あるべきものを、あるべき所へ②
「わ、私を、どうにかできると思っているの!? 良くって!? 私は聖女なんですからね!?」
「はい、存じております」
きっとこれは、イレネの精いっぱいの強がりなのだろう。それに対してフェリシアはにこにこと微笑んで言葉を返す。
しかしフェリシアにとってもベナットにとっても、こんなことは単なる戯言に過ぎない。どうにかできる、いいや、どうにかするだけだ。
そのためには特別な力がなくなろうとも、どうなっても良い。
本来迎えるべきはずのストーリーとしては、『イレネがカディルと結ばれる』というもの。
本当のイレネを取り戻して、仮に婚姻関係を二人が結ばれたとして、その後は本当のイレネの好きにしてしまえばいい。
きっと、本物のイレネにはそれを成すだけの能力がある。
「どうにかする、っていうか……してしまえばいいだけのことでしょう?」
「……は?」
ぽかんとしたイレネを見て、フェリシアが嘲笑えばつられるようにフェリシアにだけ見えている幼いイレネも凶悪な笑顔を浮かべているではないか。
ああ、彼女も意味が分かったのだろうか。だとしたら、やはり頭の回転が速い。
「お前を追い出して、本当のイレネ嬢に体の権利を返してしまえば何も問題はないでしょう?」
「だ、だからそんなことできるわけ!」
「あら嫌だ。ない、ってどうして言い切れるの?」
「…………は?」
「やったことはないし、どんな反動がわたくしに降りかかるかも分からない。でもね、わたくしこれまで在るべき未来を全力で何もかもひっくり返し続けてきたの」
ひく、とイレネの顔が引きつった。
対照的に、フェリシアはとてもにこやかに微笑んでいる。
真逆な二人の様子を見ていたベナットは、すっとフェリシアの傍らに立って、フェリシアと同じように微笑んでいる。
三者三様な様子ではあるが、絶対的に勝利を確信しているローヴァイン公爵親子と、絶望の色しか浮かんでいないイレネは本当に真逆。
その場にいる人たちも、一体何が起こるのか、と興味津々であったり、恐ろしいものを見るような顔で見ている。
「何を……ふざけたことを……!」
「あら、ふざけてなんかいないわよ? ……ちょっとお前の時間そのものに干渉するだけだし、他には影響なんか出ないし?」
「え」
やめて、と叫ぶよりも先に、フェリシアはすっと手を伸ばしてイレネの手首を掴んだ。
もっと早く逃げていれば良かったのかもしれない、と後悔する暇なんか与えず、フェリシアはふっと微笑んで、逃がさないように掴んだ手首に力を込めた。
「い、っ……! ちょ、ちょっと何するのよ!」
「本当に……心の底から馬鹿ね、お前」
微笑んだままのフェリシアの表情に、じわりとイレネに怒りが滲んだ。
「わたくしにそもそも喧嘩を売らなければ……余計なことを言いさえしなければ、こんなことにはならなかったんじゃないかしら」
「なに、を」
「お前が、教えてくれたことだもの。わたくしの覚醒条件、力の使い方。だから……せめて」
ふわりと、フェリシアの足元に魔法陣が広がった。
え、え、と困惑した声を出しているイレネのことは気にせず、本物のイレネに向けてフェリシアは語り掛ける。
「ごめんなさいね、もうすぐ返してあげられるから」
「……待ってるね、フェリシア様」
イレネの声が二重に聞こえることだけは慣れないが、知らなかったとはいえ自分がイレネの寿命を使ってしまったことに対するけじめのようなもの。
本当の彼女が少しでも笑っていられれば。
その思いがフェリシアの中で膨れ上がっていく。
「(やり方なんて知らない、でも――)」
寿命を奪うときは、引っこ抜くように。
時を操作するときは、フェリシアの場合は直感的に。
では、魂の時を操作するときはどうすればいいのだろうか?
「(中身だけを……操作して……いいえ、中にいる偽者の時間だけを掴むようなイメージで、いなかった時に戻していくようにすればいいのかしら)」
この偽者は、『イレネ』が生まれた時からいたわけではないだろう。
ということは、そこまで遡れば良い。しかし、遡ったあとはどうすれば良いのだろうか。
「……どうしよう」
「フェリシア、思う様にやりなさい」
「お父さま」
「少し、考えがあるんだ」
何だろう、とフェリシアは首を傾げたが、魔法は発動している。
折角国王からきっちりと吸い上げたのだから、有効活用しなければいけない。
「やめ……っ、離せ! 離して!」
じたばたと暴れるイレネを離さないまま、フェリシアは意識を集中させる。そして。
「……発動」
静かにフェリシアが呟けば、イレネの中で何か気持ち悪い感覚に襲われてしまう。
うぐ、と口元を押さえようとしたが、何故だかそもそも体が動かない。嫌だ、どうして、何でこんなことになってしまったのか、と考えれば考えるほど、『自業自得』という言葉が頭をよぎる。
「い、や…………いやああああああああああ!!」
絶叫としか言いようがないイレネの悲鳴に、そこにいたほぼ全員が慌てて耳を塞ぐ。それほどまでに喧しい、という言葉がぴったりな様子に、カディルも『どうして』と力なく呟くことしかできなかった。
ぐるぐると目が回るような感覚にも襲われてしまうが、逃げられないようにフェリシアに拘束されていることに加え、内部からは本物のイレネにがっちりと抱き着かれてしまっている感覚がイレネを襲う。
「(何、これ。何なの……!)」
ただ、気持ち悪い。
本物のイレネに抱き着かれているような感覚も、自分の中身をぐるぐると、まるでお鍋をかき回すかのように回されるような嫌な感覚も、何もかもが気持ち悪いのだ。
