偽りの幸せ
これで何度目なのだろう、と思いながらもまた、悲鳴が響いた。
しかしその悲鳴は、助けてと懇願する声は、外には決して聞こえない。
「まぁ、もうおしまい? もうちょっと根性を見せていただかないと……」
つまらないわ、とフェリシアは呟いたが、目の前のつるされた男は、必死にただ、命を助けてくれと懇願するだけのお人形さんとなってしまった。
「お嬢様、やりすぎましたでしょうか……?」
「もう少し根性があると思っていたけれど……根性なしだったのね」
フェリシアのドレスには、分かりづらいが返り血が付いている。ドレスを黒にしておいて良かった、と喜びながらも、折角のドレスが……と残念な気持ちにもなってしまったが、やっていることを考えれば返り血は仕方ない。……仕方ないのだが、どこかの誰かさんがこんな輩を寄越さなければ、面倒なことをしなくて良かったのに、とフェリシアがちらりと視線を移した。
ドレスについたその血は、目の前のつるされた男のもの。
拷問して得られた情報は、イレネの指示でこの公爵邸を見張っていたそうだ。理由は『知らない』の一点張り。
確かに、彼は何も知らないのだろう。いいや、知らされていないのだろう。
イレネはある意味慎重だが、頭が結果的に悪かった。とっても。
「そうねぇ……動けないように足の腱を切ってから、飼い主のところに届けましょうか」
良いことを思いついた、とでも言わんばかりに微笑んで言うフェリシアだが、内容は極めて物騒。
フェリシアの持っている短剣にも血がべっとりと付着していて、ビビアンの持っている釘が編み込まれている鞭には、その男性の皮膚などが付着してしまっている。
思いきりひっ叩いていたし、ビビアンはそもそもフェリシアが幸せでいることが最優先。公爵家の敷地に無断侵入した挙句、自分の主を甘くみた狼藉者を決して許しはしない。
「……それだけでよろしいので?」
「そうね。あと、意識だけは保ったままでお願いできる? 殺しちゃうとつまらないし……、イレネには最後の時まで生き地獄を味わってもらわないといけないから」
「かしこまりました」
ここまで念押ししていないと、ビビアンはうっかり『あら手が滑りましたー』と言いながら侵入者の喉を掻っ切っていただろうから。
「うちの人間を使っても良いわ。ビビアンのやっていることや仕事は皆がきちんと知っているわけだし、侵入者の件もお父さまにお願いして屋敷の使用人には広めてもらったから、手を貸してくれるんじゃないかしら」
「かしこまりました」
「よろしくね」
にこ、とフェリシアは微笑んでビビアンにお願いする。
「聖女様、覗き魔はお返ししますわ。受け取り拒否は、なさらないよう……お願いいたしますわね」
侵入者が運ばれる準備をされている光景を見つつ、フェリシアはふんふーん、と鼻歌交じりに自室へと戻った。念のために、屋敷内の隠し通路を使って自室に戻って、べっとりと血のついたドレスは廃棄だな、と処分するために普段の洗濯物を入れる場所ではなく、別の場所へ。
ここまでを終えてから、フェリシアはご機嫌なまま他の侍女に手伝ってもらってから湯浴みを済ませた。
アレが届けられたとき、イレネはどんな顔をするのだろうか、とほくそ笑みながら、部屋着に着替えてからビビアンの帰りを待つのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その頃、王宮ではイレネのことをヘンリックが上機嫌で褒めたたえていた。理由は明確、イレネが無理やりに宿した時属性の力のことである。
「しかし、イレネ嬢の力は素晴らしいな!」
「陛下、恐れ入りますわ」
「王子妃として、これ以上ない素晴らしき力でしょう?」
「うむ、カディルも素晴らしき伴侶を手に入れたようで、わたしも安心だ」
はっはっは、と高らかに笑うヘンリック、そしてにこにこと機嫌よく微笑んでいるイレネ。
カディルも、これ以上ないほどに上機嫌で笑っているが、その場に同席しているリルムは不快感しかなかった。
まがい物のあんなものを褒めちぎるなんて、国王はどうかしている、と心底軽蔑しかできなかった。
「……王太女殿下ぁ、私だって時属性の力を使えるんですよぉ? フェリシアと同じくらい有能……いいえ、聖女の力も同時進行で使えてるんですからぁ、それ以上かしら!」
「はっはっは、本当だな! どうだ、悔しいかリルム!」
勝ち誇ったように笑う二人だったが、リルムは一切動じていない。
無表情で、見事にしらけ切って二人を見ているリルムは、小さく溜息を吐き、無表情のままで首を傾げた。
「有能……とは、何をもって有能だと?」
「今言ったじゃないですかー」
「貴女はカディルを支える、それだけでよろしいのではなくて? わたくしのことは一切お気になさらず」
「っ、そんなこと言って良いんですか!? いずれわたくしはローヴァイン公爵家の養女となりえる存在で!」
「あら、おかしなこと」
「は!?」
クス、とリルムは笑ってから呆れたように問いかける。
