種まき
【……ほう!】
場所は、ヴェルンハルトの私室。
密やかに届けられた手紙を読んで、彼はぱっと顔を輝かせた。
あの時、たまたま遭遇したカリュス皇国の言葉を流暢に話して困りごとを解決してくれた令嬢が、自分に会いたい、と書かれた内容の手紙だったから顔を輝かせるに至ったが、彼の妹はテーブルに頬杖をついて行儀悪く自分の兄をジト目で見た。
【兄様、一体何ですの?】
【んー? お前には内緒だ!】
【まぁ、妹であるわたくしに言えないような内容なんです?これはお母様に告げ口せねばいけないかしら?】
【したければ、好きにしなさい】
普段はこう言えば兄は、ごめんごめん、と苦笑いをしながらも妹のおねだりするがままに言うことを聞いてくれるのに、と頬を膨らませる。
【むー】
セイシェル゠ファラ゠カリュス。
現在十三歳、ヴェルンハルトが溺愛してやまない、カリュス皇国の大切な姫君。
カリュス皇国の第一皇女で、ヴェルンハルトの妹。妹とはいえ母親が違うが、年の離れたセイシェルを、ヴェルンハルトは大層可愛がっていた。
目に入れても痛くない、と言わんばかりの可愛がりっぷりと、欲しいと言われればヴェルンハルトによってあれこれ手に入れてもらっていたから、少し……そう、ほんの少しワガママになってしまったのが、玉に瑕。
【兄様、ベルティエ王国に行ってから心ここにあらず、なことがありますけれど……】
セイシェルはジト目でヴェルンハルトをじぃ、と見つめる。困ったように笑っているヴェルンハルトだが、実際困っているのかどうかは、表情だけでは読み切れない。
【何かお気に入りでも見つけまして?】
【ああ、そうだね。……とっても面白いご令嬢だった】
【兄様が、そう思ったの?】
【うん】
笑っているヴェルンハルトの言葉には、嘘は含まれていなさそうだ。とはいえ、あの曲者の兄が『面白い』だなんて、気に入られてご愁傷様……と、セイシェルはこっそりため息を吐いた。
【で、兄様が読んでいたのはその人からのお手紙?】
【正確には違うね、リルム殿下からのお手紙だよ】
リルム、という名前を聞いて、セイシェルはぱっと顔を輝かせた。
先日のお土産の髪飾りをもらった時、とてもセンスがいい、と喜んだものだからいつか会いたい、とおねだりしていたのだが、ここで叶うかもしれないなんて! と目をキラキラさせている。
【ねぇ、リルム殿下にはいつお会いできるの? この前の白薔薇のバレッタ、とっても素敵だったからお礼を言わなくちゃ!】
できれば妹の願いは叶えてあげたいが、何せこの性格。
身内の前だから少し控えめにしているのであって、他国の人を前にするととんでもなく俺様っぷりを発揮する困ったちゃんな姫様なのである。
普通逆だろ! と言われてしまうことが多々あるが、何故だかセイシェルに関しては『そう』なのだ。
【お前、忘れたのか?】
【なぁに?】
【そのバレッタを選んでくれたのが、俺が興味を持っているご令嬢だ】
【あれ、そうだっけ?】
【お前の性格を伝えたら、それを選んでくれたんだよ】
へぇ……とセイシェルはバレッタを外してまじまじ見つめる。
そしてふと顔を上げて、にこ、と微笑んでからまた口を開いた。
【ねぇ兄様、その人に会えないかな】
【まぁ……会えると思うが】
実際、ヴェルンハルトの元に届いた手紙にはヴェルンハルト自身に会いたい、と書かれていたから、ついでに妹を連れて行けば会うことはできる。
あの人ならば、この曲者な妹をどうにかできるだろうな、と勝手に判断したヴェルンハルトはにこりと妹に微笑みかけてから頷いた。
【ああ、構わないぞ。ただし、おとなしくしていること】
【……ええ、勿論】
何やら不穏な間があったのだが、気にしないでおこうと思ったヴェルンハルトは、妹との時間を早々に切り上げ、リルムへの返事を書いた。
極秘ということであれば、訪問を知らせる人は限定したうえでそちらに向かう。ただし、妹も行きたいとのことだから一緒に行く、と書いてからリルムへと送った。
きっと、リルムならうまく言ってフェリシアと妹の逢瀬も叶うだろうと思い、またやりとりを繰り返して訪問の日程を調整していくのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「フェリシア、お望み通り面会がかないそうよ」
「そう、良かった」
いつも通り、リルムに呼び出されて王宮のリルムの私室でお茶をしているフェリシアに、リルムは『はいどうぞ』とヴェルンハルトの手紙を手渡す。
「……ふふ、思った以上の成果だわ」
「そう? あの曲者姫様も来るとか……ちょっと憂鬱なんだけど」
「リルム、考えようによってはこれって大チャンスよ?」
「……どんな……?」
