逃がさないという執念
この婚約の話は断られるわけがないと、エーリカは慢心していた。
もしも時属性に目覚めたとしても、目覚めていないと嘘をついて、この見目麗しい令嬢をカディルの婚約者にし続けて、公爵家の後ろ盾も手に入れればいい。
ローヴァイン公爵家の歴史はこの国の建国時まで遡る。当時の王弟が賜った爵位であるとも言われていることはとても有名な話であり、王女の降嫁先となったり、あるいは王太子妃を輩出したりと、少なからず王家の血を残している重要な家である。
時属性に目覚めたのは歴史の中でもまだ新しい出来事ではあるが、目覚めた切っ掛けまでは詳細が残されていないというのが事実である。また、この力を逃してはならないといち早く察した当時の国王が、ベルティエ王国から出て行かないよう、何らかの形で公爵家を縛り付けている……というのも、密やかに有名な話。
王家との婚姻をもって、国に縛り付けるということも勿論ある。
だが、今回のように『顔』だけで王太子妃候補を選びにかかった例は見たことも聞いたこともない。
王太子妃はいずれ王太子と結ばれ、国を導く存在となるのだから、エーリカのように『まず見目麗しいから』という理由で候補といえど選ぶのは言語道断だろう。
これは国王も知っているとなれば、国をおさめる立場の者としてどういった思考回路をもっているのかと疑いたくなるようなところだ。
断りを入れたローヴァイン公爵親子は、席に座らないまま王妃と相対している。
ギリギリと物凄い目で睨んでくるエーリカの様子に、フェリシアは恐怖すら覚えた。
「(とんでもないお人ね……王太子妃候補をたかが顔で選ぼうとするだなんて……)」
求められる能力の方が大切ではないのだろうか。
家柄はまず言うまでもなく、その令嬢の資質も問われるだろうに選出理由の一番の理由が見目麗しいからだとは、呆れるにもほどがある。
前回、別にイレネとカディルが運命の相手同士だというなら好きにすれば良かった。
二人の邪魔をするつもりは毛頭なかったのだし、フェリシアからすればあの時は時属性に目覚めていなかったのだから、王太子妃として責務をきちんと果たそうと思っていた。
「(でも、この王子はイレネを運命の相手と言って堂々と浮気をした挙句、人に冤罪を吹っ掛けたとんでもないボンクラ)」
ぎゅう、とフェリシアはわざと父であるベナットに抱き着いた。
「おとうさま……わたし、何か粗相をしてしまったのでしょうか……」
泣いてはいないが、今にも泣きそうな声で縋るように父へと抱き着くその姿は、王妃に睨まれたことで怯えているという姿をばっちり見せつけられたものとなった。まずい、と思ったエーリカはフェリシアを逃がしたくないあまり、ひきつった微笑みを必死に浮かべている。
「ち、違うの! でもね、フェリシア嬢、これはお互いのための婚約で……!」
「時属性に目覚めたのに……ですか……? お父様、わたし、は……」
「ああ、心配いらないよかわいいフェリシア。陛下にもしかとお伝えしてから正式にお断りしようね」
「証を見せなさい!」
勝手に話を進めるな!と鼻息荒くエーリカは怒鳴りつけた。
その言葉にベナットはしてやったり、という笑みを浮かべ、フェリシアは怖がっているような素振りでレースの手袋を外し、証たる刻印を見せる。
分かりやすいようにと、ベナットも自身の刻印を見せて同じものであることをしっかりと見せつけた。
「こちらで満足いただけたかな?」
「回復魔法を! 誰かおらぬか! 公爵令嬢に刺青が!」
どうしても認めたがらないエーリカの怒鳴り声に、慌てて宮廷魔導師が駆けつけてくる。刺青を入れるわけないだろうに……とげんなりするが、いきなり刻印が現れていたらそういう反応なのだろうか、と困惑していると、駆け付けた魔導師が状況を吞み込めずに困惑している。
「……婚約が嫌だからと、当家が可愛い一人娘に刺青をしたと、そうおっしゃいますか?」
「念には念を、よ」
ギラギラと輝く目のエーリカに、駆け付けてきた魔導師も申し訳なさそうにしながらフェリシアへと頭を下げる。
「令嬢、誠に失礼なのは承知でございます。お手を……」
「はい」
どうぞ、と微笑むフェリシアの姿に、魔導師は健気なご令嬢だ、と思う。
いくら高位貴族とて、あのような調子でいきなり怒鳴られては恐怖もあるだろうに、と思いながら華奢な手をそっと取り、治癒魔法をかけていく。
当たり前だが、長時間やったとしてもそれが消えることはない。
魔導師はエーリカに向き直り、深々と頭を下げてから申し訳なさそうに告げた。
