練習台、みーつけた
お目当ての人とまずは会って、距離を縮めて、近付かなければならないけれど、きっとそれは容易なことだろう。一度目の人生で、彼女はどうやって自分へと接触してきただろうか。それを考えながらフェリシアはうーん、と小さく呟く。
起きて、着替えを済ませ、髪を整えてもらうまでの間には、フェリシアの探しているお目当てのメイドは来なかった。
いつ来るのだろう。いいや、いつから彼女は自分へと接触して、どのようにして王妃の素晴らしさをただひたすらに説いていただろうか。
「……さすがに昔のことは小さすぎるから思い出せないわね」
あくまで時の操作であり、それに伴い過去の記憶が蘇るかと淡い期待をしたものだが、そうではないようだ。
ふむ、と呟いて身支度を整えてもらったフェリシアは椅子に座ったまま足をぷらぷらと揺らす。
姿は幼いから、こうしていても違和感はない。だが、中身は紛れもなく前回十八歳まで生きた自分自身なのだ。怪しまれない程度に子供らしさを、と考えていたら自然と体は動いていた。
また、刻々と時は過ぎ、朝食の場を注意深く観察してもお目当てはいなかった。ベナットやユトゥルナも同じことを思っていたらしく、三人揃って目配せをする。
新しく入ったばかりだから、家人の直接の世話をすることに関して、まだ許可が下りていないのだろうか。
采配は侍女長に任せている。その侍女長は、公爵家の親戚筋の男爵家夫人でもあるから、直接の世話をさせてもいいのかどうか、彼女の中で推し量っているのかもしれない。
「ごちそうさまでした」
食後に出されたオレンジジュースを飲んでいると、ベナットが話しかけてくる。
「フェリシア」
「はい、お父様」
「力のお披露目は、いつにしようか」
「王妃様のお誕生日の日に、とお伝えください。一週間もあれば確認したいことは全て、確認できますもの」
「あら、フェリシア。何かを確認するの?」
「はい!」
にこにこと楽しそうに笑って、フェリシアは行儀が悪い、と注意されることを承知の上でユトゥルナの元へ駆け寄って一生懸命背伸びをし、母に対して抱っこをせがんだ。
これまでに見たことのないようなフェリシアの『子供らしさ』に、屋敷の使用人はぎょっとした。これまで、いくら幼いとはいえどこのような行動は取らなかったのだから。きちんと椅子に座り、足を揃え、静かに食事を取り、終われば礼儀正しく挨拶をして背筋を伸ばし自室へと戻る。
子供らしからぬ様子に、これでいいのだろうかと考える使用人たちも少なからずいたらしい。しかし、そんな彼らが『あ』と思った時には既にフェリシアはユトゥルナの膝の上へと抱き上げられていたので、更に何も言えなくなってしまった。
使用人たちを横目に見てから、フェリシアはユトゥルナに『お母様、お耳を貸してくださいな!』と子供らしくおねだりをしてみせる。
「まぁ、何かしら。わたくしの宝物」
「あのね……」
こそこそと話している様子は、とても微笑ましい。今までこのようなことがあっただろうか、と使用人たちは思うけれど、『フェリシアの覚醒があったから、当主夫妻も嬉しくて堪らずに可愛がることを遠慮しなくなった』と勝手に解釈してくれたらしい。
そう、そのままでいてほしい。前回のように家族からもコマ扱いされている、と思われるのも真っ平御免だから、とフェリシアは心の中でほくそ笑んだ。
そして、母の耳元に口を近づけ、こそこそと耳打ちする。
「……時属性の、実験をするのです」
「実験?」
「はい。イレネ嬢は、こう言いましたもの。『時属性の魔法を使うために必要なのは、寿命だ』と。でも『本人の寿命』とは、言わなかったんです」
「まぁ」
「だったら、他を供給源にしてしまえば……?」
「もしかして、あなたが前に使った魔法は……」
「はい、お察しの通りイレネ嬢の魔力と寿命を奪い、使いました」
あらあらまぁまぁ、とユトゥルナは笑っている。
そして、フェリシアもクスクスと笑っている。
見た目だけは微笑ましい公爵夫人と令嬢のお喋り。
内容を察しているのか、べナットも微笑んで母娘の様子を見つめている。
「分かったわ、わたくしの可愛いフェリシア。あなたの好きなようになさい。『他』に目星は付けているの?」
「えぇ、もちろん! 王妃様自ら当家に潜り込ませたネズミさんに、練習にお付き合いいただかなきゃ、って思っておりますわ」
「そう、あの方はそのようなことを……」
「そうなのです」
だから、と続けてフェリシアは一瞬だけ子供らしからぬ笑みを浮かべてみせた。
「牽制と、ネズミさんの追放も兼ねて練習をしますわ、お母様」
「それは良い考えだわ! わたくしと旦那様は止めません、お好きなようにおやりなさいな」
「はぁい」
内緒話は終わり、と言わんばかりにフェリシアは母の膝から降りる。
そうして、いつものように綺麗にお辞儀をしてから、専属の侍女を連れて自室へと歩んで行ったのである。
「……我が家の宝物の、お手伝いをしなければ」
「そうだね、ユトゥルナ。ひとまず、こちらはこちらで動こうか。まずは、第一王子殿下の後見はお断りしよう」
「わたくし宛に、王妃殿下よりお茶会の招待がきておりますわ。こちらは受けても問題なくて?」
「あぁ、問題ない。どうせ、第一王子殿下の婚約者の話だろう。もしそうならば」
