『主役以外』、行動開始
おにいさま、と余所行きの声でセイシェルがヴェルンハルトを呼べば、きっと周りの人達は『またこの人何か企んでいる』そう思うだろう。
とてもご機嫌な様子の妹に、ヴェルンハルトは微笑みかけていたのだが、普段のセイシェルの性格や行動の数々を知っているヴェルンハルト専属の従者は目を丸くしていた。
セイシェルがこうやって呼ぶ時、ヴェルンハルトはいつも嫌そうにしているのに、と首を傾げていたが、うっかり口からぽろっと零れたらしい。
【普通に……機嫌が……良い……?】
【まぁ、何? わたくしが機嫌良くしていて何か問題でもあるの?】
【そ、そういうわけでは!】
フン、と不満そうな声音で呟き、先程から一転し、あっという間に不機嫌そうになってしまったセイシェルに、おろおろとしていた従者。
不機嫌な態度を隠さないまま、セイシェルがヴェルンハルトのところにやってきて一通の手紙を手渡すのを見ていれば、封蝋はこの国のものではなかった。
おや、と思っていた従者だったが、迷わず手紙の封を切ったヴェルンハルトに目を丸くした。普段ならば注意しすぎるくらいに気を付けているのに、一体何なんだ、と。更に、この手紙についてこの兄妹がどんな会話をするのだろうか、と従者は少しだけ興味がわいてきているらしい。
【……ほう】
【ねぇお兄様、ようやく準備が整ったの!?】
【そのようだ。例の件、サプライズゲストとしてご招待いただけるそうだぞ】
【では】
に、と兄妹は悪だくみをしているようなあくどい笑顔を浮かべた。何が何だか分からないが、この二人がこういう顔をしているときは碌なことがない。
味方でいれば何も影響はないのだが、知らないうちに敵側に回ってしまった、あるいは回されてしまった人たちはまともな未来はやってこないと知っている。
今まで何人も、そういう人を、国を見てきた従者からすれば、彼らの敵に回った人々には『ご愁傷様』としか声はかけられないだろう。
【向かいましょう、かの国に。折角のお遊戯会には、参加しないわけにはまいりませんものね、兄様】
【準備もできている。こちらの手筈は言われた通りに全て整えているし、十二分に対策もできているだろう。ああそうだ、向こうも準備万端のようだから、そこに我らの力を合わせれば良い……それだけだ】
――手に入る。
ヴェルンハルトにとっても、セイシェルにとっても悪い話ではない。
むしろ大きな意味では、カリュスにとってはとても素晴らしい未来がやってくる、ということも確定しているのだから、笑顔になって当たり前、というものだ。
なお、その笑顔の種類は、とてもとても、悪どいものなのだが。
【用意が出来ているこちら側と、そしてかのご令嬢に急ぎ伝えろ。この俺自ら、出る。こちらは、いつでも問題ない、とな】
ヴェルンハルトの言葉に従者は深く深く頭を垂れ、セイシェルはにこりと可愛らしく微笑んだ。さぁ、いつ連絡がくるのかと待つ、その間も楽しめるように、セイシェルとヴェルンハルトはお茶の準備をさせたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お手紙が届いております、フェリシア様」
「ありがとう」
「何でも、急ぎ、返事が欲しいとか」
「ええ、知っているわ」
心待ちにしていた人からの手紙を見て、フェリシアはにこりと機嫌良さそうに微笑んだ。
ビビアンは空になっていたフェリシア愛用のティーカップにお代わりのお茶を注ぎ、小さなお皿に載せたクッキーを差し出した。
「まぁ、わたくしの好きなクッキーだわ」
「ここ最近、フェリシア様が根を詰めているらしい……と使用人たちの間で有名ですので」
「……」
「フェリシア様」
「もう少しで仕上げなんだから、ちょっとくらいオーバーワークしたって問題……」
「ございます」
む、とビビアンの言葉に頬を膨らませたフェリシアは、素直にクッキーに手を伸ばした。
さくり、と少し軽い歯ごたえと、普段食べているものよりも甘さが増しているクッキーに、フェリシアは目をぱちくりとさせる。
「……あら」
「料理長のご配慮と申しますか、労りと申しますか、普段より甘めにしているとのことです。とってもお疲れとのことですし」
「……」
やべ、とフェリシアは感じて、無言で少し熱い紅茶をゆっくりと飲んだ。
結構な時間集中して作業していたためか、強張っていた体がほぐれていくのを感じ、ほ、と安心したように息を吐いた。
「…………思っていたより疲れていたのね」
「当たり前でございます。これ以上の無茶をするなら、ミシェル様をお呼びするところでしたので」
「それはダメ」
ミシェルにかかれば、いくらフェリシアが強行突破しようとしても上手くいかない。
ローヴァイン家の使用人たちは、フェリシアに仕える中でこれを理解している。なので、やりすぎの主を見かけたらミシェルまで、というのは暗黙の了解だ。ミシェル本人からも、フェリシアが無茶をしそうなら遠慮なく伝書を飛ばしなさい、と常日頃言われている。
「まったく……過保護な人たちですこと」
「フェリシア様が無茶をなさらなければ、我らは何も言いません」
「まぁ……そうなのだけれど」
言われていることが正論なだけに、フェリシアは不満そうに少しだけ頬をふくらませつつも、お茶を飲み進める。
