四話 それはまた別の話
黒板。これは素晴らしい発明である。
人と人はわかりあえるかという命題がある。
私はこれに対する解を持たないが、この黒板という道具は
人と人との理解を進めるために言語という優れた技術に
革新を与える技術だと私は考える。
人間には人それぞれではあるが、頭の中に想像できる量、キャパシティというものがある。
私は一度に5桁同士の掛け算を脳内で思考できるが
一般の人にはそれは難しいし、私の教え子にはもっと遥かに優秀なものもいる。
しかしこの黒板という道具はそれを誰でもわかるようにし
まるで頭の中のように考え、そして思考が終われば消すことができる。
頭の中の思考を共有するかのように使うことができるのだ。
しかも対峙する相手によっては本来その相手が抱えきれない頭の記憶を超越して
思考することを助けてくれる夢のような道具と言っても過言ではない。
しかし私の眼の前にいる少年……いや青年とそろそろ呼ぶべきか。
非常に厳かで十人以上が同時に私の話を聞き取れるそのスペースで
私と彼はたった二人、ワンツーマンで講義を行っていた。
彼の名前はシャルル、時期皇帝候補として名高い、極めて聡明な少年である。
彼は私に向かっていった。
「先生の講義、毎回とても為になります……為にはなりますが……」
彼は決まって私の講義の飲み込みが早い。
正直彼の頭の回転の良さであれば黒板は必要ないと感じることがある。
それでも便利であることにはかわりはないのだが。
「先生の話はつまらない。まるでその指に降り掛かったチョークの粉のように
カビた書物のような退屈さを感じる」
彼は私を馬鹿にする意図がないことはわかっている。
この発言は彼なりのジョークだ。宮廷という歪な環境で生活し続けた
彼なりの独特の感性が生み出したブラックジョークである。
彼は非常に貪欲だ。どのような話題に対しても飲み込む量の限界がないスポンジのような
頭脳を持っているが、一方で彼の興味関心は『世界』に向けられている。
「シャルル、私は所詮一介の技術者だ。技術者は自分に自身がないことを
自信ありげに語ることは好まないのだよ」
しかし聡明な少年は答える。
「でも先生はそうおっしゃりながら先生は知らないことを貪欲に求められておられる。
その姿勢や先ほどのお言葉は私も尊敬の念を抱かざるおえません。
しかしながら……」
そういう彼の眼はいつでも本気である。
「我々は政治という不確かな物を司り、不確かなものを自信ありげに語るのが仕事です。
つまりわかりきったことを言うのは私の仕事ではなく、また興味関心の外であるという事です」
この彼の十五歳にして幼さを感じさせない発言。
高い政治への興味関心が彼が次代の皇帝にふさわしいと言われる
最も最たる理由であり、他の皇太子にはない最大の特徴でもあった。
「ならばシャルルよ、私のようなただの技術屋に何を求めるのかね?」
私は講義が一段落して今日の講義は終わりであることから
この話の脱線を許可することにした。
探求者であれば知識には常に貪欲であるべきなのである。
「先生がただの技術者であるかはさておき、
正直、現状の魔王によって大陸の半分以上を魔物の住処にされている現状を
どうお考えになりますか?」
彼の話が脱線するとき、常にその話題は魔王とそれを取り巻く世界に話は置かれる。
このテーマに関して私は彼に十三回も同じ内容を投げかけられては討論を交わしている。
「以前にも話したかもしれないが、私は私が仮に明日餓死したとしても
今日新しい知識を発見できればそれでいいのだよ。
魔王が人間の世界を侵さないと宣言してるのであれば私が明日、明後日に
また新しい発明を生み出せる可能性が増えるわけで、これは素晴らしいことだよ」
彼は非常に頭が良いため、あえて同じ質問を繰り返し問われるとき
幼いからなどとは微塵も感じない。
むしろ同じ問に対してどう答えるか、試されているような気分になる。
ちなみに一三回の質問に対して私は一度も同じ文脈を使わずに
同じ回答を繰り返している。
シャルルは一瞬黙り込み、私の言葉に反応して微かに眉をひそめた。
内心で何かが揺れ動いているのが、彼の表情からわかる。
しかし、すぐにそれを押し殺して、冷徹な態度を崩さなかった。
私はいつも「この意地悪な」回答をしている。
彼が大の魔王嫌いであり、現状をよく思っていないことを知っているからである。
しかし頭の良い彼である。彼はこの言葉を挑発と受け取り、真正面に反論することは
「恥」だと考えるだろう。会話が終わるのであればそれはそれで私は良し。
終わらないのであればそれはそれでまた興味深いことなのである。
しかし当然のように彼はこのまま会話を終わらせる気はなかったようである。
「先生、最近風変わりな少女を拾ったと聞きましたが」
突然話が移り変わった。
やはり彼はストレートに反論することを良しとしなかったらしい。
私は彼の質問に答えることにした。
「ああ、まるでダイヤの原石のような子どもだ。まだ物心も着いているか怪しいが
彼女は私が見つけたとき、何をしていたと思う?
