お誕生日、おめでとうございます②
え、え、と戸惑いの声がカディルから聞こえるが、ブチ切れたフェリシアはそんなもの知らないと言わんばかりに無視をしている。
あまり長く手首を掴んでいては不審がられてしまう。早々に離さなければ、と思いながら、フェリシアはこうも考えていた。
聖女と王子様が結ばれることが運命であり、既に決定していることならば、そこまで生きていれさえすれば、何の問題もないのでは。
聖女と王子様が結ばれる。これは好きにすればいい。関わる必要も、否、それ以前に関わりを持ちたくないのだ。
そして、巻き戻す前にイレネは自信満々に聖女と王子が結ばれることこそが幸せの条件、とかなんとか言っていたと思う。
結ばれること、これ即ちゴール。
だったら、ゴール以降は別に生死は問われないだろう。
カディルはイレネとどうせ恋仲になる。フェリシアは彼らの邪魔をしたりしない。
しかし、フェリシアが時属性魔法を使うためには『寿命』という対価が必要となる。
自分の命も、両親の命もひと欠片ほども無駄になんかしない、してなんかやらない。『ローヴァイン公爵家当主は代々短命である』というこれまでの常識を何もかもひっくり返してすらやる。
どうして、こんなクソのためにフェリシアが苦労しなければならないというのか。
どうして、こんな馬鹿を産み育てた王妃や教育係の失敗に関して、フェリシア自身が、父が、母が、ローヴァイン家そのものが苦労しなければならないのか。
「自分の尻拭いくらい、ご自身でなさいませ」
低く、吐き捨てるような声に、短時間ではあるもののようやくカディルは気付いたのかもしれない。でもそんなこと、どうだっていいのだ。
フェリシアを悪役に仕立てあげたのは、他でもないイレネとカディルなのだから。
だったら。
「お前」
ひと言、カディルが震えた声で呟いたけれど、聞いてやらない。
これからお前に、観衆の前で無抵抗な令嬢に暴力を振るった王子というレッテルを貼り付けてやる。
フェリシアは抵抗している素振りをしながら、この王宮の花という花を咲かせるために必要な『力』の素をずるりと吸い上げた。
「ぁ、……え?」
カディルには何が起きたかも分からないだろうと思っているから、そのまま、続けて操り人形になってもらう。
フェリシアはほくそ笑んで、カディルに己の髪を掴ませたまま、彼の体の『時』を操ってみせた。
まるでマリオネットのように、頭の上から糸を結び付けているかのようにしながら、フェリシアの思うまま、カディルは醜態を晒すこととなるのだから。
「きゃあっ!」
痛そうな悲鳴を、わざと上げるフェリシア。
実際痛い。
だが、これを貴族たちにも、そして誰より王妃に見せつける必要があったのだ。
「やめ、っ、……やめてください、お願いします、殿下!!」
聞いているこちらが胸をえぐられるようなフェリシアの停止を願う声に、唖然としていた国王はようやく我が子のとてつもない失態を受け入れ、我に返りそれまで座っていた椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「カディル、やめぬか! 近衛兵、何をぼうっとしておるのだ、止めよ!」
「フェリシア!」
ベナットは、わざと動かなかった。
ユトゥルナも、わざと動かなかった。
これでいい。そう、上手くいっている。
殴られた後、フェリシアが大丈夫だと目配せを二人だけにしたのだ。だから、夫妻は『王子殿下の暴挙に驚き、思わず呆然としてしまった』ことを演じてみせた。
ベナットは余りの腹立たしさに、カディルを蹴り飛ばしたかった。ユトゥルナも、王妃に対して怒鳴りつけてやりたかった。フェリシアがここまで動いて初めて、夫妻は大袈裟だとも言えるほどに反応をした。
「フェリシアぁぁ!!」
ユトゥルナは驚きのあまりへたりこんだフリもしていたが、弾かれたように駆けた。
そうして、カディルの手を離させて己の体でフェリシアをおおいつくすようにしてガタガタと震えながら守る。
しかしカディルは髪を掴んでいた手を離させられたとき、ビビアンが選んでくれた髪飾りを、フェリシアからむしり取ってしまっていた。
抜け目なく確認したフェリシアは、カディルの体を更に操り、繊細なデザインのそれを踏み潰し、ぐりぐりと踵で壊しきった。
「フェリシア! フェリシア!」
いつもは落ち着いている公爵夫人の慌てぶり、否、錯乱とも取れてしまわれかねないほどの必死さに、会場の空気は一気に公爵家に味方するものへと変化する。
これに気付かないヘンリックではない。
まずい、そう思った時には遅かったのだから。
「かあ、さま」
「あぁ……、わたくしの大切なフェリシア……!」
「かみかざり、が」
弱々しいフェリシアの声が、何故だかよく聞こえるような気がした。母に縋り付くような声と髪飾りを悲しむ声、どちらもとても、か細い。
ぎゅう、とフェリシアは母に抱きつき、胸元に顔をうめた。そんな娘の弱々しい姿を、ユトゥルナは放っておくことなんかしなかった。優しく、包み込むように改めて抱きしめ直し、優しく頭を撫で、背をさすってやっていた。
