御伽噺の終焉の前
「まぁ、面白い催し物だわ」
フェリシアは目を細めて笑い、何度も何度も持っている手紙を読む。
内容が変わることは無いけれど、至極楽しそうに読んでいるからビビアンは不思議そうに己の主へと近寄った。
「どうなさいましたか?」
「ビビアン、コレ見てちょうだいな」
「……失礼いたします」
一体何が書いてあるのだろう、とビビアンはフェリシアからその手紙を借り、内容に目を通した。
「これ、は」
「凄いでしょう? やってもいないわたくしの罪の数々」
そうだ、一度目はこういうことを真に受けてしまって『身に覚えがない』と一応反論しようとあの場に行ったのだ。
そして、断罪をされそうになった。
彼らの誤算は、フェリシアが正しく覚醒してしまったことなのかもしれないが、きっかけを与えたのはイレネ本人なのだから責任はあの聖女が取ればいいだけの事。
ついうっかり覚醒条件をポロッと話してしまい、その上で力の使い方まで教えるものだから、今考えれば笑いしか出てこないお粗末さだ。
「見てちょうだい、守るべき領民への税の値上げ、イレネが王太子妃となるにも関わらず暴言を吐いた、カディル殿下への不敬……ですって。イレネはとりあえずまだ王太子妃候補ではないけど、馬鹿なのかしら。あら、わたくしがリルムを手助けしたことによって、国が揺らぐ一大事を引き起こした…………って何よこれ、内容くらい詳細に書きなさいよね。冤罪ふっかける気満々じゃないの」
「……」
「ビビアン、殺気は一度仕舞いなさい」
「ですが」
「大丈夫。こうなっても問題ないようにわたくしやリルム、ミシェルを始めとした各貴族が動いているのを知っているでしょう?」
よいしょ、とフェリシアは小さく呟いて立ち上がり、ビビアンの元に歩んでから手を伸ばしてよしよしと頭を撫でた。
思いがけない行動に目を丸くしたビビアンだが、すぐに照れくさそうに微笑んだ。
「……お嬢様であれば問題ないと考えます。ですが……」
「万が一に備えてほしい、とそういうこと?」
「はい」
「大丈夫よ、わたくしたちの最大の味方は……決してあの聖女には誑かされたりしないんですもの」
に、とフェリシアは一旦ビビアンを撫でる手を止め、離してから窓の外へと視線をやる。
「……そう、決して……ね」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「うっふふふ、楽しみだわ!」
イレネは、王宮にて与えられていた自室で高笑いをした。
「これで……多少のズレはあったけど、フェリシアを断罪できる!! 主人公補正さまさまね!!」
フェリシアが抗おうとも、イレネが持っている主人公たる所以の特殊な力である『補正』。
大まかなストーリーラインが変わっていない、という判断をされていれば、恐らく細かい所までは働いてくれないらしい、役に立つとも何とも言えないこの力だが、働き始めるとイレネにとっては好都合となることばかり。
「カディル様だって、ようやくあのクソ女を断罪すべく動き始めた! これで……これで、う、うふふ……。夢にまで見たカディルとの恋愛エンドに到達よー!!」
嬉しそうに言いながら部屋の中でくるくると踊るイレネの中で、ほんの少しだけ引っかかる『何か』があった。
だが、イレネはそれを無視した。
一時的な気の迷いだから何もかも問題なく、自分が主人公だからようやく、カディルとの本当の意味での恋愛エンドへと走り始めたのだ、と。
だが、イレネもカディルも気付いていない。
これも全てフェリシアにとっては予想の範囲内であり、聡い彼女によってもう一つ、別の終わりへと歩み始めていることを。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
バァン!! と、ミシェルの自室の机がとてつもなく大きな音を立てた。
慌てて駆け込んできた侍女が声をかけようとしたが、あまりの迫力に何も言えず立ち尽くしていると、ゆっくりとミシェルが振り返った。
「……何?」
「あ、あの、お嬢様の、お部屋から大きな音がしたので、ええと……何があったのかと、急ぎ……か、駆け付け、ました……」
「あぁ……そうだったわね」
ミシェルが拳で思い切り机を叩いた、いいや、打ち付けた音はあまりに大きく響いてしまったようだ。
赤く腫れ上がってきている己の拳を見て、ミシェルは『……嫌だわ、治さないと』と、とても小さな声で呟いた。
「お嬢様……?」