地面に複数の円を書き連ねていたんだ!」
私はつい自分の世界に入り込んで話してしまったが、彼はそれに的確に答えた。
「それは面白い少女ですね、しかし子どもなら地面に絵を描くのは自然なことでは?」
「しかし彼女の円をよく見るとだ、もしその円と円を繋ぐように歯車があったとすると
それはすべてが稼働して動き回る、まるで歯車というものを知っているような図形を
描いていたのだよ。そして図形の群れの中に無駄な円は一切なかった。
まだ物心もついてるかわからないかの年齢の彼女がだよ!」
私はつい彼女を見出したときの喜びの感情の高ぶりから饒舌に話しをしてしまった。
再び彼は答える。
「それは素晴らしい『発見』ですね。その少女が先生に見つけられたことは
この国の国力を更に底上げするきっかけになるやもしれませんね」
あくまでも彼は笑顔を絶やさず私に相槌を打つように語る。
ここに来て私は疑問に思った。
もし彼がこのことに本当に素晴らしいと思ったのであれば彼は
「それは素晴らしいですね先生、そのうちその少女とも会わせてください」
とでも言って終わりにするだろう。
しかし彼の物言いはなにかまだいい足りないという含みを感じるのだ。
私は婉曲な表現は嫌いだ。しかし、この政治好きのこの少年はそれを好んでいる。
「何がいいたいのかね?」
つまり私の回答はこうである。
彼は持論を展開した。
「もしかしたら先生、魔王があと少しだけ魔物の生活圏を拡張していた場合
その少女は路頭に迷い、食糧難で命を絶たれていたかもしれません。
そしたら今の先生の喜びはすべてなかったことになりますよね?
もしそうだったら先生はどう思いますか?」
「ふむ……あったことがなかったことになるというわけかね。
それはひどく悲しむだろうね」
相変わらず弁が立つ少年である。
これであとはこの直接的物言いではなく、本当に「政治」を知れば
極めて優秀な皇帝として育つことであるだろうが、まだまだ彼は少年であった。
「先生はそれでいいとおっしゃったが、私はそう思えません。
その少女が救れない可能性がそこにあったとき
私はそこで何もしないでいることを良しとしません。
しかし今、この世界でその悲しみはあらゆるところで起こっております」
つまり彼は遠回しに自分だけ良ければいいと言った私を非難しているわけであり
ましてや時期皇帝である彼自身はそれではいけないということを表している。
しかしこれは彼の私への信頼の言葉でもあった。
この言葉をもし他の宮中で発言すれば下手すれば
彼はこの世から亡き者にされる可能性すらある。
何故なら現皇帝に限らず、ここ数代の歴代皇帝は魔王服従論者であり
人類は辛うじて生きながらえられるギリギリの生活を許容するべきであるという
考え方に基づいて「政治」をしている。
当たり前の話だが、彼のような魔王敵対論者である「政敵」を野放しにするとは思えない。
仮にそれが「実の子」であってもだ。
それが彼を取り巻く世界のあり方である。
「不遜な考えではありますが……そのような考え方が理解できないわけではないよ」
そういいつつも私は教室の一角にある本棚に歩いていき、一冊の本を取り出した。
「それは……魔王との戦争を行ってた時代の歴史書ですね。
少し意外でした。先生は歴史にはあまり興味がないと思ってましたので……」
実際私は歴史に深い興味がある訳では無い。
しかし技術者に最も大事なのは知恵ではなくひらめきである。
そんなひらめきを教えてくれるきっかけになりえるのが歴史なのである。
「百年以上前の書物であり、真偽はわからないと言われているが……
君は私と魔王についての話をしたいと言うのでその話を少しだけしようじゃないか」
私はその部分が印象的で本を開かずとも覚えている。
「この書物によると、魔王は実は人間と魔物とのハーフであるとされている。
もし魔王を討ち滅ぼすとしよう、それは一人の人間を不幸にすることになるが
それをどう考える?」
その言葉に少年はまるで話にならないという様子で答えた。
「それは非常に簡単な問題ですよ先生。
一人の人間とその他すべての人間の命、確かに先生のような一個人
更には学者でもある先生にとっては命題たり得るのでしょうが
私にとってこの問題は考えるに値しないです」
「それは仮にその魔王が君の最も愛する親族であってもかね?」
「当然です、それが我々皇族が世界から求められている立ち振舞ですから」
人が人を見捨てるとき、その人物は大きな苦痛を伴うことが殆どである。
彼が本当にそのように本心から思えるのであれば。
私は彼が間違いなく稀代の名皇帝となるであろうことを確信したと同時に
この聡明な弟子が、『どうか苦難続きであろう人生に幸があらんことを』と願った。




