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相変わらず雨は降り続いていた。トラックは時折渋滞に巻き込まれつつも、大きな遅れはなく順調に走っていた。凪はカーテンの向こうから時々話しかけてきた。なんてことのない、他愛もない質問だったが、答えるのは楽しかった。このトラックは機械の部品を運んでいて、4月から給料が減って、最近は暇な時怪談ラジオを聴くのにハマっていて、睡魔にカフェインやエナジードリンクは効かなくて、1人カラオケで何とか意識を保っている……そんな話をした。こんな風に長々と他人と話をするのは久しぶりのことだった。
「休日は何を?」
「月に2〜3回くらい家に帰るけど、掃除したり寝まくったりしかしない」
「なんというか、気を紛らわすのに必死なんですね」
「だって、他にどうしたらいい。気を抜くとどんどん憂鬱になるんだぞ」
「新しい拠り所を見つけるとか、しないんですか」
「無理だと思う」
「でもあなたの人生は続いていくわけですよ。美海さんなしで続けなくては」
「やめろ」
陸はペットボトルに半分ほど残った水を一気に飲み干した。それからしばらくの間、会話は途切れた。雨音がまた激しくなり、車体に叩きつけられる雨粒と忙しなく動くワイパーの音がやたらとうるさく陸の頭に響いた。
「――美海は殺された」
長い長い沈黙の末に、絞り出すように陸は言った。
「俺が熱を出してた時、コンビニへ行った帰り。飲酒運転の車に跳ね飛ばされて、その後また踏み付けられて、洋服が車のどっかに引っかかったんだろうな。そのまま何kmも引きずられて、ボロボロになって死んだ。運転手は酔いが覚めたら『覚えてない』の一点張り。よく考えるよ。引きずられてる間、ずっと意識があって、ずっと痛みと恐怖を感じながら死んでいったんじゃないかって。誰にも助けてもらえず。あの人の母親の悲痛な泣き声が今でも耳について離れない。死んだのが他の誰かなら良かったとは言わない。でもよりによってなんで美海だったのか」
涙も出てこなかった。嫌と言うほど出し尽くしたからだ。あの日から酒も飲めなくなった。日常のあらゆるものが美海と結びついてしまい、失った日の感情がまざまざと思い起こされるのだ。
――なんでだ? なんでこんな酷いことが起きる?
凪は相変わらずカーテンの向こうにいて、助手席には来なかった。陸の話を聞いているのかいないのか、ずっと押し黙ったままだ。陸は構わず話し続けた。
「小学生の頃、気に入らない担任がいたんだけど、そいつがこんなことを言ってた。『人生にはつらいことが沢山あるけれど、どれも自分を成長させてくれる。神様は乗り越えられる試練しか与えないから大丈夫』……そんなわけあるか。あの人と死別して得られる成長って何だ? 神様が俺のために選んだ試練がこれか? 何が大丈夫なんだ? あの世では二度と苦しまないでくれって祈ることしかできない。死ぬまで」
凪は何も言わない。微かにカーテンが揺れたような気がした。感情を出し過ぎただろうかと陸は心配になり、話すのをやめた。なんとも言い難い気まずい空気が車内に漂う。
「あの、慰めになるかはわからないですけど……」
ようやく凪が口を開いたのはアクアラインの手前まで来た時だった。真っ暗だった空はほんの少しだけ白み始めている。
「美海さんは即死で、痛みや恐怖を感じる暇も無かったですよ」
「なんでわかる?」
「私は死ですから。人間じゃないですから、わかるんです」
ちらと後ろに目をやると、カーテンの隙間から凪がひょっこり顔を出していた。あからさまに悲しそうな顔をしている。
「優しいな。死のくせに」
「優しさではありません。事実を言っているだけです。優しいのはあなたの方でしょう」
「何が?」
「何がって……」
凪は呆れたようにため息をつき、「もういいです」と言いながら助手席に戻って来た。
「あとこれ、あげますよ。寂しくなったり悲しくなったりしたら撫でてください」
そんなことを言いながら黒くてふわふわした物体を寄越した。
「何これ? 猫?」
目つきの悪い黒猫のぬいぐるみだった。
「今あの世で流行ってる黒猫です。名前は『ちょこちゃん』です」
「なんかブサイクだな。これ車内に置いて事故らない?」
「失礼な。守ってくれますよ」
「……まあ、そっち置いといて」
返すのもどうかと思い、ひとまず助手席側の適当な場所に置いておくことにした。