ごめんなさいと、それから
壊された髪飾りを、フェリシアはじっと眺めていた。
高いとか安いとか、値段は関係ない。ただ、これからも自分の傍で仕えてくれるビビアンからの想いが込められた、大切な髪飾りだった。
髪飾りの時を戻してしまおうか。しかし、カディルからフェリシアが暴力を受けてしまったことや、髪飾りが壊されたことは屋敷中に知られている。
ついでに、他の貴族たちにも。更には、あの日王妃の誕生日パーティーを民衆へ新聞で知らせるべく来ていた新聞社にも、見事にあちこちに知れ渡った。
だから、フェリシアが何をやったのかも勿論ながら知れ渡っている。カディルの体を操作したことによって、髪飾りを壊したことも……きっと、知られているだろう。
元に戻したところで、ビビアンの想いを踏みにじる結果となってしまったことには変わりない。
「どうしようかしら……」
それを使い、直そうか。でも、その前にビビアンに言わなければいけないことがある。
「……よし」
ぐ、と拳を握ってから呼び鈴を鳴らしてビビアンを呼んだ。急ぎ足で来てくれた彼女を部屋の中に招き入れ、手をぎゅっと握ってからフェリシアはずんずんとソファーへと連れていく。
「あ、あの、お嬢様?」
「いいから」
「えっと、ですね」
「座って」
「え?」
「座るの!」
「は、はい!」
こうして会話をしていると、ちょっと我儘で可愛らしい六歳児なのだが……とビビアンは自分の向かいに座ったフェリシアをじぃっと見つめる。
先日のパーティーで何があったのか、知らないわけではない。第一王子に殴られた、と聞いたとき、屋敷の使用人たちは揃って、かの王子へと殺意を抱いたそうだ。
大切なお嬢様によくも、と。そして、公爵閣下や夫人に大切に大切にされながら、恐ろしいほどの才能を発揮しつつも大変愛らしい当家のお嬢様に何をしてくれる!と。
それをフェリシアは執事長から聞かされ、顔を真っ赤にしたのだが、そんな様子でさえ、屋敷の皆から愛される一因なのだ。『わたしは大変良きものを見ました』と、笑っていた執事長は、フェリシアからぽかぽかと殴られてしまったが、それもまた愛らしい!と言われてしまう。
そんなこんなをビビアンも知っているから、何かを言いたげにしながら『あー』とか『うーん』とか、珍しく隠しもせずに唸っているフェリシアを、どこか微笑ましそうに見つめていた。
「お嬢様、一体どうされましたか?」
「……」
ビビアンの優しい声音の問いかけに、フェリシアはぴたりと唸り声を止める。
そして、着用していたお気に入りのワンピースのポケットに入れていた、カディルに壊された髪飾りを取り出した。
「これは……」
「……ごめんね」
「え?」
「私が、もっとうまく立ち回れば……ここまで破壊されなかったと、思う、から」
「ですが、それは必要なことだったのでしょう?」
「……ええ」
「なら、良いのです。お嬢様のお役に立てたこと、ビビアンはとても嬉しく思いますから」
「でも、駄目よ」
「……え?」
ぎゅ、とフェリシアは自分の手を握り締めて、そして時属性魔法を発動させた。
「お嬢様?!」
驚き、止めようとしてくるビビアンに視線をやって、ふるふるとフェリシアは首を横に振る。止めないで、と言外に伝えた。
「……あ」
みるみるうちに、壊れた髪飾りが直っていく。
単なる修復魔法ではない、壊れる『前』に、フェリシアによって直されていく。
髪につける前の、新品の状態へと。
光がおさまり、髪飾りを見ればツヤツヤとして光り輝く蝶の飾りが。先程まではひん曲がっていた金具の部分も何もかも、本当の意味で『元通り』になったのだ。
「これが、時属性魔法……。すごい……あっという間に……」
「壊れる前に、戻したの」
「本当にすごい、です」
「たとえ戻したとしても……ほんの少しだけ違うわ」
「お嬢様……」
「この髪飾りをカディルに壊させたのは、私。アイツの顔に泥を塗りたくってやりたかったから。えぇ、見事にアイツは暴力王子のレッテルを貼られて、王太子になるだなんて余程のことがない限りは無理でしょうね」
でもね、とフェリシアは言葉を続けていく。
「髪飾りを利用した私が言えることではないけれど、壊したのは殿下。でも、その殿下を操ったのは私。だから……実質、私が、この髪飾りを壊してしまったことと、同じ」
言い終わって、しょんぼりとしているフェリシアを、ビビアンは見ていた。
