取り戻したい、でも、そんなこと許してやるはずもない
目が覚めた時、『私』は慌てて鏡を確認した。
自分の顔なのに自分の顔では無い見た目の整いすぎているそれに、愕然として鏡の中の自分をぺたぺたと触るかのように確認をした。
「これ……この顔、あのゲームのヒロインの、イレネ……? え……どういうこと?」
自分が楽しんでやっていた恋愛ゲームの中のヒロインに、まさか自分が成り代わっているのだろうか、と都合のいい展開を想像し、ニヤけた。
どうやって成り代わったのかは気にしない。
よくある小説の、ご都合展開真っ盛りなのだろう、くらいにしか思わなかったから、イレネはそこから先の思考をまるっと放棄した。
そう、実際に都合のいい展開になっているのだ。
自分の最大の推しキャラであるカディルは、ヒロインであるイレネとは幼馴染で、なんでも腹を割って話し合える貴重な存在、という素晴らしき立ち位置。
ヒロインのライバルは、この国の公爵令嬢だけれど己にも他人にも厳しく接していることから、手抜きをしたい人からすれば、ものすごく鬱陶しい存在でしかない。
「最高……!」
元の世界の自分のように、寝る前のスキンケアを必死にあれこれやる必要も無いくらいにキメの整った艶やかで瑞々しい肌。
髪の毛は常にサラサラふわふわで絡むことも無く、ヘアセットだってやりやすい。
全てが整ったこの環境は、絶対に手離したくないと思えたし、誰がなんと言おうと推しキャラと結ばれて絶対に幸せになってやるんだ、という思いはどんどんと強くなっていった。
そして、カディルの婚約者であったライバル……いいや、もうあの女は『悪役令嬢』なのだから遠慮なんかいらないのだ、と思ったから、ゲームの攻略本を読んだ中にあったショートストーリーに書かれていたフェリシアのお話を思い出しつつ、これから死んでいく愚か者への手土産として語り聞かせただけ。
──それだけだった、はずなのに。
「フェリシアが言ってた……二回目、だって。なら……一回目の私は……死んで……でも、今私はこうしてここにいて……」
ブツブツと繰り返すが、明確な答えにはたどり着けない。
「フェリシアは……最初から知識を持っている状態でやり直していて、でも、私は二回目だから、一回目の知識が、ない……」
何もかもが異なっているというのに、話の展開も異なっているのに、カディルとイレネは結果的に婚約者同士になってしまった。
確かに、イレネとカディルが結ばれることが、イレネ自身が目指しているゴールではある。今、それに向かって話はどんどんと進んでいるのだが、そこに至るまでがそもそも違うのだ。
だって、イレネはカディルのよき理解者として優しく寄り添い、フェリシアがいかに悪役令嬢なのかを色んな人に吹き込んで、ああ、それだけではない。学院の生徒だって皆がイレネの味方で、王国の民だって、イレネの味方であるはずなのに。
「……今は……皆がフェリシアの味方……?」
国王だって、リルムだって、全ての人がフェリシアを称える。
『何と素晴らしき次期ローヴァイン当主なのだろうか!』、『魔法の才能だけでなく王太女殿下の心の支えにまでなるとは』、『それでこそ影の王家たるローヴァイン公爵家!』などなど、言い出せばきりがない。
それほどまでにフェリシアはいつも賞賛されている。
どうにかして、フェリシアを今の地位から引きずり下ろしたい。
何度考えたことだろうか。
「だって、カディルとイレネは、こんなにもぎすぎすした関係性なんかじゃない! ゲームの中ではあんなにも……!」
うっとりとするようなスチルの数々。
カディルからかけられる甘い言葉の数々。
いいや、それよりも。
フェリシアが惨めにカディルに縋りついて、イレネのことを心から羨み、激しくこちらを罵りながら処刑されて、全てを手にするのはイレネでなければいけないのに。
今日の分の王子妃教育は終了している。
