『二度目』
はて、ここはどこだろう?と、目覚めたフェリシアはぱちぱちと瞬きする。
一番最初に目に入ったのはベッドの天蓋。
むくりと体を起こして現状の把握に努める。
見覚えのある内装の部屋、落ち着いた淡いクリーム色の壁紙、置かれたソファーはアイボリーの生地で子供が使うにしてはサイズは大きいけれど、フェリシアは気に入ってた。カーテンの色はソファーに合わせたアイボリーで、この部屋の色合いの好みは間違いなくフェリシア自身。
女の子らしいピンクや白に統一されていたそれらを、少しずつ変えていったのを思い出した。三歳くらいから少しずつ、年月をかけてじわじわと。今考えると何ともまぁ成熟した子供だったのか、とそう思うと自然と笑みが溢れた。
次に、首を動かして視界に入ってきたのはお気に入りの大きなクマのぬいぐるみ。そして、父に貰った大切な宝石箱。母からもらったばかりであろうイヤリングとネックレスのセットまである。中身が見えるように箱が開けられた状態。確か、あれは貰ったばかりの頃に嬉しくてずっと見ていたいから、とそうしていたのではないか、と思い出す。
これは確か、あの王太子と婚約する少し前の自分の部屋の中ではなかっただろうか。
そう思いながら、自分の手を眺めた。
「あぁ、成功したのね」
うふふ、と笑い、刻印の場所を確かめれば掌に。
フェリシアはこれで確信した。
「あの聖女とやらも役に立つじゃない。ありがとう、攻略本?だとかの情報をくれて」
イレネの魔力を吸い上げ、寿命を使い、時戻しの魔法を使った。これほどの規模であれば間違いなく自分がほぼ死にかけのような状態になるのではと推測したのだが、イレネが言った通り。
『対価は寿命』、これは今まで『対価は、術者自身の寿命』だとばかり思い込んでいたのだが、違った。
現にフェリシアはピンピンしているし、体には何のダメージも感じられない。魔力も減っている感覚はない。
「何でもいいから、寿命を貰い受けてから『時属性』の魔法を行使すればお父様も私も、寿命を犠牲にしなくても良い。早死になんかしなくても良い。それに……」
うふふ、と自然と笑みが零れる。
「また殿下の婚約者になるのなんて真っ平ごめん。……婚約者でなくなるのであれば、国王や王妃のご機嫌取りをしなくても良くなるのね……!」
ぱっとフェリシアの顔は明るくなる。
一度目の人生において、王妃自ら第一王子とフェリシアの婚約を希望した、と父からは聞いている。理由は『歳も変わらないし、お互いきっとよき伴侶になるから』と当たり障りのないものであったというが、事実としては違う。
王妃は、綺麗なものが好きだった。人でも、宝石でも、ドレスでも、絵画でも何でも、とにかく全て。
自分の周りを綺麗なもので飾りたい、それには見目麗しいカディルの隣に立つ令嬢も、美しくなければならない。
そんな思考の彼女が目をつけてきたのが、まさにフェリシアだった。
公爵家令嬢にして、『時属性』の適性が当時はまだ見られていなかったけれど膨大な魔力の保持者にして、見目麗しい『ちょうどいいくらいの女の子』。
父に連れられて初めて王宮に行き、挨拶をしたときの王妃の値踏みするような視線はどうやっても忘れることなんて、できやしない。
「ご自身もお美しかったけれど、周りを美しいものだけで固めたいという思考回路は意味が分からなかったし、理解したくもなかったわ」
呟くフェリシアは、掌にある刻印をじっと眺める。
「私は、お人形さんではない。けれど、もうあんな思いをしなくてもいいはず」
巻き戻す前のことを、思い出してみた。きっと成功している。だって、一度目のお父様は、と考えていたとき、部屋の扉が少しだけ乱暴にノックされた。
「はい、どうぞ」
「フェリシア!」
「あぁ…っ、わたくしの可愛いフェリシア!」
「お父様、お母様!」
ベッドから飛び降り、こちらに走ってくる両親が腕を広げてくれていたから、遠慮なく飛び込んだ。あぁ、温かくて安心出来る『大人』の腕の中だ。
「お父様、お母様……」
安心しきった声で、フェリシアを抱きしめてくれている力強い二人に甘えるように擦り寄れば、それに応えるかのように父も母もフェリシアを強く抱き締めてくれた。
「……まさか、一度目で成功させてしまうなんてな」
