あるべきものを、あるべき所へ③
『……ここ、は』
「う……っ」
カディルが口を開いたかと思えば、聞こえてくるのはカディルと混ざった女の声。
「……っ」
「何だあれ……」
「気持ち悪い……!」
「本当に……あいつらの方が悪魔ではないか……」
「……あの悪魔の口車に乗ってしまったというのか……!?」
震えている貴族たちを横目でちらりと見て、彼らに対しては何も言うことなくフェリシアはイレネへとゆっくりと寿命を注いでいく。
「……これで、わたくしが知らなかったとはいえ、貴女の命を奪ってしまったことへ……少しでも償いが出来ればいいのだけど……」
「…………ありがとう」
「え?」
「……十分すぎるほどに、貴女は初めて会う私に、尽くしてくれているわ」
ふわ、とイレネが微笑む。
「……貴女……」
「なぁに?」
フェリシアは、思わず口がつるっと滑りそうになった。
あのまがい物が入っているときは、何とも醜悪な笑顔だけしか見たことがなかったのだが、本物が浮かべる笑顔というのはこんなにも綺麗なのか、と。
「いいえ、何でもないわ」
「そう?」
「ええ」
ふふ、とフェリシアとイレネがお互いに微笑み合う。
その光景を見ていたベナットは、『ああ、何と惜しいことなのだろうか』と思う。もしもこのイレネがイレネのままで、ここまで成長していたら……きっと素晴らしい王太子妃としてカディルではない王子の隣に立っていた可能性だってある。
そして、フェリシアと良い友人になったのではないか、とも思った。
「……イレネ嬢、わたしからも」
「まぁ……!」
そんなにも丁寧な対応を……! と感動してくれているイレネだったが、何やら喧しい外野に、嫌そうに顔を顰めた。
「……人が喜んでいるというのに……」
「お馬鹿さんたちが何やらうるさいですわね」
「……何をしたの?」
「……ちょっと、カディル殿下の中に押し込めましたの、あの偽者を」
うわぁ、とイレネが嫌そうな顔になったが、一人芝居をしているかのようなカディルを見ていればふと視線がかち合ってしまった。
やべ、とフェリシアもベナットも思っていれば、慌てて立ち上がったカディルが助けを求めるようにしてこちらへと駆けてきているのが見える。
助けてくれ、という悲鳴も聞こえるが、そんなもの答えは分かり切っているというのに、あの馬鹿は何を言っているのだろうか、とフェリシアは笑ってから指を鳴らして防御魔法を展開させた。
「助けて、フェリシア、助けてくれぇぇぇ! ……うぶっ!」
バチン! と凄まじい音と共に、防御魔法に触れたカディルが一瞬火花を散らして吹き飛んで行った。ごろごろと何とも無様に転がっていく様子が格好悪い。
「嫌だ……こんなの、こんなの、俺が望んだものなんかじゃない! フェリシア、……いいや、この際リルムでも良い、助けてくれ!」
「…………は?」
あ、馬鹿だ。
フェリシアは直感でそう思った。
リルムの顔が、これでもかといわんばかりに引きつっている。それだけではなく、少ししてからリルムがわなわなと震え始めたかと思えば、思いきり床をだん! と踏み鳴らした。
「ふざけないで! お前にはそのままで死んでいく未来こそがお似合いよ!」
「な、なんだと!? 俺たちは母親が違うといえど、姉弟だろう!?」
「……だから何?」
「身内ならば協力して当たり前だ!」
何故だかドヤ顔をしながら言い切ったカディルだったが、その場が一瞬でしん、と静まり返ってしまっていることに気付けば、あれ……? と首を傾げている。
何か妙なことを言ってしまったのだろうか、いいや何もない、と内心で呟いていれば、カディルの『中』から声が聞こえた。
『……フェリシアもリルムも、協力なんてするわけないわ』
「う、うるさい!」
『何を仰いますの……? ねぇカディル様ぁ、私とあなたは一蓮托生なんだから……このまま楽しく生きていきましょう……?』
「嫌だ! お前なんかと誰が共存するか!」
必死に叫んでいるカディルだったが、悲しきかな。カディルの内側から聞こえるイレネの声は外には聞こえていない。
だから、他の人から見れば、カディルが一人でわいわいと騒いでいるだけという状態なのだ。
「殿下は……何を……?」
「さっきローヴァイン公爵が何かしていたようだけど……」
「偽聖女をその身に宿したとか、何とか……?」
「ええっ……!?」
「一体どうやったというんだ……」
ざわついている貴族の面々など、フェリシアもベナットも、無視をした。
そんなことよりも、リルムが相当キレていることの方が恐ろしい。カディルのことを殺さんばかりの目で睨みつけ、今にも殴りかかりそうだ。
殴りかかるだけで済めばいいのだが、とフェリシアが思った矢先のこと。
「おぶふぁっ!!!!!!!!!!!!!!!」
「――あ」
カディルが、言葉通り吹っ飛んだ。ごろごろと転がり、
やったのは勿論リルムなのだが、どうやら渾身の力を込めつつ、魔法で身体強化をしたうえで、拳でカディルの頬を思いきり殴り飛ばした、というわけらしい。
殴ってカディルを吹き飛ばしたリルムは、ぜぇはぁと呼吸を荒くしながらも嫌悪感をとんでもなく露わにしながら悲鳴のように叫んだ。
「何が『身内ならば協力して当たり前』よ!! 笑わせないでくれるかしら! ああもう、本当に最悪!! 気持ち悪い!! 何様!?」
