売られた喧嘩は買いましょう
Sクラスと他のクラスが決定的に異なっているものがある。
それは、クラスのある場所と、時間割だ。
他のクラスが休憩時間に入っても、内容が違っており難易度も天と地の差。それ故に、Sクラスは必然的に授業が長引くことがあり、長引けば長引くほど休憩の時間帯も異なってしまう。
同じ階にクラスがあれば、片や休憩、片や授業、となりどちらかから間違いなく『うるさいから静かにしてくれ』という苦情が発生するという事態を引き起こしてしまう。
過去にそういった事例があったから、Sクラスは特別棟に教室も何もかもを移してしまった。
最初からそうしておけ、という声も上がったのだが、『今更言われてもどうしようもなかった』と先生たちは片付けた。
これにより、他のクラスの生徒がSクラスに訪問しようとした場合、行きたくても行けないという状態になってしまう。だが、そんな別々の建物にあるクラス同士が会える唯一の時間が、昼休みだ。
ランチの時間まで変えてしまっては、食堂で働いている人にまで迷惑がかかってしまう。
昼休みの時間は共通。それ以外の授業時間は、バラバラ、という複雑な状況ではあるものの、すっかり浸透してしまっているから生徒たちにとっては大した問題ではなかったのだ。
なお、特別棟の前には先生が常時立っており、無断侵入は出来ないようになっている。
それだけ特別なクラスであり、大切に教育をして、将来の重要なポストを担う可能性のある人を、しっかりと守ってくれるのだ。
「……嘘、でしょ」
イレネはそれを知って呆然とした。
フェリシアに会いに行こうと校舎を彷徨ったが、どこにもSクラスは見当たらない。
まさかあの日、実はたまたま学校見学に来ていただけ?!とまで邪推してしまったのだが、同じクラスの生徒に聞くと『Sクラスはそもそも特別棟にあるんだから、ここに教室は無いし彼らも基本はいないよ』という答えが返ってきたのだ。
「嘘じゃないって。それにイレネさんはSクラスに行ってどうしたいの?」
「そ、それはフェリシアの誤解を……」
「ちょ、イレネさん、しーっ!」
「んぐっ?!」
フェリシアを呼び捨てにしたイレネの口を、慌ててクラスメイトが塞いだ。何をするの!と抗議しようとしたが、クラスメイトが続けた言葉にイレネは思わず笑ってしまいそうになったのだ。
「ダメよ、ローヴァイン公爵令嬢は王太女殿下のお気に入りだし、国王陛下のお気に入りでもあるんだから、呼び捨てになんかしちゃダメ!それに、今はあなたがカディル殿下の婚約者なんだから……下手にあれこれ言うと、あなたの立場が悪くなるのよ?!」
イレネの立場が悪くなる、とは一体何だ?と思ったが、それこそ好都合。
思う存分悪くなれば良い。そして、その原因をフェリシアに全て擦り付けてやれば良い。イレネはこう思う、『だって、私がヒロインなんだから』と。
「だ、だって……」
クラスメイトの手を退け、イレネはわざと泣きそうな顔をして、震える演技をしながら続けた。
「殿下のお心を……しかと掴まなければ、いくら婚約者といえど……私の立場も何もないじゃない!……殿下が公爵令嬢にお手紙を送っているならば、殿下に止めていただくように私から注意すれば良いことくらいは理解しているけれど、……それでも、公爵令嬢だって、婚約者でない殿下からのお手紙なんて、受け取らないようにしてくれれば良いだけよ……!」
「それ、は……まぁ……」
顔を覆ってわっと泣く真似をしてみれば、クラスの皆が一気に同情してくれる。
そこにカディルも加わってくれたのだから、申し分ない。
「イレネ……」
「あぁ……っ、殿下、未熟な心しか持てない私をお許しください!殿下がお手紙を公爵令嬢にお送りしているのが事実だとしても、私は……せめて公爵令嬢に『受け取らないで』とお伝え申し上げたかったのです……!」
「良いんだ、イレネ。俺も間違っていた。あんな馬鹿女に何かを理解させようとしたことがそもそも無駄だったんだ」