そして、これまでヘンリックには友好的な眼差ししか向けられていなかったはずなのに、べナットからの視線には殺意がこめられてしまっていた。
「公爵……ち、違う、待ってくれ」
「……婚約を了承しなかったからと、ここまでやりますか、陛下」
公爵家として婚約の申し入れはしかと断った、にも関わらず干渉していたのは誰か。
王妃だ。
コレが、台無しにしたのか。
「………………ぁ」
ガタガタと震える王妃が、恐る恐るヘンリックに視線をやった。
「ひ、っ」
これまで向けられていた慈愛に満ちた眼差しなんか、もう向けられていなかった。
「ちが……」
「アレは、お前を思ってこそ公爵令嬢に殴りかかっていたようだなぁ……?」
「ちがう、のです」
「何が違う」
絶対零度の眼差しが、声音が、エーリカを容赦なく突き刺した。
視界の端では、近衛兵に押さえつけられたカディルが暴れているが、エーリカはそれどころではなかった。自分がやったことが何もかも裏目に出てしまい、挙句の果てに一番怒らせてはならない人たちを怒らせたことを、今更ながら理解したのだ。
だが遅い、遅すぎる。
「お前は、お前の手で何もかもを台無しにした」
涙を流そうが、許しを乞おうが、許し難い愚行。ヘンリックの隣に立つ資格など、今の王妃にはあるわけもない。
更にカディルは王子であるにも関わらず、群衆に紛れ込んで、まるでテロリストのようにフェリシアへと殴りかかってしまった。
フェリシアはしっかりとユトゥルナに守られている。そんな二人を背後に守るように、ベナットが憤怒の形相で王家を睨み付けていた。
群衆には、どよめきが広がる。
当たり前だ、確かご令嬢は跡取りたる資格を手に入れたという。次期当主として教育がなされるのであれば、婚約など受けている場合ではなかろうに。
どうして公爵令嬢にここまでこだわったのかしらね。
殿下も殿下だ、このような場で、しかも……女性を殴っただけでは飽き足らず、髪飾りまで壊すとは……何とも先が恐ろしい。
ひそひそ、ざわざわ。
不敬だ、と言われても仕方ないけれど、目の前で起こったものを貴族たちは見逃したりするわけもない。見なかったことにだって、しない。
ゴシップは娯楽のひとつではあるものの、ここまで王子殿下は愚かであったのか?と皆が訝しむ。
「どうやってこの騒ぎの始末をつけるつもりだ、お前は」
ヘンリックは、淡々と問う。
しかしエーリカにその答えは用意できるわけもない。今からにこやかにしたところで、無駄でしかない。どうしよう、と思っているとフェリシアがユトゥルナに抱き上げられ、ベナットに対して何やら耳打ちをしている。
一体何を、と見ていればベナットに抱き直され、近衛兵に捕らえられて騒いでいるカディルを無視して、ヘンリックの前へとやってきた。
殴られてしまった頬は真っ赤になっているが、泣きはしていなかったようだ。
一人の親として申し訳なさがあり、反射的に謝りたくなったが、フェリシアはそんなヘンリックに対して微笑みかけてみせた。
「早めに、こうしておけば良かったのかもしれません。国王陛下、このような姿で失礼いたします。そして、王妃様」
「……?」
「お誕生日、おめでとうございます」
にこ、と笑みを深めてフェリシアが祈るようにして手を合わせた。
「王妃様の未来が、これより先も明るくありますよう」
フェリシアの体に、黄金の光が集まっていく。
「枯れそうな花には再び鮮やかな姿で。これより咲く花は、どうか咲き誇って」
光がひときわ強くなったかと思えば、会場内、ありとあらゆる花が、一斉に咲き誇った。
会場を飾っていたのは、エーリカの好みを最優先にした結果の、薔薇たち。品種が違えば咲く時期も異なっているそれらを、フェリシアは全て一瞬で満開にしてみせた。
「……………そんな」
嘘よ、と呆然と呟くエーリカと、正反対に目を輝かせるヘンリック。
ここまでの才能だったか!と歓喜する気持ちがおさえられず、ヘンリックは大きな拍手をしてみせた。
「素晴らしい! 公爵よ、ローヴァイン家はこれより先も安泰であるな!」
「お褒めの言葉、ありがとう存じます」
ヘンリックは、カディルのやらかしをどうにか無くしてしまいたかったけれど、そんなものよりもフェリシアの覚醒に歓喜した。
そして、エーリカの言っていたことはあくまで杞憂にすぎず、このままフェリシアには次期公爵としての教育を施してもらわなければならない。
会場全体も、この奇跡のようなひと幕に一気に歓声をあげた。
「すごい……!」
「まるで奇跡だ……!」
皆、揃って感激しながら、波紋のように祝福の言葉は広がっていく。
なお、呆然としていたエーリカは、ヘンリックから密やかに出された指示により、会場から連れ出されてしまっていた。
王妃の誕生日パーティーではあるが、主役不在のままに、騒ぎはあったけれどフェリシアが能力を見せたことにより、あっという間に話題はすり変わる。
公爵一家は、健気に耐えたフェリシアを労りたいから、と早々に会場を後にした。
カディルに破壊された髪飾りは、人に頼んで破片もなるべく全て、回収してもらっていた。
それを眺めながら、馬車の中フェリシアは呟いた。
「ねぇ、王妃様。あなたのご自慢の息子の命で咲いた花の感想は……いかが?」