王太女がそんな顔するんかい、というくらいに、苦虫をかみつぶしたような顔を披露したリルムだが、フェリシアの余裕綽々な表情を見て、少しだけ気持ちが落ち着いたのか、一口、お茶を飲んだ。
「……あなたのことだから、何かあるんでしょう?」
「企んでいる、という方が良いかしら」
「自分で言うのね」
「ふふ」
微笑んだフェリシアは、ヴェルンハルトからの手紙をつぅ、と愛しそうに撫でてみせる。
そういえば、カディルとの婚約がなくなったフェリシアだが、女公爵になるのであれば結婚相手はどうするんだろう……と、不意にリルムは気になってしまった。
「……ねぇ……フェリシア。わたくし一つ不思議なことがあるんだけど」
「何?」
「あなた、婚約者は……?」
「そうね、ローヴァイン公爵家の当主になるんだから婚約者は必須よね」
「釣書、大量に届いているんじゃないの?」
「そう、大量に来ているのよ」
何でそんな平然と!? と思ったリルムは、ぎょっとするが続いたフェリシアの言葉にポカンとしてしまった。
「だから、ヴェルンハルト殿下に有力な婚約者候補をご紹介いただきたいな、って思って」
「はい!?」
「そうすれば、かの国とのつながりもできるし、わたくしは婚約者候補を見つけられるし、一石二鳥でしょう?」
「それは、そう、なんだけど」
どうしてこんなにあっけらかんとしているのか分からないリルムは、思わず立ち上がって、行儀が悪いとは思いながらもテーブルに身を乗り出して、がっちりとフェリシアの肩を両手で掴んだ。
「リルム、バランス崩しちゃうと危なくてよ?」
「一旦それは置いておくわよ! 貴女ねぇ!」
「……ねぇ、面白いことを教えてあげましょうか」
はっと気づくと、フェリシアは蠱惑的な笑みを浮かべてリルムを真っすぐ見つめている。
「面白いこと、って」
「どうしてあの聖女様を一定の人が支持していると思う?」
「いきなり何を……」
「あの聖女様ってね」
リルムがバランスを崩さないようにフェリシアも立ち上がって、そっと耳元に口を近づける。
そして、別に声を潜める必要はないにも関わらず、小声でこそこそと囁いた。
「――え?」
「……だから、わたくしにだって協力者は必要だと思うの」
「そのための……」
「察しが良くて、とっても助かるわ」
理解したリルムは、フェリシアと共にクス、と微笑んだ。
二人の笑顔は、ある意味凶悪そのもの。
もしもここに他の人がいたら……と不安にはなるが、仮にビビアンの場合は『お嬢様はどんなお顔をしていてもお美しゅうございます』と真顔で断言するだろう。
リルムの側近も『殿下が楽しそうで何よりです』と言うに違いない。
どっちの側近、あるいは専属侍女も、己の主を妄信しているから迂闊なことはできないのだが、一旦それはさておいて。
「そうね、ではそのようにしましょう。ああそうだ、ミシェル嬢にも」
「協力していただくわ」
「フェリシアらしいわね」
「だって、わたくしのお友達よ? この話を聞けば、きっと何を差し置いても……いや、文官試験の勉強は優先するでしょうけど、他は置いてでもこの話に乗ってくれると思うの」
そうだろうな、とリルムは頷いて見せる。
ヴェルンハルトがある意味で被害者になってしまうけれど、でも、こちらの勝利のためには巻き込まれていただかなくては困るのだ。
しかもとても癖の強い妹姫までもが来国するということは、場合によっては彼女もこちら側に協力してくれるだろう。フェリシアのことだから、間違いなく協力させるようにしてくれるのだろうけれど。
「では、舞台を整えていきましょうか。……お馬鹿さんたちに、地獄をみていただかないと……ね?」
にこ、と無邪気に微笑んだフェリシアの目の奥に、しっかりと宿っている『怒り』の感情。
前回を思い出すと、本当に腸が煮えくり返るというものだがそれもここで完全にとどめを刺して、おとなしくさせてやろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あの時、フェリシアはリルムにこう告げたのだ。
「ねぇ、知っている? あの聖女様って……物語の『主人公』なんですって。この世界そのものが、彼女のためにあるって……豪語したの。でも、彼女が主人公のままだとわたくしは冤罪をたっぷり吹っかけられて、破滅の道をたどってしまう。だからね、ぜぇんぶひっくり返そう、って思ったから『今』があるの。……あの人って……」
一呼吸おいて、フェリシアは続けた。
「わたくしを『悪役』にしてしまったの。なら……悪役になって、聖女様が味方につけていない人を、わたくしの味方にしてしまって、ひっくり返したうえで、こちらが『笑ってやりましょう』?」