「お断りすればよろしいのですね」
「認識の通りだ」
「かしこまりましたわ、旦那様。そのように」
「陛下に釘を刺されただろうに、諦めの悪い方だ」
「仕方ありません。だって、王妃様ですもの」
夫妻も目配せをして食事を早々に終え、立ち上がる。
ユトゥルナは親しくしている男爵夫人との茶会へ、べナットは城へと。それぞれの役割を胸に、迷うことなく歩を進めた。
「ねぇ、聞きたいことがあるの」
「何でございましょうか?」
ぱらぱらと本を捲りながら、フェリシアはいつものような口調で、いつものように侍女へと話しかける。フェリシアの専属侍女、ルキノはそれに応えるため、優しい口調で問いかけた。
「最近、新しい使用人が入ってきたと聞いたのだけれど」
「えっと……お嬢様のお耳に、届いていたのですか?」
「私が知っていて、何か問題でもあるのかしら」
「い、いいえ!」
ルキノは慌てて背筋を伸ばす。
先日、王妃とのお茶会に招待された際の着替えなどの手伝いの時、このルキノはいなかった。勤務形態の関係で休みをもらっていたそうなのだが、その時の様子を知らないせいか少し舐められているような感覚にもなってしまった。あの時、手伝いをしてくれた侍女たちをはじめ、使用人たちは揃ってフェリシアに敬意を見せてくれているから余計に、だ。
『時』属性に目覚めたことを知っているからなのだろうが、それでいい。しかし、ルキノは何も変わらない。良いことかもしれないけれど、あまりに変わらなさすぎて、どういうことだろうか?と思うくらいだ。
「(何だか、モヤッとするのよね……)」
とはいえ、このルキノも変化していく一人なのだから今のうちに切り捨てておいても良いかもしれない。
公爵家の中にも、フェリシアが『時』属性に目覚めないのをいいことに、あれこれ吹聴してまわる使用人がいた。人なのだから、誰かの悪口が好きなのだろう、くらいにしか思っていなかったけれど、まさか専属の侍女がそうなるだなんて、誰が想像しただろうか。ルキノに限って、と思っていたけれど、あの時思い知った喪失感はとてつもなかった。
だから、先手を打たなければならない。
「ルキノ、新しく入ってきた人から私、まだ挨拶を受けていないけれど」
「まず先に旦那様や奥様に、ということだそうです」
「そう、それなら良いの。で、どうして私は、今、それを聞いているの? 決まったのはいつのこと?」
マズい、とルキノは本能的に思った。
フェリシアの纏う雰囲気が、ほんの数日前とは何もかもが違っている。時属性に目覚めたといえど、まだ次期公爵としての勉強は始まっていないはず。
しかし、目の前にいる幼いフェリシアから感じられる雰囲気は、ただの子供ではない。
「き、決まったのは、お嬢様と公爵閣下が、王妃様に呼ばれた後のこと、でして」
「だからね、どうして私にはお知らせがないの?」
「それは……」
「他の侍女や、侍女長はきっと……ルキノ、あなたから私に伝えていると思っているはずよ」
「……」
「けれど、どうして知らせてくれなかったの?ねぇ」
本を読んでいたはずだ。そう、フェリシアの視線は本に注がれていたはずなのだ。
それなのに、ルキノが俯いていたほんの少しの間に、視線はルキノへと向けられた。まるで、ターゲットとして捉えた、と言わんばかりに。
「ねぇルキノ、答えてちょうだいな」
思うように声が出ない。喉の奥からせり上ってくる吐き気を必死に堪えようと我慢するのに精一杯で、他の行動ができない。
「どうして?」
ぱたん、と本が閉じられ、フェリシアが座っていた椅子から、とん、と降りてルキノとの距離を縮めた。
「ねぇ、ルキノ」
もう、詰める距離がないくらいに近くなった。幼い主を見下ろせば、その無機質な視線が、容赦なくルキノへと向けられている。
「…………ぁ」
「……ふふ」
情けないことに、ルキノは幼い主の迫力に負けてしまい、その場にへたりこんだ。腰が抜けてしまったのだ。
視線が合わせられなくて、床を見つめガタガタと震えていると、ルキノの視界に入る小さな足。
怖い、助けて。
そう言えれば良かったのだが、フェリシアはそれを許してなどくれない。
「別に、いいのよ」
肩にぽん、と手が置かれると情けないほどに肩がびくりと跳ねる。すみません、とか細く謝りフェリシアを恐る恐る見ると、今まで見たことのないような凶暴な笑みを浮かべていた。
綺麗なのに、底冷えするような恐怖がルキノの全身を襲う。
「ひ、っ」
別に良い。そう、別にもう、良いのだ。
前回のことを思わなければ、ルキノを信用していて、頼っていたかもしれない。
でも駄目だ、何があったかを思い返せば、今更ながらあれこれと思い出してしまったのだから。それ故に、ルキノのことは『練習台』としてしか、見れなくなってしまった。
ルキノの反応から、もう既にネズミが潜り込んでいるのは、分かった。ネズミでぶっつけ本番でも良かったけれどうっかり何かがあってはいけない。一応、王妃の手の内にある人なのだから、壊しすぎない程度にズタボロにしなくてはいけない。見せしめのために。
ネズミをそうするためには、どうやればいいのか確認しなくてはいけない。ルキノは、そのための練習台として、役に立ってもらわねばいけないのだから。
練習台、と書いて「オモチャ」と読む。




