入学試験①
「えーと……よし」
「お嬢様、お忘れ物はございませんか?」
「ありがとう、ビビアン。大丈夫よ」
よいしょ、と言ってから手荷物を持ったものの、フェリシアの手からするりとビビアンが奪ってしまう。
「あ」
「こういったことは、私にお任せ下さいな」
「それが持てないくらいの非力ではないけど?」
「いいえ、駄目です」
あのパーティーの後、フェリシアのビビアンに対する信頼と、ビビアンがフェリシアに抱く尊敬の念の双方がとてつもなく跳ね上がった。
大貴族の令嬢が、たかが使用人が贈った髪飾りに対して誠意を込めて謝罪をしたこともそうだが、贈ってくれたビビアンに対して『申し訳ない』と明確に告げ、頭を下げたのだ。
これにより、ビビアンの中でのフェリシアの株はもちろん爆上がりしたし、使用人が集まって食事を取る部屋でこのエピソードを話したものだから、古くから仕える使用人は感動して大泣し、執事長も目頭をそっと押さえたとかなんとか。
ビビアンから聞いたフェリシアは恥ずかしさのあまりに、『ちょっと?!』と抗議の声を出したが、本当のことなので否定も何も、という話である。
そして、ビビアンの尽くしっぷりも飛躍的に上がった。
トイレ以外の些細なことでも何でも、いそいそとフェリシアの元にやって来ては手伝ってくれる。それも、フェリシアが手を貸してほしいな、と思ったタイミングで。
余程主のことを見ていないと、こんな芸当できるわけがない。
フェリシアはくすぐったいような、嬉しいような、むず痒い気持ちだった。
ちなみに今日は、フェリシアが学院の入学試験を受ける日。
王太子でなくなったカディルもそうだが、貴族であれば皆揃って、家柄関係なくあの王立学院を受験し、入学する。
成績によってクラスは最上位のSから、A、B、C、Dとなる。その下は無い。
フェリシアは入念に家庭教師に受験対策をしてもらった。魔法実技と、筆記試験用、どちらも抜かりがあってはいけないから、と。
「お嬢様も……大きくなられましたね」
「そう?」
「はい」
「だって、もうあのパーティーから六年よ?私だって十二歳になったんだから、大きくもなるわ」
あれから六年。
その間、フェリシアは一度たりとも王宮には近寄っていない。父の配慮もそうだが、国王自ら『当主教育があるだろうから』と無理に呼びつけるようなことをしなくなったのだ。
それまでは王妃によって呼びつけられたりしていたものの、王妃の役割は今や第一側妃が行っている。
カディルは王太子になる未来は潰え、その代わりに側妃の長女であるリルムが王太女へと成った。勤勉なリルムは、とてつもない速度で様々な知識などを吸収している、と専らの噂だ。
そのリルムも王立学院にいるが、学年が違うのと校舎そのものが違うため、会うことはない。
カディルには会うだろうが、果たしてどのクラスになるやら……とフェリシアは思いながら用意された馬車のところへと向かう。
「お嬢様なら大丈夫だとは思いますが……」
「狙うのはSクラスよ。あのクラスは学院の中でもセキュリティがとても厳しくて、生徒をしっかり守ってくれている。そう簡単に入れるクラスじゃないけれど、殿下と同じクラスにはなりたくないからこそ、狙うの」
「おっしゃる通りです!そういえば、かの殿下はあのパーティー以降どのようになっているのです?」
「王妃様から離されて、相当厳しく最初から躾直されているそうよ。私へ振るった暴力の件について、陛下がかなりお怒りだったそうだから」
「当たり前ですとも!」
うんうん、とビビアンは力強く頷いた。
カディルは頭が良いが、些細なことでよくミスをする。計算問題でうっかり最後の足し算を間違ったり、落ち着いて読めば引っかからないようなミスリードに引っかかったり。
フェリシアも初めてのことをやればそうなるが、そうならないようにしていく必要がある。
前回のカディルはそういうところがあったが、今回のカディルはどうなのだろうか。そのあたりは情報が入ってこないからよく分かってはいない。
