こんにちは、『聖女』サマ
リルムの姿を改めて見て、イレネは必死にゲームのキャラクターを頭に描いていた。どこだ、どこにいた、と必死に考えるが、そもそもゲームをプレイしていた時は攻略対象しかまともに見ていなかったため、仮にモブキャラとして出ていたとしても、立ち絵が無ければ名前すら覚えていないこともある。
「(どうして……?!こんなやつゲームにはいなかったわよ!いたとしてもどうせ役に立たないモブでしょ?!)」
いくら思い出そうとしても思い出せないことに、イレネはとても焦っていた。そして、同時に色々なことを邪魔しにかかるフェリシアに対しては、怒りに満ち溢れていた。
だが、ここで引くわけにはいかない。ここで引いてはクラスの皆の気持ちを操作したこと自体が無駄になりかねない。
「っ、そもそも、同じ学校に通っているならば、王太女殿下が、カディル様をもっとご指導なさるべきでは?!」
イレネの言葉に、そうだそうだ!とBクラスの面々は盛り上がる。
だが、フェリシアからすっと体を離したリルムはきょとんとしてイレネに問いかけた。
「どうして?」
「……え?」
「どうして、わたくしがそんなことをしなければならないの?」
「だ、って……姉弟……でしょう?」
意味がわからない、とイレネは困惑するが、リルムは更に不思議そうに続けた。
「王族たるもの、自分の行動がどのような影響を与えるのか理解せずに行動するから、こうなっているだけの話でしょう?どうして、弟の行動から何もかもに対して、わたくしが、責任を負わなければならないのかしら。そこの馬鹿弟がもう少しきちんと考えて行動すれば良いだけの話でしょうに……。全ての面倒を見て、あれこれ世話を焼かねばならないのであれば、カディルには学院を退学させて、家庭教師をつけてびっちり教育しますけれど……それでよろしくて?」
「な?!」
カディルはぎょっとして悲鳴をあげるが、リルムの溜息交じりのその言葉に、一気に場が静まり返った。
「それに、国王陛下は一度だって言っていないはずよ。カディルがフェリシアとの婚約を取り付けられたならば、王太子に任命する、だなんて。ねぇカディル、陛下がそう仰ったの?確約してくれている?書類に何か残しているの?ねぇ」
「そ、あの、それは」
言っていない。
やれるものならやってみろ、とは言われたけれど、その言葉を勝手に『それが叶えば、王太子にしてやる』と曲解したのはカディル。
今更ながら、言葉だけに踊らされていたことに気付いたカディルは口をはくはくと開閉する。
そして、あまりにもあっけらかんと言われたリルムの言葉に、フェリシアにくってかかった面々、イレネそれぞれの顔色が一気に悪くなった。
やれるものならやってみろ、とは言われた。だが、それは公式の場で言われたわけではなく、何も取り決めなどもされていない。
ただ、面倒だからあしらった時にぽろりと出てしまった言葉も大概のものだが、それを真に受けるのもどうかと思う。書類にして確約もされていないものを、思い込みで『こうなるだろう』とした上で勝手極まりない行動をしてしまったこと。
しかしそれ以前に、フェリシアとカディルの婚約そのものを最初から話ごと無かったものにしたのは、誰なのか。
それを言った張本人の、国王である。
話が浮上したが、丸ごとそれを無かったものにした婚約を再度浮上させて結ぼうと考えるのであれば、双方に利益が無ければ、余程でないと有り得ない。
そして、フェリシアにとっては何の旨みもない婚約なのだから、受ける必要がない。
「言葉にほいほい踊らされる、ということがある意味しっかり証明できたのだから、さて……どうしてくれようかしら、カディル?」
「……っ」
「正式な文書にもなっていない、単なるその場限りの言葉を自分で、『そうなるだろう』と思い込んで……身勝手な行動を続けた。陛下から泳がされている、もしくはお前の行動をじっくりと観察されている可能性がある……とかは思わなかったの?もしかして何も考えなかったの?ねぇ、そんな馬鹿が王族である必要がある?」
カディルに対してつらつらと言い募るリルムはどこまでも愉しそうで、フェリシアは見ていてほっこりしている。『そうそう、思いきりやっちまってくださいまし』と心の中で応援していたら、リルムをギリギリと睨みつけるイレネの姿が視界に入った。