「王妃様、こちらは刺青などではございません」
「本物の……刻印だと、いうの……」
嘘よ、嘘。そう力なく呟くエーリカを見て、カディルが母の仇と言わんばかりにベナットとフェリシアを睨みつけた。
「そなたら、とてつもなく性悪だな! 母上にこうして呼ばれているというのに今日、その刻印とやらの存在を見せつけるなど!」
性悪で結構だ、とベナットとフェリシアの心の声は見事に重なった。
だからどうした、と吐き捨ててやりたいが相手は一国の王子である。しかし子供でもあるし、どうしたものかと思っているとカディルが更に続けてくる。
「大体、貴族令嬢なのだから王太子妃候補に選ばれただけでもありがたいと思え!」
無理っす、と更に心の声がハモってしまう親子。
げんなりしているのを既にベナットは隠し通す気はないようで、大きな溜息を吐いた。
「殿下、それでは当家の後継者問題を王家がどうにかしてくれるのですか?」
「はぁ?」
「我らはこの力をもって、王家の手助けを陰ながら行っておりましたが……はてさて、どうしたものやら」
「だから、お前の娘を嫁がせたままやれば良いだろう」
フン、と偉そうに踏ん反りかえるカディルに、王妃の顔色は悪くなる。あまり言いすぎてしまうと、公爵家と王家の間に亀裂が入る。
「……王妃様、何も我が家ではなく他にも素晴らしい家柄のご令嬢はおりますよ」
「し、しかし……!」
「フェリシアでなければならない理由をお伺いしても?」
「……」
いつまで待っても答えは出てこないだろう。王妃がフェリシアに最初に目を付けた理由は『見た目』。能力ではない。
家柄、能力の高さは後付けでしかない。
「ところで王妃様、この話は陛下はご存じなのでしょうね」
「は?」
「国の未来を担う婚姻になるやもしれないのですから、当然……陛下はご存じですよね?」
さぁっとエーリカの顔色は悪くなる。
ああこれは話していなかったな、と容易に想像できたから、少しだけ釘を刺しておく。
「こういった話は陛下もご存じであるべきです。何せ、陛下の最も大切な正妃の、そして第一王子殿下の婚約者なのですから」
はっ、と王妃は何かに気付いたようにして頷いた。だが、フェリシアのことはきっとまだ諦めていないだろう。
今は『王妃』としての立場を改めて思い出して冷静になったにすぎないのだから。
これが側妃であれば、顔だけで選んだとしても大した問題ではないのかもしれない。それでも家柄は問われるだろう。
しかし王太子となる可能性がある王子の婚約者であれば、話は別物ではないだろうか。
恐らく、カディルは王太子として立太子するだろうと予測することはたやすい。何せ正妃が生んだ第一王子なのだから。そして、ローヴァイン公爵家にちょうど良い年齢の女児がいる。ならば結びつきのためにということでの婚約ならば可能性として有り得るのだが今回は既にフェリシアが後継者たる証の刻印を持っている。
であれば、公爵家として優先したいのは跡取り教育であって、王太子妃教育ではない。
ローヴァイン公爵家をこの国に留めおきたいという考えが少しでも国王の中にあれば、公爵家の存続のため、といえば婚約者として『前回』のようにフェリシアを婚約者にしたりはしないだろう。
「カディル殿下、殿下の婚約者としてふさわしいご令嬢は他にもいらっしゃいます。ハイス侯爵家のご令嬢などはいかがですか?」
にこやかに、今の内からお前たちは顔合わせをして恋仲になってしまえ。そう言わんばかりにベナットは笑顔を張り付けて提案する。
しかしエーリカはこれを是とはしなかった。
「ま、待ちなさい! この話は一度持ち帰りますからね!」
「はぁ……」
「その子は、家柄も教養も申し分ないカディルの最有力婚約者候補です!」
言いたいことは分かる、が。あまりにしつこい。
前回、かなりあっさりとローヴァイン家として了承したこともあってか、王妃がここまで我が子に執着するとは思っていなかった。
王太子妃筆頭候補として、カディルの隣に立つに相応しい色を纏わされ、尚且つエーリカ好みに着せ替えられ、人形のように淡々と役割をこなすだけの存在となりつつあった。
役割をこなすことに関しては問題ない。だって、貴族とはそういうものだから。恋愛結婚できる方が少ないし、一目ぼれをしてこの人と結婚する!ということは、簡単にはできない。
まぁ、それをやろうと唆したのがイレネ、乗っかったのがカディル、運命の恋愛だと騒いだ一部の貴族たちによって『貴族の令嬢としてのマナーを注意しただけ』であるにも関わらず、『フェリシアが下位貴族令嬢を虐め倒した。王太子妃候補として尊敬されているからと調子に乗った』という感じで話が大きくなった。