「……え?」
「『時戻し』の魔法だよ。よくやった、我が娘。そして、我が後継者よ」
「お父様……!」
あぁ、やはりそうだと理解した。概念であるものを操るのだから、思いが強ければ強いほど自分の思い通りに動かせる。
父も母も、『一度目』の記憶をきちんと持ったまま、こうして戻ってきてくれた。でもまずは、失敗してしまったことに関して謝罪を、とフェリシアは一旦二人から離れて深々と頭を下げた。
「お父様、お母様、親不孝な娘で申し訳ございません」
「何を言うの!元は、フェリシアに何もかもを任せきっていたあの王太子のせいではありませんか! 貴女は何も悪くない、こちらから見限ったと同義よ」
「けれど、国が決めた婚約で……」
「わたくしの可愛いフェリシア、気付いていなかったとは言わせないわ。あの婚約は、王妃の自己満足を満たすための婚約だったことは、貴女が誰よりも理解しているはずよ」
母だからこそ、あの王妃の執着にも等しい感情に気付いていたし、忌々しかったのだろう。フェリシアをアクセサリーのように扱っていた王妃を、決してこの母は許しはしないだろうと思う。
「最初は、フェリシアが幸せになれるのであれば、とあの婚約話を受け入れた。だが、蓋を開けてみれば結果はフェリシア、お前への冤罪事件だ。しかも聖女としてハイス侯爵令嬢が覚醒したからといってのあのような無礼極まりない態度、許しはせん!」
「お父様……」
「これまで王家と良好な関係を築いていたと思っていたのは、こちらだけだったようだわ。平和ボケをしてしまっていて、何とも情けないったら……!」
「お母様……」
父母共に、後悔してくれている。自分自身をとても大切にしてくれていたんだ、それがよく伝わってくる。
王家との関係性を深めるための道具として使われていたとばかり思っていたが、そうではなかったのか、と分かっただけでも嬉しい。
「フェリシア、今がいつなのかは把握しているかい?」
父からの問いに、少しだけ首を傾げてみせる。
巻き戻ったこと、そして自分が幼くなったことは理解しているのだが、暦がいつか、そこまでは把握していなかった。
「暦……まではしておりません。ですが、年齢としては恐らく、前回殿下と婚約した六歳くらいでしょうか?」
「歳は正解だ。そして、お前と殿下の顔合わせが、明日だ」
「明日……!?」
ちょうど、巻き戻った先が婚約前であることはラッキーといえるのか、もしくはフェリシアが『やり直したい』と思ったのがカディルと婚約する前からだと無意識ながらも強く願ったからなのか。
「そうですか……では……」
「明日、王宮に行くことになっているが、婚約は断るつもりだ」
「王妃が望むからといって、全ての望みを叶えてやるつもりもありません。フェリシアは当家の、次代公爵となるのですからね」
一人娘であるフェリシアだったが、前回はカディルの婚約者として王宮に住んでいたこともあり、分家から養子をとって次期当主教育をしていた、と後に聞いた。
今回はそもそもやり直しの『二回目』。既にフェリシアは『時属性』の適合者となっているし、覚醒もしている。
一度目の人生でローヴァイン公爵家の跡取りとなった分家筋の人には申し訳ないが、これからはフェリシアが当主教育を受けることになるのだ。明日の王宮での話題はこれになるだろう。
「フェリシア、もしも王妃が何かを強制させようとしても、お前は今、子供なのだ」
「? は、はい」
「うっかり大人びたことは言ってはいけないよ」
「はぁ……」
「そうね、可愛いのに思慮深い、更に周囲のことも考えられているだなんて……王妃の好みそのものよ」
「え、えぇ……」
正直、ドン引きである。王妃があれだけ自分の味方をしてくれていた理由がまず見た目ということにもだが、一国の王妃がそれはどうなんだ、と思う。
当時は年齢も年齢で、外見は可愛いよりも『綺麗』と呼ばれる部類であったのだが、今は『可愛らしい』が強い。
結果としてアクセサリー扱いされるのはごめんだし、二度目も婚約者になるのは更にごめんだ。
「分かりました、お父様とお母様の背後になるべく隠れて……そうですわ!人見知りの演技をすれば、王妃様がいくら希望したところで周りが許可するはずもありません。それに加えて『時属性』の覚醒を知らせれば!」
