忠義心
さて、どうしてくれようか、とフェリシアは手紙を読みつつ考えていた。
フェリシアの元にやたらと届く、婚約者候補もどきからの釣り書き。王家を経由して届くそれらの処理が最近面倒で仕方ない。
「……この国のボンクラと、一体誰が結婚すると思っているのかしら」
「お嬢様、お茶をお持ちいたしました。旦那様よりお預かりした決裁書もございますが」
「ビビアン、両方持ってきて」
「はい」
何となく荒れている己の主を見て、ビビアンは本来持ってくる予定だった紅茶ではなく、フェリシアお気に入りの特別ブレンドのハーブティーに変更して持ってきてくれていた。
悶々としている時にこれを飲めば、頭がすっきりする、といつしかフェリシアのお気に入りになったお茶なのだが、公爵家の厨房を総動員してブレンドの配合が時によって変更されている、本当の意味での『特別』なお茶。
「……お嬢様、また届く釣り書きが増えましたね」
「暖炉の燃料にすらならないわ、こんなもの」
「この国の貴族なぞ、お嬢様とは何があろうと釣り合いがとれません」
ビビアンの迷いのない言葉に、フェリシアは思わずきょとんとしてしまうが、いつだってこの専属メイドはフェリシアの一番の味方でいてくれるらしい。
それがどれだけありがたくて、フェリシアの心の支えになっているのか、知っている人は少ない。
「わたくしがカリュス皇国に行くときは、あなたにも来てもらうわよ?」
「かしこまりました、我が主」
「……躊躇しないのね」
「はて、する必要がありましょうか」
うふふ、と楽しそうに微笑んでいるビビアンの忠誠心は本物で、以前のフェリシアは持っていなかったとても貴重なもの。
「ビビアン」
「はい」
「カリュス皇国に行く、ということもあなたは不思議に思わないの?」
「思いません」
断言するビビアンを見て、どうしてこんなにも盲目的に、いいや、妄信的になれてしまうのだろうか、とフェリシアは思う。
自分がここまで成長するにあたり、ビビアンに対して何か特別なことをしたことはない。
以前いたメイドを処分してから以降、ビビアンが自ら名乗り出てくれてずっと一緒にいるのだが、前回のことを思い返してもこんなに尽くされる理由が思い当たらない。
「どうして、そんなに尽くせるのかしら」
「……そうですねぇ……。理由をあえて言うならば、お嬢様の全てに惚れ込んだ、とでも言いましょうか」
「まぁ、熱烈」
どちらからともなく、双方クスクスと笑い声をあげる。
何も知らない人が見れば、何とも麗しき主従愛だろう。しかし、ビビアンのクソ重感情をここまできっちり受け止められるのは、恐らくフェリシアのみ。
あの日、幼いフェリシアを前にして感じた途方もない気高さに、『この人こそが我が主だ』という感情が溢れてきてしまった。
だから、フェリシアの専属のお世話係に、迷うことなく立候補した。
気をやった前任者がうわごとのように『魔女』だの『化け物』だの呟いていたけれど、そもそもビビアンは没落した子爵家の令嬢だった。親も親族も何もかも皆、死に絶えてしまっていたから『ああ、なら自分もいつか天に召されるのでは。あと腐れなく、好都合だ』と考えたから、フェリシアの専属になった。魔女だというのなら、好きなだけ命でもなんでも持っていけばいい。
そうやって腹を括って立候補し、日々仕えることで、ビビアンが手に入れたのは、ありえないほどのフェリシアに対しての忠誠心。
この人のためなら、死んでも良い。この人を邪魔するなら、自分が刺し違えてでも殺してやる。
そう思うようになるまでには、さほど時間はかからなかった。
だから、今のイレネとカディルの言動を始めとした何もかもは、到底許せるなんてものではなかった。フェリシアがただ一言『もうお片付けしちゃいましょうか』とか言ってくれたのならば、迷うことなく殺しにかかっていただろう。
それができるほどの力だって、身につけている。
「お嬢様」
「なぁに?」
「いつ、あの者どもを殺す許可をいただけるのですか」
「あら、ダメよ」
まるで、子供に言い聞かせるようにフェリシアは、何でもないように微笑んで告げる。
ぱら、ぱら、と書類を捲り、必要なところに当主印を押し、決裁済の書類を積み上げていくが、ビビアンは納得できていないようで更に言い募ろうとした、その矢先。
「殺しちゃったら、苦しいことがそれで終わっちゃうじゃないの」
「……え?」
思いがけない主の言葉に、ビビアンは弾かれたようにフェリシアを見る。そうすると、視線がかち合い、フェリシアがとてもとても楽しそうに微笑んでいる様子が目に入った。
「お嬢様……」
「わたくしね、あの二人にだけは地獄を見てもらう、って決めているの。連鎖的に国王陛下や、隠居させられた王妃様にも。ああそれから、今イレネを持ち上げているこの国の民衆にだって、生ぬるい仕返しだけは、絶対にしないわ」
一気に、けれどゆっくりとした口調で告げたフェリシアは、ちょっとだけ息を整えて、また話し始めた。
「殺してくれ、って懇願しても殺さないわ。生きて、自分のやらかしの大きさを改めて知って、そして……」
手にしていた書類を、フェリシアは置いた。
「……生きたまま、地獄に突き落とすことが、何より楽しみなんだから」
水面下で動き始めた計画は、何者にも邪魔をされないように隠蔽しまくって、慎重に慎重を重ねている。ここまできて邪魔されるわけにはいかないのだから。
「だから、その物騒すぎる殺意を仕舞ってちょうだいな。わたくしの大切なビビアン」
「……かしこまりました、我が主」
ようやく腑に落ちた、という顔でビビアンは頷く。
ならば、奴らを殺すわけにはいかない。だったら――
「その代わり、ね」
「はい」
フェリシアはゆっくりと立ち上がって、窓へと向かう。
外を眺めているふりをして視線を動かし、数人の怪しい影を見つけた。さてこれは一体誰の勢力なのだろうか、と思うだけで楽しくなっている。
ああ、我ながら悪役らしくなったな、と思っていると自然とフェリシアの微笑みが深くなった。
「外に、妙な輩がいるの。屋敷には入って来られていないけれど、公爵家の敷地にまで入っているということは、相当な手練れなのだと思うのよね」
「……はい」
「ビビアン、生け捕りにして地下牢に放り込んでおいてくれる? 何人か使っても良いから。良い? 決して殺しちゃダメよ。お父さまとお母さまにお願いして情報を搾り取ってから、『ストック』するんだから」
「………………」
「ビビアン」
「かしこまりました」
「物騒だけれどあなただから許すわ、わたくしの大切な懐刀だから」
フェリシアからの言葉にビビアンの顔がぱっと輝き、そしていそいそとフェリシアの元に歩いていき、跪いて頭を垂れる。
「捕らえてまいります、我が主」
「よろしくね」
念を押した直後、ビビアンはすいっと部屋を出て行った。
早速行動に移すのだろう、と思うと仕事が早い部下を持てて幸せだなぁ、とフェリシアは一人でほっこりしている。
さぁ、ネズミはカディルの手先なのか、それとも国王か。あるいはイレネを聖女聖女と持ち上げた教会の秘密騎士なのだろうか。
考えれば考えるほど、楽しくて仕方がない。
ストックも増えるし、情報を聞き出せる。
ビビアンがいない部屋の中、フェリシアは物騒な微笑みで、一人、呟いたのだ。
「情報収集って、大切だものね。――うふふっ」