吹聴したのはそのど真ん中にいたカディルとイレネなのだが。
「……お父様」
前回を思い出して思わずしかめっ面になりそうなのを堪えていたら、好都合なことに具合が悪いと思われたらしい。
フェリシアに魔法をかけてくれていた魔導師が慌てて駆け寄ってきてくれ、失礼します、と一言ことわりを入れてから額に手をそっとあててくれた。
「あ……」
「少し顔色が悪いですね、ローヴァイン公爵令嬢」
「すみ、ません」
「恐れながら王妃様、そして第一王子殿下」
「……な、なに」
「公爵閣下は王妃様とお会いしたこともあるでしょうし、殿下のことをお知りになられているかと存じますが、令嬢は殿下とは初対面でございます。先ほどのような言動は慎むべきかと」
ここに駆け付けられるということは、それなりの地位の魔導師なのだろう。王妃に苦言を呈しても、言われた張本人も理解しているようで、申し訳なさそうにしている。
これだけ色々と見せられ、やり直して正解だったなと改めて思う。
それに、先ほどしれっとイレネの家のことも伝えておいたが、どうやらカディルは少し気になっているようだ。そう、そのまま興味を持ち続ければ良い。
――そして、そのまま婚約者にでもなんでもなってしまえ。
そうすれば、順序はともかくイレネの望む展開がやってくるのだから。そしてフェリシアは、二人のお邪魔虫にならないよう、別の国にでも留学しよう、と企む。
きっとイレネが言っていた、彼女が主人公として進む物語は、フェリシアが悪役として設定されているのだろう。だからその役割をもうしてあげているだけ。
イレネが想像している物語とは異なる進み方をするように導いている、ただそれだけなのだから。
その場は解散となり、フェリシアは父に抱っこされたままで王宮を後にすることになった。
帰りの馬車の中、フェリシアはベナットをじっと見つめ、こう問いかける。
「お父様、イレネの存在をもう殿下にお伝えしたのですね。時期尚早では?」
「なら、お前はいつ言うつもりだったのだ?」
「そうですねぇ、良い感じにひっくり返せるように学院に入学してからと思っておりました」
「遅いだろう?」
「そうですか?」
「ああ。せっかくなのだから、早々に出会ってもらわねば。イレネ嬢からしたらお前は『悪役令嬢』とやらだろうが……殿下たちは当家を敵に回したのだ。なら、何もかも根底からひっくり返すぐらいの気概でいきなさい」
あら、とフェリシアは小さく呟いた。
そして思う。
それもそうだな、と。
悪役は悪役らしく、前回と同じに進むのではなく何もかもひっくり返してやれ、というのが父ベナットと母ユトゥルナが決めたことらしい。
自分が甘ちゃんだったのだろうか、と考え込むフェリシアにベナットは朗らかに話しかける。
「お前より長く生きているんだ。あれこれ考えて当然だよ。あの王妃のお人形さんにならないよう、今回は冤罪をかけられないよう……そして当家の次期当主としてお前が立つために、父様や母様にもあれこれさせてくれないか?」
「お父様……」
前回、家の駒として婚約させられたのだとばかり思っていたが、どうやらそれはフェリシアの思い違いだったようだ。
父の言葉にほ、と安堵の息を吐いて、続けて思い、そのままを口に出した。
「では、明日から次期当主の教育をしてくださいませ。それと、国王陛下に私が覚醒したこともお伝え願えますか?」
「勿論だ」
馬車の中、一度目は見たことのない温かな笑顔の父を見て、フェリシアも自然と笑顔になっていく。
「(殿下たちが言っていた内容、全て実現してあげなくてはね)」
何をされたか、何を言われたか覚えている。
まず帰宅したら普段着に着替えて、あれこれノートにまとめなければ。そう思いながらフェリシアは馬車の外を流れていく景色を見つめる。
視線は過去の鋭さを持ったまま、それが今の幼い姿とは相反したものであり、ベナットは内心溜息を吐いた。
「(やれやれ、我が家の姫は今回は大層人気者になりそうだ)」
嬉しいやら寂しくなりそうやら、様々な感情を双方抱き、帰路を馬車は駆けて行ったのである。
悪役だと何度も罵られたので、その通りにしてあげなくちゃ。
結ばれたいもの同士は、さっさと出会えば良いんです。
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これが親子の共通の思い。