家に帰る暇などあると思うな、とリルムから釘を刺された結果、王宮に部屋を与えられてから学院に通うのもここからで、学校が終れば迎えが待ち構えているからイレネは逃げることもできやしない。
『王族の結婚相手ならばAクラスに上がってほしいんだけど、どうしてできないの?』と何度リルムからお小言をいただいただろうか。
クラス分けのテストは残り一回。
つまり、最高学年に上がる時のクラス分けでAクラスに上がらないと、何を言われるのか分かったものではない。
リルムは既に卒業し、王太女としてローヴァイン公爵家の後見を得ている。更に、次期ローヴァイン公爵にはフェリシアが既に内定しているから、イレネが思い浮かべていた『カディルとイレネの仲をフェリシアが羨む』なんていう展開にはなりそうもない。
「やり直しさえ……できれば……」
イレネが願ったとて、それは決して叶わぬ願いなのだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さぞかし悔しいのでしょうねぇ、イレネは」
父ベナットに教えられ、次期ローヴァイン公爵としての執務に明け暮れているフェリシアはほくそ笑んでいる。
きっとイレネは何かをどうにかしようとして、必死にもがきまくったに違いない。
「そういえば、結局ヴェルンハルト様って何だったのかしら」
いつぞやの街中で遭遇したあの日、『いつかまた会おう』とヴェルンハルトに言われたものの、あの後でフェリシアはしれっとミシェルのことを呼び出してヴェルンハルトに引き合わせた。
だが、ミシェルはどこまでも冷静に『え、皇太子妃とか無理よ。お父様みたいな文官になるのが夢なんだから』とヴェルンハルトの前でズバリと言い切った彼女の台詞が、ヴェルンハルトに思い切りぶっ刺さった、らしい。
『ぐはっ!』と何やら悲鳴のようなものを発して、その場で動かなくなってしまった様子は何年か経ったけれど未だに思い出せるくらいだ。
「ヴェルンハルト様、皇太子妃候補を無事に見つけられたのならばいいけれど」
ちなみに、フェリシアは既に丁重にお断りしている。
カリュス皇国の言葉を淀みなく話せるのが何より高ポイントだったらしいが、ベナットとユトゥルナが『うちの子は次期公爵なので無理でございます』とずずいと前に出てくれて、丁重とはいえかなり食い気味に断ってくれた。
国王であるヘンリックも『フェリシア嬢はリルムの良きアドバイザー的な立ち位置でいてくれてこそ、この国は更に発展するからな。すまぬ、ヴェルンハルト殿下』と断ってくれたらしい。
――やり直し、さまさまだ。
フェリシアがここまで徹底的にやり直し後の世界において、イレネの何もかもをぶっ潰しにかかるとは思っていなかったのだろう。
ゲームの強制力が働いたことで、結果としてイレネとカディルが結ばれる展開になったのは良き事でしかないので、どう転んでもフェリシアにとっては『面白いこと』でしかない。
「ま、徹底的にイレネの道をぶっ潰して差し上げたから、こうなって当たり前なのですけれど」
カディルとの顔合わせにおいてローヴァイン公爵家は婚約の話を断り、カディルの絶対的な味方であったエーリカも表舞台から退場してもらった。更には、そもそもフェリシアが入学しなかったはずの学院に入学し、カディルがなるはずだった王太子という立ち位置に上ってきたのは側妃の娘であるリルム。
カディルの価値は、誰もが恋焦がれる王太子殿下ではなく、『癇癪もちの王子殿下』でしかなくなってしまい、早々にイレネと婚約したもののどうしてだかカディルがフェリシアに執着している。
フェリシアは当たり前のようにカディルを拒絶し、フェリシアのことを想う使用人達の手によってカディルからの手紙が届こうものならベナットにまず届けられ、ヘンリックに連絡がいき、カディルがまた立場をなくすという無限ループになりかけていたところを、ここ最近魔獣退治に出ていることでようやくなくなった。