そういえば、コイツは一度目で聖女とやらになっていたが、果たして何がどうなってそうなったのだろうか、とフェリシアは思った。
いつの間にか『聖女』となっていて、国民から多大なる人気を集めていたイレネだが、何がどうなってそうなっていたのか。人気があったのが十八歳のあの頃だから、今は恐らく覚醒すらしていないのかもしれない。あとそもそも、聖女って何だとフェリシアは考える。
とはいえ、フェリシアや他の人が知らないうちに『聖女』となっていたのであれば、それこそがイレネ曰くの『ゲーム』のシナリオとかいうやつの影響なのだろうか、とフェリシアは黙ったまま一人考える。
もしかしたら、聖女になるための隠し持った力を使って、イレネは言葉巧みにクラスの面々をここまで焚き付け、誘導してきたのであれば……?と推測もしてみる。
貴重なゆったりできる昼休みに騒ぎを起こしてくれて、どこまでも自分勝手な行動をしてくれたものだわ……、とバレないようにフェリシアは溜め息を吐いた。
カディルは言葉に詰まったまま、何も言えない様子だったから、フェリシアはすい、とリルムの前に出てきてイレネに視線をやった。
「ねぇ、イレネ嬢。貴女にお願いがあるのだけれど」
そして、淡々と、フェリシアは言う。
「貴女の婚約者の首に縄でもつけて、貴女がきちんと殿下を御してくださらない?だって貴女、『婚約者』でしょう?」
「ふ、フン!そうやって、後で悔しがったって知りませんからね!」
「ねぇ、人の話はきちんと聞いた上で、正しく理解してくれるかしら」
「…………え?」
「わたくしはね、そもそも殿下に何の感情も抱いていないし、ミジンコほどすらも感情が動かないの。それはそうよね、抱いていないものは動かしようがないのだから」
嘘でしょ、と小さく呟いたイレネの言葉を、フェリシアは聞き逃さなかった。
「嘘をついてどうなりまして?」
「だっ、て」
「わたくし、王太子妃になりたい、なんて一言も言っておりません。王妃様からあった打診も、我が父が全てお断りしておりましたもの」
まぁ困った、とわざとらしく言ってみせれば、ミシェルはフェリシアのところにやって来て、よしよしとフェリシアの頭を撫でる。
「仕方ないわよ、フェリシア。一般的に貴族の令嬢や令息は王族の伴侶となることは大変な誉なのだから。貴女の考えが特殊なのよ?」
「そうかしら……」
微笑ましい友人同士の会話だが、話している二人からイレネに向けられた視線は剣呑だった。
更に、リルムはリルムでカディルをギロリと睨み付けた。
「さてカディル、そして他の皆様方はこの騒ぎをどのように収めるおつもり?」
「そ、それは……その、だな」
慌てるカディルを後目に、クラスの面々は慌て始めてしまった。
「お、おい……」
「どうすんだよ……!」
「知らないわよ!」
まるで自分は悪くないと言わんばかりのBクラスの面々だが、イレネはここで引いてはいけないと思ったのか、キッとフェリシアだけを強い眼差しで見据えた。
「っ、ではここで約束してください!フェリシア嬢は、今後一切殿下に近付かないで!」
「えぇ勿論喜んで!お願いされなくてもこちらから近付くなんてこと、一切、しませんわ!」
若干食い気味に、満面の笑顔で返された内容に、イレネもカディルもぽかんとする。
どうやら何故か、この二人はフェリシアが悔しがると思っていたらしい。またぽかんとした顔をしている二人を見ながら、フェリシアは別なことを考えていた。
「(……わたくしの行動に違和感を抱いているのでしょうね、イレネは。えぇ、思う存分困りなさい。そして、わたくしがお前を虐められるように、お前は必死に努力して悲劇のヒロインになりなさいよ。成れるものなら……。ねぇ、お前はいつ、やり直しをしている事実に気がつくかしら?)」
前回のやり直し前、フェリシアを散々罵っていたイレネを思い出す。フェリシアを悪女と罵りながら高笑いをする彼女の姿を思い出すと、得体の知れない化け物を見たような感覚になってしまう。
何がどうなってああなっていたのか、分かりたくもない、というのが本音ではあるのだが……彼女の台詞を聞いて、頭がおかしくなったのか?と思ったのも事実だ。
この世界が、ゲームの中のものだなんて。誰がどうやって思いつけばそうなるというのか。
