娘が悪役だというのなら
我ら、望んで悪役となりましょうぞ。
フェリシアが覚醒しようとしていた時、公爵夫妻は国王夫妻と会食をしていた。
いつ正式な結婚式を挙げるのか、フェリシアがいつ王宮にきちんと引っ越してきてくれるのか、などを話していたのだが、公爵夫妻は正直乗り気ではなかった。
フェリシアの父であり現公爵のベナット=フォン=ローヴァイン。そして公爵夫人である母のユトゥルナ=フォン=ローヴァイン。
いくら国王の命といえど、このような婚約を受け入れるべきではなかったと後悔しているのだ。
理由はとても簡単。最近の王太子の評判がすこぶる悪くなってきたことに加え、婚約者がいるにも関わらず、幼馴染ともいえるイレネとの関係で、良い話を聞かなかったからだ。
いくら本人たちが違うと否定しても周りから見るとどう映っているのか、彼らはちっとも考えていない。あの学院にフェリシアが通っていなくて本当に良かったと思えたが、そういう問題ではない。
フェリシアに言ったところ、あまりにあっさりと『浮気するならするで、好きにさせますわ。恋愛感情で動けるうちは、二人そろっていつまでも仲良く夢物語に浸っていればよろしいのです』と返されたから、流していたにすぎない。
「本当に、フェリシア嬢は優秀ですわ!」
王妃の上機嫌な声にハッとするベナット。そうですか、と表面上は穏やかにしているが、内心はそうでないことにはたして目の前の国王夫妻は気付いているのかいないのか。
「……陛下」
「どうした?ああ、やはり公爵は式については早めが良いかな?」
「そうに決まっておりますわ、陛下。あぁ…っ、フェリシアが王家に代々伝わる王太子妃の証のティアラをつけた姿はどんなに美しいことか…!」
国王も、王妃も、フェリシアが嫁ぐことに何の疑問も抱いていない。王妃に至ってはフェリシアが己の娘になることをうっとりとして喜んでいる。
長く艶やかな髪は深い深い蒼と黒の混ざったような美しい色、アクアマリンのような淡い色の瞳。自分の身くらいは守れるようにと躾けたこともあり体術も完璧な、華奢でいてそれで適度に筋肉のついたしなやかな体。王太子妃の証のティアラは台座がプラチナ、宝石は全てダイヤモンド。ティアラの中央を飾るのはブルーダイヤ。
王妃曰く『フェリシアのためのようなティアラ』らしいが、娘をアクセサリーか何かと勘違いしているのではないだろうか、と言わんばかりの発言が、特にここ最近目立っている。
フェリシアは元々、女公爵としてローヴァイン家を継ぐために教育されていく予定だったのを、どこからともなく彼らは聞きつけてきて、必死に婚約を頼み込んできたのだ。
いくら由緒正しき公爵家と言えど、あくまで現状は家臣であるがゆえに断れなかった。なお、妻であるユトゥルナには大層叱られてしまった。
過去のことはともかく、今、何故だか娘の『今』が気になる。
国王夫妻に誘われ、王都にある本邸から離れ、招待されるがままに王家所有の隠れ家ともいえるべき小さな邸宅に招待されたのだ。
密談をするときによく利用されると言われている場所か、とすぐにベナットは察した。
しかし、何か、嫌な予感がしてならない。自分ではなく、フェリシアが危ないような気がしている。
いざとなれば、『時戻し』を発動させて、フェリシアの様子を無理矢理にでも見に行かねば、そう考えていたのだが。
「…………え?」
空気が僅かに振動した、気がした。
「何だ…?」
「どうした、公爵よ」
「あなた?」
感じられたのはどうやら自分だけのようだ。それは当たり前なのかもしれない。
感じたのは、フェリシアの目覚め。自分は先代公爵である母が突然の病で亡くなってしまったために、自然と爵位継承と共に時属性にも目覚めた。
あれは不幸中の幸いと言ってもいいものか分からないが、親戚には当たり前だが妬まれもした。しかし時属性に目覚めるかどうかについては、適性の有無なのでどうにもならない。が、妬まれることはどうにも避けられないらしい。
しかし、フェリシアは生まれた時から手首に刻印を有していた。
いつ目覚めるのか、どのタイミングになるのかはベナット自身が一番わからなかったのだが、何かしらきっかけとなって目覚めたらしい。
「…陛下、娘と殿下の婚姻はなかったことになりませんかね」
するりと、言葉が出てきていた。
王太子妃なんかにするなんて、勿体ない。
自分が生きているタイミングで覚醒した娘を、国なんかよりも優先したいという『欲』が溢れた。
「はぁ?」
会話の流れなど何も感じさせないように、薄っすら笑みを浮かべたベナットに、恐怖すら覚えかけた。
