最後の仕上げ②
「ご報告いたします! ローヴァイン公爵令嬢、ご到着でございます!」
「うむ、案内せよ」
国王ヘンリックは、玉座で大きく頷いた。
ヘンリックの隣には、本来いるはずの王妃代理リーリエがいるはずだが、体調不良とのことでここにはいない。ヘンリックはどうにか参加するようにと申し伝えていたのだが、起き上がれない、無理をすれば悪化して今後の外交に差し障りも出てしまう、とまで言われてしまえばいくら国王とて強くは言えなかった。
ぎぎぎ、と重い音が響いて謁見の間の扉が開く。
ゆっくりと歩いてくるフェリシアは、緊張している様子も全くなく、悠然と微笑みすら浮かべてこつん、こつん、とヒールの音を響いて歩いてきて、ヘンリックの前ですっと跪いた。
「我が国の太陽、国王陛下にローヴァインがご挨拶申し上げます」
「……うむ」
重い声で返事をして、ヘンリックはどことなく居心地が悪そうに視線を逸らす。
フェリシアはゆっくりと顔を上げ、そして国王たるヘンリックを真っすぐ見据えて、口を開いた。
「此度は、わたくしの罪の数々を……何やら王太子殿下がご披露されるとか」
どよ、とその場にいた貴族たちは大きくざわめいた。
罪を暴かれるはずのフェリシアが、悠然と微笑んでいるし罪悪感の欠片も抱いていない。それどころか、何も怯むことなくヘンリックに次々と言葉を紡いでいく。
「どうぞ、ご披露なさってくださいまし。……ただし」
ヘンリックの脇に控えていたカディルとイレネに、フェリシアはゆっくりと視線をやる。二人はフェリシアを負かす気満々で勝ち誇った表情を浮かべていたのだが、あまりにも動じていないフェリシアの態度に愕然としていた。
「(フェリシア、何であんなに余裕なの……!?)」
イレネは慌てて国王の前に走り出て、フェリシアのことをびしっと指さす。
ああ、そういえば巻き戻る前も同じようにしていたなぁ、と思い出しながらフェリシアは微笑んだままイレネの言葉を待っているようだった。
そちらがその気なら、とイレネはぐっと拳を握り、すっと息を吸い込んでから言葉を紡ぎ始めた。
「……フェリシア、見損ないました! 貴女は、学園でわたくしを誹謗中傷しただけでなく、あらぬ罪を着せ、聖女たるわたくしを蔑ろにした!」
「……はぁ」
「そして、あろうことかカディル様のことまで、まるで踏み台にして、側妃ごときの娘を王太女にしてしまっただなんて!」
大げさすぎるほどの身振り手振りを繰り返し、イレネはまるで舞台女優のように振舞っている。どうしてこれを受け入れられるのかは分からなかったが、集まっている貴族の面々や城の家臣たちは感動しているかのように、涙を溜めている。
――だが、よくよく見てみれば違う反応をしている人も少なからずいるのだ。
「ちょっと、聞いておりますの!? 時の聖女たるわたくしの言うことを、どうして聞き流すことができるのかしら! この……魔女!」
「魔女……ねぇ」
「ええ、魔女よ!! お優しいローヴァイン公爵閣下をだまし続け、娘として振舞っているものの、きっと本来の娘はわたくしなんだわ!」
よよと泣き崩れながら大声で語るイレネは、まさしく舞台女優。
ぐす、と鼻をすする音まで聞こえているから、きっと感動している貴族もいるだろう。家臣も目頭を押さえている人までいる。
フェリシアは目線ですっと謁見の間を確認し、予想通りだと密やかにほくそ笑んだ。
「(どこまで飛躍するのかしら、この茶番。……あらいやだ、ミシェルがふき出すの堪えてる)」
視界の端っこで、必死に笑わないように耐えているミシェルがいるし、ミシェルの両親も互いに笑いをこらえているらしい。
「だから、公爵閣下にも目を覚ましてもらわねばならないと思い、ここにお呼びしているわ! きっとお前に騙されていた公爵閣下の目も覚めることでしょう!! ええ、そうだわ!!」