「そうだな、そうしておこう」
「それとお父様、お母様、私からお二人にお知らせがございまして」
「どうしたんだ、フェリシア」
巻き戻る前、イレネが言っていた。『フェリシアは悪役令嬢』なのだと。イレネとカディルが結ばれるためには邪魔な存在であること。当たり前のことを一度目に注意していただけで、悪役のように扱われた結果、イレネから悪役令嬢と馬鹿にされるように言われたことや、何故か彼女が『時属性』魔法を使う際に寿命を代償としていることを知っていることも、包み隠さず報告した。
案の定、父も母も激怒した。だが、そんな両親に対してフェリシアは冷静なまま、こう告げた。
「だから、彼女のお望み通り『悪役』でいてさしあげようと思いました」
「へ?」
「え?」
「イレネ嬢曰く、この世界には筋書きがあるそうです。その筋書き通りに進めば、私は覚醒していないことをなじられ、悪役にされ、殿下とイレネ嬢が結ばれることを悔しそうにしながら処刑されてしまう運命なんだとか」
言い募るたび、両親の機嫌は急降下していく。
「だから、思いました。二人が相思相愛なら、私はいない方が良い。つまり、私が王太子妃候補にならなければ、ハイス侯爵家に白羽の矢がたつ可能性があるのでは?と」
「しかしハイス侯爵令嬢はお前を悪などと言うくらいだから、お前のことは嫌いなのでは……」
「だから、あの子の思い描いた未来を迎えさせてあげるんです。私という『悪役』が不在なまま」
ベナットはよくわかっていないようで不思議そうにしているが、ユトゥルナは察してくれたようだ。
「私、死にたくありませんし、お父様を短命で死なせたくもありませんので、あの子が思い描いている未来に進みながらも、その筋書きは変えてやろうかと思いまして」
悪役令嬢がいるからこそ深まった絆。ではいなければどうなる?
本来あるべきシナリオ通りに進まないけれど、聖女という役割のイレネは存在を残している。命は全て吸い取っていないし、巻き戻しただけだから。
だが、フェリシアがこうして『時属性』として覚醒している以上、ベナットとユトゥルナの力添えがあれば、王太子妃になるような未来は考えられない、つまりカディルが普通には王太子になることはないだろう。
前回は、フェリシアの家の後見があってこその王太子だったのだから。
とはいえ、イレネの家は侯爵家。家柄など諸々を考えれば王太子妃候補にも選出されるだろう。ついでに、確かイレネは学院の成績も優秀だったと聞いているので、問題ないのでは、と思う。
「筋書き通りに進ませてやらないのもまた、悪役でしょう?」
うふふ、と楽しそうに笑うフェリシアの意図はきちんと伝わったようだ。
巻き戻る前にイレネが言っていた『悪役令嬢』という役割がフェリシアというのなら、そうなってやる。でも、普通に悪になるのは面白くない。
人をあれだけ悪役悪役と連呼したのだ。
ちょっと筋書きそのものをひん曲げるくらいのことは許してほしい。
「最終的にイレネ嬢と殿下が結ばれるのなら、終着点は変わらないと思いますし、途中をひっかきまわすくらいのお茶目は許していただきたいものですわ」
六歳児には見えない微笑みを浮かべてフェリシアは言う。
あれだけ悪役と言ったのだから、その通りに運命を変えてやろう。
「平穏無事に筋書き通りにいくだなんて、思わないでほしいわ。…ね、イレネ嬢」
敵認定すれば容赦はしない。
再び両親に甘えるように抱き着いてから、翌日のことを考える。
大丈夫、誰よりも心強い味方がフェリシアにはいるのだから。
一度体を離し、家族団らんの時間を過ごすためにフェリシアは身支度をしてもらうために侍女を呼んでもらった。
さすがに侍女の記憶までは持ち越せなかったため、一から関係を築いていく必要はあるがそんなものは些細なことだ。
本来の筋書き通りではないルートで、開始された二回目。
変化しているのを知っているのは、イレネ曰くの『悪役』のみである。
到達するエンディングは聖女と王太子が結ばれるルートだが、そこに至るまでの道のりはベリーハードに違いないが、フェリシアの知ったことではない。なぜならフェリシアは、この筋書きでの『悪役令嬢』だから。




