最後の仕上げ⑤
とさ、と音がしてエーリカの体はそのまま床へと倒れた。
すかさずフェリシアが覆いかぶさるようにして、わんわんと泣き崩れている。
きっと、周りにはエーリカのことをとても大切に、そして『悪役のくせに王妃の死を悼む令嬢』だと思われているのだろう。
それで、良い。
パフォーマンスでしかないが、おろおろしていて何もできないイレネと、母親に駆け寄りすらしない、止められもしなかった行動力のない王太子殿下カディル、という二人を周囲に印象付けてやればいい。
イレネの補正力をもってしても、覆せないほどの失望感を周囲に植え付けるためならば、触れたくもないエーリカに縋りつき、大声で泣くことだってやってやる。
――ほら、悪者にしたいんでしょう? お望み通りなって上げているんだから、こちらに対しての攻撃の手を緩めちゃいけないわ。油断した瞬間にひっくり返して、イレネのお膳立てした折角の舞台を荒らしまわってしまうよ?
心の内でそう呟かれているとも知らないフェリシア側以外の人々。
泣き真似をしているフェリシアを見て、どうにかした方が良いのではと感じたからイレネやカディルを見てみても二人とも困惑しているだけ。
フェリシアに関しては良い感じにリーリエが寄り添ってくれているし、リルムも『お前らフェリシア泣かせたんだから容赦しねぇぞ』と視線でイレネとカディルを黙らせている。そんな視線ごときで震えあがり、カディルに至っては己の母の死であるというのに、一歩も動かずに顔色を青くしているだけとは、とイレネ側からも少しだけ落胆の声らしき『あぁ……』というものが聞こえてきた。
「(……そろそろ、頃合いかしら?)」
「(ええフェリシア嬢、わたくしが大声を出しますので、少し錯乱したかのように振るまってくださいませね)」
「(リーリエ様、ありがとうございます)」
フェリシアに寄り添っている(という風にしている)リーリエが囁きかけ、とん、とフェリシアの背を軽く指先で叩いて合図を送る。
今だ、と二人が呼吸を合わせてまたも大袈裟すぎるほどの演技を始めた。
「……っ、ごめんなさい……! わたくしが、エーリカ様のお願いだからと無理にこちらに連れてこなければ、こんな、ことには……、あ、あぁぁぁぁぁ!!」
「いや、エーリカ様!! 目を開けてください、エーリカ様!! こんな、……こんな形でお別れなんて嫌です、エーリカ様ぁぁぁ!!」
エーリカと関わりたくなかったであろうと推測すらできてしまう二人が、こんなにもエーリカの死を悼んでくれている。本当ならば、そこにいるべきであるのは、実の息子であるカディルと、その婚約者であるイレネ。そして、夫であるヘンリック。
皮肉なことに、三人の誰もがエーリカに寄り添わず、ただ茫然と見ていることしかできなかったし、イレネに至ってはエーリカから罵られてしまっていたからと、駆けつけることすら放棄してしまい立ち尽くすのみ。
「……な、なぁ……王妃様は、確かにその……過去にやらかしたかもしれないが、だからとて……」
「そうだよな……ご子息であるカディル殿下は、一体どうしてあのフェリシア嬢を押しのけてでも、御母上である王妃様に近付かなかったんだ?」
「お倒れになった王妃様を支えたのも、……公爵令嬢……」
「側妃の立場であるリーリエ様も、さぞかし憎かっただろうに……やはり子を持つ母、エーリカ様をまるっと無下にはしたくなかったのだろうか……」
あまりに色々なことが起ってしまったとはいえ、せめてカディルだけでもエーリカに寄り添っていれば、という旨の囁きが広がっていく。
カディルは親の死に目に立ち会いはした、だが、一番近くで最期の瞬間を看取ったのは他人のフェリシアなのだから、いくらイレネに味方している貴族が多いとはいえ、カディルに対しては冷たい目があちこちから向けられる。
激昂した己の母を止めることもしなかった場面もばっちり見られているし、お先真っ暗、に手を伸ばせば届くくらいまではもってこれているだろう。
「ねぇ、起きてくださいませエーリカ様!! エーリカ様ぁぁ……」
そう思いながらわんわんと泣くフェリシアからは、普段の冷静さは微塵も感じられない……様に見えるだろう。
実際には涙なんか一滴も流れ落ちておらず、ミシェルやリルムがこっそりと水魔法を使い、フェリシアの頬を濡らしているだけ。頬を伝う水が見えれば、周りが勝手に『泣いている』と思ってくれる。
何とも器用なことを……と、ミシェルの両親は遠い目をしているし、演技をしているリーリエも『我が子ながら恐ろしいこと……』と内心呟いている。
ぐす、と鼻をすする真似をして、フェリシアは乱暴に涙を拭う。その際に思いきり擦って、拭う仕草をする際に目を強めに押していたので、目もうっすらと赤くなっているように見えるだろう。よしこれでOK、とフェリシアはふらつきつつ立ち上がる。同時にリルムがカディルの元に駆け寄って、がっと胸倉を掴んだ。
「お前、どこまで他人任せなの!? エーリカ様は、お前のお母さまなのではなくて!? 婚約者たるイレネ嬢も守れていない! しかもあれだけ取り乱しているエーリカ様を、ただただそのまま放置していただけって、どういうこと!?」
「な、なんだ! 俺は悪くなんか……」
「お前がそうやってエーリカ様を止めずに、情けなくぼーっと見ていただけだからエーリカ様はあまりに興奮しすぎて、お体に負荷がかかったんじゃないの!?」
「…………っ!?」