「そもそも、どうして時属性に今更覚醒したの?」
「それは、カディル様への愛の力故に……!」
「愛の力で、『時間』を操る能力に目覚められるのなら、何てお安い力なんでしょうねぇ」
「は!?」
「でもそれなら……わたくし王太女の役目をおりて、カディルに譲ろうかしら」
ぽつりと呟かれた台詞に、カディルはぱっと色めき、ヘンリックは勢いよく立ち上がってリルムの両肩を掴んだ。
そして必死にリルムに対して懇願を始める。
「ま、待てリルム! そなたが王太女でなくなれば……」
「あら、そこの聖女様にこの王家を支えてもらえばいいだけのお話では?」
そうだ、と嬉々として頷くカディルと、ようやく本来のルートに戻った! と歓喜するイレネとは、まるで正反対の様子のヘンリックに、カディルは勝ち誇ったように鼻息荒く自身を指さして宣言する。
「父上! 何も問題ございません! このカディル、リルムの代わりに立派に役目を……!」
「何を言うか! お前は王太子教育を全く受けていないだろう! そんな奴にこの国のこれからを今から任せて良い結果を必ず導けるとでも!?」
「陛下、私がおります!」
何を思ったのか、イレネが己の胸をとん、と軽く叩いてばっと立ち上がる。
「私は聖女です! だから……」
「お前も王太子妃教育など受けておらんだろう!」
しかし、一刀両断。
ヘンリックがびっくりするぐらいの成果主義人間だ、ということにここでようやく気付いたらしいが、あまりに自信満々に二人揃って宣言したものだから、これを逃してはいけないとリルムはにこりと笑ってヘンリックにとどめと言わんばかりに語り掛ける。
「陛下、この二人がこんなにも言っておりますし……それに、もともとの王太子候補はカディルだったんでしょう? なら、最初に戻すだけのお話ではございませんこと?」
ねぇ、と念押しするように目一杯力を込めてリルムが言うと、ヘンリックが唸り始める。
このままカディルを王太子に任命しても良いのか、だがイレネが聖女の力と時属性の力を同時に使いこなせるのであれば、ローヴァイン公爵家よりもハイス侯爵家に後見としてついてもらった方が良いのでは……と悩み始める。
こういうことは、すぐに決めるものではない。
そう理解しているものの、目の前の美味しい餌に今すぐにでも食いついてしまいたくなってしまう。ヘンリックはどうしたものか、と悩み始めるが、微笑んだままのリルムに、そっと囁きかけられる。
「陛下、急いで決めてはなりませんわ。わたくしはいつでもこの地位をお返しすることは、……実は覚悟しておりました。とはいえ、カディルを王太子にするならば、相応の時間も必要になってしまいますし……ね?」
別にいい。
カディルが王太子になって、イレネが王太子妃になってしまえば、リルムが少し前にフェリシアから聞いた『ストーリー』通りになる、というだけなのだ。
そうすれば、フェリシアが思い描いた未来の通りになるだけの話。
そして、カディルを王太子に、と揺れ動いているヘンリックは、恐らく本来の筋書きに戻す、という何かの力が働いているだけなのだろうから、その力のままに決定してしまえばいい。
そのための会議は、いつだって開く用意は出来ている。
リルムも、フェリシアも。
陰ながらミシェルだってしっかりと動いている。
その他、リルムの支援者たちも、聖女の暴挙に耐えられないとしている者たちも、秘密裡に動いているのだから、今イレネとカディルの言う様に、さっさと王太女の地位からリルムを外してしまえばいい。
幸せの絶頂にあるときに、イレネもカディルも、目の前の餌につられて騒いでいる民衆も切り捨てる準備は、着々と進んでいるのだ。
「だがしかし……!」
「ここまで自信満々なんですもの、カディルもイレネ嬢も、それぞれ王太子教育に王太子妃教育は簡単なはずですわ。……学業と同時進行くらい、きっと軽々とこなしてみせますわよ。ね、二人とも」
「…………え?」
「も、勿論!」
何とも間抜けな声だったが、顔を引きつらせながら後に引けないであろう二人は頷いた。
「……二人が……そういうなら……」
その方向で考える必要はまぁ……あるな、とヘンリックが呟く。
そして、『ローヴァイン公爵家も跡取りがフェリシアだけでなければ……』と更にヘンリックがぼやいているが、それを聞いたイレネは内心思った。
「(仕方ないじゃない、そもそも『ローヴァイン公爵家の正当なる子はフェリシアのみ』という設定なのだから、こればかりはどうしようもない決定事項だし変えられるわけないじゃない。ああ、ようやく私が主役として輝くんだわ……!)」
らんらんと目を輝かせるイレネの心の内なんか、痛いほど手に取る様に分かってしまう。
内容はともかく、ろくでもないことを考えているんだろうな、とリルムは考える。
だがそれでいい、口車に乗せられるままに動いて、イレネの思い描いた物語に戻してあげるのだから、これくらいは耐え抜いてもらいたい。
そうして、何もかも理解した瞬間に、落としてやろう。
――この偽りの幸福から、奈落の底へと。




