三話 荒野の用心棒
日も下がり、静まり返る頃にようやく交易予定の小さな村にたどり着いた。
ロレーヌは村の中で最も明るい場所……酒場の前に馬車を止めた。
「商人の警護は慣れてるーーみたいね。助かるわ」
クリントは既に馬車から降りて周囲の特に身を隠せる場所などに
目を向けて警戒態勢に入っていた。
ロレーヌは言った。
「貴方もこのへんで仕事してるみたいだし、知ってるかもだけど
この村は割と安全だから、そのへんでいいわ、貴方も一緒に少しどう?」
クリントはロレーヌの方を見ない。
黙って彼は荷馬車の中に戻ろうとしていた。
そんなクリントはロレーヌの腕に絡みつくようにしがみついた。
「まさか荷馬車の中で寝るつもり?」
「……済まない、一応警護のつもりだったが邪魔だったか」
そういうと荷馬車に乗せかけた足をおろして
クリントは手を振りほどいてどこかに行こうとしたのを
ロレーヌは再び掴んだ。
「そうじゃないわよ。警護してくれるのは嬉しいけど
私も一人旅が長いの。たまには話し相手がほしいわ」
そこまでいってもクリントという男はなびかなかった。
「ならば酒場で話し相手を探せばいい……それに」
「それに?」
珍しくクリントは一言を付け加えた。
「俺が一緒にいると酒が不味くなる人間が多い、やめとけ」
そういい、手を振りほどこうとしたがロレーヌはきつく手を握りしめて
クリントが立ち去るのを拒んだ。
「何のマネだ」
「酒が美味しいかどうかは私が決めるわ、それに酒場の人間と飲むより
貴方と飲むほうが安全そうだし落ち着けそうだわ」
すると初めてクリントはロレーヌの方を見た。
クリントには何の表情もないが周囲の日が落ちて暗がりを照らす
酒場の明かりはまるでクリントの心を映すかのように影が差していた。
「後悔しても知らないぞ」
「そのぐらいで後悔するならこんなところで商売はできないわよ?」
そういうとようやくクリントはロレーヌの手に惹かれて
酒場の中に入っていった。
酒場には二人の飲み客とマスターがいるのみで
席数も4つしか無い小さな店であった。
そんな店に暗がりの扉からガラベイヤ姿の女の姿が映ると
酒場のマスターが声をかけてきた。
「おお、ロレーヌ、今日も商売は順調かい」
「ええ、おかげさまで今日も順調よ」
そんなあとから少しだけ遅れて入ってきた男の影に
店の中にいる全員の空気が変わった。
その視線を集めている男、クリントだけがその視線を平然と受け止めていた。
そんな場の空気を和ませるかのようにロレーヌは後ろを振り向いて言う。
「貴方、踊り子でもある私より人気者みたいね、妬けちゃうわ」
相変わらずそんな戯言を投げかけてもクリントは黙りこくっていた。
ロレーヌはそんなクリントの手を取ってカウンター席にまでズカズカと
歩いていき、カウンターにふわっと羽のように座ると隣の席に手を当てて
クリントに座るように促した。
酒場の住人たちは敵意にも近い目線をクリントに送り続けていたが
そんなロレーヌの様子をみると諦めるかのように目を背けた。
クリントはゆっくりと軍人特有のブレない歩幅を維持して席につく。
妖艶なガラベイヤ衣装の踊り子と危険な匂いのする傭兵の姿は
どことなく酒場という場所柄もあり絵になったが
その絵を酒場の人々は歓迎していなかった。
そんなとき客席から声が飛んできた。
「ロレーヌ、今日は踊りを見せてくれないのかい?」
そんな声にロレーヌはしっかりと体を客席の方に向け
営業用の妖艶な表情を浮かべながら答えた。
「ごめんなさい、今日は先約があるのよ」
そういうとゆっくりと体と顔をクリントの方に向けた。
その様子に再び酒場の客はクリントへ敵意を籠もった目線を向けたが
クリントがその客の方を見ると客は怯えたように目を逸らし、
ごまかすように酒を飲み干していた。
「マスター、ワインはあるかしら?」
