崩壊へのカウントダウン
「フェリシア」
「はい、お父さま」
「これを見てくれるかい?」
「まぁ……」
怒り心頭のベナット、ユトゥルナは揃ってフェリシアの執務室にやってきた。
公爵としての業務を少しずつ増やしているフェリシアは、一体何を持ってきたのかと立ち上がって両親の手にあった手紙を見る。
「…………」
ひく、とフェリシアの口元が引きつり、一体何があったのだろうか、と興味本位で通りすがりのビビアンがフェリシアの手元を覗き込んでから『うへ』と小さく呟いてしまう。
「これは……まぁ……」
イレネの可愛らしい文字で書かれた内容のその手紙は、要約するとつまり『私を公爵家の養女にしてね、だって時属性持ってるんだもん!』というもの。
それは両親の顔もとんでもないものになってしまうわな、とフェリシアは困ったように頬に手をやった。
「困りましたわね」
「イレネ嬢って、常に眠っているのかしら……」
はぁ、とため息を吐いたユトゥルナの言葉に、フェリシアとベナットが揃って首を傾げた。
揃った動きが可愛らしいわぁ、とユトゥルナは一瞬微笑ましくなったが、こほん、と咳払いをしてから改めて口を開く。
「だって、寝言でもなければこんなふざけきったこと、言わないでしょう?」
「それはそうだな」
「ハイス侯爵家に抗議文でも送りましょうか?」
さてどうするか、と悩んでいたフェリシアとベナット、ユトゥルナだったが、執事長が部屋のドアをノックして、慌てて駆け込んできたのだった。
「あら、何事?」
「お話し中失礼いたします! あの……ベナット様」
「何だね」
「……ええと……」
話して良いものか、と悩んでいた執事長だったが、ベナットに視線をやれば『話せ』と目で言われる。それを見て頷いてからおずおずと口を開いた。
「ハイス侯爵家からの使いが……」
「…………は?」
噂をすれば影あり、とはこういうことなのだろうか、とフェリシアたちは揃って思う。
両親と顔を見合わせたフェリシアは、執事長へと向き直った。
「執事長、使いの者は何と?」
「はい……。公爵閣下にお会いしたい、と……」
「わたしは会いたくない。それに、そろそろフェリシアが公爵として代替わりをするための準備までしているのは、執事長も知っているだろう?」
「それは……」
確かにそうだが、今はまだベナットが当主なのだ。
だから執事長は屋敷を駆け回って、ベナットがどこにいるのかと探し回ってやってきた先がフェリシアの執務室。
とはいえ、まだ引継ぎ途中なのだからベナットの意見を聞こうと思った……のだが。実際のところ、実務の半分以上は卒業を目の前に控えたフェリシアが処理している。
今更ながらそれを思い出して、執事長は背筋をすっと伸ばしてフェリシア、ベナットに対して深く頭を下げた。
「大変失礼いたしました、閣下、お嬢様」
「構わんよ、今の当主はまだわたしだからね。しかしハイス侯爵家との話には、フェリシアにも同席させる、それが条件だ」
「かしこまりました、ではそのようにお伝えしてまいります」
執事長が部屋を出ていくと、ベナットとフェリシアは顔を見合わせる。
「一体、今更何の用事なのだ……」
「聖女様を受け入れろ、というお願いのごり押しをしてきた場合は……こちらも手を打って構いませんこと?」
「フェリシア、具体的には」
「……お父さまとお母さまにお話ししている計画を、早めてしまうだけです」
にこ、とフェリシアは微笑んで言いつつ、横目で殺気駄々洩れのビビアンをちらりと見て、軽く手を振った。
「ビビアン、実力行使にはまだ早くてよ。殺気を仕舞ってちょうだいな」
「失礼いたしました、お嬢様」
「必要なら言うから、安心なさい」
「はい」
「あら……ビビアンったら、自分で立候補しただけあってフェリシアのとても良い右腕ね」
「奥様、恐れ入ります」
微笑ましいような、不穏なような、謎の会話をした後で、改めてハイス侯爵家からの用件は何だったのかと考え始める。
イレネが聖女として、そして王子妃候補として認められたときに、『お前の娘は王太子妃候補にすらなれなかった』と斜め上の喧嘩を売ってきていたのだが、そんなことをしてきた家との付き合いなど、続けたくもなく、社交の場でもスルーしまくっていた。
それに、フェリシアはそもそも婚約を受けていないので、王太子妃に選ばれる以前の問題。
「何がどうなって今更我が家に……」
はて、とベナットが首を傾げていると、フェリシアがイレネからの手紙をひらひらとさせながら答える。
「さっさと養女にしろ、とか詰め寄ってくるのでは?」
「あんなものいらんが……」
