『千夜千字物語』その1~トラウマ
身勝手な理由で娘から父親を奪ったその負い目から、
ユキは娘のサキを好き放題甘えさせて育てた。
サキが小学三年生の頃、ユキは仕事場で倒れ入院した。
幸い、疲労からくる貧血ということですぐに退院できた。
しかし、その退院した日から母の態度は一変した。
毎日イライラした様子で、
「しっかりやんなさい!!」と、
躾としてサキを怒鳴り、言う事をきかなければ容赦なく手をあげた。
サキが泣こうが喚こうが、ユキの行為は終わらなかった。
ほどなくして母は逝ってしまった。すい臓がんだった。
入院した時、母は医師から余命幾ばくもないと告げられ
覚悟はできていたようだったが、
悪夢の日々から解放された安堵感と母の死という喪失感で
サキの心はぐちゃぐちゃだった。
サキは母の遺言の通り、母の妹スズ叔母さん夫婦に引き取られた。
ある日、サキがお風呂に入っていると
「たまには、いいよね」とスズが入ってきた。
ただサキの腕を見るとそのまま目を見開いて近づき、
そっとサキの腕を持ち上げ、
うっすら黄色く変色して残る痣を見ていた。
スズは微かに震えながら
「ひどすぎる! 姉さんとはいえ、絶対に許せない!!」
サキを見つめながら静かに怒った。
そしてサキを抱き寄せた。
“こんなにも早く娘との別れがくるとは思わなかった。
このままだと、サキは誰にも受け入れてもらえない”
ユキがそう言っていたことをスズは思い出した。
責任感の強い姉の悪いところが出たと思った。
「だからといって、ここまですることないじゃん」
スズは再びサキの顔をまじまじと見つめて
「辛かったよね」
そう言って、涙を流しながらさっきより強くサキを抱きしめた。
サキの目からも涙がこぼれていた。
分かってくれる人がいた、それだけでサキの心は幾分か軽くなった。
スズはこれまで以上にサキに愛情を注ぎ
時には母親のように、
時には友達のようにつねにサキの心に寄り添っていった。
その甲斐あってか、
サキは少しずつではあるけれど
以前の元気で明るい自分を取り戻していった。
それでも、母親の記憶はサキの心のどこかに潜んでいた。
その証拠に、時折大きな声で名前を呼ばれると、
ビクンと身体は反応を辞めていない。
向き合っていかないと…そう覚悟を決め、
少しずつその記憶を辿るようにしていった。
ある時、夜中にトイレに行こうとしたら、
キッチンで両手で顔を覆いうずくまっている
母の姿を見たことを思い出した。
すすり泣いているようだった。
サキは涙が止まらなかった。