飲み終わってひと息つけば、ビビアンがすっとお代わりを注いでくれた。
「ねぇ、ビビアン。あなたもよーく見ていてね」
「はい?」
「いよいよ、色んなことが動き出すわ。ようやく、準備が整った。あの聖女と王子殿下は、今頃さぞかし楽しくて仕方ないでしょうね」
心底楽しそうにフェリシアは笑いながら言って、イレネやカディルを密やかに監視している人達からの報告書を撫でる。
「……自分たちの策略が、こちらの手のひらの上でずーっと、ころころと転がされていた、だなんて……」
あぁ、面白い。
そう告げたフェリシアの笑みは、いつしか残忍なものへと変化していた。しかし、元来の美しさが相まって、凶悪なものではなく、とてつもなく美しさが強調されるばかりとなっていた。
「では……」
「改めて、わたくしからも指示を出すわ。向こうとの連携を改めて確認後、手筈通りにことを進めます」
「かしこまりました」
「さて、と」
フェリシアは机の引き出しから種類の異なる魔石のついた、おおよそ手のひらサイズの、見た目が宝飾品のようなものを取り出した。
ひとつは、リルムと。
ひとつは、ミシェルと。
そして、最後のひとつはヴェルンハルトと。
魔石に魔力を流せば、対になった同じものと通信ができる仕組み、とのことらしい。
セイシェルが嬉々として送ってきたものだが、フェリシアは何と呼べば良いのか分からないので『通信機』と簡単に呼んでいる。セイシェル曰く、これの名前はよく覚えていない、というかネーミングセンスが独特で覚えられなかった、が正しい。
「リルム、聞こえる?」
『えぇフェリシア、貴女からの連絡ということは……』
「ヴェルンハルト殿下から、連絡がやっときたわ。こちらから手紙を送っていたんだけど、向こうは本格的に準備が整った、とのことよ」
『ではこちらも最終準備を』
「よろしくね、愛しきわたくしの友」
『無論、抜かりなく』
短い返事の後、すぐに通信は終わる。
次にフェリシアはミシェルに繋がるそれを起動させ、声をかけたのだがどうやら近くにいないらしい。
『まぁ、フェリシアちゃん』
「……あら、おばさま。ミシェルは……」
『ミシェルなら、ちょっと用事がある、って言っていたけれど……ああでも、フェリシアちゃんに伝言があってね』
「?」
ミシェルの母は、ひと呼吸おいて明るい声のまま続ける。
『手筈は整っているから、何も心配しないで。種まき完了、芽吹きも確認した……ですって』
「まぁ……!」
意味を理解しているフェリシアは嬉しそうに何度も頷いた。フェリシアの姿は見えていないはずだけれど、ミシェルの母は明るい声につられるように笑う。
『フェリシアちゃん、頑張ってちょうだいね。わたくしや旦那様も、応援しているから』
「ありがとうございます、おばさま。ミシェルにもよろしくお伝えくださいませ。……実行、しますと」
『分かりました、どうか……くれぐれもご無事で』
ぷつ、と小さく音を立てて通信は終了した。
「……本当に、どういう仕組みなのかしら。魔石に魔力を流すことで個人の魔力波を形成……までは分かるけれど、そういえば双方の通信機で同じことをしていたから、双方認識させることで波長を合わせて……? ……セイシェル様のやることって、女性らしく……いいえ、それは偏見というものかしらね。あちらに行ってから、詳しく教えていただきましょうか」
掌の中にある道具をじっと見つめ、仕組みをぶつぶつと呟きながら考えようとしていたフェリシアだが、自分の専門外のこと……特に、国外で進んでいる研究に関しては詳しくなかった。
専門は専門の人に、そこで考えることをやめたものの、専門外だからと学ぶことをやめようとは思っていない。
「(折角、新しい未来をこれから切り開くんだものね。……全て壊して、また作り上げるならば学ぶことはとても多い)」
フェリシアは、ふ、と微笑んで通信機を丁寧に仕舞った。
ビビアンの方を向いて、以前送られてきていたフェリシアの断罪に関しての手紙に対する返事を、フェリシアはビビアンへと差し出した。
「ビビアン、大至急これを王家に。早急に届けるように伝えてちょうだいな」
「かしこまりました」
「何か言われたら、『返事にはまだ猶予があるはず』……と、わたくしが言っていた、と言いなさい。届け主が、決して罰されないように」
「はい、我が主」
ビビアンを見送って、フェリシアは机に飾られた季節の花を、そっと撫でた。
「……さぁて、お馬鹿な聖女様と王子殿下。あなた方のお誘いに乗ってあげるんだから、せいぜい……足掻いてちょうだい。どう足掻いたとて、お前たちに平和な未来など訪れたりはしないのだから」
さて、最後の仕上げは『誰』を使おうか。
少しだけ考えてから、フェリシアの口元がとても、とても楽しそうに歪んだ。
「ああそうだ…………責任はとっていただかないといけないんだわ。ちょうど良いのがあるじゃない!」
フェリシアは、安心したように笑った。
そして、足取り軽くドレスルームに向かい、ビビアンが戻ってくるまでにある程度のドレスを決めてしまおうと何人かの使用人を呼んだ。
これは、勝負服なのだ。
目一杯、綺麗にしていかないといけないのだから、少しだけ時間をかけてしまおう。




