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不運の女神、譲られました  作者: 白瀬あお
六章 女神は譲られました
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不運、序章

 ビッグサイトに向かう前に会社に立ち寄ると、休日なのに三國さんが出社していた。


「これから? 期待の新製品のお披露目だから。よろしく頼むわね」

「はい。行ってきます。先日、設計部の皆さんにも激励されました」

「ああ、つくば行ったの? あそこのひとたちの雰囲気、昭和にあった町内会みたいでしょう」


 自席のパソコンで軽くメールチェックをしながら、噴きだしてしまった。言い得て妙。


「あったかくて、ぐいぐいきますよね。楽しかったです」


 ずっとあのなかにいる譲くんなら、別の感想もあるだろう。干渉しすぎというのもうなずける。けれど、総じてどこまでも突き抜けて明るいひとたちだった。


「産業営業のとき、実は事業所ってほとんど行かなかったんです。産業営業は既製品を売るのが主ですから、工場と掛け合うこともなくて。それに心のどこかに、営業こそがフロントだという思いもあったと思います」


 売り上げを取ってくるのは自分たち、という自負はともすればおごりにもなる。大河さんでなくとも、わたしもその気持ちがなかったかというと否定できない。


「でも行ってよかったです。作り手の顔を見るのは、けっこう大事ですね。皆が誇りと自信を持っているのが伝わってきたから、わたしももっと責任を持って売り出そうと思えます」


 営業のままだったら、譲くんに出会わなかったら。きっと知らないままでいたことだ。

 こんなところにも、譲くんの影響がある。狭かった視野が広がっていく。それだけでも、譲くんに出会えてよかった。


「そう。じゃあ今日も安心して任せられるわ」

「頑張ります」


 メールチェックを終え、資料をショルダーバッグに放りこんでいると、三國さんにふたたび呼び止められた。


「それと女神さん。間瀬くんにつきまとわれてるんですって? 藤堂くんから聞いたわ。対処が遅れてごめんなさいね。営業部長には、私から言っておいたから。今後、間瀬くんになにか強要されるようなことがあれば、断りなさい。あなたは企画の人間として、営業部全体の底上げをお願いしたいの。間瀬くんひとりの助手になってるようでは駄目よ」

「ありがとうございます!」


 ここにも、わたしが自分に誇りを持って働くのを後押ししてくれるひとがいる。そうだ、わたしはいつまでも大河さんに使われてばかりじゃいけない。

 わたしは荷物を肩から提げ、ぴしりと頭を下げて職場をあとにした。

 ――しかし晴れ晴れとした気持ちでビッグサイトに到着したわたしは、のっけから特大の不運に見舞われることになった。


「搬入時間の変更? ちょっと待ってください、ここにうちの割り当ては十五時からと明記されてありますよ。うちの製品はそこの搬入口を開けてもらわないと入りませんし、こんな直前になって時間の変更は受けられません」


 会場側の担当の手違いで、機材搬入を申請していた別の会社と搬入許可時間が重なってしまっていた。

 搬入口はいくつもあるわけじゃない。クレーンなどを使う場所も限られている。わたしたちが初披露しようとしている機種も、大型トラックで分割して運ばなければならないほどの機械だ。家庭用のプリンターとは規模がまったく違う。

 会場の男性スタッフに頭を何度下げられても、こちらとしても予定を組んでしまっている。そう簡単にわたしの一存で了承できない。決められた時間に搬入しないと、その後のセットアップと動作確認に影響が出る。


「そこをなんとか! お願いします」

「……うちも協力しますから、よその搬入時間も十分ずつ短縮するということはできませんか? 製品の動作確認に手配したSEの都合もあるので、搬入そのものの時間変更は難しいです。各社の搬入を監督して、速やかに交代できるようにしていただければなんとか詰められるかと思うのですが」

「そうですね! そうします……! ご協力ありがとうございます」


 と、そんなこんなで機器の搬入から出鼻をくじかれたが、なんとかフォロー可能な範囲でほっと胸を撫でおろした。不運に遭うのがデフォルトなので、動じにくいメンタルだけはだいぶ育ったかも。

 ところがそれだけではなかった。その後もハプニングはやってきた。もう、ハプニングといっていいのかもわからない。これが、この日のために頑張ってきたわたしへのフラグの回収だったのだろうか。


