入念に、残酷に
「さぁて、どうしようかしら」
ふんふーん、とフェリシアはご機嫌な様子でお茶会に参加するためのドレスへの着替えと、化粧、アクセサリー選びをしていた。
「お嬢様、とっても楽しそうですね」
「ええ、とっても楽しいわ」
にっこにこのフェリシアを見ると、ビビアンをはじめとした他のメイドたちもつられて笑顔になってしまう。
「(あぁ、本当に巻き戻して良かった。こんなにも楽しい気持ちで、自分を嫌っている人のお茶会に参加できるだなんて!)」
フェリシアが上機嫌なのには、明確な理由がある。
自分のことを嫌っていると公言している令嬢の母親が主催するお茶会に、ユトゥルナに一緒に連れて行ってもらうからだ。
別にわざわざ嫌いな人のところに出向くような趣味はないのだが、魔獣討伐の演習の時に色々と見せつけるための材料として、念の為にちょこっと『吸い取って』おこうかな、と思ったのだ。
「ねぇ、わたくし今日は黒じゃなくても良いのかしら」
「はい、奥様より本日のお茶会のドレスコードが白だ、とお相手より指定があったとの旨、ご連絡をいただきました」
「そう」
罠だろうな、とフェリシアは直感で思う。
ユトゥルナだって馬鹿ではないから、白でこいと言われて素直に受け入れるはずもないのだが、罠だと知っていて敢えて、受け入れるのもありかと思う。
それならそれで、仕掛けた側に破滅の一途を辿ってもらえば良いだけの話だ。
お茶会に招待してきた家、ハーミット伯爵家は王妃派だった。
だから、その王妃を蹴落としたフェリシア、もといローヴァイン公爵家が憎くて憎くてたまらないはず。
ユトゥルナがあまりにもお茶会の招待に応じなかったこともあり、恥をかかせられなかったけれど今回は違うから全力で泥をぶん投げてくるに違いない。
見え見えの罠に引っかかってやるほど人間出来ていないけれど、自分たちで己の首を締めているだけだから、乗っかってあげる。ただそれだけだ。
ちょうど準備が出来た頃合いで、フェリシアの部屋の扉がノックされた。
「フェリシア、支度はできたかしら?」
「はい、お母様」
「まぁまぁ、とっても楽しそうね」
「ふふ、お母様だって」
うふふ、あはは、と可愛らしく会話をしている母娘の瞳の奥の奥。
もしもここにベナットがいたら、彼にだけはしっかりと二人の瞳の奥にある仄暗さが見えていただろう。
外に出れば、そんなもの微塵も感じさせないほどに完璧な公爵夫人として、フェリシアは公爵令嬢として立ち回るのだ。
「では、行ってきますね」
「ビビアン、留守をお願いね」
「行ってらっしゃいませ」
メイド長、執事長を筆頭として、ビビアン、そしてユトゥルナ付きの使用人たちが揃い、丁寧に頭を下げた。
そして、二人を乗せた馬車は目的地へと進んでいく。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ようこそいらっしゃいましたわ!」
「なかなかご招待に応じられず、誠に申し訳ございませんでした」
「いいえ、いいえ!ユトゥルナ様は大変お忙しくていらっしゃるもの!しかも今日はフェリシア様まで!まぁまぁ、当家の娘も喜びますわ!」
「まぁ……嬉しいですわ!」
表向きは和やかだけれど、目に見えて分かる悪意があった。
案の定、ドレスコードは白なんかではなく、深緑だった上に、揃いの扇まで持っているではないか。
「(くだらない嫌がらせだこと)」
フェリシアもユトゥルナも、二人だけ扇をもっていない。それに加えてドレスも白。
──まぁ、ご覧になって?
