人魚の鼻水
ゴミ箱へポーンと投げた僕の鼻水は、空を切って、そして地球に少しづつ押し戻されるかのようにへの字をなぞって音もせずに箱の中へと飛び込んだ。
子どもの頃からの癖は中々抜けない。
どこがで聞いてきたこと、見てきたことで僕の鼻水まで作られているみたいだ。
この液体には過去が詰まっていてDNA鑑定でもすれば、きっと好きだった女の子への、今思えば顔覆いたくなるカッコつけの仕草や言葉の一字一句まで明らかにしてしまうのだろう。
思えば小学校の頃の僕は、一歩引いた立場から正論を叩きつけるその姿こそヒーローだと勘違いしていた。まるでドラマの台本を読んでいるかのようなセリフを淡々と述べる10歳はさぞかし可愛くない少年だっただろう。
でもそんな僕を、周りの友達や家族、大きく言えば社会が否定していないでくれたから今があるのだと、教えてくれた人がいた。
電気屋のテレビからはあたかも長年連れ添った妻について語るような口調で、ペラペラと得意げに語るおじさん達が等間隔に座っていた。その顔は自信に満ちていている様で、どこか寂しそうだった。
助けて欲しいと、認めて欲しいと叫ぶ様に搾り出された言葉達は、僕の鼻水みたいに地球に負けて、地面にゴトっと音を立てながら散らばってる。
そんな地面を見つめて僕は思った。
世の中へ恩返しをしなければ。
だから僕は仕事を辞め、地面に散らばる言葉を両手いっぱいに拾い集めてあげる、仕言を始めた。
収入など無い。横文字にすればボランティアとでも言うのだろうか。人によってはニートと言われるかもしれない。
でもそれでも良かった。僕にはやるべきことがある。
存在を否定せずただ見守ってくれた人達に、今度は君はそのままで良いんだよと伝えること。
ただ、肯定も否定もせず静かに待つ。
たったそれだけで人は水を得た魚の様に、古来からの動物としての姿を取り戻していく。
まるで人魚みたいに。鮮やかで煌びやかで艶かしい。
君を文字にする必要なんてない。
言葉にならないことばは、君をぼくを紡いで世界のカタチを現す。
信号がハトの鳴き声と同時に青へと変わる。一瞬の静寂とともに一斉に動き出す。
10時の渋谷、スクランブル交差点。
タッタッタ、足音とは裏腹に無言の交差点。
ああ、これが愛なんだと気づいた。