【最終話】だって、そう決めたのは向こうだもの
「ふぁ……」
「フェリシアお姉さま、欠伸が」
「……平和ね、って思って」
「ええ、本当に」
のんびりと会話をしているフェリシアと、イレネ。
こんな日が来るだなんて、一体誰が想像したことだろうか。
「イレネ、体の具合はどう?」
「おかげさまで、何事も問題ございません」
あの騒動の後、フェリシアをはじめとした面々はヴェルンハルトの声掛けもあったことで、早々に移住をしてきた。
それはもう、とてつもなく早く。
なるはや、という言葉では片づけられないほどに行動が早く……というか、元々あの騒動を起こす=移住の準備はここまでにすませておけ、ということでもあった。
ハイス家に関しては、元々あったものを全て捨ててしまえ、とヴェルンハルトに助言されたこともあって、家の中にあった家具も何もかも、綺麗さっぱり捨て去ってこの国、カリュス皇国にやってきたのだ。
「ヴェルンハルト殿下のお言葉があったから、っていうのもあるけれど、貴女のお父さまって本当に思い切ったわね」
「お父さま曰く、『あんな悪魔の触れたものなど、未練など一切ない』とのことです」
「……ああ、そうでしょうね」
我が物顔で、娘ではない第三者が娘としてなり替わっていた、だなんて。自分が同じ立場だったら絶対に嫌だし、やりようによっては娘だからとて手にかけてしまう可能性だってあるかもしれない。
ハイス侯爵夫妻はおかしい、と思いながらも、娘が王子と恋人になったということが嬉しくて、違和感からは目を背けていたのだろう。
しかし、目を背け続けるにも限界があった。
よくよく観察してみれば、他人が自分の娘に成り代わっていた。癖も、魔法の属性だって、何もかも変化していたのに、どこまで都合の良いことばかり信じていたんだ、とハイス侯爵は考えを改めたのだ。
そして、現在に至る、というわけだ。
「……本来の寿命を戻すまでには至らなくてごめんなさい」
「いいえ」
ふる、とイレネは首を横に振った。
「このまま死に絶えるのを待つだけだった私を、元に戻してくれたのだから感謝しかできません。それに、何度でも申し上げます。成り代わりを知らなかったにも関わらず、こうして元に戻してくれただけではなく、『私』自身で生きられるようにしてくれた。……本当に……ありがとうございます」
微笑んで紡がれた言葉に、フェリシアは少しだけ胸が熱くなる。
ああ、諦めなくて良かった、と心から思えたし、悪役で居ても良いこともあるものだ、と改めて感じていた。
カリュス皇国に移り住んで以降、本物のイレネはフェリシアのことを『お姉さま』と呼んでくれるようになっていた。
同い年でしょう、と言ってみたけれど、実際の年齢はまだ一桁なので、とにっこり微笑まれてはフェリシアにもどうにもできなかった。
そして、移住する前にストックしておいたもの全てを注ぎ込んで、それを使って寿命が途切れる寸前だったイレネを救えたのだ。
あの国王、ようやく最後に役に立ってくれたわね、とフェリシアもベナットも微笑んでいたが、皆の移住が完了して数か月後、嬉々としてヴェルンハルトが戦の準備をしている。
……現在進行形で。
「そういえば……ヴェルンハルト様は何をしておいでなのかしら」
「ああ……あの人ね……」
はぁ、と溜息を吐いているフェリシアを不思議そうに眺めていたイレネだが、ちょうどのタイミングでフェリシアとイレネが過ごしている部屋の扉がノック無しでずばん!と開かれた。
「ひゃあ!」
「…………ああもう…………」
この人本当に将来の王か? とフェリシアは頬を引きつらせていたが、続いてやってきたリルムとセイシェルが、そこそこ容赦なく部屋の扉をいきなり開けた人物に対して、背後からツッコミを入れる。
「なぁにをなさっておりますのお兄さまぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「ヴェルンハルト、いきなりはやめなさい、ってあれほど言ったでしょう!」
「あいたーーーーーーーー!!」
すぱん、ごつん、と結構痛そうな音が響いて、その後に慌てて走ってきたのだろう。
リルム、セイシェルの従者も駆けてきて、フェリシアの過ごす部屋は一気ににぎやかになった。
「……皆さま、とってもお元気で……。それと、ヴェルンハルト殿下は一体何事でして?」