何せ、国王自らカディルをフェリシアから引き離してくれているのだ。これには感謝をしなければ、とフェリシアは微笑む。
「私は、全力を尽くしてくるわ。そういえばビビアン、あなた武術を習い始めたんですって?」
「はい!お嬢様に集るハエを少しでも駆除出来ればと。あとは護衛も兼ねて……と、申しますか……」
「そう。無理はしちゃ駄目よ?」
「かしこまりました」
「……あら、お父様とお母様だわ」
フェリシアが歩いていた視線の先、ベナットとユトゥルナが揃って手を振ってくれていた。
「お父様、お母様!」
「フェリシアのことだから、そろそろかなと思ったんだ」
「頑張っていらっしゃい、わたくしたちの宝物」
「はい!」
ベナットとユトゥルナ、揃ってフェリシアを抱きしめてくれる。
前回の頃は感じられなかった父と母の暖かな腕の中。そこは、とても安心できる場所なのだと、改めてそう感じられた。
「きっと、私、Sクラスの生徒となりますわ」
「あぁ」
「楽しみにしているわ」
もう一度、ぎゅうと力強く抱きしめてくれた両親を、フェリシアもしっかりと抱き締め返してからにっこりと笑う。
ビビアンの『んッ!』という奇妙な声が聞こえたような気がするが、フェリシアは何も聞かなかったことにして早々に馬車へと乗り込んだ。
「いいかい、フェリシア。一応馬車に護衛騎士もつけているから、試験会場には同行させるんだよ」
「分かりましたわ、お父様」
「フェリシア、帰ってきたらお母様とお茶にしましょう」
「はい、お母様!」
「お嬢様、頑張ってくださいね!」
「ありがとう、ビビアン」
いってきます!と言えば、タイミングを合わせてくれたように馬車が走り出す。
馬車に併走して馬で駆けている護衛騎士を見てから、馬車の窓を開けてフェリシアは声をかけた。
「馬に乗っているのにごめんなさい。今日はよろしくね」
「お任せ下さい!お嬢様、到着までごゆるりとお過ごしくださいね!」
「ありがとう」
揺れる馬車の中、もう勉強をするつもりはない。
フェリシアは窓を閉めてふかふかとした背もたれにもたれかかり、手のひらの刻印をじっと見る。
いつもは黒のレースの手袋で隠しているが、今は着用していない。
「……感謝、しなければならないのでしょうね」
皮肉かもしれないが、この力の使い方と目覚め方を教えてくれたイレネには、最大限の感謝を送らねばならない。
でなければ、カディルやエーリカとここまで明確に距離なんか取れなかった。
オマケに、エーリカに関してはもう表舞台に出てくることはない。王宮全体の、ありとあらゆる花という花を咲かせたのが余程効いたらしい。嘘だ、とぶつぶつ呟きながら、エーリカは呆然と色々な場所に咲き誇る花々を見ていたそうだ。
公爵家の親戚からその話を聞いたとき、フェリシアもベナットも、ユトゥルナも心底楽しくて大笑いしてしまった。
「悪役らしさが出ていれば、良いのだけれど」
馬車の中、呟いても誰からも返事はない。
「さて、今日は聖女様にお会い出来るかしら」
試験会場には、恐らくカディルもいるだろう。そして、彼の幼馴染になり、いつしか彼の愛する女性となるイレネもいるはずだ。
『王子様と結ばれる』のだから、別に王太子でなくても良いはずだ。きっと今日、彼らは出会うのだろう。
キッカケは知らないけれど、どうせ同じクラスになったとか、同じ係になったとか、そういうところだろう。何せフェリシアは前回、王太子妃教育にあまりに忙しく、学院には通っていないようなものだったから。一応、生徒として在籍していることにはなっていたが、常に王宮にいたから登校したことはほぼ、無い。
「……どんなところなんだろう……」
悪役といえど、楽しむところは楽しませてもらいたい。
試験を受けて、ほぼ間違いなく合格はするだろうが、学院生活に少しだけ憧れてはいたのだ。
景色が流れ、変わり、見えてきた学舎に、フェリシアはぱっと顔を輝かせる。
「……わぁ……!」
あの学院に入学するために、持てる力全てを発揮しなければ。フェリシアはそう決意し、ゆっくりと深呼吸をしたのだった。