くるくると回り、フェリシアに向き直ってもう一度びしり、とイレネはフェリシアを指さした。
いやお前、本当に何なんだ、とフェリシアは思わずスン……と真顔になるが、イレネはいい感じに勘違いをしてくれているようだ。
彼女の中では『フェリシアはあまりのショックに無表情になっている』という認識らしいが、フェリシアはとりあえず喋らせるだけ喋らせようと、沈黙を貫いている。
「フェリシア、お前のような魔女は裁かれるべきなの! いいこと、わたくしは『時』の力を操る聖女! これからお前の『時』を操ってみせましょう!!」
おお! と歓声が上がる。
これまで人々の前で大っぴらに能力を見せたことはないイレネの言葉に、集まったイレネ派の貴族たちはとてつもなく盛り上がっているようだ。
「イレネ様!」
「悪人の時を止め、裁きましょう!」
「今こそ時の力をご披露ください!!」
「聖女様ーー!!」
わぁわぁと騒いでいる観客は、イレネを持ち上げに持ち上げている。
イレネもまんざらではないようで、ふふん、と勝ち誇ったような顔をしているのだが、ここで、彼女の思いに誤算が一つあった。
「(おかしい……どうしてローヴァイン公爵がまだ来ていないの?)」
特等席を用意しているのに、とイレネはほんの少し焦る。
時間はとっくに過ぎている。
ローヴァイン公爵たるベナットは、時間にとても厳格とされているのだがそんな彼が時間を守っていない、ということにようやく気付いた。
自分劇場に浸りすぎてしまった、とイレネが舌打ちしたところで、ぎぎぎ、と再び重い音が響いて謁見の間の扉が開いていった。
「失礼、遅くなってしまったようだ」
「あなた、だから早く行きましょう、って言いましたのに」
ほほほ、と笑うユトゥルナは、真っすぐにヘンリックを見る。
「国王陛下、少しだけ遅くなりましたが……ご容赦くださいませね?」
「う、む」
足元から吞み込まれそうなほどのユトゥルナとベナットの迫力に、ヘンリックは喉の奥が引きつったような感じがした。どうにか声を出したが、詰まってしまい言い終わったあとでごほん、と大きく咳払いをする。
「公爵にしては、珍しいな。時間に遅れてくるなど……」
「ははは、こちらの事情はお構いなく。ところで、……はて、そちらの令嬢が時の聖女とかいうご令嬢でしょうか?」
「あ、ああ。……そうだ、もしかしたら公爵の娘という可能性が……」
「ありませんが」
「……え?」
即座に断言したベナットに、ヘンリックは目を丸くした。
それもにこやかに微笑みながら、すい、と手を動かしてイレネ自身の『時』を手慣れたように操作する。すると、イレネはくるりと回り、ぎくしゃくとした動きでカディルの元へと歩いていっている。
「か、カディル、さま! たす、けて!」
「イレネ!?」
「おや……おかしなことだ。『時』属性の魔法を使えるのであればこれくらい相殺できるはずなんだが……どうしてできないのだろうか?」
「あ、え? ええ!?」
ぎくしゃくとした動きでカディルの隣に移動し、ぎこちなく回れ右をして、まるで人形のようにぎぎぎ、と動いて直立不動のまま立っている。
「なに、これ」
「ふむ、久しぶりに使えばこんなものか」
「お父さま、遅れたのは『お試し』をしていたからでして?」
いきなり体の『時』を操られたイレネは、今自分に起こったことについてきちんと理解できていないようだ。
そして、集まった貴族たちも目を見開いて今起こったことをぽかんと見ていることしかできない。
「フェリシア、お前こんなに繊細な能力操作をしていたのか?」
「はい」
「……なるほど、天性の才能というわけか。ふむ、さすがわたしの愛娘」