「おおフェリシア嬢、そしてイレネ嬢、息災か!」
「喧しいこと以外は平穏でございます」
フェリシアは、家ごと丸っとカリュス皇国にてそこそこの待遇を得ていた。何せ『時』を操る家系を絶えさせるわけにはいかない、というヴェルンハルトの言葉にカリュス皇国が騒然となったのは言うまでもなく、法務大臣が意気揚々とこう提案したのだ。
『大罪を犯したものを利用すれば良いのでは!』――と。
罪人皆が心を入れ替えて、刑期を終えて外に出るわけではない。であれば、一度はチャンスをあげて、再発をしてしまった場合にはただ死ぬよりもむごく、その一生を終えさせろ、というもの。
特に、殺人犯や窃盗犯。違法薬物を取り扱っている犯罪者など、取り締まれる人物は、とっても多い。
有効利用するところは、どこだろうか。それを考えてみれば、これもまた色々とあった。
死の淵ギリギリすぎるところにいる人を、戻すわけにはいかない、であれば、ほんの少しだけ猶予を与えて家族との別れをきちんと済ませたり挨拶をしたり、などできることは多い。
些細なことで言えば、ついうっかり割ってしまった花瓶を元に戻す、など。言い出せばキリがなく、とんでもなく恩恵を受けられる人材……いいや、『人財』を見つけて、保護してくれた! とヴェルンハルトの評価はうなぎのぼり。
しかも、これまたとんでもなく有能な嫁まで連れてきた! と現在の皇帝夫妻も大変喜んだし、皇位を狙っていた他の面々も悔しがっていたが、『それならこの功績以上をあげてみろ!』とヴェルンハルトが声高らかに言うものだから、その通りだ、と皇帝夫妻に一蹴されてしまったので、また別の争いが起こりそうだがそれはそれ。
そしてヴェルンハルトは今、嬉々としてフェリシアの部屋へと突撃なう、という状況。
妻となったリルム、妹のセイシェルのツッコミを受けつつも目をきらきらさせながら口を開いた。
「リルムの願いを叶えに行く!」
「はい?」
「そなたらの祖国がなくなってしまうだろうが、何か伝言とか……」
「ああ……なるほど。では、徹底的にやっちゃってくださいまし」
伝言とかないか、と聞こうとしたヴェルンハルトの言葉の途中で、フェリシアはにっこりと微笑んでからくい、と親指を下に下げつつ言い切った。
うわぁ、とセイシェルは一瞬顔を顰めたが、フェリシアのされてきたことを考えてみればそうなるのは当然か、と自身の中で答えを出した。フェリシアと過ごしていたイレネも、うんうん、と頷いている。
「イレネ嬢……貴女もよろしいんですの?」
「はい。私から全てを奪ったあんな国も、首謀者も、皆……滅んでしまえばよろしいんですわ」
「……まぁ、そうなるわよね」
自分の体を乗っ取られていたこともあるが、そもそもカディル自身が明らかに王の器ではない。
リルムの願いをかなえるために、恨みを晴らすために。あの国を、地図から消してやろう。そう心に誓ったヴェルンハルトの動きは、大変早かった。
攻め入る理由に関してはリルムに手助けをしてもらい、城の機密情報などに関してはベナットから大量に情報を提供してもらい。手回しに時間をかけはしたが、ようやく攻め入れる状況になったので、フェリシアとイレネのところにやってきたのだが、二人はあっけらかんと『はよ行ってこい』と言わんばかりに微笑んでいる。
「……しかし、二人とも……強いな」
「強くならざるを、えなかったんです。……特に、イレネ嬢はそうでしょうね」
「……強く、というよりは……仕方ない、という諦めの方が大きいかもしれませんわ。お父さまだって……お母さまだって、『私』だと見抜けられないくらいに、入れ替わってからしばらくの間は、何もできなかったんですもの」
あはは、と苦笑しながらイレネが言うと、リルムが前に出てきてすっと膝をつき、イレネの手を取った。
「本当に、この貴女がカディルの婚約者なら……まだまともな国であり続けられたかもしれないわ」
「まぁ、リルム様ご冗談はおよしになってくださいまし!」
「へ?」
「仮に、婚約者になってくれ、と打診が来たとて、必ずお断りします。だって……あんな人、生理的に無理ですもの」
ころころと笑うイレネの言葉には、嘘は見られなかった。
つまり、あくまで『ゲーム』だったから、イレネがカディルと幼馴染という関係性を築き、恋仲になる、というだけの話。