「ぅ、え……っ」
「どれくらい『戻せば』良いのかしら……」
何でもないように軽くフェリシアは呟いて、すっと目を閉じて念じる。
戻れ、戻れ、戻れ。
かつてあった姿に、正しき状態に。
今ある歪なものは、もういらない。不要である。
念じれば念じるほど、中にいる偽者のイレネの時間だけが的確に戻っていく。まるで最初からやり方を知っていたかのように行えてしまうのは、天性の才能とでも言うべきか。
「や、め……、て」
さっきまでは叫んでいたイレネからは、途切れ途切れの悲鳴のようなものしか出てきていない。
がたがたと震えていたイレネの体が一度、大きく跳ねたかと思えば、ぐるん、と白目をむいてばったりとその場にへたりと座り込んでしまったようだ。
フェリシアが手首を掴んでいるから、後ろにのけ反ってしまい頭をぶつけずに済んでいるのだが、恐らくイレネを襲っていた感覚の気持ち悪さに、イレネ自身は気を失っているらしい。
「……あら、堪え性のないこと」
「フェリシア」
「お父さま?」
「さて、本物のイレネ嬢はどこにいったのかな?」
「彼女なら……」
「ここよ」
フェリシアの手にかかっていたイレネの重みが消え、イレネは己の力でぐん、と起き上がってから一度大きく首をぐるりと回し、フェリシアとべナット、二人へと微笑みかけた。
先ほどまで表に出ていた、聖女の『イレネ』とは全く異なっている笑み。
声もイレネなのに、どうしてだろうか。今表に出ているイレネの方が耳馴染みがとても良い。……ということは、とフェリシアは考える。
「……確認させてちょうだい、表に出ている貴女が本物の『イレネ』かしら?」
「ええ、ご推察の通り」
「じゃあ……」
「偽者はね、あそこよ」
ほら、と謁見の間の天井付近を、イレネは無邪気に指さした。
『――っ!』
「……あら、そんなところにいらっしゃったのね。……聖女サマ?」
まるで幽霊のように半分透けた状態の、しかし見た目はフェリシアの目の前にいる『イレネ』として、どうやら弾き出されてしまったらしい。
何やら喚いているらしいが、実体を持っていない彼女の声は悲しきかな、誰にも届いていない。
イレネ曰く、『ここはヒロインが王子様と結ばれて幸せになる』という世界らしいが、こうなったらどうやって……と考えて、フェリシアはぽん、と手を打った。
「ああ、そうか」
「フェリシア、気付いたかな?」
いつの間にか傍に立っていたベナットを振り返り、フェリシアはにこりと微笑んで頷いた。そうか、なるほどな、と思いベナットに対してフェリシアは頭を下げる。
「お父さま、お手伝いしていただいてもよろしい?」
「勿論、そのためにここにいるんだ」
ベナットの視線は、フェリシアの刻印へと落とされた。
「残りを、全て正しきイレネ嬢へと注ごう」
「はい、お父さま」
「それと……」
「ええ、勿論」
フェリシアとベナット、二人の笑みが凶悪なものへと変わった。
「王子様と聖女が幸せになればいい、その形は『こうあるべき』とは指定されていない」
「そもそも、二人が『結ばれれば』それでいいのであれば」
『――!! ~~!! ――!!!!』
きっと、追い出されたイレネは『やめて』と叫んでいるのだろうが、聞こえない。
器がないのだから、声を届ける手段がないのだ。だから、イレネの悲鳴なんて、懇願なんて、誰も聞いていないし、聞こうともしていない。
「どうぞ、勝手にお幸せに」
フェリシアとベナット、二人揃って狙いを定める。
ベナットは、ストックしている力で時の鎖を編み上げ、イレネを捕縛した。時間を置かず、ぐっと引き寄せればそのままイレネはベナットの方に引き寄せられて、とても愉しそうに微笑んでいるベナットとフェリシア、二人と視線が合った。
「『器』ならここにあるわよ?」
フェリシアは、迷うことなくカディルのことを指さす。
「……え? フェリシア、お前……何を、言って……?」
「カディル様、貴方が選んだことです。イレネを王太子妃に望んだでしょう?」
「ち、ちがう! 俺は、っ、あんなまがい物を選んだわけでは……!」
「まぁまぁ、盛大に婚約発表もしておいて何を今更」
フェリシアはとても愉快そうに笑って、カディルの髪をがし、と掴んで無理やり『イレネ』の方を向かせる。
「い、っ」
「うふふ、懐かしい」
髪をぎりぎりと引っ張れば、カディルからは悲鳴が漏れる。
「っ、やめろ、何を考えている、離さんか!」
「まぁまぁ、かつてわたくしに貴方がしたことではありませんか!」
「…………は…………?」
かつて、王妃だった女の誕生日パーティーで、カディルはフェリシアに殴り掛かるだけではなく、こうして髪を掴んでぎりぎりと引っ張った。
「同じことを、しているだけですわ?」
「…………っ!!」
カディルは、ゾッとした。
あんな小さい頃の、些細なことを未だに根に持っているのか、と顔色を悪くするが、やられた方が必ずしもそう思っているとは限らない。
やられたことを、やり返しただけなのに何が悪い、というフェリシアの思いなんかカディルは考えたりはしない。
小さい頃の話は、たとえ謝っていないとしてももう既に水に流しているものだとばかり、勝手に思っているのだから、だいぶタチが悪い。
「お、お前、何を」
「……貴方の愛した聖女サマと、どうぞ……」
にぃ、とフェリシアの笑みが深くなり、淡々と言葉を紡ぐ。
「──お幸せに」
そう告げた後、イレネはぐん、とカディルの中へと吸い込まれるようにして、入っていったのだった。