「なんでもないの、下がってくれる?」
ですが、と侍女は続けようとした。
「…………下がって、くれる?」
もう一度、同じ言葉がミシェルから告げられた。
ゆっくりと、確実に苛立ちを孕んで、低く言われたその言葉に、侍女はビクリと体を震わせて慌てて部屋から出て行った。
「クソ王子と聖女、やってくれたわね……」
ぱたん、と扉が閉まって、侍女が離れたことが分かってからミシェルは低く怒りを込めて呟いた。
ミシェルの元にも送られてきた、怒りをただ溢れさせるだけの胸糞悪いその手紙は、フェリシアに送られたものと凡そ同じ。
違うのは、『正しき貴族として、ローヴァイン家の独裁を許してはならぬ』という一文があること。
つまりは、フェリシアへの断罪の場を設けたからお前も貴族ならば参加しろ、フェリシアの破滅を、ローヴァインの破滅を目に焼き付けろ、とでも言いたいのだろう。
「大事なお友達の破滅を……? バッカじゃないの、破滅させられる側のくせに、妄言を……いいえ、でも……そうね。思い知ってもらうためにも……」
フェリシアの計画は問題なく進んでいる。
自分たちが物語の主人公だと信じて疑わない人達が知らないところで、着実に芽吹き、そろそろ花が咲かんとしている頃合いに差し掛かっている。
ならば、自分はフェリシアの手伝いをこのまますればいい。
カディルとフェリシアを繋ぐものなど、何も無い。恐らくイレネとカディルはフェリシアの失態をでっち上げ、冤罪を吹っ掛けてから断罪をしようとしてくるはずだがそれを上回りひっくり返す用意は出来上がりつつあるのだから、怒る必要はないとは思う。が、それはそれ、これはこれだ。
「入学した頃から馬鹿だとは思っていたけれど、ここまで馬鹿だと誰が想像するのかしら。フェリシアの出席日数の水増し疑惑って何よ、あの子もう必要単位全部あるから卒業待ちだし、公爵家の実務をやってるんだから学校の勉強なんて最早どうでもいいっつの!」
令嬢らしからぬ言葉遣いをするな、と両親に叱られるかもしれないが、腹は立つのだ。
大好きで大切な親友がここまで貶されるだなんてあってはならないし、フェリシアが負けるだなんて思いもしていないがムカつくものはムカつく。
「リルム様もこれは知ってるのよね。……いや、あえて知らせない……とか、いやいやそんなわけ。っていうか……リルム様のところには別が届いてるか」
嫌だわうっかり、と呟いた頃にはミシェルはすっかり平常心を取り戻していた。
「さっきの侍女には謝らないといけないわ、怖がらせてしまったでしょうし」
なお、怖がらせるというレベルではなく、結構なトラウマを残さんばかりだったのだが、ミシェルがそれに気づいて両親にたっぷりと叱られつつ必死で侍女に謝るまで、あと数分。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
静かに、母娘は微笑み合っていた。
「ローヴァイン公爵令嬢には、感謝しかないわ」
「ええ、お母さま」
現在代理王妃として、遠慮なく手腕を発揮しているリーリエ。そしてもうすぐ王太女の座を追われるであろうことが、既に分かっているリルム。
二人は怒っているわけではない。
心から、ただ、フェリシアに感謝しているのだ。
「彼女が居なければ、わたくしたちは……日陰者のままだった」
「わたくしだって、王太女にはなれなかった」
ぽつりぽつり、と紡がれる言葉に、込められているのはフェリシアへの感謝。
「表舞台に引き上げてくれただけではなく、あなたに素敵な婚約者を見つけてくれたローヴァイン公爵令嬢には、本当に感謝しかできないわ」
「お母さまったら……まだもう少し仕上げには時間がかかりますわ」
「でも、もう少しでしょう?」
「それはそうですけれど」
「良かった……ここを、捨てられる」
「わたくしたちの側に立ってくれる家臣たちにも、感謝するばかりですわね」
微笑んで、リーリエは頷いた。
向かい合い座っているリーリエとリルムの間にあるローテーブルに置かれている、一通の手紙。
自然と、母娘の視線はそこへと落ち、くす、と笑い合った。
「あの愚王とそのバカ息子、それから……」
「聖女が勝ち誇っていられるのは……もう少し」
リルムはすっと視線を動かして、窓の外を見つめ口元に笑みを浮かべた。
「……イレネが聖女だなんて、とんでもないわ。我が親友フェリシアこそが『聖女』のよう。イレネはまがい物の『聖女モドキ』でしかないわ」
それぞれの、時間の過ごし方