リルムが言った内容は真っ赤な嘘だが、そう見えれば、それでいい。
大切なのは、周囲にどのように見え、どう思われているかなのだから、そこに真実を求めてくる馬鹿はいないだろう、と思っていたら、リルムとリーリエ、フェリシアを睨んでいる人物が。勿論、イレネだ。
「……何を……身勝手なことを」
絞り出すような声で呟いたイレネは、びっとフェリシアを指さした。
どうせコイツが何かやったに決まっているのだから、冤罪をふっかけてやればいい。瞬時に判断したイレネはぐしゃりと表情を歪めて言葉を続ける。
「貴女……時の力を使って、人間の寿命を操作したんじゃないでしょうね!」
「まぁ怖い、そんなこと、どうやったらできるのかしら……」
あらいやだ、としれっと呟いたフェリシアのことをイレネは変わらず睨み、そしてすぐさまベナットの方を勢いよく振り向いた。
「公爵閣下! あなたもです、魔女に騙されているのですわ! どうか正気に戻ってくださいませ、そして正しき『時』の力を……」
「お手本を見せていただかねば、正しいもクソもないんだが……さっきから君は何なんだ。我が一族の『時』属性の力を、まるで悪魔の力のように罵り続けて……何なんだね? その刻印らしきものが本物、という証拠すらないのに……」
げんなりとしたベナットの反論に、イレネは途端に自信満々に手を掲げる。
「ではお見せしましょう! これが聖なる『時』の力で――」
掲げた手の甲が輝いた、のだが何も起こらない。先ほどベナットが見せたようなものも、フェリシアの動きを止めることも、何も変わっていない。
謁見の間にもざわめきが広がっていき、一体何なんだ、とイレネが己の刻印……もとい、傷跡を確認する。
「(え……何で!? 確かに時間を止めた、はずよ。きっと発動はした! 呪いだって同時解呪したんだから……)」
「なるほど、ただ時を止めるだけのチンケな術を、まるで『時』属性の力の本来の力のように使っていると、そういうことか。まるで子供騙しだな……」
何で、と思うイレネの心の声に反論するかのようにベナットは辛辣な言葉をイレネに対して容赦なく吐き捨て、そして蔑み切った眼差しを向けた。
「そもそも、刻印の種類も違っているし……。陛下、きちんと確認したうえで王家に招き入れないと、王家の崩壊を招きますよ? 先ほどイレネ嬢が使用したものは、当家に伝わる時属性の力などではない」
「何だと!?」
「そうですわねぇ……。そもそも、刻印の浮き上がる場所が違いますし……」
「……え?」
「お、おいイレネ、どういう、ことだ?」
フェリシアの言葉には、イレネもカディルもヘンリックも、ぽかんとしている。
フェリシアとベナットが目配せをし、双方手にはめていた手袋を外せば、同じ刻印が、しっかりと掌に『在る』。
寸分たがわず同じ刻印を見て、ヘンリックが視線を動かしてイレネの手の甲を見てみれば、何ともまぁお粗末なものが、そこにはあった。
これまで見てこなかったことも反省しなければいけないが、そもそもどうして最初にあれを確認をしなかったのだろうか。国王も迂闊なことをしたものだ……とベナットは頭を抱えたくなるが、どうせあっさりとイレネの口車に乗せられたのだろう、と予想し、げんなりとした顔をイレネとヘンリック、双方に向けた。
「……なんで……?」
イレネが見たことのある『時』属性の刻印は、力のストックが一切ない状態のものだったから、文字盤も何もなかった。
呆然と二人の掌にある刻印を、見つめることしかできない。
普段から時属性魔法を使用しているはずのベナットの掌にある刻印と、フェリシアの刻印が少しでも様子が異なっていれば、そこを突ける。そうも思ったのだが、フェリシアとベナットの刻印は全く一緒のもの。
「ど、どうして……公爵様は、普段から『時』属性の魔法をお使いになっていて……、だから刻印の種類も異なっているはずだった、のに……」
「まぁ、おかしなことを仰る王太子妃殿下ですこと」
「……っ!」
「そも、どうしてわたくしとお父さまの刻印が異なっている、という考えになるのか、分かりませんわ。ああ、そうそう。そのちんけな刻印モドキ、今度こそおさらばしましょうね?」
「ひ、っ」
イレネが悲鳴を上げた途端、カディルが掴まれたままだった状態からもがき、脱出してイレネの元に駆け寄る。何だ、やはりコイツに関してとなると頭が動くのか、とフェリシアが思っていると、『あの時』のようにカディルがフェリシアに対して腰の剣を引き抜いて突き付けてきた。
「きゃああ!!」
「カディル様、陛下の前でなんという……!」
集まっていた貴族から抗議の声が漏れたが、リルムが大股でフェリシアに近寄り、ばっと己を盾にして庇った。
そして、告げる。
「お前の考えは良く分かった。……なら、わたくしも助けを、呼ばせていただくわ」
「はぁ!? 何を寝ぼけたことを! お前に助けなどやってくるものか!!」
「いいや」
ふと聞こえた、声。
「リルム殿下、良きタイミングだ!」
「……ありがとうございます」
リルムの隣に転移魔法陣が展開され、それをくぐって現れた男性。
この茶番劇を砕き、めちゃくちゃにできるフェリシア側の切り札。
「ヴェルンハルト殿下、わたくしより正式に救助要請いたします。わたくしと、賛同してくれるもの以外、どうぞ、お好きに」
「しかと聞いた」
そしてヴェルンハルトは肩越しにフェリシアを振り返り、にっ、と笑いかける。
「ご苦労であったな、正しき『時の聖女』よ」




