聖女は悪役令嬢の掌の上で踊り続ける
「う、ぐ……っ!」
おえ、とイレネは吐き気を堪えてベッドの上で体を曲げて必死に耐える。
まさか、こんなにも呪いの浸食がとてつもないだなんて思っていなかったから、体中の痛みや襲い来る吐き気、気だるさなどが一気に襲ってきている。
「耐えなければ……! でないと……私のやったことの、意味が……!」
フェリシアが理を捻じ曲げてくるならば、イレネだって同じように捻じ曲げる。無理やりだとしても、そうしないとフェリシアにはとてもじゃないが対抗なんてできない。
本来、ローヴァイン公爵家にしか受け継がれない『時』属性の力をイレネが操れるようになったことで、ハイス侯爵家がとんでもないことを言い始めた。
「まさか我が娘はローヴァイン公爵家の血を引いているのではないですかな!? はっはっは、イレネはもしかしたらローヴァイン公爵家の養女となるやもしれん!」
何とも馬鹿げた言い分であるが、これを聞いた民衆は勝手に『聖女様がローヴァイン公爵家の秘匿されたご令嬢だったのか!』と騒ぎ始めてしまった。
なんとも面倒だ、とローヴァイン公爵家は放置しているのだが、黙っている=真実である、という根拠のない噂があっという間に広がっていき、いつしか貴族にまで広がっていったのである。
イレネは計画通りだ、と諸々に耐えながらほくそ笑むが、ここまでフェリシアの手の内であることには、一切気付いていなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうするの!」
「ちょっとフェリシア、あんなクソ聖女に好き放題勝手放題させるんじゃないでしょうね!」
リルムやミシェルにテーブルを叩きつつ詰められ、フェリシアは別に何も悪いことはしていない、と言いたげに両手を上げた。
「……大丈夫だけれど」
「「どこが!!」」
「わたくしの大好きな二人が仲良しで、とっても嬉しいわ」
にこー、と楽しそうに微笑んだフェリシアを見て、リルムもミシェルもがっくりと項垂れてしまった。こんなにも能天気でどうするんだ!と叫びそうになったが、フェリシアは本当に何でもないように笑っている。
「……本当に、どうにかなるっていうの?」
「ええ」
己の勝ちを確信しているらしいフェリシアは、まだ何も語らない。
だが、どうしてかその様子を見ていると、大丈夫なんだろうという感覚に襲われる。いったいどうしてだろうか、とリルムは考えて、はっと気が付く。
「……フェリシア、あなた……」
「なぁに、リルム」
「……まさか……」
嫌な予感なのか、それとも『これも全てフェリシアの計画通り』ということに恐れ、震えているからなのか、冷や汗を流してリルムは問いかける。
「これをもって、民衆ごと何もかも……切り捨てにかかるの?」
「は!?」
ミシェルはまだ何も知らないから、リルムの言葉にぎょっと驚くが、否定しないフェリシアを見てぽかんと口を開けてしまう。
「嘘でしょう……?」
「……ふふ」
何かを企んでいるかのように、フェリシアはただ、微笑むだけ。
聖女イレネとカディルを利用し、フェリシアはこの機会に国王ヘンリックと、目の前の餌にしか食いつかない民衆を……正確には、かつて己を悪女だの魔女だのと罵った国民をも、丸っと切り捨てにかかるということ、これが計画のうちのラストなのかもしれない。
だがしかし、民衆を切り捨てると言ってもリルムはこの国の王太女である。国王を蹴落とした場合、彼女が女王となるのだから、切り捨てようにもできないのでは、とミシェルは思った。
「協力してくれそうな人、いるでしょう?」
「協力、って……」
「あ……」
ヴェルンハルト=セイル=カリュス。
カリュス皇国の第一皇子、以前、この国に来ていたかの国の皇太子。
リルムとはたまに手紙のやりとりをしている、ということは彼女自身から聞いて知っているフェリシアは、彼をほんの少し巻き込んでしまおうと考えたのだ。
「リルム、彼にわたくしの能力のことを説明したでしょう?」
「ええ」
「その時、ヴェルンハルト様は何て仰ってた?」
「何、って……」
リルムは手紙の内容を思い出す。
とはいえ、大したことは書いていないし……と考えて、む、と眉を寄せる。
「(きっと、あの人ならば)」
フェリシアには、何故だか確信できていた。