これまで王太子妃教育を真面目にこなし、これからは王妃教育にも入ろうという己の娘の頑張りはどうなってしまうか、考えたことはないのかと、カッと血が上った。
「貴様!何を言う!」
「陛下、もう娘を解放してくれませんか」
「解放ですって…!?」
国王夫妻の怒りももっともだが、王太子妃になどさせられない。
かつて、自分の弱さが故にこの夫妻に押し通された娘の婚約だったのだが、きっと今からでも遅くないだろう。
「理由を仰いなさい!わたくしたちを納得させられるんでしょうね!」
「はい」
にこやかに頷くベナット。何を言っても、責めても、彼に対してはもう無駄だ。そう思った王妃の矛先は、ユトゥルナへと向いた。
「ユトゥルナ!」
「わたくしは、旦那様のいうことに従うのみ。フェリシアを言われるがままにあなた方に差し出してしまったことに関しては、わたくしも後悔しておりますの」
「な、ん」
目の前の国王夫妻は、化け物でも見るような目でローヴァイン公爵夫妻を見ている。
理解できないのも無理はないが、ベナットが優先したのが国ではなく自分の娘だっただけ。
「公爵…ご自分の発言に関して責を問うことになりますわよ…!」
「どうにでも好きにすればいい。それに、殿下はきっとフェリシアとの関係性などどうでも良いと思っているのではありませんかな?」
「そ、それとこれとは!」
「幼い頃は良き夫妻になると思い、結果的に娘のためになるとも思っていた。だが…」
言葉をそこで切り、ベナットは続けた。
「殿下は最近、他に決めた女性がいると、専らの噂ではございませんか」
「たかがそれくらい、何だというの!」
「たかが…。たかが、と仰いますか…。せめて隠してはいかがかな、と思いますが……こちらも、貴重な跡取りをそう簡単に嫁にやりたくないと思い直しても問題ないでしょう?」
「何ですって…?」
『貴重な跡取り』という言葉に王妃が即座に反応した。
「まさか…」
ベナットは笑顔だけで肯定してみせた。
「当家の継承権については、お二人もご存じかと」
笑顔を崩さず短く言われた内容に、国王夫妻は戦慄した。
まさか、フェリシアが『時属性』に目覚めたとでもいうのか。ここまで兆しが何もなく、てっきり不適合者だとばかり思っていたから、王太子妃として、未来の王妃として厳しい教育をこれでもかとしてきたというのに。
「そ、んなわけ、ないわ」
「どうしてですか?」
「あの子の掌には、証たる刻印がない!そんな不適合者が今更目覚めるだなんて!」
確認していたのは掌だけだったのか、とベナットは笑みを濃くする。いや、もしかしたらフェリシアのことだ。手首にあった刻印をどうにかして見せないように、否、『見えないように』細工をしていたのかもしれない。
王太子との関係についてどうでも良いと言い切る娘のことだ。いつかこうなることを見越していた可能性だってある。
「でも、現に目覚めた。王妃様の言う、不適合者は、適合者へと覚醒したというわけです」
「い、今更覚醒しても」
「国王陛下、ならびに王妃様に申し上げます!!」
「……!?」
嫌なことは続くものである。
良いことばかりだったこの王家、これから先どういった試練が訪れても乗り越えて行ってもらわねばと思った矢先、飛び込んできた王宮からの使者が真っ青な顔で叫んだ内容に、公爵夫妻までもが凍り付いた。
「王太子殿下が、フェリシア様を拘束され、処刑すると申されております!」
「何だと!?」
血相を変えて立ち上がる国王、そしてベナット。
「何ということをしてくれたんだ!」
国王の前と言えど、遠慮などもうしない。そう決めたベナットは国王夫妻をぎりりと睨みつける。
「ま、待て!これは何かの間違いだ!」
「間違いなどではございません!聖女イレネ様が、『後の国王となる殿下の発言は王命と同じ』という旨の発言をされ、騎士はそれに従ったご様子で…」
次々明らかになっていく王太子のやらかしに、国王夫妻の顔色はとことんまで悪く。反比例的に公爵夫妻は落ち着きを取り戻して冷静に、同時に冷ややかになっていく。
「…へぇ…。聞いたかい?ユトゥルナ」
「ええ、あなた様。『後の国王』ですか…まぁまぁそれは…」
公爵夫人は冷たい笑みのまま立ち上がり、顔面蒼白の国王夫妻を揃ってじっと見下ろした。
「誰が、誰の婚約者だからこその、『後の国王』なのでしょうね?」
「聖女イレネ様は誤解をしていらっしゃるようですけれど…身の程を知っていただかなければなりませんわね…」
知っていた、この夫妻がどれだけフェリシアを溺愛しているのか。だから、人質のようにして無理矢理カディルとの婚約を取り付けて、目に見えるようにして可愛がってやってさえすれば、こちらのいうことをずっと聞くだろうと、思っていた。
