ったのだろう…そこから脱却したいと考えた自らを恥じた。
しかし同時に、魔王から世界を、この村を、この人たちを護りたいとも思った。
アリアは舌打ちをし、リベラを引っ張って外に出た。
「こうしちゃいられねぇ、こんな奴らにも構ってられるか!さっさと都市に行くぞ!!」
アリアは玄関前で再び魔導術の準備を始めた。
「居たぞー!!リベラん家の前だ!」
「またさっきの風の術か!?」
「リベラを帰せー!!」
「『射出』『捕捉』『風遁』『渦巻』……」
アリアの詠唱が長い。リベラはアリアの腕の中から村民に叫んだ。
「みんな、俺は今日からここを去る!世話になった!」
村民らは混乱している。
「リベラ!?何を言ってる!」
「外は怖いのよ!!」
「わかってる!けど、俺はみんなを護りたいからここを発つんだ!確かに前まではこんな場所嫌いだった、早く出ていきたかった。でも今はそうじゃない!逃れたいから行くんじゃなくて、護りたいから出て行くんだ!!」
風が植生を揺らす。リベラの餞別を聴き、村民たちはいつの間にか冷静さを取り戻した。涙を流す者もいた。
「『爆進飛行魔術』!」
二人は目にも留まらぬ速度で発射された。その爆風により村民らは飛ばされ地面に倒れ込んだ。小さくなっていくリベラを見て、誰もが空を見上げながら立ち上がった。