「殿下……!」
わぁっと盛り上がるクラス。
きっとフェリシアがこれを見れば『茶番ね』だとか、『お遊戯会?』と呟いたことだろう。
それほどまでにイレネは大袈裟に演技をして、『あくまで傷付いているだけ、お昼休みの態度はうっかりしていただけで、自分はカディルを想うがあまりに暴走しかけただけだ』と印象付けた。
「(これで、よし)」
イレネが動けば、さすがはヒロインとも言うべきか。ゲームの強制力が働いて、あっという間に同じクラスの生徒たちの心を鷲掴みにしてしまった。
茶番でしかないそれも、イレネがやればあっという間に正当性を持った行動に変化してしまうのだ。
しかし、どこまでそれが通じるのかなど、イレネは考えたりはしなかった。
フェリシアの行動は例外中の例外であり、ある意味バグのようなもの。
そのバグの修正はどうやって行うというのだろうか。いいや、そもそも修正が入らなければどうなるのだろうか。
イレネは信じているのだ。
自分の行動は何でもかんでも、全てにおいて『正しい』ものなのだから、今少しだけゲームのストーリーと異なっていたとしてもフェリシアは『悪役令嬢』として断罪されて、イレネは聖女になり、カディルの妻となって幸せな日々を過ごしていく、と。
実際、間違ってはいない。
──だが、イレネはフェリシアの行動力を甘くみすぎていた。
そして、イレネがクラスの人々を味方につけても、何の意味なんて無いのだ。
あの騒ぎから一ヶ月後、昼食を楽しんでいたフェリシアとミシェル、そしてSクラスのクラスメイトの前にBクラスの生徒が押し寄せ、こう言った。
「ローヴァイン公爵令嬢、いい加減に先月の態度に関して、イレネに謝ってください!」
「……は?」
ひくり、とフェリシアの顔が引き攣る。
「貴女、いい加減にカディル殿下からのお手紙を受け取ることをやめなさいよ!」
「殿下からの寵愛を得ようとして、どうせ諦めたフリをしているだけなんでしょう?!」
「みえみえなんだよ!」
「いいご身分よね、国王陛下の寵愛を得ているからといって本来の婚約者に何の配慮もしないなんて!」
ギャンギャンと喚き立てる面々に、フェリシアの纏う温度はみるみる下がる。
フェリシアから諸々の事情を聞いて、先日の騒ぎのあれこれを知っているSクラスのメンバー、そしてミシェルはげんなりとした顔をしてからフェリシアを見る。
「……あ」
「……ご愁傷さま、ですわね……」
美しくたおやかで大人しい、と絶賛されることの多いフェリシアだが、そもそも基本的に騒いだりすることは少ない。更に言うなら、本気で怒ることもほとんどない。
怒るだけ時間の無駄であり、そんなことをする暇があるくらいなら、その時間を自分の勉強時間にしてしまいたい、と常日頃から言っているくらいだ。
しかし今、フェリシアは怒っている。否、激怒している。
普段怒らない人が怒れば、どれだけ怖いかなんて、言わずもがな。
ゆらりと立ち上がったフェリシアに対して、『おう、やんのかおら!高貴なご令嬢様は何が出来るってんだ!』とゲラゲラと笑いながらイチャモンをつけた男子生徒は、一切の迷いなく拳を繰り出したフェリシアによって思いきり吹き飛ばされた。
「…………………………え?」
「もう一度、言ってごらんなさいな」
ドスの利いた、フェリシアの声に慌ててそちらを向いたBクラスの面々は震え上がった。
「ねぇ、聞こえなかった?『もう一度、言ってごらんなさいな』と言ったのだけれど。……もしかして、お前たちの顔の横についている耳は、飾り?」
フェリシアは男子生徒を殴る寸前で己に身体強化を施し、全魔力を拳に乗せて殴ったものだから、男子生徒は打撃を受けた瞬間に、まるで強風に吹き飛ばされるゴミのように吹っ飛んで、壁に体をめり込ませて失神してしまった。
なお、フェリシアによって殴られた左頬は勿論真っ赤で、恐らく殴られた衝撃で歯も折れたのだろう。無意識ながらに発せられるうめき声が、何やらもごもごふがふがといっている。何を言っているのかは分からないし分かりたくもない。
