第二話「名乗り」
【前回のあらすじ】
超がつくほどの田舎の農村で生まれ育った青年リベラは、母の病を治すための旅の路銀を稼ぐため離れの森林を周遊していると、恐ろしい怪物と遭遇する。そんなリベラの命を救ったのは、黒い炎を放つ一人の女だった。
「怪我はないか」
怪物の焼け跡の上を浮遊していた女が着陸し、リベラにそう問うた。
その女は、奇怪な服に身を包んでいた。王族のように美麗でありながら、道化師のように目を引く風貌だった。
女は赤茶色の髪を肩の上でウェーブさせ、結うことなく鎖骨あたりに収束させていた。
リベラはその真新しい外見と眼前で起きた紆余曲折に驚愕し、問いに答えることができなかった。
「……偶然だった。今日は普段と違う見回りコースを通ろうと思って。…こんなこと、半年に一度もあるかないか……」
女は呼び掛けに反応をしないリベラの眼をチラチラ見ながら、会話の空白を埋めようと努力していた。
「………」
微妙な静寂が訪れる。
その時。リベラは突然口を開いた。
「あの炎はなんだ?」
初めて見る赤くない炎。その奇妙な揺らめきにリベラは見蕩れた。
彼の眼は輝いていた。ちょうど女が携えている大きな杖の先にあしらわれた大きな宝玉のように、純粋な輝きだった。
「お前、『魔導術』を知らないのか?…まあ無理もないか、こんな辺境に住んでいるのならば」
「『魔導術』……?」
「ああ。さっきの炎に限らず、多様な力を持つ技術だ」
多様な力。この言葉にリベラの耳は反応した。
「お前は、魔導術ってのが上手いのか!?」
「うるさっ、急に元気になるな」
「悪い」
「急に静かになるな」
「…悪い」
途端にしおらしくなるリベラに対し、女は少しばかり申し訳なく感じた。
「……母が寝たきりなんだ」
聞いた途端、女は呆れた表情をした。リベラに気づかれないような、ほんの一瞬のことだった。
女は正直、この手の話に辟易していた。かつてより、魔導術という万能な力に目が眩んだ、数え切れないほどの人々が彼女に縋ってきたのだ。
女はそんな人々の、利用できるものには全て縋ってやろうという短絡的な魂胆が心底嫌いだった。
リベラは話を続ける。
「さっきのバケモンが使った文様と同じモンが母を蝕んでるんだ。あんたなら想像できてるかもしれねえが、俺はソレが怪物の仕業だと思ってる。外界は危険だって言い聞かされて育ってきた…あんなモンが外にはうじゃうじゃいるんだろうって、さっきので察したよ」
女は同情した。母親が怪物に蝕まれているとは、さぞ辛かろう。この世間知らずの青年は、世界に絶望するのだろう。そう思った。しかし共感は無い。
「でも」
リベラが続ける。
「希望も見えた」
女は驚嘆した。
「まさか……」
「あのバケモンを残らず辿っていけば、母さんを治せるかもしれねえ」
リベラはほくそ笑んでいた。
女に複数の疑問が膨れ上がる。
どうしてただの田舎者にそんな覚悟ができる?
為す術なく命を奪われかけた恐怖の対象を、どうしてそんな冷笑することができる?
そもそも母親の文様が怪物らのものではないかもしれないのに。
彼女には到底理解が及ばなかった。
「…フハハッ!」
女は、大陸の反対側まで響くような高笑いをした。
「世間知らずの馬鹿野郎め。この世界の恐ろしさなど微塵も知らないくせに!」
先述の面倒事を避けるための対策として、彼女は基本的に名乗ることをしない。それを利用して人伝に付き纏われるのを避けるためだ。
よって、彼女が名乗る相手は、これから幾千もの戦いを共にすることとなる『魔導術士』たちのみだ。
「良いだろう、おまえの『頼み』応えてやる!私はアリア・オルター。おまえの名は?」
リベラはアリアに不敵な笑みを向け、力強く答えた。
「リベラ」
「…リベラ?」
「え?」
「フルネームくらい教えろよ」
リベラは一瞬困った表情を浮かべた。そして再び笑んだ。
「リベラ・アルマ」