そうだとしても、イレギュラーすぎる行動をとった場合に、果たしてどこまでそれは元に戻すための力が発揮されるというのか。
イレネが話していた世界……というかゲーム?とやらの設定では、聖女と王子様が結ばれれば良いのでは、とフェリシアは思ったからこそ、きちんと結ばれるように導いてやってるというのに、イレネは一体何がそんなに不満なのか。こちらの行動に関して文句など言われる筋合いはないと思っている。
婚約に関しても前回あれほど望んでいたのだから、早々にさせてやっているというのに、何処に文句のつけようがあるのだろうか。
もしや、フェリシアが思ったように行動しないからか?とあれこれ考えていたが、爪を噛んでいたイレネはバッと顔を上げてフェリシアに顔を近付けてきた。
何を言われるのか、と身構えたが、ずい、と指を目の前に突き出されて、こう続けられた。
「や、約束ですからね!後になって公爵家を継ぎたくなくなって、殿下を愛しいと思っても、」
「お、も、い、ま、せ、ん」
ケロリとしているうえに、ハキハキと一文字ずつ言われた言葉に、イレネは何故だか泣きそうな顔になってしまっていた。
一体何がどうなっているのやら、と思っているとか細く聞こえた、驚きの発言。
「何で…………………だってフェリシアは殿下を愛していて、リルムなんて女、そもそもゲームにいないのに…………」
あらまぁ、と思ったフェリシアの目がすい、と細められた。
「(あら、もうあの『聖女』サマがお目覚めになったのね)」
巻き戻したら、いつかはかつて『聖女』だったイレネの中身に会えると思っていたら、こんなにも早く会えるだなんて!とフェリシアの愉しみが増えた。
「……そもそも、何でフェリシアがここにいるのよ……」
ギリギリと睨み付けながら呟いた内容は、ミシェルやリルムには聞こえているのかいないのか。
フェリシアが視線を動かすと、二人ともとんでもなく奇妙なものを見るかのごとく、イレネを見ていた。
「(せめて表情は隠しなさいよね……)」
さて、どうしてやろうかと思っていたところだったが、リルムに詰め寄られ涙目になっていたカディルにちらりと視線をやれば、何故だかこちらに対して救いを求めるような顔をしているではないか。
そんなもの、国そのものをやるから助けてくれ、と言って懇願されてもお断りだが。
「リルム殿下、もうカディル殿下に関しては改めて陛下にご相談なされてはいかがですか?」
「あらフェリシア、そんな優しい対応で良いの?」
「そうよ、あなたいつも難癖つけられているじゃない!見かける度にからまれているし!」
いつも、というミシェルの言葉に、リルムは思わずぴくりと反応していた。放っておくと間違いなくリルムはBクラスの面々を潰しにかかる。リルムを暴君と呼ばせないために、フェリシアはふるふると首を横に振って否定をした。
「難癖はつけられておりますが、気にするだけ時間の無駄でございますし……それに、わたくしやクラスの皆は、平和な昼休憩を過ごせればそれで良いのです」
「……分かりました。カディル、今回の件に関してはお前の口から、何があったのかを間違いのないように陛下に報告しなさい。まったく……フェリシアは優しすぎるのよ。わたくしなら顔の形が変わるくらいにぼっこぼこにしてやるというのに」
ぐっと拳を握るリルムに、Bクラスの生徒はゾッとしたのか顔色を悪くしているし、その場にいたSクラスの生徒たちは『あぁ……』と何となく察してくれたらしい。頭の良い生徒ばかりで助かるわ、とフェリシアは思いながら、とっくにシナリオからかけ離れた未来へと突き進んでいる今回を、せいぜい頑張りなさいな、と心の中で言ってからにこりと笑う。
「用もないのに、今後は無駄に絡んでこないでくださいませね。では、わたくしたちは次の授業もございますし、教室に戻ります。失ってしまった昼休みについては、先生に掛け合ってみますわ」
それでは、と礼儀正しくきちんと挨拶をし、お辞儀をしたSクラスの面々は揃って足早に戻っていく。
彼らの背中を見送りながら、カディルは自分の行動の浅はかさを呪いながらも、フェリシアの背中をじいっと見つめていた。
まるで、この場の別れを惜しむようなカディルの様子を見て、イレネは『どうにかしなければならない』と、心の中で憤慨したのであった。




