思いがけない味方になってくれたひと
入学試験の結果が届き、いそいそと両親の前で結果の披露をしたフェリシア。
結果は勿論ながら合格、更に所属クラスは『S』。
実技は地、水、火、風の四属性同時展開をしれっと披露し、筆記試験は文句なしの満点。
数日して届いた合格証明書と、登校時には着用の義務がある『S』クラスの人のみがつけることを許されたバッジが入っていた。
制服の仕立ては既にお願いしており、入学式までには勿論間に合うようにしていたのだが、ふとユトゥルナが呟いた。
「……嫌だわ、制服のリボンの色……」
「お母様?」
「どうしたんだい、ユトゥルナ」
「わたくしったら、可愛いフェリシアの制服のリボンのことを失念していたのよ……!当家に相応しく、特別仕様にしたかったのに」
「でもお母様、あまり目立ってはあの王子殿下に対して、私にちょっかいをかけろ、と言わんばかりになってしまいます」
「あ、そうだ」
王子殿下、という単語で思い出したらしい。
ベナットはふとフェリシアを手招きし、とことことやってきたフェリシアをひょいと抱き上げて自分の膝の上に乗せてしまう。
「お父様ぁ~……」
さすがに中身は十八歳のフェリシアにとって、お膝だっこは恥ずかしいものだったらしい。
しかし幼いフェリシアを甘やかすのが最近の両親、ひいてはローヴァイン公爵家親戚一同のブームらしいから、あまり口出しをするのはいかがなものか?とも思うけれど、しかし……と、フェリシアの思考はぐるぐる巡る。
だが、純粋に嬉しい。
父と母と、こんなにも触れ合った記憶、以前にはなかった。
こんなにも優しい気持ちにさせられるのだな、としんみりしていたが、ベナットの言葉にフェリシアもユトゥルナも思わず固まった。
「殿下の行動については、しっかりと陛下に報告しておいたよ。入学式では、王太女殿下に殴られたあとをつけて学校に来るんじゃないか?」
あっはっは、と笑うベナット。
フェリシアは次期ローヴァイン公爵家当主として、王太女であるリルムに挨拶をさせてもらっている。
その時に言われたのだ。『カディルが何かをした時には、迷うことなく公爵閣下に報告しなさい。そうしたら陛下に報告がいきます。カディルが馬鹿なことを言ったのであれば、わたくしがきっちりと罰を与えますからね』と。
あのリルムなら間違いなくやる。殴り飛ばすのも平手ではなく、拳でやるだろう。フェリシアは思わず吹き出してしまった。
「まぁ……っ!ふふ……あぁ、本当に最高ですわ……!」
「王太女殿下は、やるといったらやるからね。王太女殿下にも報告がいっていることだろう。さぞかし男前な顔をして登校してくるんじゃないかな」
「そうですわね、フェリシアに対して何ともまぁ……カディル殿下ったら、あんなに頭が悪いお方でした?」
「前は、その辺を私がカバーしておりましたので」
「あぁ……」
「なるほどねぇ……」
はー、と溜め息を吐きつつ、フェリシアは遠い目をして言う。娘の様子にベナットとユトゥルナも納得したのか、つられたように遠い目をしてしまっている。
カディルのやらかしたことの後始末係として、フェリシアは前回あれこれと奔走したのだが、今回はそんなことする必要が無いから、とても楽だ。
なお、カディルの評判はあれよあれよと下がり、学園でのフェリシアへの意味のわからない暴言とも執着とも取れる発言だって、貴族たちにはあっという間に広がった。噂やスキャンダルが大好きな貴族たちの手にかかれば、あっという間に広がる。
「リルム王太女殿下曰く、だがね」
ベナットは膝の上のフェリシアの頭を撫でつつ、心底楽しそうに言う。
「離宮に幽閉されている王妃様の耳にも誰かが入れたらしいんだ、殿下の一件を」
「あ……」
ユトゥルナも、フェリシアも、察した。
「そうしたら、暴れ散らかすわ喚くわ、だったそうだ。お可哀想な母上のご様子を殿下に知らせてやれば良いのに、と王太女殿下に言ったんだが……」
「リルム様はそうしなかった、と?」
ユトゥルナの問いに、ベナットは頷く。
はて、どうしてやらないのか、とでも言いたげにフェリシアが考えていると、それを汲み取ってくれたらしいベナットが笑いを堪えながら告げる。
「王太女殿下曰く、『言うならもっと成長して、カディルのやらかしたことの散々たる貯金が積み上がってから。それを聞いてショックを受けた王妃が、自死を選びたくなるほどに追い詰められた状態で言ってやる。アレと、王妃に恨みを持っている人間は王宮に大量にいるのだから』……だそうだ」
「あらまぁ」
「わぁ」
思わずフェリシアもユトゥルナもぽかんとする。
そこまで恨みをあの二人が買いまくっていたとは知らなかった……と思うと同時に、フェリシアは『巻き戻して良かった』と心底思うのだ。
巻き戻さなければ、フェリシアも王妃とカディルの馬鹿二人にあれこれ押し付けられまくっていたに違いない。
「……ねぇ、お父様。リルム様とは私、是非とも親交を深めておきたく存じますわ。あ、それから」
「ん?」
「入学試験の日、私を助けてくれた令嬢がいるとお話しましたでしょう?その方を、是非とも我が家に招待したいのですが……」
「ちなみに、名を聞いてもいいかい?」
「ミシェル=フォン=アベリティス様です。アべリティス家とは親しくしていて損はないかと思うのですけれど」
「ふむ、そうだね」
フェリシアの言葉に頷き、ベナットはユトゥルナにも視線をやる。勿論良い、と笑みを浮かべてくれた母に、フェリシアはぱっと顔を輝かせた。