にこやかな親子の会話に、周りは一体何があったのかと驚いているが、カディルはいち早く状況を理解したようで、口をぱくぱくと開けたり閉めたり、とても忙しいようだ。
だが、まだまだイレネに決定打を与えていない。
こんなもの序の口でしかない。
「というか、イレネ嬢? わたくしとっても不思議なんですけど……」
「な、なに、よ!」
「誰が、誰の、本当の娘、なの?」
「っ!」
フェリシアは、どこまでも勝ち誇った表情を崩さないし、公爵夫妻はイレネを見ても何一つ気持ちが動いていないしどこまでも平然としている。
「わ、わたくし、が、ローヴァイン、公爵の、娘、よ!」
「はて……」
ほんの少しだけ、ベナットは考えるふりをしてからにこりと微笑んであっさりと答えを返す。
「お前みたいな出来損ないが、どうして我が娘だと?」
「……な、なな、なんで!」
「フェリシア」
「はい、お父さま」
意図を察し、フェリシアはすっと手を動かして正しく『力』を行使する。
「え……?」
フェリシアが操るのは、イレネの手の甲に刻まれている『魔法陣』の時間。
別に治癒魔法をかけても良いが、あまりに痕が残っている場合は薄ら残りかねない。だから、前もってストックしておいたモノを使って、そもそもの体の時間ごと、戻していく。
「ま、まって!」
「どうして?」
「やめなさいよ!」
「……どうして?」
にぃ、とフェリシアの笑みが深くなる。
「やめなさい、って言っているの! 王太子妃としての命令よ!?」
「はて……」
頬に手をあて、フェリシアは少しだけ首を傾げて、心底不思議そうに言葉を続ける。
「人の話を聞かないあなたのお話を、どうしてわたくしが聞く必要があるの?」
「は…………?」
しれっと問われた内容は、当たり前のことなのだがイレネはあっという間に形勢逆転されかけてしまい、カディルもヘンリックも顔色を悪くする。
しかし、ここで負けてはフェリシアのことが手に入らなくなってしまう、とカディルがイレネを守るために走り、力を今まさに使用しようとしているフェリシアに殴りかかった。
「ふざけるな、この悪役……いいや、魔女め!! やはりお前はあの頃もっと殴っておくべきだった!!」
「(……あら、いやだわ。また同じ事が……)」
幼い頃を、フェリシアは思い出した。
エーリカのことを思うがあまり走り出てきて、幼いフェリシアの頬を殴り飛ばして髪を掴み、髪飾りを踏みつけた、という忌まわしい思い出。まぁ、髪飾りのくだりはフェリシアが操ったことによるものだが、そもそもカディルが殴りかかってこなければ良かったのに、と思い出してはムカムカしているフェリシア。
とはいえ、このまま殴られてしまってはまた痛い思いをする。
さぁどうしてくれようと思っていると、フェリシアの前にばっと出てきた人物。
「調子こいてんじゃないわよ、クソ野郎!」
殴りかかろうとしてくるカディルを、逆に思いきり殴り飛ばした、フェリシアの大切なひと。
「……リルム」
「無事ね?」
「ええ、ありがとう」
ほ、と胸を撫でおろしたフェリシアを見て、リルムもほっとしたような表情になる。
「……最低の暴力男ね、アイツ」
吐き捨てるように告げたリルムは、集まった貴族をぎろりと睨みつけて大きく息を吸った。
「愚か者どもが!! 偽物に惑わされるなど言語道断!!」
びりびりと空気を震わせるほどの声に、集まっている貴族はハッとして膝をつき、自然と頭を垂れた。それを見たイレネはぎりり、と悔しそうに歯を食いしばり、負けじとリルムのことを指さした。
「お黙りなさい!! 魔女に洗脳された哀れな元・王太女!! お前も制裁を受けなさい!!」
「…………やれるものなら、どうぞやってみなさいな」
低く呟かれたリルムの言葉に、迫力負けしたイレネは一歩、下がることしかできなかった。




