いらないものは早めに捨てましょうね
あれだけ大切な存在だったはずなのに、かたかたと目の前で震えているルキノを見ても、何も思わない。否、何も、思えない。
その理由はとても簡単。一度目の人生で、彼女に対してとんでもなく失望したから。
一度目の人生で、彼女は幽閉前のフェリシアに対してこう告げた。
『だってお嬢様は次期公爵でもなんでもない、時属性に目覚めなかった欠陥品じゃないですか! あ、でも一応王太子妃筆頭候補?でしたっけぇ』
げらげらと笑いながら言われた言葉に、その時は傷ついたものだが冷静になれば、こうも思うのだ。
次期公爵ではないが、正式に婚約解消するまでは扱いとして準王族なのだ。侍女とはいえ貴族でもあるルキノならばこの意味は分からないわけではないだろうに。
「ねぇ、ルキノ。貴女っておバカさんなのかしら。私が子供だからって、もしかして色々と手を抜いていたりする?」
にこにこと笑いながら問いかけられた言葉に、『はい、まったくもってその通りですよお嬢様』だなんて言えるわけがない。
子供だからと確かに舐めていた。休み明けに使用人たちのフェリシアへの態度が目に見えて変わっていたのは知っている。その理由が何に起因するものなのかも勿論知っている。しかし現時点で次期公爵としての教育は始まっていないのだから。そんな相手に対して皆が遜る意味が分からなかった。
『だって、まだフェリシア様って子供じゃない?敬う意味ある?』
そう告げたとき、皆揃ってドン引きしていたのも理解しているのだが、驕っていたのかもしれない。年若い侍女ということで、フェリシアの話し相手も兼ねた専属侍女に任命された際の、あの優越感は凄まじかった。フェリシアも優しかったから、『お嬢様、すみません』と謝りさえすれば許されると、思っていたのだ。
きっと、一度目のフェリシアならば許してくれたし、実際許していた。今回のフェリシアはそれを大いに反省し、許してならないと思っただけだ。
「別にいいの、それならそれで」
違います、そう言いたいのに声が出てこない。
「せめて新人さんが入ったことくらいは情報共有してもらいたかったわ。だって、もしかしたら」
続く言葉に、ルキノは顔面蒼白となる。
「私の専属になるかもしれないじゃない?」
「お、お嬢様の、専属は、私です、よ?」
「誰が未来永劫そうだ、って言ったのかしら」
うーん、と首を傾げる様子はとても可愛い。ここだけ見れば普通の六歳児なのだけれど、目の奥に宿っている光の強さは到底六歳児に思えない。
「あなたの雇用契約書に、そう書いてある?」
そんなこと書いているわけがない。
記載されているのは待遇や福利厚生、給金に関してが主たるもの。『フェリシアの専属侍女としての契約である』だなんて、どこにも記載なんかされていない。
「で、も」
「でも?」
「私を、お嬢様の専属に選んだのは、侍女長で、それを命じたのは、旦那様……で」
「それで?」
だからどうしたのだろうか、とフェリシアは思っている。父が命じたことならば、フェリシアがしれっというだけで撤回もされるだろう。
それにルキノにはこれから実験台になってもらうのだし、今後も同じような働きが出来なくなると思っている。
実験台=寿命を貰うのだから、きっと彼女はもうここでは働けないだろう。そうなればたっぷりと退職金を出してもらわねば。そうだ、父と母にはそれを伝えなければ、とフェリシアは思い、改めてルキノへと微笑みかけた。
「私の専属侍女ね、確かに今は。でもそれは変わるわ。だって、主に対しての業務遂行が滞ってしまうような侍女を傍に置いておいて、将来的に困ってしまうのは誰? 他でもない、私なのよね」
「それ、は」
「間違っている?」
本当に、最近までの無邪気なフェリシアはどこへいったのだろうか。
公爵家令嬢だとしても、まだ、無邪気に微笑んでくれていたというのに、今は本当に別人でしかない。どうしてだろう。どうしてこうなっているのだろう。
ルキノが必死に考えていると、肩にぽん、と置かれる小さな手。
「え」
「ごめんなさい」
微笑んだまま、フェリシアはただ一言、謝った。
何が、と問う前に、フェリシアの手の触れたところから、だろうか。ずるりと何かが出て行くような奇妙な感覚に襲われる。
「あ、れ」
ぐらり、と視界が歪んでいく。どうしてだろう、まさか貧血を起こしてしまったのだろうか。そうであれば主の前でとんでもない失態を、と考えているはずなのに、ルキノの思考は散らばっていく。
「…………あ」
ぐるん、と目が回って、そのままルキノは背後へと倒れ込んだ。
「あら」
やりすぎてしまったのだろうか、というか今はどうなっているのだろう。
巻き戻る前、イレネにしたように体に触れ、体の中にあるエネルギーを引きずり出すイメージをもって『ひっこ抜いた』。
イレネの時は、彼女の体に触れた状態で時属性魔法を発動させたから、今回のような反応とは全く違っていたのだ。