「折角なら、入学式のときに日程を決めたらどうかしら。アべリティスご夫妻も恐らくいらっしゃるでしょうし」
「いいね、そうしよう」
「分かりましたわ!」
ご機嫌になった娘の様子に、夫妻は穏やかに笑う。
アべリティス家は前回、カディルの様子に何度も苦言を呈していてくれた、いわば味方として認識しても問題のない家だ。
そして、フェリシアが今回通うことになっている学校の成績上位者として、アべリティス侯爵夫人が誇らしげにしていたこともある。
あぁ、きっととても優秀な人なんだろうな、と思っていたが、巻き戻した先でフェリシアを助けてくれるとは思ってもいなかった。
「では、フェリシア。本格的な授業が始まる前に、学校の授業の予習でもしているといい。きっと、後々役に立つからね」
「分かりましたわ、お父様」
「頑張りなさい、フェリシア」
「はい、お母様!」
よいしょ、とフェリシアはベナットの膝から降りる。
当たり前なのだが、『あー……』と寂しげにしているベナットは、どうやら今回は思う存分親バカに徹するつもりらしい。
フェリシアと入れ違いに入ってきた執事長やメイド長は、どうしてベナットがしょんぼりしているのか分かっていなかったが、笑いをこらえているユトゥルナから事情を聞いて、あっはっは!と大笑いをした。
「旦那様、お嬢様が可愛らしいのは分かりますが、きっとすぐにお膝に乗ることそのものを嫌がる日が参りますよ」
「……うん」
「あなた、そんなにしょんぼりなさらないで?」
「いやだって、なぁ……」
言いたいことが理解できるだけに、ユトゥルナもそれ以上は言わなかった。
なお、そんなこととは知らないフェリシアは、部屋に戻って、やって来た家庭教師から予習を手伝ってもらいながら入学式に控えて、準備を進めていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「カディル、あなたって……本当に馬鹿よね」
「っ!」
「陛下から、『ローヴァイン公爵令嬢と、再婚約できるものならしてみろ』と言われたからって試す馬鹿がどこにいるのかと思っていたけれど……まさかこんなところにいるだなんて」
あっははは!とリルムは心底愉しそうに笑う。
「陛下の戯言を真に受けて、行動して、叱られた気分いかがぁ?」
「き、きさま……っ、おれを、コケに……」
「本当に、貴方の教育係の頭の悪さとプライドの高さには呆れるわ。性格を直さなければならないのに、ひねくれ曲げてしまってどうしてくれるのかしら、もう……」
「リルム、貴様!!」
「ねぇ、言葉に気を付けなさいな」
叫び、リルムに飛びかかろうとしたカディルは、その場にぴたりと動きを止めた。
動こうとしても動けず、ギリギリと歯を食いしばっているが、何とかして無理に動こうと必死にもがこうとしている。
「貴方の価値なんて、王族であることしかないのよ。せめて学院は普通に卒業してもらわなきゃ困るの。Sクラスにも入れなくて、……よりにもよってBクラスだなんて……。これまでの王族の所属クラスで最下位クラスよ?」
「うぐっ」
「三年前はもう少し……頭が良かったのに……ローヴァイン公爵令嬢を逆恨みする暇を、お勉強に回してくれない?時間は、有限なのよ?ねぇ」
ぱし、ぱし、と。リルムは手にした書類でカディルの頭を叩く。
これまで、このような扱いを受けたことの無いカディルからすれば、とてつもない侮辱だが、リルムの言うことが正論すぎて何も言えず、顔を真っ赤にしてギリギリと歯を食いしばることしかできないのだ。
「本っ当に……何も成長していない、お馬鹿さん。貴方のお母様が悲しむわよぉ?せいぜい、少しでも努力を重ねて、卒業までにはせめて、Aクラスに上がってちょうだいね」
わたくしの立場も考えてもらわないと、と続けたリルムは、カディルにかけていた魔法をするりと解く。
リルムは風魔法を最も得意としていた。彼女は器用にカディルの手足の周りだけの空気を、重力そのものを操作するかのごとく精密に操作し、カディルそのものを、場に固定したのだ。
理屈は分かれど、努力と才能を重ねねば到底できない芸当。
魔法の才、政治の才に満ち溢れた素晴らしい王太女、それがリルムの周囲からの評価。
反対に、カディルの評価は下がる一方。
恐らく入学試験のことで、更に下がったであろう評価は、学校生活を送る中で、必死にもがき、成績を上げて素行をよく見せることくらいしかできない。
「わたくしからのお小言はこれくらい。さ、お部屋にお戻りくださいな。……第一王子殿下?」
もう、リルムはカディルなんかに怯えたりしない。
立場の逆転もそうだが、評価もこれまでとは全く逆にひっくり返った。
部屋から苛立ちを隠さず出ていったカディルを見送り、書類の中身を確認してからサインをした。そうして、入学試験トップを取ったフェリシアを祝うべく手紙を書くために、レターセットを机の引き出しから取り出した。
今の地位に這い上がれたのも、リルムの母が王妃代理として外交などを行えるようになったのも、それもこれも全て、フェリシア含むローヴァイン公爵家のおかげだ。
「……フェリシア嬢が面倒なことに巻き込まれないように、適当な家にカディルを婿に出しましょう」
ふふ、と笑ってからリルムは手紙を書き始めた。
「……本当に……カディルと同い年とは到底思えないわね。末恐ろしい公爵家のお姫さまだこと」
リルムの笑みは、どこまでも楽しそうだ。
きっとフェリシアの将来はどこまでも明るく、これからの未来だって明るいものになるだろう。
そう確信して、リルムは便箋に文字を綴っていった。