ヴェルンハルトは、きっと、『フェリシア』に興味を持っている。そして、リルムはフェリシアの友であるから、前回この国にやってきたとき、イレネが何故だかヴェルンハルトのことを執拗にリルムから聞き出そうとしたので、リルムは『余計なことをする暇があるのなら、もっと勉強をしろ』という言葉を皮切りに、イレネを言葉でぼっこぼこのタコ殴りにしたと聞いている。なお、ぶつけられたのは正論ばかりだからイレネは反論できずに、子供のように泣きわめいて己の与えられた勉強部屋へと走っていった、というのが城の使用人の間で密やかに笑い話として伝わっている。
もちろん、フェリシアも聞いた。公爵家に帰るまでは平静を装い、帰宅してから遠慮なく自室で声を上げてめちゃくちゃ笑い転げたから、ビビアンが驚いてユトゥルナを呼びに行ったが、ユトゥルナは『まぁ珍しいこと、わたくしの宝物がこんなにも大爆笑して……』と、うっとりと目を細めて見守っていたとか何とか。
……余談はさておき。
フェリシアが思うに、ヴェルンハルトは何かしらの重要人物である、と推測できるから、彼が帰国する間際に、フェリシアはリルムに対してこっそりと『ヴェルンハルト殿下と文通でもしたらどうかしら、文化の相違や取り入れられるべきものなんかの情報交換は、とっても有意義だと思うのだけど』と伝えたら、リルムはあっさり取り入れてくれた。
「……そういえば、何かあれば助けになるから、言いなさい……と」
「今がその『何かある』時でしょう?」
フェリシアが、というよりローヴァイン家そのものがピンチであること(別にピンチではないが)を伝えれば、彼が手を貸してくれるはずだ。
「それは……」
「ちょっとね、色々と考えていることがあるの」
「…………時が来れば、ちゃんとこちらにも説明してくれるんでしょうね?」
「勿論」
にこ、とフェリシアは機嫌良さそうに微笑んだ。
フェリシアは、『味方』に対してはとても好意的だし、何かあれば公爵家の権力もフル活用して助けてくれる。
いつしかそれは、リルムを支持する勢力を増やしていくことに繋がり、国王派と並んで……いいや、それ以上に増やさんばかりの勢いでじわじわと水面下で勢力を伸ばしていっている。しかし、国王はそれに気付いているのか、いないのか。
あくまでフェリシアが力を貸しているのはリルムなのだが、彼は王家そのものにローヴァイン公爵家が力を貸してくれていると思っている。
――それは違う。
フェリシアが力を貸しているのはリルムであって、この王家なんかではない。
特にフェリシアが次期公爵として指名されてからは、それが顕著だというのに、あの王はそこのところは見えていないらしいが、何とも情けない、というのはリルム談。
「……もし、あの方がお力を貸してくれるというならば、今度は極秘にこちらへご招待してもらえるかしら?」
「ええ、それは勿論だけど」
「困ることがあるの?」
リルム、そしてミシェルの順に話しかけられたフェリシアは、笑みを深めてこう続けた。
「だって、イレネに知られたら……カディル様という婚約者がいるにも関わらず、また前みたいにヴェルンハルト様のことをあれこれ詮索されて、周囲をうろちょろされてしまうかもしれないでしょう? そうなったら……ヴェルンハルト様にもご迷惑がかかってしまうし、『時の聖女』様が男好き、だなんて心無い噂が流れてしまうかもしれないじゃない」
ころころと鈴を転がすような声で笑いながらとんでもない内容をしれっと告げたフェリシアに、友人二人組は顔をじっと見合わせて『確かに』と頷いた。
建前だが、こう告げておけばこの二人をはじめとしたフェリシアの味方は、とても協力的に動いてくれるだろう。
実際、学園でイレネのそばにいるのは女子生徒ではなく男子生徒の方が多い。
あれこれ失態を晒しているが、それでも見た目はとても愛らしいから、にっこり笑って少し目を潤ませれば大概の男子がコロッと騙されてしまう。
「(ま、あれがあの子曰くの『ヒロイン』だとか『主人公』だとかいう、ゲームとやらのおかげ?かもしれないけど……それがこんなところで役に立つなんてね、感謝するわ聖女サマ)」
今頃、イレネが耐えているであろう呪いを想像すると笑いが止まらなくなってしまう。
反動なしにあの強大な力を、制御できるはずもない。聖女の力で解呪したところで、そんなもの、たかが知れている。
イレネがローヴァイン家の血を引いているだとか、秘匿されたローヴァイン家令嬢だとか、馬鹿馬鹿しい話もそろそろ聞き飽きてきた。
――役者をすべてそろえて、イレネには地の底へと落ちてもらおう。
そう考えて、フェリシアは親友たちに見えないように拳をぐっと握ったのだった。