それを全てフェリシアがひっくり返し、とどめと言わんばかりにイレネを元に戻したから、全てがなかったことになったのだろう。
「……お馬鹿さんの思い通りにはいかなかった、というわけね」
「ええ。それと……」
「?」
何だろう、とフェリシアたちが首を傾げている中、イレネは微笑んで言葉を続けた。
「仮に、あのまま結婚していたとて、『この体』の寿命は尽きる。そうなれば……結果として今以上の混乱になっていたことでしょうね」
「本当……貴女、どうして乗っ取られちゃったのかしらね」
「それだけは私にも分からなくて……」
これが『ゲーム』の弊害、というものか、あるいは強制力なのか。
どちらにせよ、敗因はただ一つ。
「でも、結果オーライかしら。あのお馬鹿さんが暴走して、勝ちが確定していたにも関わらず、わたくしに対してあれこれ教えてくれたから、全てを台無しにしてやろう、とわたくしが動いた。まぁ、それだけなんだけど……勝ちが確定しているなら、そのまま放置しておけば良かったのに」
「それだけ馬鹿なのよ!」
ケッ、とリルムが心底嫌そうな顔で言った時、またもや部屋の扉がずばん! と開かれた。
「わたくしの部屋、ノックなしとかやめてほしいんだけど」
「お邪魔するわね! セイシェル様、お勉強のお時間です!」
「あらミシェル、今日もお元気ね」
「文官としての業務の合間にヘルプが来たの! あ、ちょっとセイシェル様! お待ちください!」
どったんばったんと鬼ごっこを繰り広げるミシェルとセイシェルは、何だかんだでうまくやっている。最初こそ衝突したものの、現在はミシェルがセイシェルの教育係をしている。しかも文官の仕事の合間に。
「うふふ、有能な皆さまばかりでわたくしもこっそりと嬉しいわ」
「何を言う、そなたもだろう?」
ヴェルンハルトの言葉に、フェリシアが微笑む。
フェリシアと一緒にカリュス皇国にやってきた面々は、人材が足りていない、あるいは新規事業などの計画を立案したりするため、各々が適材適所で働き始めている。
移住に伴う手続きなどが大変なのもあってか、ようやく皆が軌道に乗り始めているところだ。
なお、フェリシアは『時の聖女』として神殿で働き始めている。
イレネはフェリシアの侍女として働き始めているのだが、まさかたまたまの休日に皆がわっと押しかけてくるだなんて思っていなかったのだが、理由を聞いて納得もした。
「今日は聖女としての業務はお休みですし、先ほどヴェルンハルト様からのご質問に答えたもので、よろしくて?」
「む? ああ、すまん、問題ない! では行ってくる! 勝利を我が妻に、そして……フェリシア嬢、君にも」
「あら」
「まぁまぁ」
ニッ、と笑ってまたヴェルンハルトは意気揚々と部屋を後にしたのだった。
「……決着は、きっと簡単につくでしょうね」
あの国は、何もかも崩壊している。
きっとヴェルンハルトが攻め入れば、何か月も持たないままに崩れ去るだろう。それを承知しているから、国を見限った面々が全力で手を貸した。
「さ、吉報を待ちながら、わたくしたちはいつも通りに過ごしましょうね」
フェリシアが告げれば、リルムも、イレネも微笑む。
「悪役って決めつけたのは……あの人たちだものね。……うふふ、自業自得の未来を迎えた感想をお聞きできなかったことだけが、心残りといえば心残りかしら……」
ふぅ、と溜息を吐くフェリシアに、皆同じように頷いている。
ふとフェリシアが窓の外を見れば、一羽の鳥がさっと羽ばたいているのを見つけた。青空の下、元気よく飛んでいく鳥を見て、フェリシアの顔に自然と柔らかな微笑みが浮かぶ。
「――わたくしは、わたくしの役割を果たしただけ」
なお、出撃準備の整ったヴェルンハルトだったが、予定よりも早く帰還した。
何でも、『カディルの指揮する軍隊があまりにも弱く、戦争ふっかけたはずだけれども他国との合同演習をしている以上に手ごたえがなく、あっという間に勝ってしまった』らしい。
何もかもぐちゃぐちゃで、あれはもはや国とも呼べないくらいのお粗末なものに成り下がったものの末路は、呆気ないものだ。
そういう内容の報告書を呼んだフェリシアは、リルムと顔を見合わせて微笑んで、彼女たちは同時にこう呟いた。
「――ざまぁみろ」