「女神さん、ちょっと来てもらえますか――」


 刷り上がったパンフレットの色味が違うと、製品担当が言う。

 プリンターの会社が発注どおりに色の出ていないパンフレットを展示会で渡すわけにはいかない、と超特急の発注をかける。


「すみません女神さん、確認お願いします――」


 新製品の電源を接続する電源が他社に使われそうになり、他社と調整する。

 巨大なスクリーンを用意して製品のプレゼンテーションを行うひな壇では、思った通りに映像が映らないとインカムで文句が飛び交う。


「女神さん、なんとか調整できませんか――」


 来場客への説明のために雇っていたコンパニオンが発熱し、急きょ代役を探すことになる。


「目が回りそうってこのこと……!?」


 わたしは各担当者のあいだを飛び回り、問題が起きたと報告を受けては各所に調整と再手配をかけて回った。胃がぎりぎりと絞られる。

 だから、夜になって譲くんがビッグサイトにやってきたときも、すぐには気づかなかった。




 搬入の混乱もなんとか収まり、ビッグサイトの展示場には着々と出展企業のブースができあがりつつある。

 ビッグサイトの展示場では、毎日のようになんらかの展示会が開かれている。業界を挙げての展示会もあれば、娯楽寄りの即売会なんかが開催されることもある。

 ホールはいくつにも分かれているが、今回の印刷技術の展示会ではホールに設営された企業ブースの数は三百ほどにもなっていた。

 プリンターメーカーのほかにも、インクや紙、シールラベルや包装なんかの印刷関連技術、さらにはその周辺ソフトウェアなどの展示なども予定されている。印刷に関わる人間なら外せない展示会だ。とはいえ、設営するほうも大変だが、見て回るほうも一苦労だろうなと思う。

 立倉デジタルソリューションズという企業ロゴとキャッチコピーの描かれた、我が社のブースも設営をほぼ完了した。

 大型スクリーンを設置したステージ、なんとか搬入、組み立てを終えた新型プリンター、そしてパネル展示に商談ブースを備えた、見栄えのする一角に仕上がっている。


「お疲れ様です」


 設置されたパネルの内容の最終確認を行っていたわたしは、耳に心地よい声にふり返った。


「あれ、譲……苑田さん、なんでここに?」


 仕事中なので、苗字で呼び直す。譲くんは、黒のドレッシーなスーツに身を包んでいた。首にはビッグサイトの関係者用入館証を下げている。

 各企業から派遣されてきた社員と、なんの遜色もない格好だ。というか、むしろ際立っているかも。たぶんこのスーツ、ネクタイこそしていないけれど挙式のときに着たやつじゃないかな。ビッグサイトに入るために、スーツに着替えたんだろう。

 どうやって入場したのか、あまりに堂々と現れたので面食らった。


「お、搬入されてる」


 譲くんが、今回初お披露目となるPro1240-8Vに近づく。わたしも松村さんに説明してもらったスペックを思い出して感慨深くなった。


「うん。指定された搬入時間に誤りがあったと聞かされたときは、どうなることかと思ったけどね……! これであとはSEの菅谷すがやさんが動作確認してくれたら、とりあえず目玉商品はちゃんとお披露目できる」

「へえ……俺も実物は初めて見たわ」

 譲くんがプリンターを撫でる。我が子を見るような優しい目だ。

「設計は苑田さん?」

「俺は電源だけ。システム設計とか機構設計は別の人間」

「それでもすごいよ。これ、一分間に千枚印刷するんでしょ? 人間にそんな機械を作れるのかと思うと、お客様にプレゼンする立場だけどわたしのほうが圧倒される」

「光栄です」


 茶化して短く笑った譲くんは、ポケットから鍵を取りだした。わたしが朝、置いていった部屋の鍵だ。


「ポストに入れたら不用心でしょ。返しにきた」

「それだけのために寄ってくれたの? うわー、ごめん。合鍵持ってるって言えばよかったね。ありがと。菅谷さんが来たら動作確認が終わるまで手が空くから、夕食いく?」

「いや、いい。今日が正念場だろ。そっちに集中しろよ」

「ありがと」

「修正版の進行表見た。サンキュ。明日は頼むな」

「全力で臨むから。かれんさんの明日の衣装も、めちゃくちゃ楽しみにしてる」


手のひらを出せば、そこに譲くんの手が触れる。鍵を落とされるというとき、ふいに昨日の頬へのキスを思い出した。


「そっちこそ不用心だったよ、昨日」


 恋人へのキスを間違えて同僚にするって。どうなの。


「記憶がねーわ。なにやらかしてた?」

「あれはやっちゃだめだよね。放送事故だよね」

「マジで? 悪い、なにした? 言って」


 答えようかどうしようか迷っていると、首から下げていた社用の電話に連絡が入った。わたしは鍵を受け取ろうと出していた手を引っこめてスマホを耳に当てる。

 お疲れ様です、と挨拶した直後、わたしは自分の耳を疑った。


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