「アレを養女にするならば、分家から選んで養子縁組しますわね」
一刀両断するベナットとユトゥルナ。
フェリシアがひらひらと揺らしていた手紙をぱっと離した途端、さっとビビアンがゴミ箱で受け止める。ついでに、上から手を突っ込んで『ぐしゃ』と音をさせていたから底の方に突っ込んだのだろう。
「手紙はこれで良いとして、一応色々対策を考えておこうか」
「はい、とりあえず養子縁組をしない理由を……」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お助けくださいませ!」
後日、一週間後に予定を合わせてハイス侯爵と侯爵夫人がローヴァイン家へとやってきて、応接室に入って早々。
夫妻揃って思いきり頭を下げられ、フェリシアをはじめ公爵夫妻は目を丸くした。
助けを求められる理由が分からないので、三人は困惑して顔を見合わせている。
「あの……一体何の話ですか」
「我らには、どうしようも……いいや、今のイレネは、イレネではありません!」
「……はぁ?」
ハイス侯爵の言葉に、ベナットは心底意味が分からない、と訝し気な表情になった。
最初からいきなり何を飛ばして語りまくっているのか、意味不明な状況にフェリシアとユトゥルナを交互に見る。
ユトゥルナとフェリシアも、どうしたものか、と顔を見合わせて溜息を吐いた。
「……ハイス侯爵夫妻、一体何なのですか……」
ユトゥルナの口から困り切った声が漏れるが、夫妻は何も気にしていないのかまたつらつらと語り始めてしまった。
「我が娘は……すっかり変わってしまいました! 最初はてっきり、王子妃に選ばれ、更には聖女という役割を持てていることを誇りに思っているのだとばかり……」
「(その割にこっちに喧嘩ふっかけてきていたよな、こいつら)」
「(あなた、しっ)」
「ですが、ここ最近のイレネはまるで別人です! 人が変わってしまったようだ!」
「人が……?」
その言葉に、フェリシアははっとする。
そういえば、イレネはこの世界が『ゲーム』の世界で、作られたものだと話していた。
しかし、最初からイレネがそんな人物だったのだろうか、という考えが過っていく。最初からあの性格なのであれば、今こうやって侯爵夫妻は困っていないのでは……と予測する。
「お言葉の途中ですが、夫妻。少し聞きたいことが……」
「……っ、あ、はい。何でしょうかフェリシア様」
「……イレネ嬢がああなるきっかけでもあった、と……そういうことですの?」
フェリシアの問いかけに、ハイス侯爵夫妻は顔を見合わせ、再度フェリシアの方を向いてから頷いた。
「(ということは……)」
フェリシアは、すぐさま考える。
この世に生まれてすぐに、『ゲーム』とやらが始まっているのだろうか。ある程度育っていないと、子供の内に聖女だの何だの、という話は何となくあり得ないような気がしたのだ。
「あの子が……聖女に選ばれてから……何となくおかしくなった、ような……」
「それまでのイレネ嬢は、どのようなご令嬢でして?」
「どのような、って」
ハイス侯爵夫人は、考えてから戸惑いがちに口を開いた。
「……普通に……育ててきておりました。勉強だって、魔法の練習だって欠かさない、とても、良い子で……」
かみ合わない、フェリシアは瞬時に判断する。
フェリシアが知っているイレネは、人が処刑されるのを嘲笑ったり、聖女という立場であることを無駄に自慢したりだの、聖女の力を見せつけようとしたり……と、良い想い出はない。皆無だったのだが、侯爵夫人はそうではないらしい。
「……だから、おかしいな、と感じるのです。だって……今のあの子はまるで……」
「まるで……?」
フェリシアが促すと、侯爵夫人は目に涙をためて叫んだ。
「まるで、わたくしの子ではありません!」
一呼吸おいて告げられた内容に、フェリシアもベナットもユトゥルナも、表情が強張った。
では、あのイレネは一体何なのか。
イレネではないとしたら、『誰』なのか。
「……ハイス侯爵、夫人……ご自身の娘さんをそこまで疑うのであれば……少しだけ、ご協力いただいても?」
利用できるものは、すべて利用してやろう。
フェリシアは微笑んで、ハイス侯爵夫妻にそっと手を差し伸べる。ローヴァイン公爵夫妻はそれを、『安心してくれ』と言わんばかりに頷きながら促す。
「(ねぇ、イレネ。暴走してくれて、ありがとう)」
手を取られた瞬間に、フェリシアはまるで聖女のように慈悲深く微笑んだ。しかしそれは、あくまで目の前のハイス侯爵夫妻にとって、である。
イレネにとっては、まさしく悪魔の微笑みだった。