──あらいやだわ、公爵家の夫人ともあろうものがドレスコードのひとつも守れないだなんて、何て失礼な人達なんでしょうねぇ。
くすくす、ひそひそ。
ユトゥルナとフェリシアを嘲笑うのは、揃いも揃って皆、王妃派だった貴族のご夫人たち。
馬鹿にするのも大概にしろ、と怒鳴りつけるのは簡単だが、ユトゥルナは悠然と微笑んで指をぱちり、と鳴らした。
瞬間、フェリシアとユトゥルナを魔力の光が覆い尽くし、ぱっと光が消えたところで見てみたら、二人のドレスは深緑へと変化していた。
「え……?」
「わたくしの招待状に記載されていたドレスコードは間違いだったご様子ね。変更があったのならば、教えて下されば良かったのに…ねぇ?」
頬に手を添え、ニィ、とユトゥルナは微笑んでからひたりとハーミット伯爵夫人を見据えた。
「あ、の……」
「扇に関してはお許しくださいませね?そちらの記載ミスでしょう?」
招待状に書いたのに!と声高らかに言う気満々だったハーミット伯爵夫人だが、それはユトゥルナの手元に招待状が無かった場合の話だ。
ユトゥルナの手にある招待状を見てみると、しっかりと『白のドレスでお越しくださいませ』と記載がある。なお、『所持品:なし』とも記載されている。とても綺麗な字で書かれているから、言い逃れはできない。
やるならやるで、もっともっと徹底的にやればいいのに、とフェリシアは思う。
招待状にも魔法で細工を施しておいて、到着した頃に確認したら、皆と同じ招待状、というものにしておけば良いのに、と思ったけれど、そこまでは頭が回っていなかったようだ。
悔しそうにしているハーミット伯爵夫人と、反対に彼女の取り巻きたちは、まずい、という顔をしている。
もっと頭を回していれば良いのに、という後悔なのだろうと思うと、逆に可哀想に思えてしまう。
「可哀想な王妃様」
ぽつ、とフェリシアが呟けば、敵意満々の目で会場にいる夫人や令嬢たちからギロリと睨まれた。
「まぁ、何か間違いをわたくし申しましたかしら」
「ふふ、幼いのに弁がたつなぁ、と思ったのよ」
「王妃様は、このようなことをお望みなのかしら?」
「……何ですって?」
「だって…ねぇ、お母様?」
「そうね、フェリシア」
ローヴァイン公爵家の母娘は、にこにこと微笑みあっている。
そこにあるものは読めず、一体何を言いたいのかとハーミット伯爵夫人は二人にずい、と近付いた。
「はっきりおっしゃったらいかが?」
「あら、だって」
きょとり、とフェリシアはわざとらしく見えるように表情を作って、手をぱちん、と合わせてにこにこと微笑んで続けた。
「わたくしやお母様を馬鹿にすることって、つまりそちらの伯爵家が、我が公爵家に喧嘩を売ってくださった、ということですわ」
「……っ」
そんなことはない、と言おうとしたけれど、フェリシアが滑らかに続ける。
「あぁ、別にいいんですの。それならそれで、こちらも色々と手を打ちますから」
脅し?!と騒ぐ他の夫人や令嬢を押しのけ、ハーミット伯爵家令嬢である、リリアナが走ってきた。
「お母様、この人たちを呼んだらろくなことにならない、と申しましたでしょう?!このフェリシア嬢は婚約しているにも関わらず、カディル殿下を誑かしている、とんでもない令嬢なんですからね!」
「あらまぁ」
自分の目からしか見えていない、贔屓満載の意見を声高らかに言ったリリアナは、ふん、と鼻を鳴らした。
そんな彼女に、ユトゥルナは天然を装っておっとりと問いかける。
「まぁ、当家がお断り申し上げて距離を取り続けているにもかかわらず、殿下がしつこく連絡をしてきている状況で、国王陛下に申し上げてようやくここ数年落ち着いたというのに、そんなことが学園で広められておりますの?」
「……え、?」
まくし立てたにも関わらず、ユトゥルナのおっとり口調で告げられた内容に、リリアナはあっという間にしどろもどろになっていく。
フェリシアの言うことだけではなく、その母親からも同じ内容が告げられてしまった。恐らくこの王妃派の人たちは、イレネを筆頭とした己の娘の言い分ばかりを信じていたのだろう。
公爵家として婚約を断った、という事実はわざわざ知らしめる必要はなかった。だって、カディルのプライドだけでなく、王妃エーリカのプライドもズタボロにしてしまいかねないから。
しかし、この人たちは見事にそれを砕いた。