これに関しては間違ってはいなかったのだが、求めるものが大きくなりすぎていたことに、国王夫妻が気付けなかったことが一番の誤算だろう。
「こうなれば、聖女様と殿下は婚約を結ぶべきでは?」
「そ、そそ、それは」
「我が娘の拘束に関してお二人が関わっていることは明白ですもの。お二方もこうなることを最初からお望みだったのではございませんこと?」
公爵夫妻は冷ややかであるが、楽しんですらいる。これでようやく可愛い娘が自分たちの元に帰ってこれる。そう思うと笑みが止まらなかった。
だが、良い意味でフェリシアは彼らの期待を裏切ったのだ。
「……おや」
時属性だからこそ感じられた魔法の発動である。恐らくフェリシアが発動したのは『時戻し』の魔法。自分が望んだ時間へと巻き戻す魔法だが、『時属性』を使用する=寿命を削ることに他ならない。
まさか命と引き換えにか、そう思ってフェリシアの気配を探ろうとベナットもすかさず探知魔法を発動させた。
だが、フェリシアの寿命が減った気配はない。それどころかピンピンしており、魔法陣をどんどんと拡大させていっているではないか。
どこまでやり直すのだろう、とは考えるまでもない。
何らかの形で『時属性』のうまい使い方を思いついたのか、と予測してからベナットは己の魔法を一旦引っ込めた。
いざとなれば今回の人生における自分自身の命など全て投げ捨て、あったことをなかったことにするためにひっくり返してやろうと、そう思ったのだが良い意味で当てが外れたということなのだろう。
「公爵、我が息子の不義理については我らが謝罪する!だから、だからどうか考え直してくれんか!」
「お願いいたしますわ!」
「……はぁ」
目の前で土下座している国の最高権力者などにはもう、欠片ほどの興味が抱けなかった。
早く娘と再会したい。今でなくとも、次でも良い。
こんな馬鹿どもの顔など、もう見たくもない。
「大変でございます!聖女様が!」
「今度は何だ!」
次々駆け込んでくる従者たちから報告される王太子カディルと聖女イレネの馬鹿げた行為の数々。
この時に情報の報告がまとまっているのは、恐らくそれが本当なのかを確認していたからだろう。というか確認はさっさとしろよ、とベナットは思う。
「陛下!フェリシア様が!」
「ええい、いい加減にせぬか!!」
ああ、やはりそうだとベナットは笑っている。彼の妻も優美に微笑んでいる。
もうこんな国王夫妻などに用はない、言わんばかりに二人揃って顔を見合わせ、頷き合った。
「陛下、もうよろしいですかな」
「ま、待ってくれ!待ってくれ公爵!我が息子が愚かであった!」
「今更ですか?」
「謝る!そなたらが望む賠償を全て、何でも!」
「いやぁ、もう遅いんですよ」
「は…?」
この状況でも笑みを崩さないベナットやユトゥルナに対して、国王は呆然とした様子で問う。
「我が娘、フェリシアはどうやらやり直しを決めたようです」
「やり直し…?」
「はい」
「時属性の魔法を使うならば、己の寿命を対価にする必要があるはずだ!」
「そうですね。ですから、戻った先で娘に確認してみようと思います。わたしたちが記憶をそのまま引き継いで戻れるのであれば」
「寿命を使ったら、お前の娘は死ぬだろう!」
「『今回は』死にますね」
「……『今回』は?」
うんうん、と何度か頷いてベナットは口を開く。
「『今回』の娘は死ぬでしょう。そうですね…わかりやすく言えば、『次の自分』に全てを託す…とでも言いましょうか…」
「そんな、おとぎ話の、ような」
愕然としている王妃を見ながら、ベナットは笑っている。
「我が能力そのものがおとぎ話のようなものではありませんか。『時』そのものを操る魔法なのですから」
「…………っ!」
「今、死んだとて次はまた新たなスタートとなるだけです。わたしも妻も、娘もその覚悟をしている」
もう既に今世は諦めているとでもいうのか。ベナットの笑みは崩れることなく、ただ穏やかだった。
「後悔なさるのはあなた方をはじめとした、王家の人間。それから、繁栄を約束されていたであろうこの国ですよ」
既に見限ったとでもいわんばかりに、ベナットはにこやかに続ける。
「それでは陛下、さようなら」
ベナットには分かっていた。
娘の発動した時戻しにより、巻き戻しが始まることを。
「次は我が娘が王子の婚約者にならぬよう」
「わたくしたちは尽力する、それだけですわ」
夫妻は微笑み、互いに手を取る。
そして、間もなく。
フェリシアの放った魔法により、望んだままに時間は戻ることとなる。
何もかもを、全てやり直すため。