何というか、挟まっているものを引きずり出す、とでもいうべきなのだろうか。そもそも寿命自体も手で触れられるものなどではないから、果たしてどう言葉で表せばいいものやら、とフェリシアは考え込んだ。
「何か、変わったかしら」
着用していた手袋を外せば、刻印が少し変化していた。
一周の四分の一ほどが塗りつぶされたように色が黒くなっている。そして、時計の文字盤に数字が入っていない状態のような刻印だったが、色が塗りつぶされている箇所を囲むように長針と短針のようなものも見える。
「……時計……?」
真っ青な顔で横たわっているルキノをじっと見下ろす。
体調が悪そうなのは、これは恐らく寿命を吸い取ったことによるものだろう。そして吸い取った寿命がこの掌の刻印に記されている部分なのだろう。
時間が何時間、というわけではないのだろうが貯蔵がどれくらいのものなのか分からないから。
「試しましょうか」
楽しそうに微笑んで、フェリシアは部屋の中をぐるりと見渡せばちょうどいいと言わんばかりに花瓶に生けられた花につぼみが数本あるのを見つけた。
「うん、ちょうどいいところに」
花瓶に近づき、手をかざす。低い位置からではあるが、きっと効果の範囲内だろう。
「……こうかな」
掌の刻印に力を集中するように、ゆっくりと呼吸をする。吸って、はいて、溜めた力を解き放つようにして展開していく。
「<時よ、進んで>」
自然と出た呪文の通り、時が進んでいく。望んだ場所だけ、ピンポイントで進み、蕾が開き、恐らく数日後に咲くはずであっただろう花がふわりと開く。
「……ああ、やっぱりバラだったのね」
生けられていた花の蕾から想像していたけれど、想像通りのバラ。確か中庭にバラが育てられていたな、と思う。
そしてバラの花がゆっくりと開いていく様子はとても神秘的なものだった。
「これなら、パフォーマンスには最適なはずね」
掌の刻印の様子をみると、今咲かせたのが三輪なのでさほど力は消費していないようだ。ならば、と続けて魔法を展開させる。
「<尚、進め>」
ゆっくり開いた花が、そのまま更に大きく開き、そして散る。
「……うん、いいかも。まずは咲かせて、そして進めれば花は散る。風魔法を合わせれば花弁が散っていい感じになりそう」
こうかしら、と風魔法を展開させてしまえば予想通りに散りかけていた花びらがさぁっと散る。空中に舞う様子は、きっとこれならばとても良いパフォーマンスになるに違いない。
民にも面白い余興を見せられるし、国王にもこちらの力を見せつけられる。これだけ見せつければ問題はきっとないと思うけれど、あの王妃のことだ。どうせまたロクでもないことをしでかしてくるだろうと予測できる。
「でもね、王妃様。世の中には思い通りにいかないこともあるんですのよ」
誰に聞かせるわけでもなく、フェリシアは仄暗い笑みを浮かべて呟いた。
一度目は、必死に王太子妃教育をこなしてきた。実務も言われるがままこなしていたし、王太子カディルが本来やるべき業務ですらこなしたのだ。
それが家のためになると信じていたから。そして、それを父や母が望んでいると思っていたから。
家のための道具として、でも良かった。必要とされたいと心の中で強く思っていたけれど、口に出さなかっただけで父も母も、使用人たちも自分をとても大切にしてくれていると知った。
二度目は王太子なんか、気になどしてやらないし、する必要もない。
きっと今頃父も母も動いてくれているだろうから、フェリシアは王妃の誕生日までに少しでも力をうまく使いこなせるようにしなければいけない。
父や母、そして庭師にもお願いして庭園で思う存分練習させてもらおう。
きちんと力を使えるようにしたい、そしてお目当ての練習台として使うための人もきちんといる。今日のこれは練習の練習で……と考えて、ふと思う。
「どこまで吸えば、死んじゃうのかしら」
素朴な疑問。
これだけ寿命を吸い取りました、という表記が出ているわけでもない。床に転がっているルキノに関しては特に年を取ったようには見えない。
寿命を吸う=見た目に変化があるのか。
様々な疑問がむくむくと湧き上がってきてしまう。
「……よくわからないままに吸ったけれど……花を咲かせるのに人の寿命を十年も使うとは思えないし……あ」
更にはっと気付いた。
「お父様に聞いてみればいいんだわ!」
私としたことがうっかり、と呟いてから、もう一度ルキノに視線をやって、使用人を呼びつけるためのベルを鳴らした。
そうすると、すぐに侍女が数人駆けつけてくれる。
「お嬢様、失礼し……ルキノ!?」
「いきなり呼んじゃってごめんなさいね。体調が悪くなっちゃたみたいで、倒れちゃったの」
「まぁ……! 自己管理できないのかしらもう……」
不満そうな顔の侍女たちに担がれ、ルキノは部屋から退出していった。
ばいばい、と手を振って見送って、扉が閉まると机に向かった。
「さて、と。さっきの結果をまとめなきゃ」
愛用のペンを取り、ノートを机の引き出しから取り出してあれこれ書き進めていく。
夜にでも、これを父に見てもらおう。そう思うと筆も乗るというものだ。