するとマスターは彼女のためにキープしてあったであろうワインを取り出す。
「前と同じので良ければあるよ……で、隣の客人はどうする?」
マスターもあからさまにクリントのことは嫌がってるように見えた。
クリントは少し黙っていたあと
「水」
とだけ答えた。
マスターはあからさまに不機嫌そうな顔をし始めたが
そんな様子を見てロレーヌはクリントに言った。
「クリント、護衛のことは忘れていいわ。あとここの代金は持つから好きなものを
注文して頂戴、こう見えても私そこそこ羽振りもいいのよ?」
わざとロレーヌはクリントにすり寄るように近寄り言う。
大抵の若い男であればここまで言われれば彼女の言いなりになってしまうだろう。
しかしクリントは少ししたあと
「水でいい」
といい直した。
その瞬間店主はバンッ!とワインの瓶をわざとカウンター席に叩きつけるように置き
そしてロレーヌ用に用意した金属製のゴブレットにワインを注いで渡した。
「お客さん、ここは酒場だ、水が飲みてえなら外の馬車用の水を飲め」
「ハハハ、ちげえねぇ」
馬鹿にした声が客席から聞こえてくる。
それでもクリントは顔色一つ変えることはなかった。
ロレーヌは彼にしがみつくようにしつつ耳元で囁いた。
「酒が嫌いなの? そうでないならば私の顔を立ててなにか注文してくれないかしら?」
それでもなお顔色一つ変えず、微動だりしなかったクリントはようやく
「ビールを」
と言った。
マスターはそれを聞き、乱暴にジョッキにめいいっぱいのビールを注ぐと
叩きつけるようにクリントの前のカウンターに出した。
「ったく……まいどまいど水じゃこっちも商売上がったりなんだよ」
流石にそのセリフにロレーヌも体制を戻すとやれやれというジェスチャーをする。
そんな様を見てマスターがロレーヌに声を掛ける。
「ロレーヌ、誰を雇用しようが君の自由だが、よりにもよって彼かね」
今のやり取りを見ただけでも酒場のマスターとしては
あまり好ましい客ではないのは確かだった。
ロレーヌは出されたワインをゆっくりと半分ほど飲み干すと
敢えて間をおいたのか、沈黙の時間を数えたかのように答えた。
「そう、彼。どうしてだと思う?」
そう問われてマスターは困惑した顔をしつつ答える。
「さあね、強いて言えばあんたもそうだが変わり者だからかね」
「そうかもしれないわね、ふふっ」
ロレーヌの問答をしただけで酒場のマスターは表情を緩めた。
そんな彼女の方を見ながら寡黙だった男はようやく自ら口を開いた。
「まるで指揮者だな」
そういう彼の顔は若干赤らんでるように見えた。
しかし周りのものは誰しも彼が言っていることの意味がわからなかった。
「指揮者」と指摘されたロレーヌ以外には。
「よーやく、自分から話しかけてくれたわね、なるほどなるほど」
ガラベイヤを着込んだ女性は楽しげに男の顔を見た。
彼女自身も頬を赤くしつつ更にワインを飲み干すと
ゴブレットを店主に傾ける仕草をしておかわりを要求する。
「貴方お酒に弱いのね……だから飲みたがらなかったのかしら?」
男は顔を赤くはしているものの体が揺れたりしたりすることはなかった。
あくまでもハキハキとした口調で声を絞り出す。
「強くはないが飲まない理由は二つある」
またすり寄ろうとするロレーヌをクリントは手で静止させた。
「一つは酔うと正常な判断を妨げるからだ」
「二つ目は?」
「昔を思い出すからだ」
その言葉を発した瞬間、一瞬だけロレーヌの顔が変わったように見えたが
彼女は会話を続けた。
「たまには昔を思い出すのもいいんじゃない?」
「思い出したいやつはそうすればいい」
彼は酒を飲み進めた。
そんな彼にわからない範囲で少しずつ近寄ろうとするロレーヌを
クリントは再び目線のみでそれを牽制した。
「そんなに面倒なことをしなくても聞きたいことがあれば答えてやる」
そういう彼の眼はどこか遠くを見ているようだった。