長い道のりだった、とフェリシアはここにきてようやく安堵したが、学生生活は残り一年。リルムは卒業してとてつもなく外国の要人から高い評価を得ているので、もう彼女の立場は揺らがないだろう。
「最後の嫌がらせは……どうしてやろうかしら。もうわたくしのことは断罪できないはず、だって断罪するような理由はないのだから。では……残るはあの馬鹿王家と、国民たちに一泡吹かせるのみだけど……リルムのことは悲しませたくないから、手を打たないといけないわね」
うーん、と唸りながらフェリシアはお気に入りの一人がけのソファーにずずず、と深くもたれかかって埋もれる。
「お嬢様、何とも珍しく愛らしいことをなさっておいでで」
「あらビビアン、こんなお行儀の悪いわたくしを可愛いだなんて、お医者様を呼ぶ?」
「正常ですのでご安心くださいませ」
本当か?と疑いの目を向けてみれば、ビビアンはどう見ても至って正常。そもそも論として、ビビアンはじめ、ローヴァイン公爵家の皆さま方はフェリシアに激甘なので、きっと誰が今の行儀が悪いフェリシアを見ても、『あらあら』と温かな眼差しを向けてくるのだろうが、気付いていないのは当の本人のフェリシアのみ。
やり直したこの世界で、フェリシアはこれまでと違い皆に愛され、助けてほしいと思うことは素直に口に出した。
一番最初に彼女がやったのは、『我慢すること』をやめたことだ。
信頼できる人が傍に増えたことで、フェリシアの学院生活も、日常生活も、何もかもがうまくいっていた。
カディルだって、『王族たるお前にしかできない仕事だ、リルムにはできない』と頼られているようなことを国王から言われただけで、彼は嬉々として魔獣退治に行くようになったというのだから、何とも現金なものだ、とフェリシアはほくそ笑む。
イレネだけは、何度だってこんなはずじゃなかったと叫んでいるところだろう。
だがしかし、話の大筋として『ヒロインと王子が一緒になる』ということは果たせている。彼女曰くの大きな目的は何事もなく果たされているのだから問題なんかない。もしかしたら最後にひっくり返しに来るかもしれないが、そうなったらばフェリシアは全てを以てその計画を叩き潰す。
「ねぇ、ビビアン。貴女に一つ、質問しても良くって?」
「はいお嬢様、何なりと」
「もしも、この世界が一度目の反省をもってやり直されている世界だとして」
「……はい」
「誰かが救われ、でも誰かは不幸になってしまうようになっていたら、貴女はどうする?」
うーん、と問いかけに対してビビアンは考え込んで、きょとんとした顔でフェリシアに問いかけた。
「お嬢様、質問に質問を返してしまうのですが」
「なぁに?」
「その一度目で、誰かはとてもお辛い思いをしたのですよね。だから、やり直した」
「そう」
「なら、簡単です」
ビビアンの顔は、ぱっと輝いた。
「きっと、何かの原因があったと推測いたします。幸せになるためにやり直したのであれば、それでいいではありませんか」
「……あら、簡単に言うわね」
「悔しくて、でも二回目はどうにかしてそれをひっくり返したかったから、やり直した。歴史は変わったかもしれませんが、そもそも『やり直す原因』がいる、もしくはあったから、その人がそうなる道を選んだだけですし」
ビビアンの言葉に、フェリシアは胸の中にあった何かがすとん、と落ちた気がした。
「(わたくしは……家族以外の誰かに、この巻き戻しを肯定してもらいたかったのかしら……)」
巻き戻して、フェリシアの元に一番最初にやって来た、家族以外の絶対的な味方であるビビアン。
その彼女にこうやって断言してもらって、フェリシアはどこか困ったように、でも嬉しそうに微笑んだ。
「お嬢様、こんな感じのお答えで問題ございませんか?」
「ええ、満点よ。ありがとう、ビビアン」
イレネが巻き戻したいと思う傍ら、フェリシアが歩むのは二回目ながらも光ある未来へ向けて。
ここまで来てやり直したいとどう願ったとしても、諸悪の根源たる主人公の思いなど、フェリシアが叶えてやる道理などは、どこにもない。




