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 高速を降り、速度を落として一般道を走る。夕凪浜に入ると一気に肩の力が抜けた。凪はまだ消えない。ということはまだ自分には『見事な死相』が出ているのだろうかと陸は考えた。本人に聞いてみようかと思ったが、口を開こうとした瞬間「そんなことはどうでもいいじゃないか」と思い、やめた。

 高速を降りるとのどかな田園地帯が広がっている。稲が刈り取られた後の田んぼはどこか寂しげだった。普通車がすれ違うのがやっとといった具合の田舎道を、トラックはゆっくりと慎重に進んでいく。


 それからの時間はあっという間だった。あっという間に目的地の倉庫に着くと、狭い駐車場の入口にやや苦戦しつつ、なんとかトラックの尻をねじ込んだ。


「上手いですね」


 凪が褒めてくれた。本当に褒める気があるのかというほど無表情ではあったが、悪い気はしなかった。


「うわ、ここフォークリフトないぞ。台車だけだ」

「と言うと?」

「己の手で運ばなきゃいけない」


 陸は悲しそうにため息をついてトラックから降りると、ウイングの開いた荷台に乗って大量の段ボールを下ろしにかかった。ただでさえ長距離を移動してきて疲労が溜まっているのだがやらないわけにはいかない。凪は助手席から降りてきて、下ろされる荷物たちをじっと眺めていた。


「えっ、今助手席のドア勝手に開閉しませんでした?」


 倉庫の女性スタッフが震えた声でキャビンを指差した。


「ああ、大丈夫ですよ」

「で、でも……」

「大丈夫なヤツです。はい、これ」


 陸は無理矢理女性を納得させ、段ボールを押し付けた。


「あらヤダ重い!」


 女性はへっぴり腰になりながら段ボールを台車まで運んで行った。


「ヤダー! また開閉した!」

 

 帰り際に凪が乗り込んだ時も多少騒がれたが、面倒なのでそのまま無視して発進した。


「面白い人です」


 凪が女性に小さく手を振りながら言った。その顔は少しも笑っていなかったが、陸にはどこか楽しげに見えた。


「帰らないんですか?」


 東京とは逆の方向へ進んでいることに気付いた凪が言う。

 

「もう少し下って道の駅で風呂入って東京に帰る」

「じゃあ、そこでお別れにしましょう」

「わかった。……え?」


 「お別れ」という言葉に危うく運転操作を誤りそうになった。


「つまり、死相が消えた?」


 無言で凪が頷く。


 

 海辺の道の駅にトラックを停めた。フロントガラスの向こうには朝日に照らされた青い海が広がっていた。

 ただ「お別れ」と言ってもどうしたものかと陸は思ったが、凪自身もよくわからないらしく、奇妙な沈黙が数分間続いた。


「……え。何これ。何の時間……?」


 耐えかねた陸が尋ねる。

 

「すみません。消えるタイミングがわかりませんでした」

「感動のお別れにはならなそうで良かった」

「一気に消えた方が良いですか? 頭か、もしくはつま先からじわじわ消えた方が――」

「一気に消えてくれ」


 でないと引き止めそうだから、とは口が裂けても言えなかった。


「興味本位で聞くけど、死相が消えた人間の側から去らなかったらどうなる?」


 質問してから殆ど引き止めているようなものではないかと思い、陸は思わず苦笑したが、凪はいたって冷静に「上からめちゃくちゃ怒られるか、クビですね。クビになったらどうなるかはわかりません」と答えた。


「じゃあ最後の質問。凪があの世で美海と会うことってできる?」


 凪は少し考えるような仕草を見せたが、やがて静かに頷いた。


「できると思います」

「当分そっちには行けないから、代わりに謝っといてほしい」

「そんなことなら。任せてください」

「でも将来必ず会いに行くとも伝えといて」

「はい。必ず再会してくださいね。彼女はいつまでも待てるでしょうから」


 凪はそう言って穏やかな笑みを浮かべた。やっぱり美海によく似ていた。


「久しぶりに楽しかった。死ぬまで忘れないと思う」


 陸が言うと、凪は少し照れくさそうにしてから、ふと悲しそうな顔をした。あまりに悲しそうだったので、陸がどうしたのかと聞こうとした時だった。


「あっ、あれ見てください!」


 唐突に凪が叫び、陸の後ろを指差した。驚いて振り向くが、道路があるだけで変わったものは何もない。「やられた」と思った時にはもう遅かった。

 急いで目線を戻すと、凪は消えていた。助手席にもベッドスペースにもいない。古典的な罠に引っかかってしまったのがどうにも可笑しくて、陸はひとり吹き出すように笑った。



 

 それから1年の月日が過ぎたが、変わらず陸はトラックを走らせていた。


「谷内さん、トラック乗ってて不思議体験とかしたことないすか?」


 変わったことと言えば、新人に教える立場になったことくらいだった。


「不思議体験……? 特にないな」

「なんか変な人乗せちゃったとか」

「誰も乗せたことないな」

「じゃあこの変な猫は?」


 助手席の新人は目つきの悪い黒猫のぬいぐるみを手にしていた。


「ああ、それは……貰ったんだ。ただ、誰に貰ったのかが思い出せない」

「そこ、一番重要なとこじゃないですか」


 思い出せそうで思い出せなかった。ただ、そのぬいぐるみを処分する気にもなれなかった。側に置いておくとなんとなく何かに守られているような、温かな気持ちになるのだった。


「まだ先は長いな」


 トラックは遠い目的地を目指し、高速道路を走っていく。ぽつりぽつりと、雨が降り始めていた。


 


 


 


 

 



 

 


 


  

 

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