「ひ、ひどい……」
「酷い、ですって?」
微かに呟いた女子生徒をギロリとフェリシアは睨みつける。
「ヒィッ!!」
先にイチャモンを付けまくったのは、Bクラスの生徒。
しかしこれはやり過ぎではないのか?!、横暴だ!と口々に叫んでいたが、次いだフェリシアの一言で何も言えなくなった。
「そっちが売ってきた喧嘩を買ってあげただけよ。それから、……あぁ、ちょうどいらっしゃったからあえて大きな声で言わせていただきますわね……?」
頬を引き攣らせながら、フェリシアはすぅ、と息を吸い込んだ。
「そもそも!わたくしに対して髪を引っ張りながら振り回し、殴りつけてきたのは殿下の方!」
フェリシアの声は、大変よく通った。
今ここに到着した、カディルとイレネにも。
「国王陛下自ら、婚約取り消しが成されたというのにいつまでも意味の分からない手紙を送ってきているのも殿下!送り主の書いていない、王家の紋章の入った封蝋がされていれば、貴族たるもの受け取らない訳にはいかないでしょう?!そんな事情も知らずに今回の出来事についての始末を、どうつけるおつもりか!」
ぽかんとしているカディルとイレネは、フェリシアの叫びにみるみる顔を赤くしていく。
「そして……わたくしのこの行動を悪だと言うならば、そもそものきっかけを生み出した殿下の行動は何だと仰るのかしらね!」
カディルがフェリシアにちょっかいをかけなければ良い。
イレネはカディルの婚約者として、まったりしていれば良い。
カディルに王族としての使い道は、あるようで、無い。
父たる国王にほぼ見限られているにも関わらず、何故か己を有能だと信じ込んでいるのだから、それだけはとてつもない才能だろう、とフェリシアは呆れてしまった。
「な、っ……」
わなわなと震えるイレネは、今この瞬間まで何故か自分の勝ちを確信してしまっていた。
ゲームのヒロインだから、何も自分の邪魔になるようなものなんてないのよ!と家で高笑いをしていたというのに、一体これは何なのか。
だが、諦めるようなイレネでもなかった。
場を支配してやる。
クラスメイトを思うように掌握してみせたのだから、きっとここにいる人数くらいならば軽く掌握してやる!と意気込んだ次の瞬間だった。
「すまないわね、フェリシア嬢。我が愚弟が、まだ貴女に執着しているとは思いもよらなかったわ」
かつん、かつん、と学校指定のローファーを鳴らしながらやって来たのはリルムと、リルムの側近。
「国王陛下に、やれるものなら再びフェリシア嬢を婚約者としてみろ、だなんて煽られて、真に受けてしまったようなの。本当に、どうしようもないお馬鹿さんで身の程知らずだ、とわたくしもお母様も大笑いしたものよ」
Sクラスの面々も、他の生徒たちも、ぎょっとしてリルムを見る。
しかし、どうしてリルムがこんなにもフェリシアに対して友好的なのか、というざわめきへの答えを返すように、リルムはカディルもイレネも無視してフェリシアに一直線に歩いていき、フェリシアをぎゅうっと抱き締めてみせた。
「ふふ、わたくしや母の恩人を可愛がって慈しむのは当たり前よ。それとイレネ嬢……とかいったかしら。あまりカディルを調子に乗らせないでちょうだいね。ソレの尻拭いをしなくちゃならないのは、わたくしなんだから」
「っ、……お黙りくださいませ!」
ぐっ、とイレネは悔しそうにする。
反対に、あらあらまぁまぁ、とリルムは愉しそうに笑う。
二人の様子があまりに真逆すぎてしまい、フェリシアは密やかにほくそ笑んだ。
そもそも、Sクラスのメンバーは元よりフェリシアの味方として、カディルたちを睨み付けている。
更に味方としてリルムも加わった。
「(さしずめ、悪役と取り巻き御一行……のように見えているのでしょうね、イレネには)」
悪役として腹を括り、徹底的にヒロインをいじめ倒してやろうと決めているフェリシアの本気を、イレネは未だに見くびっているのだから。