悪口がまるでマシンガンだなぁ……とフェリシアもイレネもベナットも、どこか遠い目で文句をつらつらと続けるリルムを眺めているが、その中であっはっは、と朗らかに笑っているのはヴェルンハルトだけ。
一体何がそんなに愉快なのか、と問いかけたかったが、それより先にヴェルンハルトが満面の笑顔で口を開いた。
「落ち着けリルム。……さて、今ここで質問するのもおかしな話かもしれないが、改めて問おう。リルムは何を望む? 我が花嫁の願いならば、俺は何でもかなえてやりたい!」
「本当に、何でも?」
「月や太陽を取ってこい、というのは無理だがな」
「なら……」
叫んで疲れたのか、少しだけ力なく、ぽつりとリルムは呟いた。
「さっきも言ったけれど、この国を、滅ぼして。カディルも、偽物聖女も、クソ国王も、賛同している貴族も何もかも……っ!」
「ほう?」
「……全部、無くして」
「(……あら)」
もしもリルムが言わなければ、フェリシアがヴェルンハルトに願い出ていた、物騒なこと。
何もかもを潰してやる、と心に誓っていたからこその願いだが、まさかカディルの人に頼り切りな精神がこんなところで役に立ってくれるとは……と、フェリシアはこっそりほくそ笑んだ。
「全部、とは?」
「……言葉通りよ。何もかも、……この国そのものをこの大陸地図から消して!」
「な……!?」
『はぁ!?』
リルムの悲痛な叫びに、カディルも、カディルの中にいるイレネもぎょっと驚いて叫んでいる内容はハモっているだけに、声を聞いた面々はぎょっとしているがフェリシアはひとまずリルムに落ち着いてほしいと感じたためにリルムに近寄った。
「ねぇ、リルム。少し落ち着いてくださいまし」
「は!? 何言ってんのよ!! 嫌なものを嫌、っていうことが悪いの…………って、あらフェリシア」
「落ち着いた?」
「いいえ」
にこやかに、きっぱりと言い切ったリルムの言葉に、イレネ共々フェリシアは少しだけ苦い表情をしてしまう。
しかし、リルムがヴェルンハルトに願ったことは、フェリシアにとってみればとっても好都合。
自分のことを悪役だと言って、冤罪なのにも関わらずありとあらゆる罪を着せまくって、散々不要だと言ってきたこの国のカディルやイレネに味方をした貴族たち。それに賛同して持ち上げまくった平民たち、止められたはずなのに行動が遅すぎた国王夫妻。
何もかも、全て見捨ててしまおう。繁栄を約束されていた国が滅んでしまったとて、フェリシアには何の思いも抱けない。
――であれば、フェリシアはリルムの考えに全力で乗っかるだけだ。
「……リルムが、そう願うのであれば、そうしてしまえばいいと思うわ。偽聖女とこれからご一緒される王子殿下は……本当に何もかも他責にしてしまうことと他力本願なことがお得意なご様子。そんな人が治める国なんか将来性もあったもんじゃないし」
フェリシアの言葉に、カディルやイレネ側の貴族たちはようやく事態の悪さを悟った。
まずい、このままでは自分たちの身が危うい。
そう気づいた時には、何もかも遅かった。そもそもフェリシア側にいない時点で、彼らが見捨てられるのはわかりきっている。
今から縋ろうとしても、カディルやイレネの言葉を鵜呑みにして散々な言動が目立っていた彼らは、助けの手なんて差し伸べてもらえるわけがない。
これを理解しているから、どうにもならないのに『助けてくれ』と願ってしまう。
「そん、な」
「国が……」
「なくなる、だなんて」
呆然と呟いている人たちを無視して、ヴェルンハルトはリルムの願いを聞き、満足げに頷いてからぎゅう、と抱き締めた。
「我が花嫁の願い、確かに聞き届けた。では、リルムとフェリシア嬢たち、皆揃って我が国へと移住をしてもらえるだろうか」
「かしこまりました」
「仰せのままに」
ヴェルンハルトから告げられた人たちは、揃って深く頭を下げる。
こうなるだろう、と予見して皆揃って荷造りはしていたのだから、あとは運び入れだけだ。移住に関しての書類も既に作成済みで、決裁印も押されているから取り消すことはできない。取り消すには相応の時間がかかることが分かっているから、カディルはみるみる絶望した顔になっていった。
「ま、まて!」
誰も、カディルの言葉を聞くことなく、ヴェルンハルトの言葉の続きを待っている。
「それと、こちらでの受け入れは完了している。すぐにでも移動したいのであればフェリシア嬢に相談するといい。我が妹セイシェルと協力して、転移魔法を込めた魔道具を用い、転移ゲートの展開もできるように手筈が整っているはずだ。……フェリシア嬢」
「ええ、抜かりなく」
どこからどこまで手を回していて、どこからどこまで準備が完了しているというのだろうか。
今更、カディルたちの味方をしていた人々は遅すぎる後悔をしている。いくら震えようが、謝ろうが、後悔をしようが、時は戻らない。
誰の味方をすれば良いのか、偽聖女の『魔法』にかかっていた人たちの判断能力が鈍っていたとしても、そうでない人も多いのだから文句なんて言えるわけがないことも理解しているから、皆揃って動けないままフェリシアたちの退室を見送ることしかできなかった。
――後に残ったのは、お馬鹿さんだけ。