「国王陛下に申し上げて、婚約を結ばなかった経緯を今からでも国民全体に知らせてもらうようにお父様にお伝えした方が良いんですわ、お母様!」
「ええそうね、フェリシア。まったく……」
とてつもなく深い深い溜め息をついてユトゥルナは、フェリシアの言葉に続けて言った。
「王家からの打診のあった婚約だったけれど、カディル殿下がフェリシアに対して暴力をふるい、しかもそれが王妃様の誕生日パーティーの席だったことも改めて知らせる必要があるわね。まぁ大変、あそこに参加して現場を見ていた一部貴族しか知らないことだったけれど……すべての貴族に知らされることになってしまったわ」
あなた方のせいで。
ユトゥルナは、勿論そう付け加えることを忘れない。
「っ……」
ガタガタと震えているリリアナの肩に、フェリシアはぽん、と手を置いた。
「ねぇ、リリアナ嬢。やるならもう少しきちんとやりなさい?わたくし…いいえ、ローヴァイン公爵家を敵に回すというならば、リルム王太女殿下と国王陛下諸共、敵に回すのだから……」
もう逃がさない。
ちょうど良い、フェリシアにとっての『お人形さん』。
「お覚悟を、きちんと決めていただかないとね?」
年齢に似つかわしくないほどの艶やかな笑みと、迫力。
普段ならば恐らく着ることはないであろう深緑のドレスが、黒髪を何だかより引き立たせている雰囲気もあって、とても綺麗だったことはリリアナは覚えていた。
「っ、あ……」
ぐるん、とリリアナの目が回って白目をむき、ばったりと後ろに倒れた。
糸が切れた操り人形のように倒れ、受け身を取らないまま倒れたものだから慌てる仕草を見せながらフェリシアは倒れたリリアナの後頭部にできたたんこぶだけ治し、そっと抱き起こす。
「リリアナ嬢、リリアナ嬢!…嫌だわ、いきなり倒れてしまうだなんて…」
ハーミット伯爵夫人が駆け寄り、慌てて娘をフェリシアから奪い返した。
「お前が何かしたんでしょう!?」
「皆様の目の前で?」
きょと、としてフェリシアが言うと、確かに何もできる状況ではなかった、と思ったハーミット伯爵夫人はぐっと押し黙る。
「わたくし、さっきはとっても怒っていたから…それでかしら」
「……っ」
気迫にやられて、と言外に告げれば悔しそうにハーミット伯爵夫人はギリギリと歯を食いしばっている。
睨んだところで何も変わらない。
というか、伯爵家が公爵家に喧嘩をふっかけてきたのに何を今更。この程度のやり返しくらい普通、むしろ慈悲をかけてもらった方だ、と慌てて他の夫人が走ってきて、『ハーミット伯爵夫人、もうおやめにならないと王妃様が…!』と小声で耳打ちした。
自分たちの行動のせいで、幽閉されて国政に携わることの出来なくなった王妃の顔に、更に泥を塗りたくり、下手をすればカディルまで巻き込んでしまう事態が起こる。
そうなれば、もう危うい綱渡り状態のカディルは、さっくり処刑でもされかねない。
「(ストーリー通りに進めてあげないといけないんだから、それは困るのよ。むしろ今日は吸い取れただけで大収穫なんだから)」
レースの手袋越しだが、分かる。
思いきり吸い上げたし、恐らくリリアナはそう永くはない状態にまで追い込んだ。
「(もって、あと何年かしらね)」
直後に死ねば、フェリシアやユトゥルナが疑われるけれど、数年泳がせてからなら、何も疑われることは無い。
ことの運びは慎重に。
しかしやる時は徹底的に。
「皆様が内緒にしてくださるなら、わたくしも旦那様には何も言いません。それでよろしくて?」
「……っ」
こちらを潰そうとしたにもかかわらず情けをかけられた。
それだけで屈辱だが、娘の言い分しか信じられなかった自分たちの浅はかさが露見してしまった。
「……構いません……」
「えぇ、ではそのように」
お茶会だけれどお茶は一切飲まないまま、フェリシアとユトゥルナはそのまま帰宅していく。
「フェリシア、取れた?」
「えぇ、お母様。ありがとう、こんな茶番にもならないお茶会にわざわざ足を運ばせてしまったわ」
「では、帰ったらお母様とお茶をしてくれるかしら。わたくしの可愛いフェリシア」
「勿論!」
また指をぱちん、と鳴らせば、ユトゥルナとフェリシアのドレスの色は本来の色へと戻った。
これでいい。
演習に向けて、準備はしっかりできた。
──後は、数日後までこの貯金を使わずに置いておき、演習の時に見せるだけ。
充電完了してご満悦なフェリシアと、ご満悦なフェリシアが可愛くてたまらないお母様