落ち込んでしまう気持ちは分からなくもない。だが、この心優しい悪役令嬢は、ビビアンの想いをここまで大切にしてくれている。ビビアンは、それが何よりも嬉しかった。
公爵家令嬢なのだから、こんな安物よりももっともっと、高価で装飾の素晴らしい髪飾りを用意するのは容易いだろうに。
別に、こんなものいくらでも代わりはあるだろうから、気にしないでほしかった。しかし、フェリシアにそれを言ってしまうと、もっともっと悲しく、気落ちしてしまうだろう。
「お嬢様」
「……」
「そうなるのが、この髪飾りの運命だったのです」
「……でも」
「きっと、お役に立てたことを誇りに感じておりますとも」
しょんぼりとしたフェリシアの頭を、優しくビビアンは撫でた。子供らしすぎる扱いをしてしまうと叱られてしまうか、とも思ったのだが、あまりに気落ちしているフェリシアをそのままになんか出来なかった。
「お嬢様は、とてもお優しくていらっしゃいます。そんなお嬢様が、あのような殿下にこれから先、振り回されるだなんて……決してあってはならないこと。だから、そのお役目から解放されるために、きっと必要な犠牲でした」
精神年齢はとっくに十八歳になっているのだが、体の年齢に引っ張られた、とでもいうのか。
ビビアンが頭を撫でる手の優しさ、温もりが、とても嬉しかった。
謝りたい、だなんてフェリシアの思い上がりだったのかもしれないけれど、壊してしまったのは事実として一度、きちんと区切りを付けたかった。
「……分かった。でもね、ビビアン」
「はい」
「それでも、私は貴女に謝りたいわ。役目だったかもしれないけれど、……貴女の想いがこもった髪飾りを、一度は駄目にしてしまって、ごめんなさい」
ぺこり、とフェリシアは頭を下げる。
「はい、分かりました。許します、お嬢様」
「……ありがとう、ビビアン」
「次に同じことがあったとしても、謝ったりしちゃいけません。お嬢様は、気高きローヴァイン公爵家の唯一の後継者なのですから」
「なんだか、ビビアンったら私よりも貴族らしいセリフを言うじゃないの。んもう」
「大人ですから」
……ごめんね、私もそこそこのいい歳なのよ……。心の中で、フェリシアはそう付け加えて、ビビアンに笑みを返す。
少しの間笑いあっていたが、続いたビビアンの言葉にフェリシアは目を丸くすることとなった。
「それと、もしも『必要』なときは、私をお使いくださいね。お嬢様」
「……」
「……聞いちゃいました、執事長から」
「駄目よ!」
間髪入れず、フェリシアは鋭く拒絶するが、ビビアンは更に続けた。
「お嬢様は、成し遂げたい何かの想いがあるんですよね。だったら、私も道具としてお使いください。生半可な覚悟で、私はお嬢様にお仕えしている訳ではございません。何もかもを話してほしい、とかも言いません。ですが、貴女様のお役に……どうか、立たせていただきたく存じます」
ソファーから降り、膝をつき、祈るようにしながらフェリシアに対して懇願してくるビビアンを、どうして拒否できるものか。
あぁ、やり直して良かった。
味方が、増えた。
だから。
「……ありがとう、ビビアン」
彼女にも報いなければならない。そのために、徹底してやる。
幸い、もう王妃は正妃としての役割なんか出来やしない。あの国王のことだから、どうせ離宮か何処かに半永久的に幽閉でもなんでもしてしまうだろう。
カディルには思い知らせたけれど、まだまだ足りない。
これから、学院に入ってから、やるべきことが山積みになってくるだろうから、それにも備えなければいけない。
「ごめんなさいね」
もう一度、フェリシアはビビアンへと謝罪をした。
フェリシアの小さな手は、ビビアンの肩へと置かれている。
今は、使わない。
「お嬢様の、仰せのままに。お好きなようにされてくださいませ」
もしも、……本当に切羽詰まったときは……使ってしまうかもしれないけれど、無駄になんかしたりしない。
ビビアンの命を消費してしまうくらいなら、カディルを……と思っていたが、フェリシアは気付いた。
「(いるじゃない)」
イレネも、イレネの取り巻きも……あぁそうだ、カディルの取り巻きもいる。
考えれば考えるほど、魔法を使うための生贄なんか、いくらでもほいほい出てきてしまった。
ビビアンには微笑みかけて、心の中では全く別の種類の笑みを浮かべる。
「(入学して、会うのがとぉっても楽しみだわ……ねぇ、聖女サマ……?)」




